『彷徨』刊行記念! インタン・パラマディタさんインタビュー 国境を越えたフェミニズムの連帯のために(前編)
ジャカルタで英語教師をしている「あなた」はすべてが嫌になって、もうどこかに行ってしまいたいと願っていた。そんなとき、悪魔と契約をして、旅へと連れて行ってくれる赤い靴を手に入れた……。物語の展開をあなたが決める、ゲームブック形式のフェミニズム文学『彷徨 あなたが選ぶ赤い靴の冒険』がまもなくシリーズ〈アジア文芸ライブラリー〉の一冊として刊行されます。刊行にあたって、執筆の背景や作品に込めた思いについて、著者のインタン・パラマディタさんに伺いました。
『彷徨』著者・インタン・パラマディタさん
――まずは『彷徨』日本語版の出版、おめでとうございます。日本で出版されることについて、どのように感じていらっしゃいますか?
とても嬉しくて胸が弾んでいます。多くの友人の協力やプロモーションがあって、刊行にたどり着きました。中でも、以前シンポジウムに招待していただいた団体のスタッフの方と出会えたことは幸運でした。彼女がこの本を日本で出したいと願って、出版社に紹介してくれてくれました。そして本作の翻訳者、太田りべかさんのお力添えもあってのことです。
日本語版ができるまでには、こうした友人たちの努力と愛情が背景にあったと思っています。単なるビジネスモデルで動いたのではなく、友情によってここまでたどり着きました。本当に感謝しています。
今回日本を訪れるのは三度目ですが、東京以外は初めてです。先日まで何日か、沖縄にも行きました。東京以外の都市を訪ねることができてとても嬉しいです。日本での読者との出会いもとても楽しみです。
アジアの文学からつながる
――『彷徨』はアジアの現代文学に特化したシリーズ〈アジア文芸ライブラリー〉の一冊として刊行されます。現在、文学の市場はヨーロッパや北米の作品に強く偏っていて、日本も同様だと思います。アジア文学を読むことにはどのような意義があるとインタンさんは考えますか?
アジア諸国同士で読むことは、西洋を媒介にせずに新しいかたちのつながりを築けるという点で、とても大切なことだと思います。インドネシア語から直接翻訳する、日本語から直接翻訳する。そうすることで私たちは自分たちのつながりを構築できます。
実際インドネシアでは、日本文学が大きな存在感を持っています。おそらく日本文学は、英語圏で最も目立っているからでしょう。たとえば川上未映子や村上春樹が読まれていますね。女性作家もとてもたとえば小川洋子や、松田青子などが人気があります。もちろんマンガも人気です。
私たちが彼女たち知っているのは、英語圏でよく知られているからです。でも逆はあまり起こりません。インドネシア文学やフィリピン文学が日本で目立つことはほとんどないでしょう。日本でもフィリピンやタイの文学も、もっと紹介されれば良いと思います。
インドネシアでも同じです。英語圏で人気のあるものを翻訳しているので、日本文学や韓国文学は多くても、タイ文学はあまり紹介されません。つまり、私たちインドネシア人は隣国の文学をほとんど読まないということですね。マレーシア文学、フィリピン文学、タイ文学などはほとんど知られず、日本や韓国文学を読んでいるのです。だからこそ、アジア内部でのつながりをもっと築くことが重要だと思います。
――近隣諸国からの翻訳が少ないのは、翻訳者が不足しているからでしょうか?
そうかもしれません。最近は韓国語を学ぶ人が増えて、韓国文学の翻訳も増えました。日本語はもちろん翻訳がたくさんあります。でもタイ語から翻訳できる人はあまりいません。
インドネシア語で書くということ
――インタンさんは研究者でもありますが、学術的な仕事は英語で行っていますね。一方で小説はインドネシア語で書いています。英語と書くこととインドネシア語で書くことと違いはなんですか? インドネシア語で文学を書くことにはどんな意味がありますか?
研究者として書くときは、主にアカデミックな、英語を使う界隈の人々に向けて書いています。一方、小説については、英語を含めた他の言語に翻訳されたとしても、最初の読者はインドネシアの人々だと思っています。私はインドネシアの人々に向けて、インドネシア語で書きたいのです。
そして私は、インドネシア語の詩的な側面が大好きです。英語に比べれば語彙は制限されています。英語は古い言語ですが、インドネシア語はマレー語やジャワ語の混合で、100年ほどの歴史しかありません。だから語彙の面で限界があります。でもその制約の中で表現するには、非常に創造的でなければなりません。そこが好きなのです。自分の文学作品の読者が第一にインドネシアの人たちだと想定しているのは、それが理由です。
とはいえ、自分の作品がこの言語の外に広まるのは本当に素晴らしいことです。2年前にポーランドに行ったのですが、そこで『彷徨』をポーランド語で読んでくれた読者と出会って、読書体験について語ってくれました。それは著者にとって贈り物のようなもので、異なる言語で自分の作品を読んでくれる人々とつながれることはとてもありがたく思っています。
撮影:Aryo Danusiri
インドネシアの文学と宗教
――インタンさんは、インドネシア文学からどのようなことを継承したり、影響を受けたりしましたか?
実のところ若い頃は、西洋文学ばかり読んでいました。大学では英文学を専攻しました。ですから『彷徨』の童話やゴシックといった要素は、とてもイギリス的な文学伝統に根ざしています。
しかし大学を出た後、意識してインドネシア文学を学ぼうとしました。自分の視野を広げ、インドネシア文学に敬意を払いたかったのです。たとえばこの小説の一部は、インドネシアの作家、ブディ・ダルマの作品に強い影響を受けています。彼は不条理文学的なスタイルを用いた作家でした。
インドネシア文学からは多くの宝物を見出しましたが、同時にその限界も認識しました。10年くらい前に、私は女性作家の作品をあまり読んでいなかったことに気づいたのです。多くの女性作家は左派運動と関係していたために、政治的理由で長い間、表に出すことを許されず、抹消されていたのです。そのことに気づいてから、女性作家の作品も読むようになりました。少し遅すぎたかもしれませんが、それでも学べてよかったと思っています。
文学的影響というのは固定されたものではなく、成長していくものだと考えるべきだと思います。抹消された左派系のインドネシア人女性作家を発見するのが遅れてしまいましたが、それでも学べてよかったですね。だから今取り組んでいる次の小説では、抹消され隠された女性作家たちを読み直すことをしているのです。
――インドネシア文学には政治的背景と同様に、宗教的な背景もありますね。マハーバーラタのようなヒンドゥー文化の影響や仏教、そしてイスラームの伝統がありますが、ご自身の作品には宗教的な影響はあると思いますか?
私の二作目の小説Malam Seribu Jahanamは、インドネシアにおけるイスラーム的伝統に応答する作品です。現在英訳が進められていて、『Night of a Thousand Hells』というタイトルで来年、英米で出版されます。
『彷徨』に出てくる悪魔は非常にキリスト教的なものですが、主人公にはムスリムの姉妹が登場します。インドネシアにおいてイスラームを語らずに済ますのは難しいのです。
――『彷徨』に関しては、主人公である「あなた」はそうした宗教的伝統や家父長制から逃れようとしているようにも見えます。
私がこの小説を書いたのは2008年から09年頃です。当時、インドネシアでは権威主義体制が崩壊してイスラームの復興が高まり、公共空間におけるイスラーム的なものが目に見えるように増えていました。そこでは保守的なイスラームの表象が増え、女性たちは突然ヒジャブを着用することを期待されるようになりました。もちろん私は、自らの意思でヒジャブをまとう女性を強く支持しますが、当時は圧力からそうしている人も多かったんです。そしてイスラーム的でない格好をしている女性に対して、多くの偏見もありました。
だから本作の主人公も、伝統に対して非常に反抗的です。そういった意味では『彷徨』は非常に世俗的な小説ですね。もっとも今の私は、自分の世俗的な視点にも批判的であろうとしています。
9年がかりの執筆
――この作品では、世界各地の童話や民話を引用していますね。その上で『きみならどうする?』シリーズの構成を使って、物語の展開を自分で選ぶという、いわゆるゲームブックの形式で小説にしています。それらは子どもの頃から馴染みがあった本ですか?
『きみならどうする?』(Choose Your Own Adventure)は70年代からアメリカで出版されたシリーズですが、80年代から90年代はじめにかけて、ジャカルタの大手出版社で『彷徨』の出版元であるグラメディアからインドネシア語に翻訳されて出版されていました。『グースバンプス』みたいなホラー作品にも同様のゲームブック形式の、自分で選ぶタイプの本がありました。そうした本を読んで育ちました。
子どもやヤングアダルト向けのそうした本には、宇宙旅行とか、SF的な要素が豊富でとても魅了されました。物語の中で自分が選択し、自分自身のストーリーを選び取っていくという発想に強く惹かれました。
ただ、この小説を書くとき、子ども向けじゃなくて大人のための本にしたかったんです。移民やグローバリゼーションの問題、私たちがつながっているのに同時に断絶している現代について語るために、この「自分で選ぶ冒険」というジャンルを応用しようと考えました。
――複数のプロットを構成するのは大変だったのではないですか? この作品は執筆に9年かかったとエッセイに書かれていましたね。
はい、9年かかりました。ただそのうちの2年間ほどは、博士論文を書いていて本に取り組まなかった時期もありました。
執筆はなかなか難しかったです。まず大きな紙を用意して、そこに分岐する展開を地図のように描き出していきました。そういう地図作りにかなりの労力を費やしました。けれど最終的には物語をたくさん加えてしまって、地図は放棄しました。ストーリーが多すぎたんです。
イギリスのペンギン・ランダムハウスから英訳版が出すことになった時も、出版社の方が新しいマップを作っていたそうです。読者の中には創造性が豊かな人もいますね。日本の読者の方も、地図を作ってみるといいかもしれません。実際にこれまでも、手書きで地図を描いた読者もいれば、ソフトを使って地図を作った人もいました。
(後編ではいよいよ本作の内容について伺います! 10月10日(金)正午公開予定)
聞き手・翻訳:春秋社編集部
2025年9月18日 春秋社にて収録
インタン・パラマディタさんの新刊『彷徨 あなたが選ぶ赤い靴の冒険』は春秋社アジア文芸ライブラリーより10月下旬発売です。
インタン・パラマディタ 著
太田りべか 訳
ISBN:9784393455135
Cコード: 0097
判型・ページ数:四六・612ページ
定価 4,400 円(本体 4,000 円+税)