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脇道にそれるということ 尹雄大

大切なものには、いつも名前が付けられない

 繰り返し想い起こす景色というものが人それぞれにある。鮮やかに覚えているようで、その意味するところをはっきりと描き出すことはかなわない。それでも何か大事なことがしまいこまれている気がして、時おり胸底を覗き込んでみる。

 まだ神戸の街が地震で破却されていなかった、学生時分の話だ。ある日、私は上級生のMに誘われ、駅の南に広がる地区の公民館に出かけた。学生ボランティアが、授業についていけない、読み書きに難儀している子供たちの学習の手伝いをしているという。
 Mは部落解放研究会や労働問題研究会といった、硬派なサークルに所属していた。「ロシアの血が入っている」と冗談めかして話すのを幾度か聞いたことがある。ぎょろりとした目と太い鼻に無精髭。言われればそのように見える面相をしていた。猫背にヨレヨレのコートを引っ掛け、缶コーヒーを片手に始終タバコを吸うといった、どこか投げやりな振る舞いの醸し出す雰囲気は、バブルの絶頂期を迎えつつある世相とかけ離れた印象を周囲に与えていた。

 Mは私に会うたびに「もっと世間を見んとあかんよ」と言った。確かに私は神戸の山手育ちで世事に疎かった。浮かれた社会にも陰影はあるのだと、その一端を見せるつもりでボランティアに誘ったのだろう。
 あくまで見学のつもりが、会の主催者に「せっかくだから」と請われ、教科書を片手に日本史を急遽教えることになった。子供らは総じて人懐こく、下準備もないままにしゃべる拙い話にも耳を傾けてくれた。いつものボランティアスタッフではない初見の私に新味を覚えたようで、しきりと質問を投げかけてきた。

 「また来てください」と皆に手を振って送られ、私はMとともに暇を告げた。駅に向かう道は混みいった家屋を縫うようにして続いていた。寒月が路地を明るく照らしても、道は曲がり見通しも悪い。抜けのない景観もあいまって、自分がどこにいるかさっぱりわからなかった。私は自分の住んでいるところとはあまりに違う町割りや雰囲気に馴染めなかった。
 しばらく行くと銭湯が目にとまった。入り口の脇に老婆が陣取り、七輪の炭を熾していた。そのまま過ぎようとしたものの、どうしても気になり取って返した。
 腰の高さの台に見たことのない器具が据えられていた。一見するとたこ焼き器のようでいて半円の深みがない。浅い窪みのついた小さな箱状の鉄板に、たこ焼きと同じ要領で水で溶いた小麦粉を注いでいく。指先のない軍手をはめた老婆は、鍋から具と思しきものをつまむと、鉄板のへこみに少しずつ落とし始めた。
「それ、何なん?」とMが聞くと、老婆は「スジ肉とこんにゃくの炊いたやつや」と答えた。醤油で甘辛く煮たものと見えるそれは、とても細かく刻まれていた。「この食べ物、何と言うんですか?」。私の問いに老婆はそっけなく「ちょぼ焼きや」と返した。

 後年、たこ焼きの前身は、スジ肉を用いたラジオ焼き、またこんにゃくや紅ショウガを入れたちょぼ焼きと呼ばれる食べ物だったと、文献を読んで知った。それに則るなら、ちょぼ焼きにはスジ肉は使われていないはずだから、彼女の作っていたものはラジオ焼きにあたる。それならばたこ焼きと同じく球状の形をしているはずだ。膨らみの乏しい楕円のそれは正史にしかと位置づけられないものだった。とはいえ、庶民の食べ物は折々の工夫と時節の必要に応じてつくられたものだろうから、正史も稗史もあったものではないだろう。老婆は確かにそれを「ちょぼ焼き」と呼んだのだ。

 私はひとつ買い求めMとわけた。経木の舟皿に載せられ差し出されたものは、見慣れたたこ焼きに比べるとあまりに薄く貧寒として見えた。申し訳程度に入ったスジ肉とこんにゃくが味を主張するわけでもなく、格別うまくもなかった。

 あれから20余年経った。いまどきは正しい名前とその由来を知りたければ、手軽にネットで検索することもできる。では、あの夜たまさか通った界隈で出会った、しょぼくれた物の正しい名は何だろう。ちょぼ焼きでも、ラジオ焼きでもない。ソウルフードと呼べば格好がつくだろうか。一般的な名前は何もない。行き当たる先があるとすれば、老婆があの夜作っていた何かとしか言いようがない。そもそも手製の屋台で銭湯の灯りを頼りに、粉物を焼くあの行為も商いと呼んでいいのかすらわからない。

 確かにあの日あそこで食べた記憶はある。再度訪れたなら手がかりは得られるかもしれない。だが震災ですっかり様相を異にした後では確かめることもできない。私を案内したMとはその後会うこともなくなり、ずいぶん経ってからロシアへ渡ったという噂を耳にした。すべてが所在無げで当て所がない。働きづめの暮らしぶりを物語る節くれだった指で具材をつまむ老婆の手つきが私の中に居座り続けている。
 
 筋目の通ったこと、客観的であること、確認できること、そして正しくあることが大事だ。起きた事柄をいかに素早く正しく名づけるか。それが物事の理解なのだと思い込む人が増えている。その行き着く先は、何か事が起きれば善悪是非の振れ幅でしか物事を捉えらえれない狭量さでしかない。 
 今の自分のものの考え、見方に窮屈さを覚えてはいても、それ以外に行く道を知らないから、それが生きる上でのメインストーリーだと信じるようになる。そのような世相に巻き込まれて私も生きている。
 
 はっきりと言葉には言えないが、「何かおかしい」とざらつく手触りを物事に感じる時、あの路地での出来事をふと思い出す。そこに「なるほど」と納得できるストーリーを見出し、指針にするわけではない。ただ道をそれて歩まないと見えてこない、名付けようのない景色があるのだと、告げているように感じる。それは大胆にアウトサイドを行くのでもドロップアウトするのでもない。ただ脇道へとそれてみる。そうすれば、見慣れた風景の隙間に入り込んでいる、番地の表記のない場所を見出すかもしれない。
 
 働き方、家族のあり方、暮らし方。生きていく上でつきまとう事柄について、効率や伝統だとか出来合いの概念を使って断定的に述べる言葉をよしとする風潮は強まっている。その出処は不安と恐怖だろう。そこに息苦しさを感じている人も多いはずだ。
 いまある社会に合わせるから苦しい。しかし、社会から脱することもできない。だからこそ、この社会に属しながら、完全に組みさずに生きられる道を探したいと思う。

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著者略歴

  1. 尹雄大

    フリーランサーのインタビュアー&ライター。これまでに生物学者の池田清彦氏、漫才師の千原ジュニア氏、脳科学者の茂木健一郎氏や作家の川上弘美氏、保坂和志氏、俳優の田中泯氏、ミュージシャンの七尾旅人氏、川本真琴氏、大川興業の大川豊総裁、元ジャイアンツの桑田真澄氏など学術研究者や文化人、アーティスト、アスリート、ヤクザに政治家など、約800人にインタビューを行って来た。ライティングに関わった書籍多数。著書は『やわらかな言葉と体のレッスン』(春秋社)、『体の知性を取り戻す』(講談社現代新書)ほか。http://nonsavoir.com/

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