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文字の渚 岩切正一郎

語りかけ

 

 

 イタリア、ロンバルディア地方のコモ湖畔からはいつも雪に被われたアルプスの峻峰がみえるという。その湖に私はとうとう行かずじまいになりそうだ。

 空想のなかで湖面を渡る風に吹かれてみる。眼はあきっぱなしで、まばたきする合間に、現実の世界からは植物や壁面や道や人や犬や看板の色や形が網膜へ送り込まれてくるし、瞼のようなものを持たない耳の中へは車の行き交う音やカラスの声や緊急車両のサイレンや飛行機の音が流れ込んでくるけれど、その絶え間ない刺激を受信し続ける脳のどこかに、それとは別の現実を満たしている物質、夢の物質を受容する感覚器官とつながった中枢があり、私は今、その中枢へ非接触的に繋がっている受容体の向こうに広がる想像上の現実の空気を盛んに呼吸しながら、そこを満たす光や音や匂いのなかに身を置いて、風に吹かれている。

 そこにはいつも同じ言葉が聞こえている。スタンダールが私たちのためにピエトラネーラ伯爵夫人の心をとおして翻訳してくれた言葉。

 伯爵夫人は、小説『パルムの僧院』の主人公ファブリスの叔母にあたる人で、三十一歳。人生でいろいろと辛いことはあったけれど、このときはコモ湖のほとりで深い幸福感のなかにいる。すると森陰のどこか小さな村から遠い鐘の音がきこえてきた。


響きを和らげる水の広がりの上を運ばれてくるそれらの音は、甘美なメランコリーと諦めの調子を帯び、人にこう言っているようだ。「人生は逃れ去る。だから今ここに幸福(le bonheur)があるなら、それに向かって気むずかしくなってはいけない。急いでそれを楽しみなさい」

 それを受けて語り手は、「この世に類のない魅力的なこの場所の言葉は、伯爵夫人に十六歳の心を返してくれた」と言う。

 

 湖面を渡る鐘の音が人間の言葉をしゃべっていたわけではない。原文だと« ces sons [...] semblent dire à l’homme »、言っている「ようである」という言い方をしている。鐘の音を人間の言葉へ翻訳すればそんなふうに聞こえているのだ。

  「響きを和らげる水の広がりの上を運ばれてくるそれらの音」は原文では« ces sonsソン portésポルテ sur スュール les eauxレゾ qui les adoucissentレザドゥシッス  »と、七シラブル+五シラブルの十二音綴おんてつ、いわゆるアレクサンドランの拍子になっている。スタンダールがことさら詩的にしているわけではないのだが、湖上を渡る柔らかな鐘の音の心地よさは、隠し味のように作動しているこのような律動によって生き生きと心へ響いてくるのかもしれない。

 スタンダールの文章を読んでいると、私は言葉のなかに、それとも文字の裏にだろうか、爽やかな風が吹いているのを感じる。

 

 

 人間ではないものが「言っているようだ」という表現は、プルーストの小説のなかにも出て来る。

 語り手で、登場人物でもある「私」は、ヴィルパリジ侯爵夫人の馬車に乗って、避暑地バルベック近郊のユディメニルへ向かっているところである。彼は、ふいに「深い幸福感」に満たされながら、移動する馬車のなかから三本の木を眺めていた。眺めながら彼の精神は「自分の力の及ばないあるものをこれら三本の木が秘めている」と感じていた。三本の木を眺めながら快感を感じ、その快感へ執着することで初めて「真の生活」(la vraie vie)を開始できるように思われた。だが無情にも馬車は木々から遠ざかる。というか木々が自分から遠ざかってゆくのだ。


私は三本の木が腕を絶望的に振りながら遠ざかって行くのを目にしたが、その木々はこう言っているように見えた(les arbres [...] semblant me dire)、「今日お前が知ろうとしなかったものを、お前は永久に知ることはないだろう、われわれはこの道の奥底からお前のところまで這い上がって行こうとしたのに、もしお前が手をこまねいてわれわれが再びこの道の奥底に落下するのを放置するなら、われわれがお前に持っていこうとしたお前自身の一部分もそっくりそのまま永久に無に帰してしまうだろう」と。
[1]

 
木は、曰く言いがたい快感をとおして、若い「私」に、もう一段深いレベルに存在している「私」の部分を連れてこようとしている。そして結局、ここではそれが何かを知ることなく終わってしまう。

 このとき究明できなかった快感の意味を、ずっとあとになって「私」は知ることになる。彼は、有名な、お茶に浸したマドレーヌを食べたときに覚えた「幸福感」(félicité)と同じ幸福感を、ゲルマント大公夫人邸の中庭で覚えるのだが、それは、一台の車をよけるために脇へどいたとき、でこぼこの敷石につまずき、身を立て直そうとしてもう一つの低い敷石に片足をのせたときに覚えた幸福感だった。足が覚えていたのは、ヴェネツィアのサン゠マルコ寺院の不揃いなタイルの上で覚えた感覚と同じもので、ちょうどマドレーヌの味が幼年時代の思い出でいっぱいのコンブレーの町をそっくりそのまま思い出させてくれたように、その敷石の感覚が、ヴェネツィアのいっさいの思い出をそっくりそのまま蘇らせてくれたのである。そのとき、「私」にはこんな声が聞こえていた。


「さあ、お前にその力があるのだったら、通りがかりに私をつかまえてごらん。そして、私がお前に差し出している幸福の謎(l’énigme de bonheur)を解こうとつとめてごらん」
[2]

  『パルムの僧院』で、人生は逃れ去る、今現前している幸福を急いで楽しめ、と言っていたようだった鐘の音と同じような言葉が、そこに聞こえていたのである。幸福な瞬間、それを私は本から受け取る。本のなかにそのような瞬間が保存されていて、私は本から、幸福が生じている瞬間についての語りを受け取る、と言うべきかも知れない。私はそれを心のなかにしまい、心のなかでそのフレーズに耳を傾ける。

 

 「幸福の謎」は、マドレーヌや敷石の与える感覚が、過去とも現在とも判然としないところへ「私」を連れ出していることに関係している。語り手は、「この印象を味わっていた存在は、その印象の持っている昔と今とに共通のもの、超時間的なもののなかでこれを味わっていた」と言う。


 その存在が出現するのは、現在と過去のあいだにあるあのいろいろな同一性の一つによって、その存在が生きることのできる唯一の環境、物の本質を享受できる唯一の場、すなわち時間の外に出たときでしかないのだった。
[3]

 
 「生きることのできる唯一の環境、物の本質を享受できる唯一の場」……なんとも素敵なメッセージだ。このような言葉は、内実を欠いたスローガンのように言われたら、たんなるお洒落な観念にすぎなくなる。ところが、小説のなかで具体的な印象を通して語られると、確かにそれはある、と私には感じられる。スタンダールやプルーストの言葉を通じて、私はそれを真実だと思う。

 

 去年の晩秋から冬にかけて、スタンダールのこともいろいろと書いてある石川美子氏の『山と言葉のあいだ』を読むのが私の楽しみだった。石川さんの文章は、風というのではないけれど、やわらかな光の揺曳が風とも水とも知れないものとなって動きながらこちらを包み込んでいくような、不思議な魅力に満ちている。そのなかに、永井荷風が荒川放水路と閘門を見て、三十年前にながめた南フランスのローヌ川を思い出すくだりが書いてある。そこにはこんな感想が添えられている。


似ているからなつかしいと思っただけでなく、ふたつの川のながめが共鳴しているように感じられたのかもしれない。長い時間の経過とともに、荷風のなかで母国と異国の風景が響きあい、結びついていたのではないだろうか。
[4]


 プルーストの「昔と今とに共通のもの、超時間的なもの」と似たような、遠くはなれたものが一つになって、そのどちらでもありながらどちらでもない、自分のなかにしか存在しない場所が生まれているかのようだ。その荷風は、三十年前、いよいよリヨンを去って日本へ帰国することになったとき、ローヌ川へ別れを告げに行き、欄干に凭れて涙を流した。


その日だけは、川がやさしく語りかけてくれているような気がした。
[5]


と石川さんは記している。

 




 

 私の勤めている大学で、学生にフランス語やフランス文学への興味をもってもらおうと、語学や文学の教員が食べ物や飲み物を持ち寄り、ある日の昼休みに「フレンチ・カフェ」を会議室で催した。二十人くらい集まっただろうか。そのなかに一人の一年生がいて、私に喋りかけてきた。プルーストの三本の木の声が、とても良く分かる、というのだ。

 私は今、学長を務めているのだが、学長は授業を担当しないという規則のために、文学作品を学生と読むという楽しみからすっかり遠ざかっている。だから、文学や言語学の同僚が授業へ呼んでくれて、ゲスト・レクチャラーとして学期に一回、気ままに文学談義をさせてもらえるのはありがたい。

 秋学期はカミュが専門の千々岩靖子先生の「フランス文学への招待」にお邪魔して、湖上を渡る鐘の音と、絶望的に手を振る三本の木の話を引用しながら、文学は世界の何を「翻訳」して言葉として聞こえるもの、読めるものにしているのかについて喋った。

 そのレクチャーに出席していた学生が、フレンチ・カフェに来て、スタンダールやプルーストの世界観に似たものが自分のなかにもある、と話しかけてくれたのだ。

 デジタル文明を享受し、AIがどうのこうのと騒がしい現代に、そういう感性の若者がいたのだなあ、と私はすっかり嬉しくなってしまった。

 




 

 学部長や学長になる前は、私は月曜、水曜、金曜の午前中に二時限ずつ授業をする時間割でやってきた。朝、家を出て、はけの道、という武蔵野の国分寺崖線ぞいの道を少しゆき、野川のほとりへ出て、川ぞいの道を歩き、西武多摩川線の小さなアーチのトンネルをくぐって坂を上り(このトンネルは単線の線路の幅のトンネルなので短いわりに、コンクリートの壁の反響がとても良く、くぐりながら詩や戯曲を一、二行声に出すと――誰もいないときにだけれど――いい気持ちになる)、キャンパスまで歩き、帰りはその逆をたどって帰宅するのが日課だった。夏も終わる頃の、ほんのり色づいたグンバイナズナとアカバナユウゲショウの花がひとところに並んで淡くほほえんでいるのは私の好きな光景だ。

 今では仕事の終わるのが夜の八時を過ぎることもあり、ほとんど毎日、車を運転して通勤している。

 先日、冬休みの一日、久しぶりに野川のほとりへ行ってみた。

 とくにこれといった思い入れもない、見慣れた風景だ。

 枯れた葦むらに風が吹いて、乾いた茎や葉のこすれあうざわめきがたちこめた。葦たちはしゃべっていた。何か良く分からないけれど、しきりにざわざわと、そこはかとなく親しいような、それでいてどこか気遠いような声で。人語に翻訳することもなく私はそれを聞いていた。葦はしゃべっている、白い種を飛ばしながら、ヒヨドリの鋭く鳴き交わす下で。

 水の流れに沿って私は歩いてゆく。棘をまとったワルナスビが黄色い実をつけている。

 やがて私はススキの声に包まれている。夏にはその根もとに思い草(ナンバンギセル)が花をつける。今は地面の下ですやすや眠っているのだろうか。どんな夢をみているのだろう。

 落葉した桑の木の根もとには背の低いヒメジョオンが咲いて、こまやかな舌で冬の光を舐めていた。

 

 注

[1] プルースト『花咲く乙女たちのかげに II』(『失われた時を求めて 4』)、鈴木道彦訳、「集英社文庫ヘリテージシリーズ」、p. 70.

[2] プルースト『見出された時I』(『失われた時を求めて 7』)、鈴木道彦訳、「集英社文庫ヘリテージシリーズ」、p. 366.

[3] 『見出された時I』、p. 374.

[4] 石川美子、「白いアルヴ川と荷風の物語」、『山と言葉のあいだ』、ベルリブロ、2023年、p. 183.

[5] 同書、p. 185

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著者略歴

  1. 岩切 正一郎

    フランス文学研究者・戯曲翻訳家・詩人。著書に『さなぎとイマーゴ:ボードレールの詩学』(書肆心水)他。詩集に『La Citrondelle』(らんか社)他。書籍化されている戯曲翻訳に、アヌイ『ひばり』、カミュ『カリギュラ』、ジロドゥ『トロイ戦争は起こらない』(いずれもハヤカワ演劇文庫)他。日本を代表する演出家が手がける多くの舞台で戯曲翻訳を担当している。国際基督教大学教授。現在、学長。

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