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「令和」の出典は漢文!?――『万葉集』と中国古典作品との深い関係 三宅香帆

 

「新元号、出典は『萬葉集』! だけどその元ネタは漢詩!」

……という噂がインターネットを騒がせていたことを、ご存知だろうか。

 

新元号が決まったのを機に、なんと『萬葉集』が脚光を浴びている。私は大学院で『萬葉集』を研究していたのだけど、まさか自分の生きてるうちに『萬葉集』がアマゾンで売り切れになる日が来ることになるとは思わず、驚きっぱなしである。ちなみに社会へ出たのはつい先日、こないだまで一日一首は奈良時代の歌を読む生活をしていた(念のため注をつけておくと、読む、であって、詠む、ではない)。

元号が発表される以前は、『萬葉集』を研究すればするほど、大学院の外で「『萬葉集』を研究していてね……」と言った時の、みんなの反応に戸惑った。みなさん、『萬葉集』と聞けば「ああ、古典は苦手でね……」と苦虫を噛み潰したよーなお顔をされ、「和歌、むつかしかった……」と苦笑するのである。そのたび私は歯がゆかった。

 

――ちゃうねん! もっと萬葉集は、面白いねん!

 

 

上品なだけが和歌じゃない! 

どうやら和歌というと「あれえ、桜が散ってゆくのであるなあ(現代訳)」みたいな古典の授業の下手な現代語訳イメージが一般的になってしまっているようだ。おかしい。

和歌だからって気取った風景や季節への感慨を詠むものだ、というのは偏見だと思う。奈良時代に生きていた彼らだって、恋をしたりごはんを食べたり仕事をしたり生活をしていた。そしてそのなかに「歌」があっただけなのだ。

そもそも『萬葉集』には、実のところ4516首も歌が掲載されており、その歌たちが詠まれた時期と言えば、だいたい7世紀前半~8世紀中頃。そう、『萬葉集』のなかの古い歌から新しい歌に至るまで、実に130年くらいのスパンがある。これって今に当てはめてみると、なんと夏目漱石から村上春樹くらいまでの期間なのだ!(ちなみにこのことをはじめて大学院の授業で聞いて「そ、そんな長いのか」と思った)。

考えてみてくださいよっ、夏目漱石から村上春樹だなんて、文体もちがうし、流行ってるものもちがうし、歴代のベストセラーを見てみれば、その中にエンタメからホラーから純文学からエログロに至るまで、めちゃくちゃいろんなものが本屋に並んでいたでしょ!?

でも教科書(未来の古典の教科書)に載るのはその一部、お上品な部分だけ……。もったいないと思いません!? もっといろんな本があるでしょーよ! 後世の人にもいろんなジャンルを知ってほしいよ!

 

ちなみに和歌において桜だの紅葉だの「季節の歌」が詠まれやすいのは、今でたとえると、インスタグラムに季節の風景写真を上げやすいのと同じだと思う。ほらみんな、春には桜の写真をアップするでしょ? あれは季節の話題が、いちばん当たり障りなく、みんなと感情を共有できるからだろう。きれいな桜の写真をアップして批判されることなんてほとんどなく、「わぁきれいですね☆ 私もきれいだと思いましたよ☆」と返されることが多いから、今も昔も「季節」は当り障りのない最強コンテンツなんだよ……。

 

というわけで、新元号の出典となった『萬葉集』。

上品イメージだけで読むのはもったいない。もっと軽く楽しく面白く、私はおすすめしたいのだ!

 

『萬葉集』=奈良時代の和歌・名盤ベストアルバム!?

そろそろ新元号「令和」の話をしよう(せっかく元号の話題が出たんだし)。俗に「梅花歌三十二首」と呼ばれる、大伴旅人を中心として開催された梅を見る宴会にて詠まれた歌たちの、解説部分である「題詞」が出典だという。

冒頭にも申し上げたが、「出典は『萬葉集』なのに、漢文が元ネタだっていうじゃないか~!」と話題になっていた。

元ネタとして挙がっていたのは、中国後漢の文人・張衡による「帰田賦」(『文選』十三に所収)にある「於是仲春令月、時和氣清」という文章。あるいは東晋の書家である王義之の「蘭亭集序」(『蘭亭集』の序文)から「是日也、天朗気清、恵風和暢」。ちなみに張衡は中国古代の地震計として知られる「地動儀」を作り、また円周率の近似値を算出した人だったらしい。文系も理系もできるインテリだったのね……。

……なんて情報がまわりつつ、新元号が発表された直後から「『萬葉集』が出典っていってたのに、元をたどれば中国の古典が元ネタなんだー!」としきりに叫ばれていた。

 

しかし、あなたはこのニュースが流れてきた時、「え、そもそも『萬葉集』は日本の和歌を集めたものでしょ? なのに、漢文が元ネタってどういうことなの??」と首を傾げなかっただろうか。

もしあなたが首を傾げたとしたら、その感覚わかるよー! と共感したい。

なぜなら私が『萬葉集』を研究し始めた時、一番驚いたのは、『萬葉集』と中国古典作品が、ずぶずぶどっぷり深い関係であることだったからだ。

 

平成の終わりから時を遡ってみれば。1200年前の遠い昔、奈良時代に『萬葉集』は編纂された(ちなみに誰が編纂したのかはっきりしたことは分かっていない。大伴家持が中心だったとは言われているけれど)。当時の日本はまだ漢文で公式文書を書いていた時代だった。

そこで当時一大国家プロジェクトとして発動したのが、「我が国が始まった時から今に至るまで、和歌・名盤ベストアルバムをつくろう!」という『萬葉集』プロジェクト。

しかし現代だって、たとえば「明治から平成にかけての名盤ベストアルバムをつくれ」って言われたら、ポップスもクラッシックも演歌も洋楽かぶれも入れたくなると思う。それと同じで、『萬葉集』の中にも「洋楽(漢詩)大好きな歌人・時代」と「邦楽(和歌)大好きな歌人・時代」が存在していたのである。それゆえに、『萬葉集』にも「漢詩を入れてみましたー!」という部分がある。

 

「漢詩」は今で言う「洋楽」 

たとえばひと昔前のミュージシャンがみんなビートルズを聞いていたように、現代のミュージシャンで洋楽の影響をまったく受けていない人がいないように、『萬葉集』の歌人も、みんな主要な漢詩は丸暗記していたりする。そのため、『萬葉集』を読んでいると、ありとあらゆるところに「漢詩の一フレーズを拝借してみた」部分を発見することができる(ちなみにこういうのを細かく見つけるのが現代の萬葉集研究者のお仕事)。昔は著作権の概念なんてなかったので、むしろ積極的にパクる……というかオマージュする。元ネタは漢文、がおしゃれな時代だったのである。

 

「令和」の出典となった『萬葉集』の「梅花歌三十二首幷序」は、全20巻ある『萬葉集』のうち「巻五」という巻に収められている。実はこの「巻五」、大伴旅人や山上憶良といった、当時大宰府に赴任していた歌人の作品が多いのだけど、『萬葉集』の中でもかなり「洋楽かぶれ」……というか「漢詩大好き」な歌人のつくった歌が多い。

というのも、今回の「梅花歌三十二首幷序」は、大宰府(今の福岡)で大伴旅人を中心として開かれた宴会で詠まれた歌たちなのだけど。大宰府というのは、地理的に中国にも近く、それゆえに中国の本がたくさん入ってきた場所だった。さらにその中国の本たちを管理する図書館(のような場所)もあった。大伴旅人や山上憶良といった歌人たちは、九州で中国の文学作品に大量に触れ(彼ら、暗記するレベルで漢詩を覚えている……)、そのうえで和歌をつくった。

「令和」の出典は「題詞」という和歌の序文のような箇所なのだけど、この序文も漢文で書かれている。

梅花謌卅二首并序

天平二年正月十三日、萃于帥老之宅、申宴會也。于時、初春令月、氣淑風和。梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。加以曙嶺移雲、松掛羅而傾盖、夕岫結霧、鳥封縠而迷林。庭舞新蝶、空歸故鴈。於是盖天坐地、促膝飛觴。忘言一室之裏、開衿煙霞之外。淡然自放、快然自足。若非翰苑、何以攄情。詩紀落梅之篇。古今夫何異矣。宜賦園梅聊成短詠。

(巻五、815番題詞)

※ちなみに『萬葉集』ではこのあとに宴会で詠まれた32首の歌が載っている

※本文はすべて『新校注 萬葉集』(井手至・毛利正守編、和泉書院、2008年)によった。訓釈は『萬葉集釈注』(三、伊藤博著、集英社、1996年)を参考にした

 

さて漢文について、注目してほしいポイントがある。「、」と「。」だ。

原文に「、」と「。」は付けられていないのだけど、分かりやすくするために打ったものである。なにか法則があることに、お気づきだろうか?

 

実は、この序文、中国の詩で流行っていた「四六駢儷体(しろくべんれいたい)」という手法を使おうとしている。

この「四六駢儷体」というのは、3~6世紀の中国(六朝あたり)で流行った文体で、「四字」と「六字」の区切りで、それぞれ対句をつくる手法だ。全体的に、派手で盛り盛りなイメージの文体だ。装飾過多、と言ってもいいだろう。

たとえば序文の後半。

 

於是盖天坐地、促膝飛觴。忘言一室之裏、開衿煙霞之外。淡然自放、快然自足。若非翰苑、何以攄情。

ここに天を(きにがさ)とし、地を(しきゐ)とし、膝を(ちかづ)(かづき)を飛ばす。(こと)を一室の(うら)に忘れ、(えり)煙霞(えんか)の外に開く。淡然(たんぜん)(みづか)(ひしきまま)にし、快然と(みづか)ら足る。若し翰苑(かんえん)にあらずは、何を()ちてか(こころ)()べむ。

 

……それぞれ四字・六字に分けられていて、さらに対句(天と地、膝と觴)になっているのが分かるだろうか。「他人行儀な言葉は部屋の隅に忘れて、整えた襟は大きく広げる」「たんたんと自分の思うままに振る舞い、それぞれが自分の満足を得ている」……ほら、対句になってるでしょう?

もちろん漢詩をつくる実力だけ見れば、中国本場の漢詩作者たちには劣るかもしれないけれど。しかし声に出して読んでみるとなかなかどうして美しい。日本人のつくる漢文も悪くないやん、と言いたくなる。

 

今も昔も…

今のミュージシャンが、外国の音楽に憧れ、洋楽っぽいサウンドや歌詞を取り入れるように。1200年前の歌人たちも、外国の詩に憧れ、漢詩っぽい文体や漢字を取り入れていたのである。

「令和」の出典が『萬葉集』であろうと『文選』であろうと、そこによりよい和歌や題詞をつくろうとした奈良時代の歌人がいるのは本当だ。そのなかで、元号という奈良時代からある発想によって、当時の文章が脚光を浴びるなんて、なんだかロマンのある話だなぁと思う。出典や典拠がどうこう、って古典の人はめんどくさいことするなぁと思うけれど、でも、こうやって新元号に向けて楽しむことができるなら、案外いいもんだ。

私たちが今読んでいる文学も、いつかの元号の出典になることがあるかもしれないし。

 

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著者略歴

  1. 三宅香帆

    書評家、文筆家。1994年生まれ。京都大学人間・環境学研究科博士後期課程中途退学。著書『人生を狂わす名著50』(ライツ社)。

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