イノベーション
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各地の私立大学の学長が集まる会議に出席すると、「報告」の部で、国の教育政策について文科省の担当者が作成した説明資料がしばしば配布される。その資料を見ていると、ビジネスの分野で使われることが多い「イノベーション」という単語を目にすることがある。「我が国の科学技術・イノベーションの創出・振興のためには(...)」とか、「大学は研究機関としてだけではなく、教育機関として多様性を活かしたイノベーティブな人材育成を行うとともに(...)」といった具合だ。
私自身も、雑誌のインタビューなどで「高等教育では何が重要だと思いますか」といった質問をされると、つい、未来のより良い社会のために、それぞれの置かれた場所で、グローバルな視野に立ち、イノベーションを起こすことができるような人を育成……といった感じのことを言いそうになり、じっさいそう言ってしまうこともあるのだが、ただその時、イノベーションを起こすって一体どういうこと? それ、分かって言ってる? と自分に突っ込みを入れる自分が私のなかにいるのである。
どうにも落ち着きが悪いので、とりあえずこの概念のアウトラインくらいはつかんでおきたいものだと思っていたら、たまたま去年、『イノベーションの名において』(Au nom de l’innovation)というタイトルの本が出版されているのが眼にとまったので、読んでみた。
著者はヴァンサン・ボンタン(Vincent Bontems)という人だ。彼の本を出版しているベル・レットル社の著者紹介によると、パリの高等師範学校出身の哲学者で、現在は原子力・代替エネルギー庁(CEA)の研究所勤務とのこと。
著作には、科学史から出発して文学批評の分野で新しい地平を切り拓いたガストン・バシュラール(1884-1962)に関する研究書もあり、物理学においてブラック・ホールや「黒体」、「暗黒物質」といった「黒」と形容されるものが何故どのように物理学者を魅惑しているのかを論じた共著もある。現代の知のパラダイムを学際的な視点から研究している哲学者のようだ。
そのような人の著作だけに、『イノベーションの名において』は、ビジネスの視点からというよりは思想史的な観点からイノベーションという概念へアプローチしている本だった。「イノベーション」という言葉は学問研究において何を指しているのか、そのことが論じられている。
ボンタンの興味深い指摘によると、この言葉は、大学や研究所の経営において実際に使用されるケースでは、明確に定義された意味論的な価値を持つというよりは、むしろ意味が曖昧なことが多く、曖昧であるからこそ力を持っているそうだ。「イノベーションが大切」というスローガンとして、万能薬のようにどんな局面でも有効に働くという性質を持っている、というのだ[1]。たしかに、新しいものを作り出す、実装化する、前進する、といえば、反対する人はそうはいないだろう。
とはいえ、いくら曖昧とは言っても、そこにはやはり経営学的な意味が内包されているのも事実だ。イノベーションを起こすことは「利益を生み出す」ことと表裏一体である。それが企業における話なら何の問題もないのだろうが、大学や公的な研究機関においての話だとそう簡単には行かない。というのも、ボンタンの考えでは、研究者というのは、利益を生み出すイノベーションを目指すことも重要だ、といくら言われても、心のどこかで、研究者としての自分はそうした利害のことは本当は眼中にはなく、それ自体で価値のある真実を探求しているのだ、という思いを持っているものだからだ。その点ではバシュラールも探求・研究は自律的であるという立場を取っていた、とボンタンは述べている[2]。
私のように文学を相手に研究していると、利益と結びついた研究という考えなどとはもともと縁がないような気もするし、自分とは分野の違う、たとえば自然科学で基礎研究をしている人とか数学者といった人なども、やはり多かれ少なかれ、純粋な知的好奇心が真っ先にくるような、ロマン主義的な夢をみている魂の持ち主ではないのかなあ、と、あまり根拠はないものの思ってしまう。仮にそこへイノベーションというコンセプトが持ち込まれたとする。そのとき何が起こるのだろうか。ボンタンの分析によると、学問研究におけるイノベーションは、知の生産という本来の条件を変えたのではなく、研究の運営・管理を変えたのだ、ということになるらしい[3]。ということは、ある意味では、知の実質ではなく、そのガバナンスと実装化が変わるのだろう。
*
フロベール[4]が皮肉と風刺をきかせて様々な言葉を定義した『紋切型辞典』に、« innovation »という項目も立てられている。
1966年の山田爵訳では
革新 innovation つねに「危険」[5]
と訳されていて、
2000年発行の小倉孝誠訳では
革新 [innovation] 常に危険。[6]
と訳されている。[7]
「革新」(イノベーション)がどう危険なのか、翻訳にも、図書館にあったスイユ社版の全集にも注が付いていないので、私には良く分からない。新しいからといってうかうか手を出したり、能天気に採り入れたりすると、とんだ痛い目に遭うかも知れないぞ、という警句なのだろうか。
『フランス語歴史辞典』によると、この単語は、フランスでは古くは法律の分野で「更新」といった意味で使われ、十八世紀になると「新しいこと」を表すようになり、その後とりわけ産業やビジネスの分野で使われるようになって今に至っている。オクスフォード英語辞典によると、英語の« innovation »は十六世紀から使われていて、ビジネス用語としての現代的な定義は、シュンペーターが1939年にBusiness Cycles(『景気循環論』)のなかで与えたそうである。
へえ、そうなんだ、と思った私は、そのシュンペーターの本を図書館から借りて、パラパラとページを繰ってみた。かなりいい加減な読書ではある。経営学について知るために真剣に読もうという殊勝な気持ちも元気も、もう私にはないのだ。
そういう元気はないけれど、シュンペーターがイノベーションという概念をどう定義したのかを知りたいという好奇心はある。それで本を開いてみた。「イノベーション」は、(私の理解が正しければの話だが)「新しい生産機能の設定」と定義されていた。それは「新しい製品や、合併のような新しい組織形態や、新しい市場の開拓といった場合をカバーしている」と説明されていて、「イノベーションとは様々なファクターを新しいやり方で組み合わせることである。あるいは、イノベーションとは、「新しい組み合わせ」を実行することである」と述べられている。[8]
彼は、イノベーションの特質と事例も示している。
すでに現在使用されている製品の生産過程におけるテクノロジーの変化、新しい市場や新しい供給源の開拓、仕事の科学的管理化(テイラー主義)、原料の取り扱いの改良、デパートのような新しいビジネス組織の開拓、要するに、経済生活の領域において、何であれ「ものごとを違った風に行う」ということ、これらは全て、我々がInnovationという言葉で言及することになることがらの例である。[9]
つまり、それまで何もなかったところに、まるっきり新しいものを生み出す、というのではなさそうだ。あるやり方で行われているものごとがすでにあり、そのものごとを、「それまでとは違った風に」行なうのもイノベーションというのなら、そのときには、慣れ親しんだ習慣が先にあるはずで、そしてそれを捨て去る覚悟が必要になる。その変化を、シュンペーターは発展(progress)ではなく進化(evolution)であると捉えている。その進化はスムーズでも調和的でもなく、「本来、偏っていて、断ち切れていて、不調和なものである」と彼は考えていた[10]。
とはいえ、「偏っていて、断ち切れていて、不調和な」だけでは、いくらそれが独創的であっても、孤高の存在のごときものとなって終わってしまう。
イノベーションは、どうやら連続と断絶という相反する二面性のうちに生起するようだ。「新しい」ものは、当然それに先立つ古いものとつながりながら、その差異のうちに自らの優位を主張し、そしてつながりを断ち、自立する。しかもただ新しければ良いというのではなく、「利益」を生まなくてはならない。そして利益と結びつくためには、人々に、社会の構成員に、広く受け入れられ、支持され、一般の手に届くものとして普及するのでなくてはならない。
その意味ではイノベーションはジャンル的な連続性のうちにあるとも言える。かつての馬車や駕籠や馬や帆船は、十九世紀から二十世紀にかけて、移動手段として鉄道や自動車やエンジンで動く船や飛行機へと変わったが、それは「運輸」という大きなカテゴリーのなかでの変化だ。そこには、それを可能にする蒸気機関や内燃機関の発明があり、それを移動手段と組み合わせるという操作があり、そして一般庶民にも利用可能な価格帯へ運賃をもってくるという操作があり、それによってイノベーションが起こり、変化がもたらされた。
こうしてイノベーションは、一方では古いものとの連続性を持ちながら、他方では新しいものとして古いものからは自らを断ち切るという二重性によって徴付けられている。新しいものがある、そこには当然、比較対象となる古いものがある。先立つものなしに、まったく未知のものが出現したら、それはイノベーションではない。
じっさい、シュンペーター自身、イノベーションは発明(invention)とは違う、という考えを持っていた。そもそも、イノベーションが科学的な新しさ(scientific novelty)を内包しているかどうかは大した問題ではない、と彼は言い、我々が発明とみなすものなど全然なくてもイノベーションは可能であり、また発明があるからといってそれで必ずしもイノベーションが誘発されるわけでもない、とも言うのだ[11]。もし仮に何か一個の新しいものを発明するにしても、イノベーションにとって大切なのは、それを産業へ結びつけて新しい利益を生む形へ創成していくコンビネーションの作業なのだというのである。
発明を、あるいは未知なるものの発見を、あるいは新しいものの探求を、それが何の役に立つのかといったことは考慮することなく志す者にとって、イノベーティブになれ、という掛け声がなんとなく胡散臭く感じられるとしたら、それはイノベーションのこのような性質に起因するのかもしれない。
先ほど、イノベーションの特徴として、同じカテゴリーのなかで古いものとの連続性を持ちながら、他方では新しいものとして古いものからは自らを断ち切るという連続と断絶の二重性があると言ったけれど、もしそうだとすると、同じようなことは、たとえば絵画のジャンルにも言えるのではないだろうか、と私は自問してみる。ルネサンス、バロック、ロマン主義、レアリスム、印象派、キュビスム、シュルレアリスム、抽象絵画といったふうに、絵画の歴史を通じて表象システムの破壊的な変化はあった。けれどもそれは「絵画」というジャンルのうちでの破壊と変化であって、絵画というジャンルそのものを無に帰せしめるような破壊だったわけではない。連続と断絶の二重性。けれどもそのような新しさ、それは世界の理解と感覚の新しさでもあるけれど、それを、絵画の「イノベーション」とは私たちは呼ばないだろう、とも思う。私たちはそれを「イノベーション」ではなく「レヴォリューション」(革命)とか「創造」という名で呼ぶ。発明が必ずしもイノベーションではないように、イノベーションが必ずしも創造であるわけではない。
イノベーションと一言で言っても、そこには二種類のイノベーションがある。それまでのあり方を大枠で維持しながら性質や性能を新しいものへ変えていく持続的なタイプ(incremental)と、先行するものとは断絶して新しいものを創り出すタイプ(disruptiveあるいはradical)の二つだ。断絶をもたらすイノベーションは、シュンペーターが提唱した有名なもう一つの概念、「創造的破壊」と通じ合う。創造的破壊はこう説明されている。
不断に古きものを破壊し新しきものを創造して、たえず内部から経済構造を革命化する産業上の突然変異(...)この「創造的破壊」(Creative Destruction)の過程こそ資本主義についての本質的事実である。[12]
「資本主義についての本質的事実」である「創造的破壊」の過程、このプロセスは芸術的創造と相通じるところがあるように私には感じられる。
それを、たとえば詩の世界で考えてみると、私が持っている印象では、詩人ランボーが行った散文詩の革新は、まさに「創造的破壊」であった。ランボーに比べると、散文詩というジャンルそのものの制定に決定的に貢献したボードレールの散文詩『パリの憂愁』を構成している詩は、どちらかというとコントや小話やエッセーのような感じを与える。
そうやって決定的に新しいものが出現したとき、では古いものは無価値になり、忘れられ、古いものと共にあった過去もろとも、現在とは断絶して消えてしまうのだろうか。文学や芸術に関してはそんなことは起こらない。古いものもまた、それが出現した時代には新しかったその生成のエネルギーを保ったまま、現在の私を魅了し続ける。
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イノベーションは日常生活や社会の仕組みや産業構造において起こることで、そこで作り出される製品やシステムは、大量生産されたり、広く共有されたりする。
いっぽう、芸術作品の制作のフィールドでは、科学的なエビデンスに基づいた再現可能性や反証可能性よりも、唯一性、絶対性、一回性のなかに真実が宿っている。マチスの絵は人々を魅了するが、マチスっぽい絵を別の画家が描いてもそれはつまらないだけだ。芸術家というこの世に一度だけ生を享けた存在の、その創造の一回性のうちに噴出した真実が、奇妙なことにその独自性によって人々のあいだで普遍性を獲得する。
もちろん絵画も貨幣価値から免れることはできない。絵について語るときに、美術市場における価格と絡めて社会学的に考察するというのは面白いし、現代アートの市場価値を研究した本は読んでいてとても興味深い。ナタリー・エニックの書いた『現代アートのパラダイム』という研究書[13]は、ときどき取りだして読む好きな研究書のひとつだ。
とはいえ、心惹かれる絵画作品、という話になると、そこにあるのはやはり何といっても、経済性や収益性への考慮など入り込む余地のない、魂へ訴えかける力の現前であり、証明はできないけれどまぎれもない事実として私の感性へ迫って来る、何か深々としたものの魅力である。そこには、心をつかみ、心に染み入ってくる、ほかのものとは取り替えのきかない、美しい独異性があるのだ。
そのあり方、物と人とが取り持つ関係において作品が取るポジションは、経営学的な意味でのイノベーションという言葉が誕生した1939年の時点でその語に充当された性質(「イノベーションは発明とは違う」、「科学的な新しさを内包しているかどうかは大したことではない」、イノベーションは「新しい利益を生む形へ創成していくコンビネーションの作業」である、という性質)とは正反対である。
2
そんなことを考えているときに、今年、イノベーションについての理解を深める助けとなるとても良い本が出た。木谷哲夫著『イノベーション全史』[14]である。
木谷氏によると、「一八七〇年から一九七〇年までの一〇〇年間は、「超」イノベーションが世界をガラリと変えた時代」なのだそうだ。この百年に起こった公衆衛生、エネルギー、運輸、通信技術などの画期的な発明によって、一八七〇年以前の人間とそれ以降の人間は「根本的に全く別の生活を営んでいる」という。[15]
そしてそのイノベーションの特徴は、すでに存在している発明や発見を「エミュレーション(模倣)し、それをビジネスのロジックで圧倒的なスピードでディフュージョン(普及)させるということが、繰り返し大規模な形で起こった」[16]という点にあると木谷氏は述べている。
フロベールは、innovationを「つねに危険」と定義していた。『イノベーション全史』にはこんな記述がある。
イノベーションというのは実は比較的最近までそれほど前向きな意味を持つ言葉ではありませんでした。それどころか、イノベーションを起こす人、イノベーターは、社会の敵、唾棄すべき人間、犯罪者とさえとらえられていたこともあります。
世界的に見て、一八世紀の末まで、イノベーターは、社会をかき乱す冒険者、異端者という、社会的な常識、宗教、制度を見出す不届き者という扱いでした。[17]
[江戸時代の日本ではイノベーションは禁止されていたが]外国でもイノベーションを危険視する考えは同様に存在していました。[18]
昔は危険分子だった者たちが、「超」イノベーションをもたらす起業家として肯定されたのが十九世紀以降の時代である。フロベールは古い時代の最後に属していたのだろうか。
イノベーションを起こす起業家に必要なのは、「アニマルスピリッツ」(animal spirits)だと木谷氏は指摘している。「アニマルスピリッツ」とは経済学者のケインズが提唱した概念だそうで、この本では『一般理論』(1936年)から次のように引用されている。
最も重要な投資決定をする際、私たちは根拠があまりにも不確かで、いかなる科学的な計算も可能でない状況に直面する。そのような状況では、私たちは本能的な欲求、勇気、または楽観主義によって動かされる。私[ケインズ]が「アニマルスピリッツ」と呼ぶものだ。[19]
そこには、予測不可能なことに挑戦する冒険家、野心家の精神が息づいている。自分の動物的な本能や嗅覚を信じて、危険を顧みずに前へ進むこと、未知の領域へ跳び込むこと。木谷氏はそこで必要とされることを次のように提示している。
「超」イノベーションがうまくいくかどうか、全く新しい技術の実用化がうまくいくかどうかは、事前には予見できないことであり、かつ、巨額の投資が必要でした。そうした巨大なリスクをとることは、到底客観的・論理的に正当化できることではなく、アニマルスピリッツ、つまり、「自分なら成功するはず」という根拠のない自信や、血気、野心、動物的衝動、といったものに突き動かされる必要がありました。[20]
イノベーターはリスクを取る。ということは、イノベーションは危険だ、と認識しているということでもある。となると、フロベールが「イノベーションはつねに危険」というとき、彼は、古い時代の価値観で否定的にそう言ったのではなく、新しい時代、「超」イノベーションのモラルの側に立っていたのかもしれない。新しいヴィジョンと美学で小説を書くのにも「巨額の投資」は要る。なにしろ、膨大な時間とそして自分の人生をそこにつぎ込み、賭けるのだから。
とはいえ、アニマルスピリッツがあればそれで十分、というわけでもなさそうだ。一九八〇年代後半のバブル期、「残念なことに日本人のアニマルスピリッツはデジタル革命には向かわず、不動産投資に向かいました」と『イノベーション全史』には書かれている[21]。なんだか苦い微笑の浮かぶ話ではある。
3
イノベーションが起きる社会をつくろうとすれば、破天荒なアイデアを思いつきそれを製品化しようとする人間の、その破天荒さを許容し面白がる社会をつくることが先決なのだろう。大学を「イノベーティブな人材育成」の場所として機能させようとするなら、あまりうるさいことを言わず、学生や研究者に自由な活動の場を確保して、世間の眼を気にせず、好きなことを追求してもらうのが、見た目には非効率的にみえて結局は有効なのではないのだろうか、と私は、もともとそういう気質ではあったが、今ではますますそう思うようになってきた。
そのようなある日、ボードレールの研究誌に掲載する論文の校正用ゲラがメール添付で送られてきた。私はボードレール研究をしてはいるものの、謙遜抜きで研究者の末席を汚しているに過ぎないのだが、ありがたいことに執筆者に加えてもらっている。今回は、ボードレールにおける「兄弟愛」(フランス共和国の標語「自由、平等、友愛」の「友愛」にあたる« fraternité »)の概念と、芸術家がもっている野蛮なエネルギーの問題について論じてみた。
それは二年前に提出して今校正段階にきている原稿なのだが、ボードレール研究の門外漢になってしまったなあ、としみじみと感じたのは、本誌は次号からボードレールの著作物への参照を新しい全集版に準拠することにしたので、今回の校正の原稿には、旧版のそれに代わって新版のものを反映させるようにと、研究誌の編集委員でもあり日本側執筆者の取りまとめの任も担っている中地義和氏を通じて指示を受けたときだった。
それで私は、プレイヤード版のボードレール作品全集の新版が二〇二四年に出版されたことを知ったのである。
校正作業のために遅まきながら購入した。
一九七〇年代に編纂された旧版は、テクストが、詩、小説、評論、日記、といったジャンルごとにまとめられていた。新版をひらいてみると、驚くことに、新しい全集はそのようなジャンル分けを廃して、いわば編年体で編集されている。ボードレールが十五歳の頃学校の課題で書いたラテン語の詩から始まって、執筆年代順にテクストが並んでいる。
レフェレンス(参照)の差し替えといっても、ページ番号が少し変わるくらいのことだろうと思っていたが、それはとんだ見込み違いだった。以前ならたとえばボードレールのドラクロワ論は美術批評のジャンルで探せば良かった。今回は、テクストが執筆や発表の年代順にジャンルの区別なく並んでいる。そのため、目指すテクストへ辿り着くには、目次ではなく「タイトルおよび冒頭句索引」に当たってテクストの巻号とページをみつけなくてはならない。そこへ到着して、そのなかの該当箇所を探すのだ。思ったよりも面倒な作業である。そのタイトルも微妙に違っているときがある。旧版では L’Œuvre et la vie d’Eugène Delacroix (『ウジェーヌ・ドラクロワの作品と生涯』)というタイトルだった評論は、新版ではAu rédacteur, à propos d’Eugène Delacroix (『ウジェーヌ・ドラクロワに関して、編集長へ』)という、旧版ではタイトルの次に置かれた副題のような扱いだったタイトルで収録されている。だから旧版で馴染みのタイトルでは探せない。それを見つけるためには、ボードレールが著作のなかで言及している人名や登場人物名、作品名、新聞・雑誌名(掲載紙を含む)を網羅した「インデックス」を頼りに「ドラクロワ」の出るテクストに逐一当たっていくか、あるいは旧版で発表年を調べて新版の目次へ行きその年のテクストの中から探し出さなくてはならない。そうした作業に思いの外時間がかかってしまった。
戸惑いながらも、案外ありがたい編集だなあ、という思いも湧いてくる。以前は、ボードレールが書いたものを最初から執筆年代順に読もうとすると、自分で年表を作り、その時系列に沿って、ジャンル別に収められたテクストをあっちに行ったりこっちに行ったりしながら頭のなかでつなぎ直していたものだ。それが今回の編集では最初から順番に読んでいけば良いのだ。ただひとつのテクストに的を絞って読む場合でも、それはボードレールの執筆の個人史の、どのへんに位置しているのかも分かり易い。
「今回のエディションについての注記」と題されている新版の編集方針を読んでみた。これまではボードレールの作品集成をつくるときには、伝統的に、ジャンルに従ってテクストがまとめられていた。けれども、ボードレールという作家は、いっぽうに詩人がいて、いっぽうに批評家がいる、といった存在ではない。「ボードレールの作品はひとつの総体を成している」と書いてある。しかもその作品には、既存のジャンルでは分類できないような性質のテクストも含まれている、とも書いてある。
私は、この編集方針に、ジェンダー的視点も入っているのかも知れないな、という気がした。
フランス語では、ジェンダー(gender)はジャンル(genre)という語で表される。文学ジャンル、というときのジャンルと同じ語である。思い出すのは、八年ほど前、図書館で借りた本だ。À la lumière des études de genre(『ジャンルの研究に照らして』。副題は、「20-21世紀のフランス語文学の研究」となっている。それでてっきり、詩や小説やエッセーといった文学ジャンルの新しい見方についての本なのだろうと思って読み始めたら、どうも勝手が違う。しばらくしてやっと気付いて自分でも迂闊さを笑ってしまったのだが、それはフランス語文学をジェンダー研究の視点から論じた研究なのだった。
ジャンル分けを廃することと、ジェンダー的に固定された価値観を崩すこととは、そういう意味では同一線上にある。新版のプレイヤード版ボードレール全集二巻本は、じつは現代社会における人間についての見方の変遷と無関係ではないのだろう。
編集方針のなかに、« innovation »という単語が出てきた。詩集『悪の華』の扱いは、新エディションの「イノベーション」のひとつである、と記されている。
たしかに新版での扱いは、シュンペーター的に言えば、これまでとは「違った風に」なされている。これまでは多くの場合、『悪の華』は1861年に刊行された第二版をメインにして収録し、注で、新聞や雑誌に初出のときのテクストや、1857年の初版との異同を記載するのが通例だった。それを新版では、初出の詩も、書かれた年代の相応の位置に、独立した詩作品として載せてある。雑誌『両世界評論』にまとめて出た1855年の『悪の華』も、初版も、第二版もそれぞれ独立した集合体として全編が別個に収録してある。
これもまた、いわばマイノリティー扱いだった付随テクストを、しかるべく一個の存在として尊重して扱う政治的な対応と言えなくもない。
ボードレールの書いたテクスト自体は、その本質においてたぶん改変されたわけではない。詩や評論といった作品そのものの実質は変わらないが、その配置・組織化が変革されたのだ。まさにイノベーションである。
文学の世界にも、こうしてイノベーションは起こるのだなあ、と、異常な猛暑の夏のさなかに、不思議な感慨に浸っている。
注
[1] Vincent Bontems, Au nom de l’innovation, Les Belles Lettres, 2023, p. 15.
[2] Ibid., p. 15-16.
[3] Ibid., p. 58.
[4] ギュスターヴ・フロベール、フランスの作家(1821-1880)。小説『ボヴァリー夫人』、『感情教育』など。
[5] 『フローベール全集』五、「紋切型辞典」(山田爵訳)、筑摩書房、1966年、p. 308.
[6] 岩波文庫、2000年、p. 57
[7] « innovation »の訳語としては、今なら英語の読みをそのままカタカナにした「イノベーション」を「革新」の代わりに見出し語として立てても通りそうではある。とはいえ、フロベールの時代の« innovation »には、現代語としての「イノベーション」の意味はまだないので、やはり「革新」と訳すほかない。その「イノベーション」というカタカナ語も、2000年の時点では、まだ日本社会ではそれほど流通していなかったようで、新聞で語彙検索してみると、たとえば2009年になっても、訳語付きの、「オバマ政権になってもイノベーション(技術革新)を重視する米国の姿勢は変わらないだろう。」(日本経済新聞、2009.01.01)といった記事を見ることができる。
[8] Shcumpeter, Business Cycles, Vol.1, McGraw-Hill Book Compagy, 1939, p. 87-88.
[9] Ibid., p. 84.
[10] Ibid., p. 102.
[11] Ibid., p. 84.
[12] シュンペーター、『新装版 資本主義・社会主義・民主主義』(中山伊知郎、東畑精一訳)、東洋経済新報社、2009年(1995年)、p. 130. 「産業上の突然変異」は原文ではindustrial mutation。
[13] Nathalie Heinick, Le paradigme de l’art contemporain, Gallimard, 2014.
[14] 木谷哲夫『イノベーション全史』、2024年3月、中央経済グループパブリッシング。
[15] Ibid. p. 78-79
[16] Ibid. p. 82、強調は木谷氏
[17] Ibid. p.46.
[18] Ibid. p.47.
[19] Ibid. p.52.
[20] Ibid. p.88.
[21] Ibid. p.168.