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『彷徨』刊行記念! インタン・パラマディタさんインタビュー 国境を越えたフェミニズムの連帯のために(後編)

ジャカルタで英語教師をしている「あなた」はすべてが嫌になって、もうどこかに行ってしまいたいと願っていた。そんなとき、悪魔と契約をして、旅へと連れて行ってくれる赤い靴を手に入れた……。物語の展開をあなたが決める、ゲームブック形式のフェミニズム文学『彷徨 あなたが選ぶ赤い靴の冒険』がまもなくシリーズ〈アジア文芸ライブラリー〉の一冊として刊行されます。刊行にあたって、執筆の背景や作品に込めた思いについて、著者のインタン・パラマディタさんに伺いました。

 (前編はこちら

東南アジアの女性として旅をすること

――ここからは『彷徨』の内容やテーマについて伺いたいと思います。本書では一見異なるテーマである「旅」と「フェミニズム」が組み合わされています。なぜその二つを結びつけようと思ったのですか? また、それらはインタンさんにとってどのように関わり合っていますか。

旅は性別、国籍、人種、階級によって全く違うものになるからです。特定の階層の人には、旅はそもそも不可能です。そうでなくても特にインドネシアなどグローバルサウス出身の女性にとって、旅はずっと難しい。常に人々の視線、つまり「どう見られるか」気にすることになるからです。例えば白人のヨーロッパ人男性として旅をする方が、インドネシアの褐色の女性として旅をするより簡単です。そもそも移動の機会が与えられにくいし、機会を得ても偏見やステレオタイプに直面します。白人の夫を探しているんじゃないかと言われたりもします。人種差別や不当な扱いを受けることもあります。だからグローバルサウスの女性の視点から書くのは面白いと思ったのです。

――ベルリンに行けばそこで困難に見舞われるし、NYに行けばまた別の困難に直面する、というストーリーになっていますね。

そうなんです。この主人公にはほとんど特権がありません。作家である私自身には旅をする特権がありますが、主人公にはない。だからこそ、非常に限られた特権しか持たない状態で旅をするのはどういうことなのか、を描きたかったのです。何にアクセスできて、どんな境界に直面するのか。褐色の女性であり特権を持たない者としてどんな制約を受けるのか。私はそこに強い関心を持っています。

加えて、文化と文化のつながりにも関心があります。主人公はインドやその他のいわゆるグローバルサウスの国々から来た人々に出会い、国境を超えた有色人種間の連帯を経験しますね。これは私自身の体験にも重なります。私はニューヨークで10年ほど暮らしましたが、その間クイーンズに住んでいました。クイーンズは移民労働者が多く暮らす、多様性に満ちた場所で、さまざまな文化が出会う交差点のような場所です。そして私は、常に人々の側から、何らかのつながりや連帯が生まれている、という考えがとても気に入っています。

――この物語はニューヨーク、ベルリン、アムステルダムなど多くの都市を舞台にしています。実際に訪れた場所を選んだのでしょうか?

訪れたことのある都市もあります。ただ、あまり言うとネタバレになるかもしれませんが、あるエンディングでは、主人公がペルーにたどり着きます。でも私はペルーには行ったことがありません。ある種の想像された未来として、舞台に選んだのです。その選択肢を選ぶと、主人公はペルー出身の人とパートナーになります。彼はトランプ政権下のアメリカに不満を抱き、ペルーに戻ることを決めます。彼女もそのパートナーと一緒にペルーへ戻るのです。

私はこれを一種の抵抗だと考えています。つまり、ある国の政治が気に入らなければ、その国を離れて自分の国に戻り、与えられた特権を捨てることもできる。そういうことを描きたかったので、行ったことのないペルーを想像に頼って書きました。

 

フェミニズムと連帯のために

――『彷徨』には、松田青子さんから推薦文をいただきました。「「ゴール」も「正解」もない世界で、どんな未来が待ち受けていようとも、赤い靴を履き、けもの道を行く。あらゆる「境界」の前で足掻く。どうしたって痛い。どうしたって傷つく。それでも「自由」には抗えない。」
本作は、どのような選択肢を選んだとしても、主人公であるあなたは困難に直面して苦しむことになります。一方でそれでもつねに希望を感じさせるストーリーでもあります。松田さんはそのことを情緒的で詩的に表現してくだったと思います。
そこで伺いたいのですが、フェミニズムの運動は悲観的なものになりがちです。悲観的にならず、希望を持ち続けるためにはどうしたら良いと思われますか?

 悲観的にならないのは難しいですね。特に今は、多くの国で政策や政府がますます保守的になっていますから。私が希望を持ち続けていられるひとつの理由は、フェミニストのコレクティブに参加していることです。「女性の思想学校」と呼ばれる団体です。私たちは世界各地やインドネシアのフェミニズム思想を学んでいます。これは群島を横断する運動でもあります。インドネシアのさまざまな島々から集まった人々と協働することで、希望が生まれます。一人で闘うと悲観的になりますが、共に闘えば違う。自分が知らなかった新しい闘い方に出会い、他の人から学び、抵抗する仲間から学ぶことで、大きな希望をもらえるのです。だから、協働――特にフェミニズムの協働――は、この困難な世界を生きるうえで非常に重要です。

 

――『彷徨』は移動と国境がひとつのテーマになっています。インタンさんは2022年1月に国際交流基金の「アジア文芸プロジェクト“YOMU”」にエッセイを寄せられていました。コロナ禍での移動と境界や特権性と、『彷徨』の旅を結びつけたエッセイでした。
それから数年の間に、私たちの世界は境界と移動に関して、様々な変化を目の当たりにしました。たとえばアメリカ合衆国ではドナルド・トランプが以前よりも移民に排他的な政策を掲げて再選しました。日本を含めてその他の国々でも、排外主義的な主張を掲げる右派政党が勢力を増しています。インタンさんはここ数年の、移動と国境を巡る変化を、どのように見ていますか?

『彷徨』が通底して提示する問いは、一見グローバル化した世界に見えるけれども、誰が移動でき、誰が国境に阻まれているのか、ということです。実際には旅はごく一部の人の特権であり、資本主義や新自由主義に深く結びついています。資本家は自由に移動できますが、特定の人々や集団は国境に阻まれ続けています。

自国の中においてさえ、移動が制限されている人もいます。たとえばパレスチナの人々のように、ヨルダン川西岸で友人の結婚式に出席するだけでも、日常的に無数の検問を通らなければならないのです。それは大きな負担です。

世界はますます閉じていき、国境を守る方向に進んでいます。そしてそれが人と人とのつながりを、開くのではなく閉ざしてしまっているようにも感じます。もっとも、資本の移動に伴ったつながりなら、いくらでも可能なわけですけど。でも、もっと根源的なつながりは国境によって閉ざされます。とても憂慮しています。

しかし同時に、あまり悲観しないようにしています。繰り返しになりますが、いま必要なのは国境を越えたな協働、フェミニズムの協働です。草の根の、つまり人と人とのつながりによる国境を越えた協働は、小規模かもしれませんが確実に力を持っています。

たとえば私は、先日沖縄に行ってきました。そこで日本、韓国、フィリピン、インドネシアにおける慰安婦の歴史を踏まえて、女性への性暴力や、国家による暴力をどうすれば一緒に終わらせられるのかを話し合いました。こうした対話こそが重要です。人と人とのつながりは、大規模な資金を動かすもののようには目立たないかもしれませんが、希望を与えてくれます。アジア言語からの翻訳といった取り組みも、どんなに小さくてもつながりを生み、対話を築くものだと思います。

 

――〈アジア文芸ライブラリー〉ではそうした文化交流を担いたいという思いからはじまりました。個人的な話になりますが、日本では長らく在日コリアンへの差別があり、かつては新大久保のコリアンタウンで「朝鮮人は出て行け」といったようなヘイトスピーチが公然と行われていました。その近くに学校があった私は、実際にそれを何度も目にしてます。あれから15年ほど経った今では新大久保は韓国カルチャーの中心地となって、差別的なデモは事実上不可能になりました。こうした変化を見て、文化交流の重要性を認識するに至りました。

文学には力があるし、できることはたくさんあります。在日コリアンへの差別の話をしてくれましたが、そういう問題があるからこそ、柳美里のような作家の作品が必要なのです。そうした声がもっと必要だと思います。

文学は多くのことを伝えられます。彼女の作品が英訳されたことも素晴らしいと思います。日本は「クールでポップカルチャーのブランド」だけではなく、人種問題や労働者階級の問題も抱えていることが伝わります。『JR上野駅公園口』は東京における階級の問題を描いていますね。日本文学から人々が知るべきなのは、華やかで楽しいポップカルチャーだけではないのです。

――そうした意味で、『彷徨』日本語版の刊行に携われたことを光栄に思います。

私もとても嬉しいです。そして、この素晴らしいシリーズに加えてくださって本当にありがとうございます。

 

読者のみなさんへ

――最後に、日本の読者に向けてメッセージをお願いします。

日本の読者のみなさんが、この本とともに素晴らしい赤い靴の冒険を楽しんでくださることを願っています。

(了)

聞き手・翻訳:春秋社編集部
2025年9月18日 春秋社にて収録

 


インタン・パラマディタさんの新刊『彷徨 あなたが選ぶ赤い靴の冒険』は春秋社アジア文芸ライブラリーより10月下旬発売です。

 


『彷徨 あなたが選ぶ赤い靴の冒険』

インタン・パラマディタ 著
太田りべか 訳

ISBN:9784393455135
Cコード: 0097
判型・ページ数:四六・612ページ
定価 4,400 円(本体 4,000 円+税)

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