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精進料理のこころ 吉村昇洋

第8回 食べてはいけないものがある

 

五葷もしくは五辛 

 

 精進料理では、食べてはいけないものがある。

 そう聞くと、多くの方が、肉、魚介類、卵などの動物性の食材を思い浮かべるだろう。ちなみに、鰹だしやコンソメなどの動物由来のだしも使えない。

 禅寺の山門あたりを見回すと、「不許葷酒入山門(葷酒山門より入るを許さず)」や、「禁葷酒(葷酒を禁ず)」といった文字を彫りこんだ石柱を見かけることがある。あれは、「葷(くん)やお酒を、お寺の中に入れてはいけない」ということを示しており、料理への使用はおろか、そもそも寺院内に通すこと自体が禁じられている。

 では、この葷とは何か? 「葷」はそもそも「ナマグサモノ」を意味する言葉で、広義には肉魚も入る概念だが、いつのまにか仏家において食べてはならない野菜のみを指すようになった。また、これは通常、5つの野菜を当てはめた「五葷(ごくん)」としてまとめられ、李時珍『本草綱目』に「五葷は五辛に同じである」とあるように、「五辛(ごしん)」とも呼ばれる。実は、「五葷」よりも「五辛」の表記の方が、仏典においては一般的だが、禅家では先述の石柱の影響からか、「五辛」よりも「五葷」の方が耳馴染みが良い。

 さて、五世紀に成立した大乗経典の『梵網経(ぼんもうきょう)』によれば、「大蒜(だいさん)」「革葱(かくそう)」「慈葱(じそう)」「蘭葱(らんそう)」「興渠(こうきょ)」の五つとされる。しかし、この五つがどの野菜に対応しているかについては、はっきりとしたことは分かっていない。「蘭葱」ひとつとってみても、複数の仏典において、行者ニンニク、ノビル、アサツキの3つを指しており、仏教がインド・中国・日本と、生態系の異なる地域を伝来してきた以上、このように名詞とそれが指し示す対象が異なることはままある。

 そして、五つの野菜の呼称や内容は文献によって様々で、梵網経を含めほかの仏典の表記を眺めてみたところ、ニンニク、ニラ、ネギ、ラッキョウなどが多くの場合当てはまっている。

 そうした中、一際異彩を放っているのが、「興渠」である。これは、和名をアギ(阿魏)と言い、『翻訳名義大集』によれば、生ではニンニクに似た香りを持ち、油で加熱すると香りは消えてタマネギのような風味となる北アフリカ原産のセリ科の植物「アサフェティダ」か、マダガスカル原産のミカン科アミリス属の植物「アムリス・アガロカ」のどちらかと言われている。ちなみに、この興渠は、中国、日本の双方の文献で、「この国では産出しない」とあるので、実物を見た人はほとんどいなかったと考えられ、現代においてもその状況はあまり変わらない。

 一方、ニンニク、ニラ、ネギ、ラッキョウなどの興渠以外の植物は、APG分類体系Ⅳによれば、ヒガンバナ科ネギ属に属するネギの仲間である。江戸時代になってようやく日本に入ってきたタマネギや、西洋料理で使用されるリーキ、チャイブ、エシャロットも同系種であることを思えば、仏典に五葷のひとつとして明記はされていなくとも、これらも禁止食材とするのが妥当である。そこで、「ニンニク、ニラ、ネギ、ラッキョウなどのネギの仲間を五葷(五辛)とする」と簡単に定義しておきたい。

 では、なぜそもそも仏教寺院で五葷が禁止されているのだろうか。上座部経典『根本説一切有毘奈耶雑事(こんぽんせついっさいうびなやぞうじ)』には、「ニンニクを食べたある仏弟子が、自分の臭気を釈尊に嗅がせてしまうのは忍びないということで、説法を聞いている最中しばしば顔を背けていた。なかなか集中して話を聞けない態度の原因が臭気を気にしてのことであると知り、釈尊が調べてみると多くの者がニンニクを食べていることが分かった。そこで、ニンニク・ネギ・ニラの類の摂取を禁じたが、一方でそれらの薬効も知られていたので、病気の際には許された。しかし、他の者にとっては顔をしかめたくなるような臭気のため、使用の条件としてお寺の外の建物に住し、僧侶の持ち物を使用せず、ニンニクの場合は食べてから7日間、ネギの場合は3日間、ニラの場合は1日間経過後、沐浴とお香で体を清め、服を洗ってからお寺に戻ることを定められた」とある。

 このように、自他ともに修行の妨げになるため禁じられたという側面と、『首楞厳経(しゅりょうごんきょう)』に「まさに世間の五種の辛菜を断つべし。この五種の辛は熟せるを食すれば淫を発し、生をくらわば恚(いかり)を増す」とあるように、修行生活に必要のない性欲や、根本的な3つの煩悩(三毒)の一つである「怒り」をみだらに高めないという側面があったようである。

 

 

 次に、禁葷酒の「酒」について。大乗の『梵網経』「四十八軽戒」を見ると、酒に関する戒として、「不酤酒戒(ふこしゅかい)(酒販売の禁止)」や「不飲酒戒(ふおんじゅかい)(飲酒の禁止)」の二つがあり、酒の販売の方が罪は重く設定されている。これは、人の正気を奪う酒を他者に促す行為が利他行に反するという理屈から、大乗仏教の中で運用されてきた。他者に飲酒を勧めることに関しては、現存する最古層の仏典と言われる『スッタ・ニパータ』でも禁止されているので、初期仏教からの伝統ではあるのだが、自分が飲むことよりも重い罪とされるのはいかにも大乗らしい傾向である。

 また、「不飲酒戒」は、「不殺生戒」「不偸盗戒」「不妄語戒」「不邪淫戒」とともに五戒に数えられ、「殺し」「盗み」「嘘」「性交」が本質的に罪な行為のため戒められる「性戒」であるのに対し、「飲酒」は他の4つを引き起こす可能性があるがゆえに戒められる「遮戒」とされ、明確に禁じている。

 では、料理に使用することに関してはどうかというと、上座部の『四分律』あたりでは、酒で煮た料理や酒を混ぜた料理を食べることを禁じている。しかし、道元禅師が重視した『梵網経』にはそのような記述はなく、曹洞宗大本山永平寺でも料理酒は使用している。もちろん調理の際は、必ずアルコール分を飛ばすので、酔っ払うことはまずない。これらのことから、私自身は、料理に酒を使用しても、仏道修行の妨げにはならないという立場を取っている。

 

 

 最後に「肉」について。釈尊の時代はもとより、大乗仏教が成立する以前の仏教では、肉食について実に寛容であった。部派仏教の大衆部が用いた『摩訶僧祇律(まかそうぎりつ)』には、次にあげるようなエピソードが記されている。

 祇園精舎の僧侶が托鉢中、肉片を口に含んで飛んでいた鳥が、鉢の中にそれを落とした。僧侶はそのまま精舎に持ち帰り、煮て食べる。他の僧侶たちは拾得物を黙って食べたことを問題にするも、長老が「鳥が落としたものは所属がないので破戒ではない」と問題にしなかった。

 また、ある時、盗賊が牛を盗み、殺して食べた。かなりの残肉があったので、近くで瞑想をしていた僧侶に布施をする。その時盗賊は「尊者、肉を用うるや否や?」と尋ね、その僧侶は「用う」と肉食を明確に肯定した上で精舎に持って帰り、他の僧侶たちと分かち合った。この時、盗品を食することの是非が問われるが、施されたものを食べること自体に問題はないとされた。

 このように、部派仏教時代までは、肉食自体の是非は問われていない。『スッタ・ニパータ』にも、「生き物を殺すことが汚れなのである。肉食が汚れなのではない」とあり、一貫したものであることが分かる。

 ちなみに、『摩訶僧祇律』には不浄肉(食べてはならないタブーの肉)の規定があり、「人・龍・象・馬・狗・鳥・鷲・猪・猿・獅子」の十種が該当する。実は、律によってこの不浄肉の中身はまちまちで、法蔵部『四分律』では「象・馬・龍・狗・人」の五種肉、説一切有部『十誦律(じゅうじゅりつ)』では同じ五種でも「龍」の代わりに「蛇」が入り、化地部『五分律』では、「人・象・馬・獅子・虎・豹・熊・狗・蛇」の九種肉、大乗仏教版『大般涅槃経』では「人・蛇・象・馬・猪・狗・狐・猿・獅子・鶏」を十種不浄肉としている。

 では逆に、食べても良いとされた浄肉には、次にあげる3種類がある。

 ・自分(僧侶)に振る舞うために殺されるところを見なかった動物の肉

 ・自分(僧侶)に振る舞うために殺されたと聞かなかった動物の肉

 ・自分(僧侶)に振る舞うために殺された疑いのない動物の肉

 これらは「三種の浄肉」と呼ばれ、それぞれ「僧侶のために殺される」ことを許さないという観点に立っており、「見(けん)・聞(もん)・疑(ぎ)」の3点から検討してクリアしたものは食べても良い。現実的にこれに該当する肉とは何かといえば、僧が托鉢をして歩き、鉢に入ったものを指す。そもそも、托鉢でいただく食事は、その家庭の余りものであり、彼らから布施された肉は浄肉として食べることが許された。先の『摩訶僧祇律』の2つのエピソードも、取得した肉が布施の概念に該当するかどうかを問われたのであって、肉食の是非を問われたわけではない。

 しかも釈尊は、同じシャカ族の弟子デーヴァダッタが提案した「五事の戒律」のひとつ「魚肉、乳酪、塩を食さず。もし食したら罪となす」を退けている。これに関して下田正弘は、肉や諸々の布施を禁じられると功徳を積むことのできない在家者を生むことになるので、釈尊はこのような態度を取ったとしている。

 では、なぜ〝精進料理〞では肉を食べてはならないと言われるのか。初期仏教の時代、先の「五事の戒律」を退けられ、釈尊と袂を分かつことになったデーヴァダッタに追従した修行者も多くいたことからも、僧侶の肉食に否定的な人々が一定数存在したと分かる。また、部派仏教の時代頃までに、肉食を贅沢とみて禁欲する動きや、ヒンドゥー社会の影響で肉食を禁忌とするような流れが徐々に生じている。そこに大乗仏教が生じると、『象腋経』や『大雲経』あたりではまだ限定的であったのが、『大般涅槃経』『央掘魔羅経』『楞伽経』に至り、僧団の禁欲傾向や社会に合わせる動きがより強化され、完全に禁肉食となった。

 中国の禅宗、また日本仏教に大きな影響を与えた『梵網経』にも、『大般涅槃経』と同様に「肉を食せば大慈悲の仏性の種子を断ず」とあり、かなり強く否定されている。しかし、その割には「軽垢罪」に規定され、一人の僧侶への懺悔で許されてしまう。何やら矛盾を感じる記述ではあるが、軽い罪だからといって破っても良いということにはならない。

 

『春秋』2018年5月号

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著者略歴

  1. 吉村昇洋

    1977年生まれ。曹洞宗八屋山普門寺副住職。臨床心理士。相愛大学非常勤講師。曹洞宗大本山永平寺での2年2ヶ月間の修行経験をベースに、禅仏教や臨床心理学、精進料理、仏教マンガについての講演、本や雑誌、新聞にて執筆活動を行う。NHK 総合『ごごナマ』やNHK Eテレ『きょうの料理』の講師として人気を博すほか、地元広島の情報番組RCC『イマなまっ!』にてコメンテーターを務める。また、地方紙『中国新聞』にて宗教コラムの連載「放てば手にみてり」を担当。近著に『禅に学ぶくらしの整え方』(オレンジページ)のほか、『心が疲れたらお粥を食べなさい』『気にしない生き方』(いずれも幻冬舎)、『週末禅僧ごはん』(主婦と生活社)など著書多数。

    曹洞宗八屋山普門寺 http://www.zen-fumonji.com/

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