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精進料理のこころ 吉村昇洋

第5回 食材と向き合う

 

食材を大切に扱う

 

「ご飯粒を残すと、目がつぶれる」

 この言葉は、ほとんどの方がどこかで耳にしたことがあるのではないだろうか。実際、食事に関する躾の際に語られることの多いフレーズである。

 だが、なぜご飯粒を残すと〝目〞がつぶれるのだろうか? 普通に考えれば、食べる行為は口を使うのだから、むしろ口や舌に罰が当たる方が自然であろう。

 一般的に「お米のひと粒ひと粒までも、粗末にしてはいけない」といった意味で戒めとして使われる言葉であるが、その背景には〝日本人の米食文化を支える米農家さんに対して感謝〞や、あらゆるものに命が宿っているとする伝統的なアニミズムの観点から〝ひとつひとつのお米の命を無駄にしては、もったいない〞といった感覚が存在する。しかし、これらはなぜ〝目がつぶれる〞のかという疑問に対して、直接答えてはいない。

 『典座教訓』の中で道元禅師は、北宋時代に活躍した保寧山仁勇(ほねいざんにんゆう)禅師の「眼睛(がんぜい)なる常住物(じょうじゅうもつ)を護惜(ごしゃく)せよ」という言葉を引用しながら、「米や野菜などの材料を人間の目のように大切にしなさい」と述べている。つまり、人体の中でも特に〝目〞が重要視されていたことの表れであるが、長年、長野県で青少年の教育に携わってきた奥村秀雄氏は、ある講演会の中で「ご飯を粗末にするような子には、その物がどんな命を持っているかという本質を見抜く心の窓が曇るということを教えた」と語っており、〝つぶれる目〞とは実際の目のことではなく、食にまつわる構造や背景を見渡すことのできる〝こころの目〞であると位置づけていた。

 このこころの目から世界を見渡し、主体的に生きていこうというのが、まさに精進料理のベースとなる禅仏教の立場と言える。しかし現実には、人間関係やお金、時間、体調など様々なしがらみに縛られながら生活を送っているのが普通だ。ところが、このこころの目を通すと、「わたしを縛りつける存在は、本当に自分の外にあるのか?」という問いを生じさせてくれる。

 わたしたち人間は、自分の周りで起きた現象を、ただ起きた現象として捉えることができず、何かしら意味を持たせる傾向にある。例えば、雷や嵐といった自然の猛威を神の怒りによるものと理解した時代もあった。しかし、そのように勝手に意味を持たせているのは、他ならない自分自身である。

 まず、このように余計な色メガネをかけながら世界を見渡している自己の現実に気づけと禅仏教では言う。わたしたちは知らぬ間に、良い・悪い、高い・低い、優・劣など、多くの二項対立する価値観で世界を推し量りながら、単純化して理解しようとしてしまう。確かに、その時所属する社会の価値観と合致していれば、とりあえず生活しやすい状況には置かれるが、必ずしもそうならないのが世の常。勝手に作った(作られた)価値観や固定観念に左右されず、あるがままの在りようを感じて生きることは到底できるものではない。

 そこでポイントとなるのが、あるがままの視野を持つ〝こころの目〞を養うことである。道元禅師が『典座教訓』や『赴粥飯法』に言う「米や野菜などの材料を人間の目のように大切にしなさい」の言葉も、文字面をなぞれば、何となく分かったような気になるが、実際に、自分のことのように食材を大切にすることが出来るだろうか? そこを、実践して実感するところまで体験するのが禅仏教である。あれこれ考える前に、食材を大切に扱ってみることが大切なのだ。

 実際にやってみることで、見えてくる景色も違ってくることだろう。

 

食材のいのちを使い切る

 

 ここまでも、食材を大切に扱う精神については述べてきた。では、大切に扱うというのは具体的にどういったことなのだろうか?

 『典座教訓』に、「一本の野菜を仏さまだと思って十分に活用し、大切に用いなさい」という内容の一文がある。ここに全てが集約されているわけだが、簡単に言うと「どんな食材ともしっかりと向き合って、余すところなく使い切る」ということになる。この時、もしも「仏さま」という表現に抵抗があるなら、「尊いいのち」と読み替えても良いだろう。

 よく、わたしたちは「野菜クズ」や「クズ野菜」など、野菜の剥いた皮や切れ端についてこういった表現を使う。しかし、それは本当に〝クズ〞なのだろうか。野菜の一部という存在以上でも以下でもないにもかかわらず、勝手に〝クズ〞扱いをしてはいまいか。クズだと思うから、三角コーナーやゴミ箱に何の抵抗もなしに捨てることができるわけで、その前にワンクッション、お皿なりバットなりを用意して、そこに皮や切れ端を一旦置いてみる。そして考えるのだ。

 本当に、これらを活用する方法はないのか? と。

 例えば大多数の方が捨てていると思われるピーマンのワタ。たくさんの種がくっついているので、種を取り除く手間がかかるわけだが、実際に使うとなれば、家庭料理で処理をする量はたかが知れており、そこまで面倒な作業でもない。しかもこのワタ、食べてみるとなかなか美味しい。また、えのきだけの下三分の一のも捨てられやすい部分だが、底の菌床とくっついていた部分を削れば、これまた上部とは異なる歯ごたえの良い食材となる。実際に一度でも使用してみると、今まで何の気なしにポイっと捨てていた行為が、馬鹿らしく感じられるようになる。それだけ、端物には端物の持つ独特の良さがあるものなのだ。

 そういった認識を、禅寺の修行僧達は徹底的に叩き込まれるので、「洗米の最中にうっかり流れ出てしまった米一粒をも無駄にはしない」というように、道元禅師の重んじられた食材を無駄なく活用する姿勢が自然と身に付いている。おそらく誰もが、端物を気軽に捨てず、お皿やバットに置く癖をつければ、今までと違った気持ちで食材と向き合うことができるだろう。

 さらに、一流レストランの賄まかない料理は、客には出せないこういった端物を利用して作られると聞く。賄いにコストはかけられないという経営上の事情もあるだろうが、一般的には端物とされるものも、プロの料理人にとっては工夫のしどころで、駆け出しの料理人の腕を見るには、賄い料理は良い機会になる。例えば、普通は剥いて捨ててしまう人参の皮などは、フランス料理ではダシを引くのに利用されると言う。つまり、こういったことは一般家庭でも積極的に取り入れていきたいテクニックであるし、どうやったら美味しく調理ができるのかと考えるきっかけにもなる。その中で、新たな発見や気づきも出てくるだろうし、食材の命を余すことなく使い切ること自体、すっきりと気持ちの良い行為となる。

 

典座に必要な三つの心

 

 『典座教訓』の最後に、典座の心構えとして「三心」という考え方が記されている。 三心とは、「喜心(きしん)」「老心(ろうしん)」「大心(だいしん)」の三つの心構えを指している。まず「喜心」から見ていくと、「他人のためにことを成し、その人が苦を離れて楽を得るのを見て、己の喜びとする心」のことを言う。普段から料理を作る人であれば、相手が美味しく食べる姿を見て、「料理を作って良かったなぁ」と感慨にふけることもあるので比較的イメージしやすいだろう。

 しかし、相手の反応から喜びを感じることだけが全てではない。自分の心に不平不満がなく、自分の職責に対して十分に敬意を払い、日々のつとめに邁進することがその前提になければならない。つまり、食事を作らせていただけることへの感謝の念を、自己の喜びとして自覚できているかどうかということが鍵となる。

 次に「老心」だが、「我が身を顧(かえり)みず、深い慈しみから親身になって他者に関わる心」のことを言う。料理をする者は、自分の料理を食べていただく相手だけではなく、食材そのものへの感謝や丁寧に扱う心を忘れないことが大切である。ここでのポイントは、〝我が身を顧みず〞という部分で、何かの見返りを期待しないという姿勢が問われる。見返りを期待してしまうと、我々はつい自分の都合の良いように相手をコントロールしてしまいそうになるが、それでは、〝自我〞が前に出過ぎてしまい、〝深い慈しみ〞はどこかへと追いやられることになる。

 そして、最後に「大心」。「山のようにどっしりと構え、海のように広々とさせて、一方に偏ったり固執したりすることのない心」を指す。何事にも惑わされず、自分の色眼鏡で物事の判断をしないという姿勢の大切さが語られているわけだが、食に関して言えば、食材に優劣をつけたり、食べる相手の地位によって態度を変えたりしないことを意味する。何か悩み事を抱えていると、そのことばかりに注意が向いて、近視眼的なモノの見方しかできなくなり、大切なことを見落としてしまいがちになるが、そんな時こそ一歩ひいて、広い視点で物事を捉えることが重要である。重大問題だと感じていたことも、一歩ひいて異なる視座から眺めてみれば、案外大した問題ではなかったなんてことも、日常生活ではよくあることなのだが、始めからそう考えられなかったことにこそ問題があるのである。

 ただし、普段からこの三心の教え通りの心持ちでいることはなかなか難しいかも知れない。であれば、必要な時にこういった視点の転換ができるように、日頃から意識をして生活することが大切なのである。

 

『春秋』2018年1月号

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著者略歴

  1. 吉村昇洋

    1977年生まれ。曹洞宗八屋山普門寺副住職。臨床心理士。相愛大学非常勤講師。曹洞宗大本山永平寺での2年2ヶ月間の修行経験をベースに、禅仏教や臨床心理学、精進料理、仏教マンガについての講演、本や雑誌、新聞にて執筆活動を行う。NHK 総合『ごごナマ』やNHK Eテレ『きょうの料理』の講師として人気を博すほか、地元広島の情報番組RCC『イマなまっ!』にてコメンテーターを務める。また、地方紙『中国新聞』にて宗教コラムの連載「放てば手にみてり」を担当。近著に『禅に学ぶくらしの整え方』(オレンジページ)のほか、『心が疲れたらお粥を食べなさい』『気にしない生き方』(いずれも幻冬舎)、『週末禅僧ごはん』(主婦と生活社)など著書多数。

    曹洞宗八屋山普門寺 http://www.zen-fumonji.com/

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