美術において、見える人と見えない人をつなぐ取り組みは、どのような歩みを経て今日に至るのか。近年は国内でも、見えない・見え難い人と見える人とで、美術の制作や鑑賞に協働する取り組みが散見されるようになった。両者がともに生き生きと美術を楽しみ、それによって、美術そのものの意味や存在も変わりはじめる──そうした今日の光景に至るまでの、20年余りの試行錯誤、そして今とこれからを、研究と活動の内側から照らしだし、綴っていく。
母からの性的まなざし
〈性〉なる家族 信田さよ子
神話に登場する鳥と、神話時代の鳥観
人と鳥の文化誌 細川博昭
なぜ自殺をしてはいけないのだろうか?
人生というクソゲーを変えるための仏教 ネルケ無方
なぜ近親相姦と呼ばないか
〈性〉なる家族 信田さよ子
第1回
カントの誤診――『純粋理性批判』を掘り崩す
第5回
カントの誤診――『純粋理性批判』を掘り崩す
釈尊はなぜ喋ってしまったのか?
人生というクソゲーを変えるための仏教 ネルケ無方
仏教とは、ゲームを降りること
人生というクソゲーを変えるための仏教 ネルケ無方
第4回
カントの誤診――『純粋理性批判』を掘り崩す
ゲームについて大真面目に考えた人たち
人生というクソゲーを変えるための仏教 ネルケ無方