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言葉と体 伊藤亜紗

 わたくし、つまりNobody賞(主催:NPO法人 「わたくし、つまりNobody」)は、文筆家・池田晶子さんの意思と業績を記念し、ジャンルを問わず「新しい言葉の担い手」に贈られる賞です。第13回の受賞者である伊藤亜紗さんが、2020年3月3日、都内の日本出版クラブホールにて表彰式にのぞみ、記念講演をおこないました。

 

 賞をいただくことが決まって、すぐに「わたくし、つまりNobody賞」のホームページを確認しました。すると、この賞は「言葉と討ち死にすることも辞さないとする表現者」に与えられるものだ、と書いてありました。この文言を読んで、私は戦慄しました。なぜなら、私は言葉と討ち死など絶対にしたくないからです。加えて、「Nobody」という言葉も気になりました。体について研究をしている私が「No-body」つまり「体がない」賞をいただくとは、いったいどういうことでしょうか。「この賞がお似合いだ」という周囲の言葉とは裏腹に、私はこの賞には相応しくないのかもしれない。そう思いました。

 私は、言葉に対して愛憎半ばする感情を持っています。その理由は、『どもる体』(医学書院)のあとがきに書いたように、私じしんが、子供のころから吃音とともに生きてきたからです。Nobody賞のホームページをさらに読むと、「言葉と一体化して在る人」という表現があります。けれども私自身の体はむしろ、「どうがんばっても言葉とひとつになれない体」でした。言おうと思えば思うほど言葉が出ない。思っているのと違う言葉が口をついて出てくる。いまでも、一日を終えて眠りにつくとき、「今日言えなかった言葉たち」が体のなかに澱のように溜まっているのを感じることがあります。子供の頃にはじめて「ことだま」という言葉を知ったとき、それはこの成仏できずに体にとりついている言葉の霊のことを指すのだと思いました。

 とはいえ、私は結果的に言葉をつむいでそれを世に出す、という仕事につくことになりました。もし私の言語観のようなものがあるとすれば、それは吃音とどうつきあうかという対処法を自分なりに開拓することと、分けて考えることはできません。どうやったらこの体にも言葉を扱うことが可能なのか。その試行錯誤の中から、自分なりの言語観ができあがってきたように思います。

 言葉には「話し言葉」と「書き言葉」があります。賞をいただいてあらためて考え、気づいたのですが、私は文字で文章を書くときにも、それが限りなく話し言葉的であるようにすることに、強いこだわりを持っています。「話すように書いて」いるのです。文末をなるべく「です、ます」調にするのはそのためですし、書いているときにも、頻繁にインタビューで集めた音源に立ち返る、という作業をしています。『記憶する体』(春秋社)は、ひとりひとりの体のローカル・ルールを記述するという性格上、パーソナルな感じを出すために、一度「である」調で書くことを試みました。けれども、どうしてもしっくりこなくて、途中でやめてしまいました。

 その理由は、「書き言葉」だと、転がる予感、どもる予感がしないからなのだと思います。言葉を簡単に捕まえることができてしまう。でも捕まえることができてしまう言葉なんて、実感がわきません。手にとってじっくり吟味したり、丁寧に磨き上げたりできるようなものは、私にとっては言葉ではないのです。生き物のように動いていて、考えてもいないのに出てきてしまうようなものでなくては、私はともにいることができません。逆説的なことに、話し言葉が苦手だからこそ、書き言葉も話し言葉的になってしまうのです。

 言葉を動きのなかで捉えたい。こう考える人はしかし、私だけではないようです。私が最初の単著『ヴァレリーの芸術哲学、あるいは身体の解剖』(水声社)で扱ったフランスの詩人ポール・ヴァレリーも、言葉はその上で立ち止まってはいけないもの、通過すべきものだと論じています。言葉は、溝や裂け目のうえに渡された薄板のようなもので、体重をかけることは危険である、と彼は言います。「詩と抽象的思考」(1939年にオックスフォード大学で行われた講演)からの引用です。

私たちは語のおかげで、ひとつの思考がなす空間をきわめてすばやく超え出ることができ、また、観念が自分の表現をみずから構築していく際のその衝動をたどることもできます。そうした語の各々、各語は、私には次のようなものに思われます。つまり、溝のうえとか、山の裂け目(クレヴァス)のうえに投げ架けられるあの薄板の一枚です。この板は、軽快な動きで人が通過する時には持ちこたえてくれます。しかし、通る人は体重をかけたり、立ち止まったり、――とりわけ、この薄板の上でそれがどれくらい持ちこたえるのか試そうと踊って楽しんだりはしませんように!… 弱い橋はすぐさまひっくり返ったり壊れたりして、すべては深みへと落ちていってしまいます。ご自身の経験を思い出してみて下さい。私たちが他人を理解するのは、そして私たちが自分自身を理解するのは、ただ語の連なりを私たちが通過する速さ・・・・・・・・・・・・・・・・のおかげだ、ということがお分かりになるでしょう。語の上に加重してはなりません。さもないと、最も明晰な話であっても、程度の差はあれ学識的な謎や幻影に分解されてしまうのを目の当たりにすることになります。

 あらかじめ断っておくと、ヴァレリーは吃音とは程遠い、非常に流暢な言葉の使い手でした。巧みな話術でゴダールのお母さんを大笑いさせている写真が残っていますし、友人のアンドレ・ジッドは「ヴァレリーは二時間も三時間も喋りつづけるので、いっしょにいるとすっからかんになる」と苦言を呈しています。

 ですので明らかな誤読なのですが、二〇歳くらいでこの文章を初めて読んだとき、わたしは吃音の主要な症状である「難発」について書かれたものだ、と思いました。難発は、言おうとする言葉を前もって準備してしまい、そのせいで体が石のように緊張して硬くなり、呼吸も止まって、何も音を発することができなくなる症状です。難発は苦しいので、何とか回避したい。そのためには、いかに言葉を準備しないか、いかに立ち止まらず、流れにノって、言葉を発するかが重要になります。ヴァレリーの「語の上に立ち止まってはならない」「理解は、言葉を私たちが通過する速さのおかげ」という表現は、吃音少女だった私にとって、とても「刺さる」ものでした。

 先の引用でヴァレリーが語っていたことは、哲学を専門用語から開放し、日常の言葉で考えることにこだわった池田晶子さんの姿勢とも、もしかすると通じるものがあるのかもしれません。言葉は固定されるとき、人を真実に近づけるところか、むしろ遠ざける足かせになることがある。本賞の名前のもととなった同名のエッセイ「わたくし、つまりNobody」(1992)のなかで、晶子さんは、ヘーゲルを読むのは、「一種の波乗りの要領である」と述べています。以下引用です。

一旦コツをのみ込んでしまうと、大波小波を滑走することじつにリズミカルで、およそ考えるということもなく、(考えていては沈没する!)、あんな楽しい読書はめったにあるものではない。ヘーゲルは、肉体で読まれるべきで、考えながら読むべきすじの書物では、絶対にない。

 こうした「内側から読み全身で思考に伴走する」読み方の対極にあるのが、言葉に立ち止まる読み方、すなわち「命名と定義にこだわって哲学辞典を引きながら読む」読み方です。晶子さんは、同じエッセイの中で、「命名にめくらまされない感受性」の重要性について語っています。

命名という行為は、その命名者つまり史上の哲学者たちにおいては、秩序への意志であると同時に、或る全一性の放棄であったことを、いつも忘れるべきではないだろう。求められているのは説明ではなく、理解であるならば、命名以前の事象の正体をそれ自身において知るものは、命名にめくらまされない私たちひとりの感受性でしかないだろう。そんなふうにして、一片も損なわれることなくそっくり感じられたものたちは、もはや「私」だけのものではないあの「普遍」の刻印を帯びているはずなのだ。

 この文章を私なりに解釈するならば、名づけは秩序を与えるが、感受性はそこから離れていく、ということでしょう。私は大学の途中で文転し、美学を専攻しました。美学とは別名「感性の学」と言われます。その意味は、「曰く言い難いもの」を扱う学問であるということ、ここで晶子さんが指摘しているように、「命名にめくらまされず、事象の正体をそれ自体において知ろうとする」学問である、ということです。美学はまさに言葉への戸惑いから生まれた学問である、と私には思えました。

 

 さて、こんなふうに晶子さんとの共通点を見出し、ほっとする一方で、この賞は「その表現者の独自性を選考の尺度とする」とも書かれています。確かに、私と晶子さんのあいだには、やはり違うところもあります。晶子さんが「私を考え、私を突き抜け、普遍に至る形而上学(メタフィジカ)」をかかげていらっしゃったのに対して、私は現実の具体的な体、とくに障害のあるさまざまな体について、聞き取りを通じた調査を行ってきました。もちろん、他人の体はわたしの体ではないので、完全には分かりません。けれども、分からないなりに、目の見えない体で生きるとはどういうことなのか、片方の手がないとはどういう感覚なのか、分かろうとしてきました。

 それは『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社新書)で使った言葉でいえば、一種の「変身」の作業です。言葉を使って、体に自分の領土を超えさせる。ポール・ヴァレリーは、詩を「身体の諸機能を開発する装置」と捉えていましたが、まさに私もヴァレリーにならって、体をひろげるために、そして私をひろげるために、言葉を使ってきました。晶子さんが「わたくし、つまりNobody(体がない)」であるならば、わたし(伊藤)はむしろ「わたくし、そしてEverybody」を目指してきた、と言えるかもしれません。

『どもる体』を出したときに、多くの人に言われたのは、「この本を読んだらどもるようになった」ということでした。その人が、本当の意味で吃音になったかどうかは別として、当たり前のようにできていた「しゃべる」という行為が、そのメカニズムの複雑さを知ることで、かえってあたりまえにできなくなった、ということなのでしょう。ちがいを取り込むことで、体は進化とも破壊ともつかない変化をこうむります。自分でもときどき恐ろしくなるのですが、体についての本を書き、それを読んでもらうことは、その人の体に外科手術を施すようなものです。その人の体に、不可逆の、決定的な改変をおよぼしてしまう可能性があります。

 先に、自分の吃音の経験から、言葉に体重をかけない習慣が身についた、というお話をしました。ひとつひとつの言葉に立ち止まって吟味するのではなく、そこにある流れにノって、言葉が生まれるのに任せていく。このことは、言い換えれば、私がものを考え、言葉をつむぐためには、流れをつくってくれる相手が必要だ、ということです。

 この講演の準備をするために、自分の古いノートを見たら、面白いことが書いてありました。戒めるように、こう記してあったのです。「自分の中で考えるな。外で考えろ」。確かに私は、いつも何かとともに考えています。研究が独り言になってくると、不安になって外に出る口を探そうとします。私にとって研究とは、すべて共同研究なのです。

 一番の共同研究者は、言うまでもなく、インタビューに応じてくれた障害のある方たちです。体が当たり前のようにやっていることに言葉を与えるということは、本人にとっても容易ではありません。それはたとえて言うなら、食事中に「どうやって食べているんですか」と質問されるようなものなのですから。そのため、インタビューの時間は、その人と一緒に言葉をさがすような作業になります。そうやって見つかった言葉は、何度聞き直しても意外性に満ちていて、私の研究に推進力を与えてくれます。

 それから、研究会や対談で話す機会を得たさまざまな分野の専門家も、もちろん共同研究者です。学生時代は上智大学で開催されていた現代美学研究会、数年前にはNTTインターコミュニケーション・センターで開催されていた情報環世界研究会、最近では東工大で開催されている利他研究会が、私の思考に深い驚きと幸福をもたらしてくれました。原稿や本の形にまとめるときには編集担当の方が共同研究者になってくれましたし、すでにこの世にいない哲学者や美学者、芸術家も、本や作品という形で私の思考を進めてくれる共同研究者です。

 ものが共同研究者になることもあります。ダナ・ハラウェイ(注1)は、彼女を扱ったドキュメンタリー映画『ダナ・ハラウェイーー生き延びるための物語り』のなかで、よくあやとりをしながら思考を練り上げていたと語っています。あやとりの相手は、アクターネットワークセオリーのブルーノ・ラトゥール(注2)。彼らはまさにネットワークを動かしながら、ネットワークについて考えていたのです。

 私も、視覚障害者が伴走に用いるロープを手がかりに、人と人の倫理について考えをめぐらせています。ロープは研究室の本棚の一角にしまってありますが、それは本と同じくらい私の思考を波に乗せてくれるものです。最近では、百円ショップで買った大量の日用品を使って、さまざまなスポーツを翻訳する、という研究もしています。この研究は、なんのゴールも見えないまま、日用品の山をほじくり返しながら進んでいきます。手にしたものの質感や弾性、音などに触発されながら進める研究です。ものではありませんが、ふだん原稿を書いているときにきいている音楽も、私を波に乗せてくれる重要な伴走者です。

 聾唖教育についての研究者であり、自身も聴覚障害の当事者である木下知威さんは、こうした、「外で考える」/「ともに考える」研究方法を、「群立的思考」と呼んでいます。群立とは、「人、概念、事物といったその人が認識するあらゆるものが無造作に群れだっている」状態のことである(「ひとりのサバイブ」)。

 木下さんは、群立には二つのモードがあると言います。さまざまなものの関係が密にくっついている「凝集」と、ばらばらに点在している「分散」です。「凝集」は、デモ行進のように、あるいは慣れた自分の書斎でなじみの道具に囲まれているときのように、集中度が高く、堅牢さを持ちます。けれどもあまりに凝集の状態が長く続くと、身動きがとれなくなったり、煮詰まったりするということがおきる。すると人は「分散」を求めます。これは息抜きをしに散歩に出たり、新しい刺激をもとめて本屋に行ったりすることです。「私たちは固有の群立をもち、凝集と分散を行き来することで思考をドライブする」と木下さんは言います。

 木下さんにとって、群立的に思考することは、研究者としてのスタイルであるだけでなく、聴覚障害者としてサバイブする方法でもあります。木下さんは、自分のことを「独りぼっちになりやすい身体」だと言います。子供のころから、家族と一緒にいても、まわりはみな聴者だったため会話に入ることもできませんでした。親がどういう人か、本棚にならべられた本を読むことによって初めて知ったといいます。だからこそ、木下さんは、生きている人、死んでいる人、言葉、ものとともに考え、群立的に生きることで、世界を拡張しています。雑木林を歩けば国木田独歩の一節が思い出され、彼は独歩とともに林を満たす音を聞きます。「鳥の羽音、囀る声。風のそよぐ、鳴る、うそぶく、叫ぶ声。」独歩の統覚を「間借り」するのだ、と木下さんは言います。

 これは果たして、耳の聞こえない木下さんだけの経験でしょうか。体についての研究とは、つきつめると、孤独についての研究に他なりません。自分の体のことは究極的には自分にしか分かりません。この痛みやこの快楽を人に同じように感じてもらうことはできませんし、体とつきあうために見つけた小さな工夫の山としてのローカル・ルールは、他の人と共有することはできません。障害のある人に聞き取りをしていていると、「なぜ私なのか」という根源的な苦しみが語られることもしばしばです。体は偶然与えられてしまうものです。それを理由もなく一生かけて引き受けていかなければならないのは、たいへん孤独な作業です。人はずっと、自分の体と対話をし続けなければなりません。

 だからこそ私は、「外で考える」者でありたいのです。体に関して私たちは孤独でしかありえないとしても、自分の体がその一部になってしまうほどに、さまざまな言葉やさまざまなものと群立を形成して、凝集と分散を繰り返しながら、動きながら生きていきたい。群立的な運動のなかで、everybodyを揺さぶる波を起こしていきたい。体についての研究とは、まさに他人の体を「間借り」するようなものです。ふとした瞬間に、あの人だったら今、こんなふうに感じるだろう、と取り憑かれたように他人の感覚が再生されることがあります。体を間借りしながら考えること。あるいは体を間借り可能なものに、言葉をつかって開き、密かに結びつけていくこと。まだその道の端緒に立ったばかりですが、それが、私がこの世界にある無数の体、everybodyのためにできることなのだ、と考えています。

 

(注1)思想家・科学史家。著書に『猿と女のサイボーグ』(青土社)など。

(注2)哲学者・人類学者・社会学者。人とモノ、社会的、自然的世界のあらゆるもの(アクター)を、ネットワークの結節点としてとらえ社会を記述する、アクターネットワークセオリーを提唱。

 

(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞 

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https://www.nobody.or.jp/jushou/13_itou/index.html

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著者略歴

  1. 伊藤亜紗

    東京工業大学科学技術創成研究院未来の人類研究センター長。同リベラルアーツ研究教育院准教授。専門は美学、現代アート。もともとは生物学者を目指していたが、大学三年次に文転。2010年に東京大学大学院博士課程を単位取得のうえ退学。同年、博士号を取得(文学)。著書に『ヴァレリーの芸術哲学、あるいは身体の解剖』(水声社)、『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社)、『目の見えないアスリートの身体論』(潮出版)、『どもる体』(医学書院)がある。同時並行して、作品の制作にもたずさわる。

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