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文字の渚 岩切正一郎

コロナ禍のなかの戯曲翻訳

  この文章がウェブページに載る頃、世田谷パブリックシアターでは『ART』の舞台が幕を開けているだろう。

 『ART』はフランスの作家ヤスミナ・レザの戯曲で、演出は小川絵梨子さん、出演はイッセー尾形さん、小日向文世さん、大泉洋さん。私は翻訳を担当した。

 三年前の2020年3月、この舞台は新型コロナウイルスのために公演途中で中止になった。今回はその復活上演なのだ。

 


 2020年3月27日。その一週間前に埼玉で初日を迎え、大阪公演が始まって三日目。制作部から関係者へメールが届いた。大阪市長の会見を受け、主催者と協議の結果、3月28日(土)と29日(日)の公演は中止することとなった、と書かれていた。市長は会見で何を言ったのだろう。はっきりとは分からないけれど、過去の新聞記事(読売新聞)を見てみると、26日に「花見の自粛」、27日には「東京への移動自粛」が市長から呼びかけられているので、それを受けてのことだったのだろう。その頃、東京都内ではコロナ感染者が急増中で、近畿の自治体でも患者の爆発的な増加に対する警戒を強めている、と記事にはあり、小池百合子都知事は不要不急の外出自粛を求めていた。「大阪府のまとめでは、26日夜までの感染者計156人」とある。そういえば始めの頃はこのくらいの数字で恐怖を感じていたのだったな、と思い出す。

 この時は再開が視野に入っていた。制作からのメールには、「3月30日(月)の公演は行う予定ですが、前日に改めて入り時間など詳細はご連絡させて頂きます」とあった。

 結局、30日も中止になり、その日の夜遅く、その後に控えている東京公演についてプロデューサーの正川寛さんからのメールが製作から関係者へ転送されてきた。そこには、「世田谷区からの要請により、4月8日から15日までは世田谷パブリックシアターが使用不可となりました」と書いてあった。8日は搬入のみで仕込みは許されず、仕込みは16日、17日が初日、というスケジュールへ変更された。営業や広報は、お客さんへお知らせを出したり、チケットの払い戻しの体制を整えたりしなくてはならなかった。

 4月1日に新しく連絡が来た。「大阪公演主催者と話し合いました結果、4月2日から4月6日の公演は自粛することとなりました」と書いてあった。つまり、「自粛」という形で、大阪の全公演が中止となったのだ。

 暗い予感のなかで17日の東京公演初日が待たれていた。7日の夜九時過ぎに正川さんから直接メールが来た。その日、政府から緊急事態宣言が出され、それを受けて東京公演も中止することになったという。メールには、チケット払い戻しについての情報ページの、テストサイトのURLが付いていた。テストサイトを見てみると、中止になったことをお客さんへ詫びたあと、「私共は常に演劇の力を信じ、お客様にご観劇頂きますよう、より良い舞台創りに努めて参る所存です」という決意が載っていた。

 正川さんのメールには、演劇人らしく、へこたれない精神が発揮されていた。とはいえディスプレイ上に並ぶ文字は涙の上に浮かんでいるようでもあった。

 「本当に残念です! ただ泣いてばかりもいられないので、前に向かっていきたいと思います。「ART」の再演、そしてまた新たな舞台でご一緒させて頂ければと思います!」と書いてあった。私は彼へ、「絶対またやりましょう!そして新しい挑戦を続けましょう!」と返事した。(昔なら、電話で話したり、葉書を出したりしているところだろうから、自分が何を書いたのか手元には残っていないはずで、その点、自分が相手へ出す手紙を自分用にも書き写して保存していたという詩人のポール・ヴァレリーのようなことを、インターネット・テクノロジーのお蔭で、私たちは思わず知らずやっているわけだ)。

 少し気持ちを落ち着ける時間を取って、三日後、私は小川さんと、演出助手の長町多寿子さんへメールを書いた。それでも、今読むと、勢い込んだ調子になっている印象である。「悔しいですね。正川さんも再演を期すと言っているので、今回の舞台、その日が来て復活するのを信じています」

 長町さんから、「1日でも早く、劇場が息を吹き返しますように」という再生の願いをこめた返事が来た。「明日のために、体も心も生きておきたいと思います」と。

 小川さんからは、しなやかなスタイルの返事が来て、パラパラっと魔法の光を振りかけられたような気持ちになった。チームをまとめるリーダーには、人が閉塞状況にあるときに、開かれた場所への出口を用意する才能が必要なのだろう。小川さんは、人を柔らかな空間へ連れ出す資質を持っている演出家のように思われた。


 ぜひ、再演ができるといいなあ。

良いチームでした...
それまでアントリオスはお渡しできませんね。(笑)

 「アントリオス」というのは、劇中で使われる現代画家アントリオスの絵。この芝居は、セルジュが購入した、白く塗ったキャンバスに白い線が入っている一枚の高価な絵をめぐって、昔から親友であるはずの三人が本当は互いに相手のことをどう思ってきたのか、心の真実が明らかになってゆく芝居で、男の友情という関係のなかに構造化されている男性性とその支配のメカニズムをえぐりだす、一見喜劇風のじつに面白い劇なのだ。私は、全公演が終わったら、記念に、劇中の道具である「アントリオスの絵」を貰うことにしていたのだった。

 


 『ART』の上演企画は、2018年9月に正川さんから聞いた。翻訳上演したらきっと面白いだろうなあ、と以前から思っていたので、この企画に参加できることはとても嬉しかった。翌2019年の7月に台本の基となる準備稿を送り、演出家との打ち合わせを12月に新宿の喫茶店で行った。

 戯曲翻訳というのは、もちろん翻訳者が作品に対して持っているイメージが出発点になるものの、小説などの翻訳とは違い、共同作業の要素が相当入ってくる。演出家の演出プランを聞き、プロデューサーの意見もいれて、台詞のトーンや表現を最終決定し、稽古場でも俳優の疑問やコメントに応えながら修正を加えていく。

 最初のドラフトを作るところまでは自分のペースで好きなように時間をかけて作業できるけれど、いったん打ち合わせや稽古が始まれば、今日稽古場で出た台詞変更の要望は、明日の稽古開始までには完成形を仕上げて伝えておかなくてはならない。スピーディーな対応が必要なのだ。

 台本の最初の形を作るためにひとりで翻訳している間は、私は、全登場人物の台詞を入れ替わり立ち替わり声に出して言いながら、ひとり朗読劇、のようなことをやっていて、一見いろいろな視点を自分のなかに作り出しているように見えるけれど、結局は自分ひとりの視点でアプローチしているに過ぎない。演出家やプロデューサーと打ち合わせをすると、そこに複数の視点が入ってきてより立体的に眺めることができるようになる。しかしそれで芝居が立体的に立ち上がるわけではないし、人物間の関係性のなかでの台詞のもっともふさわしい形が見えてくるわけでもない。実際のところは稽古場で本読みをしたり立ち稽古をしたりしてみなければ、どこに正しい答えがあるのか分からない。稽古の顔合わせ前の、演出家との打ち合わせ期間には、私は小川さんに例えばこういうことを書いていた。大泉さんが演じるイヴァンの台詞。


訳では、殴られたあとのイヴァンの言葉を、ちょっと女っぽくしてあるのですが、「拗ねる」=「女性」、というステレオタイプに持って行きすぎたかも知れません。そのへんも稽古場で。

台本が印刷へ回ったのは2020年1月下旬(それまでは仮の草稿版が配布されている)。稽古が始まった頃、翻訳者にはもうひとつすることがある。プログラムへの寄稿文(挨拶)を書くのだ。フランス語のもともとのタイトルは引用符付きなので、そこのところから入ることにした。


 Artではなく« Art »。このカギ括弧入りタイトルに戯曲の特徴が表れている。いわゆるアート。でも本当にこれはアートなのか、この白いだけの絵が? 50年代のイヴ・クライン以来、モノクロームの絵は感じるのではなく知的に解釈されるための作品ともいえる。
 マルク、セルジュ、イヴァン、三人の男は長年の友人で、知的な好みや会話の話題も似たもの同士のはずなのに、この一枚の絵の評価をめぐって、友情の奥に隠されていた奇妙な関係が浮き出てくる。

と始まり、私なりの分析をしたあと、

 
 レザは大学では社会学を専攻した。絵の趣味がじつは知的格差を反映することを明らかにしたブルデューの『ディスタンクシオン』は自家薬籠中の書のはず。« Art »は、舞台の上で、ふだんは見えない友達関係の構造を見えるものにしてわれわれの意識へ送り返す。舞台には登場しないけれど、マルクを非科学的なホメオパシーへ引きずり込み、セルジュには暴言を吐かせるポーラ、といった女性たちの支配力もあなどれない。おそろしくも滑稽な作品だ。

 これを書いている今、稽古は十日を過ぎたところだ。綿密ながら柔軟性にあふれ、何よりレザへの愛があふれている小川絵梨子さんと、それに応えるイッセー尾形さん、小日向文世さん、大泉洋さんの個性。その全貌を舞台で観る日が楽しみだ。

 と締めくくっている。

 


 2月10日に顔合わせをして、本読み、そして稽古が始まっていた。新型肺炎、という言い方もされていた新型コロナウイルス感染症のことは当然稽古場でも話題にのぼった。稽古をしながら、本当に舞台の幕は開くのか、という不安も兆すのだ。小日向さんは、これは人工のウイルスかも知れない、いやほんとに心配だよ、と言いながらも、好きなYouTubeのサイトを開いてアメリカの公開オーディション番組(アメリカズ・ゴット・タレント)をみんなに披露し、大泉さんは身振りを交えながら一見淡々としているようで巧みに構成された笑い話を繰り出してみんなを笑わせ、イッセー尾形さんはヨーロッパでの一人芝居公演の経験談を柔らかな銀色の繊毛が揺れているような声で話していた。この頃はまだかろうじて――とはいえ一度だけだったが――みんなで酒席を共にすることもできた。

 いつから、人となるべく触れあわないようにしようという振る舞いが日常生活のなかへ組み込まれ、行き渡っていったのだったろう。埼玉での初日、素晴らしい舞台になり、楽屋の廊下で、イッセー尾形さんと私は握手しようとして、一瞬互いにためらい、それから握手を交わした。肘と肘をあわせるとか、そういう形を取るべきかも、という思いがよぎって、躊躇してしまったのだ。

 


 2023年公演の稽古は4月27日から始まった。私は稽古初日の顔合わせには出席できず、28日から参加した。本読みはマスク着用だったけれど、3年前とは違って明るい雰囲気だ。そして立ち稽古へと移っていった。私は、前の挨拶文のタイトル「「アート」と「友情」」に単語を足して「三年後の「アート」と「友情」」と題した新しい挨拶文を書いた。俳優三人は、休憩時間に、若かった頃の思い出や近況などを喋っている。前田文子さんの用意した沢山の衣裳がハンガーラックに吊され稽古場に運び込まれた。新しいものの他に、三年前の衣裳も取ってあったそうだ。稽古場で使っているアントリオスの絵も三年前のと同じ。美術の小倉奈穗さんが保管していた。

 「三年前は、確かおれ、この位置だったよね」と俳優が言い、「そうなんです、でも今回はちょっと変えようと思って」と演出家が応じる。そんなやり取りも挟みながら、台詞の解釈が深められ、動きが試されていく。そのプロセスに立ち会わせてもらいながら、私は、ありがたいと思う。コロナの感染拡大が深刻だったときには、稽古場に入ることができるスタッフは必要最小限に絞られ、翻訳者はzoomで参加したり、録画を送ってもらってチェックしたりすることが多かったのだ。

 

  ライブで客と時空を共有することが大切な演劇や音楽などのアートは、コロナで大打撃を受けた。私の場合は、大学に勤めていて、給料が減るわけでもなく、経済的に苦境に陥ったわけではない。

 フリーで芸術活動をしている人たちは本当に大変だった。コロナも一段落してきた頃、大学時代からの友人で作曲家の笠松泰洋氏のことが東京新聞の社説で取り上げられた(2022年12月4日)。パンデミックが深刻化していたときの彼の状況はこう記されている。

 
日本での音楽会も次々に中止。作曲による収入は途絶えました。日本を代表して海外に派遣されたほどの作曲家が、一時は音楽とは無縁の学習塾でアルバイトをしてしのぐ苦境に陥ります。    

予備校や塾でアルバイトをしている、という話は私も聞いていた。小学生から高校生までの生徒に、国語や英語を教えていると言っていた。笠松くんは、私を演劇の世界へ導いてくれた恩人である。現代の楽曲を作曲し、舞台音楽の第一人者でもある。私は彼といっしょに朗読劇『四谷怪談』や室内オペラ『人魚姫』を作った。蜷川幸雄演出の『グリークス』の音楽は彼。社説にも載っているように、劇団四季の『恋におちたシェイクスピア』の音楽も彼の作曲である。

 苦境に陥っても、愚痴一つ言わないのが彼のすごいところだ。「塾の先生をしているんだよ」と屈託なく言い、仕事が次々にキャンセルされて、予定が何にも入っていない、と、まるで驚くべき風景を前にした旅人のように、この先何ヶ月もの生活の空白について語るのだが、少しもしょげている風ではない。蝶とキノコを愛する彼のなかには音楽への情熱があふれていて、それが生きるエネルギーを生み出していた。

 

 コロナが始まったあと、最初に劇場で観た芝居は、シアタートラムで上演された栗山民也演出、鈴木杏主演(一人芝居)の、三好十郎作『殺意 ストリップショー』で、2020年7月だった。栗山さん演出の『トロイ戦争は起こらない』(ジロドゥ作)で私は翻訳を担当し、杏さんはアンドロマックを演じた。ふたりに、『殺意』を観た感動を伝えたかったけれど、感染防止のために楽屋の面会は禁止されていて会えなかった。

 その頃、私はオフィスコットーネの綿貫凜さんがプロデュースするサルトルの『墓場なき死者』の翻訳台本作りをしていた。演出は稲葉賀恵さんである。

 『墓場なき死者』を舞台にかけたいので新訳してほしいという話は2019年11月に打診された。そして新宿三丁目の喫茶店で綿貫さん、稲葉さんと最初の打ち合わせをした。台本の第一稿を送ったのが2020年7月。この頃はコロナの感染者も多くなって、打ち合わせはzoomでやっていた。台詞にいくつかカットを入れて上演しやすい台本にし、本読みを9月下旬に行うことになった。

 自分では意識していなかったけれど、ストレスで免疫力が落ちていたらしく、8月に右足へバクテリアが入って激痛に襲われ、月末からとうとう二週間入院することになってしまった。コロナの間に大学の業務はすっかりオンライン化していて、入院していようが自宅にいようが職場にいようが、仕事はzoomとメールで大抵片が付く、というありがたい状況になっていた。ところが医師の診断後に即入院したため、自宅のデスクトップ型パソコンに入っている翻訳作業のデータは、病室へ持ち込んだラップトップに移していなかった。少し前にやったミーティングで出た台詞の直しを反映した修正ヴァージョンの作成は稲葉さんにお願いすることになってしまった。「入院」とだけ伝えたら、かえって「心配です!」と気を遣わせてしまったので症状を伝えた。


入院というのは、右足が蜂窩織炎ほうかしきえんというのにかかってしまって重症化していて、抗生剤を点滴して、動くな、と言われています。ウイルスもそうだけど、バクテリアも恐ろしいです(笑)。

  しばらく前から、正川さんは、『奇人たちの晩餐会』というフランスのコメディーを上演したいとしきりに言っていた。以前、演出家の鵜山仁さんが『おばかさんの夕食会』や『バカの壁』というタイトルで翻訳上演した作品だ。私はフランスから日本へ向かう飛行機のなかで映画を見て面白い話だなと思った記憶がある。フランス書籍輸入専門店のフランス図書に頼んで古書で取り寄せたまま手つかずになっていたフランシス・ヴェベール作のその戯曲を、病室のベッドの上に起き上がり、粗訳のような形で訳してみた。それは、まだ相当手を入れなくては使い物にならない大雑把なものではあったけれど、正川さんへ送ると、「訳して頂いたんですか!ありがとうございます!」と喜んでくれた。「ぜひ実現させたいと思います」という返事だった。 

 これをもとに企画が進み、一年後の2021年11月に、上演企画の正式な知らせを受けた。公演は2022年の6月から7月で、演出は山田和也さん、片岡愛之助さんや戸次重幸さんたちが出演することになった。

 2020年9月には『墓場なき死者』の本読みが始まった。スタッフ、キャストの顔合わせは、水天宮で12月17日。正月をはさんで1月から稽古場は吉祥寺へ移った。

 感染予防のために窓は開け放たれ、冷たい空気が入ってくる。演劇に対するパッションがそこにいるみんなを温めていた。私はそれまで翻訳者として舞台に関わってきたが、板の上に立ったことはない。劇中、ラジオのニュースが流れるシーンがあり、私は、アナウンサーの声の役をするようにとムチャ振りされた。いやいや、ぼくは宮崎出身で、イントネーションおかしいんですから、ダメでしょう、と言って断ろうとしたけれど、ちゃんと指導するから大丈夫です、と稲葉さんと綿貫さんに説得された。私の言う台詞は稽古場での何度かの録り直しを経てOKをもらい、舞台では、民兵がスイッチを入れたラジオから、数秒間、録音した声が流れた。

 『墓場なき死者』は2021年1月から2月にかけて下北沢の駅前劇場で上演された。私はサルトル研究の大家である石崎晴己先生を招待した。先生は来る気満々だったのだが、観劇のことはご家族に言っていなくて、いよいよ日も近づき、下北沢へ芝居を観に行くんだと家の人に告げたところ、「果たして大反対に出会うこととなりました」ということで、残念ながら足を運んでいただけなかった。恐縮されていたので、もう一人、家族に反対されていらっしゃれなくなった先生がいます、気になさらないでください、とメールすると、良かった、自分ひとりじゃなくて、と安堵されていた。

 この作品は、フランスでも日本でもほとんど上演されることがない。ナチに荷担するフランス側民兵の捕虜になったレジスタンスの男女が拷問され、仲間内では少年を殺し、挙げ句の果てにレジスタンスの全員が殺されるという、筋だけ追えば陰惨な話である。にもかかわらず、というべきか、それゆえに、というべきなのか、コロナ禍の閉塞状況のなかにある人々の心に訴えるものがあったらしく、舞台は大盛況で、若い人が多く観に来てくれ、チケットは連日完売だった。

 

 石崎先生にそのことを報告すると、サルトル研究者らしい反応が返ってきた。「こんな劇が「受ける」というのは、やはり富の一極集中、あまりの格差拡大で、先進国で若者の反抗機運が高まっていることと無関係ではないのでしょうね。」確かにそうかも知れない。コロナはそうした社会構造をあぶり出し、ますますはっきりと明るみに出す効果をもたらしたのかも知れなかった。この芝居のなかで、私は、レジスタンス・グループの統率者であるジャン(山本亨さん)に向かって同志リュシー役の土井ケイトさんが放つ、彼の自尊心を打ちのめす哄笑と、ギリシャ人カノリス(中村彰男さん)が言う「まず仕事をしろ。救いはおまけでついてくるんだよ」という台詞が好きだった。この作品でオフィスコットーネは小田島雄志・翻訳戯曲賞を受賞した。

 


 2021年1月から2月にかけて、4年前に初演した大竹しのぶ主演、ラシーヌ作『フェードル』(栗山民也演出)が、エノーヌ役のキムラ緑子さんのほかはキャストを替えて再演された。誰かひとりコロナの感染者が出れば公演が中止になるという緊張のなかで無事全日程を終了した。「誰かが罹っても、それはその人のせいじゃないからね」と大竹しのぶさんはみんなに声をかけていた。

 同じ台本に拠って、2023年8月には、国立劇場で、中村京蔵さんが「歌舞伎をベースにした和様式」での『フェードル』上演を行う予定だ。これは2021年5月から取り組んでいる企画で、コロナの間も半蔵門の稽古場で読み稽古を重ねてきた。

 


 よくできた偶然、というか私には啓示のようにも思えた話が2021年の4月に来た。『墓場なき死者』は、これだけでは短かすぎるというので、サルトルが『恭しき娼婦』を追加執筆して、1964年に二本セットで上演された。その『恭しき娼婦』を栗山民也さんの演出で上演するというのだ。新訳でやるというので、私は喜んで引き受けた。

 9月にキャストのリストが来て、奈緒さんと風間俊介さんが出演すると記されていた。10月に台本の原稿をプロデューサーの矢羽々恒弘さんへ送った。稽古開始は2022年5月1日、初日は6月4日、というスケジュール表も送られてきた。

 『恭しき娼婦』が紀伊國屋ホールで初日を迎えた三日後の6月7日、『奇人たちの晩餐会』が世田谷パブリックシアターで初日を迎えた。いっぽうは、白人社会の階級格差と黒人差別、そして正義と愛欲をテーマにしたシリアスな劇。他方は、笑いにつぐ笑いのあと、最後には人情にほろりとさせられ、と思ったらやっぱりズッコケて終わるコメディー。

 コロナでマスクをしたまま、大声を出して笑うことも憚られた社会風潮のなかで、笑わずにはいられない舞台は、心の健康にとても良かった。

 作者のフランシス・ヴェベールの友人だという日本人が愛之助さんの楽屋にやってきたそうだ。この劇はダジャレや地口やフランス的な皮肉がいっぱい詰まっていて、とても日本語にはならないだろうから、どんなひどいものになっているのか見てやろうと思って観に来た、と言い、愛之助さんはどんな辛口批評を言われるのだろうと緊張したらしい。ところが、その人は、破顔一笑、まったく違和感のない日本語の芝居になっていた!と、とても喜んでいたという。愛之助さんはほっとしたそうで、それを聞いて私も嬉しかった。

 


 私が勤務する国際基督教大学に、ウクライナからの避難学生が五名到着したのは2022年5月だった。全員ウクライナで日本語を勉強していて、習熟度は様々だが皆日本語が理解できる。栗山さんは、ロシアがマリウポリの劇場を爆撃したことに憤っていた。人が集い、同じ空間で同じ時を過ごし物語を共有する。劇場にはその豊かさがある。そのひとときを共に過ごして欲しい、そう言って、五名の避難学生を『恭しき娼婦』に招待してくれた。

 最近、演劇にしてもミュージカルにしてもオペラにしても、チケット代が高くて学生にはなかなか手が出ない。栗山さんはそれを案じて、それまでも私が翻訳者として参加した作品の公演では、「ゲネプロに招待するから、連れておいでよ」と言って、学生たちに観劇の機会を与えてくれていた。

 『恭しき娼婦』は、最初の本読みでは一時間弱で終わった。私が初めて大きな舞台の翻訳をしたとき、それは蜷川幸雄演出のアヌイ作『ひばり』(松たか子主演)だったが、本読みだけで四時間ほどかかってしまい、そこに演技の時間が加わるのだからこのままでは長すぎてムリ、という事態になった。今度はその逆である。ところが、動きを入れ、沈黙が意味を濃密にはらむような形で嵌め込まれていくと、一時間二十分くらいの、丁度良い長さの舞台になった。窓から入る風や光が美しい。冒頭のシーンで観客に背中を向け壁に張り付く奈緒さんの肩胛骨や頸椎が、娼婦という役柄もあって、妖しい魅力を放っている。

 奈緒さん演じるリズィーと一夜を過ごしたフレッド(風間さん)は言う。「ベッド。カバーかけろよ。罪の匂いがする」。ベッドに腰掛けたリズィーはその偽善へ向かって、クッションをポンポンと叩きながら言う。「座んなさいよ、こっち来て、あたしたちの罪の上に。美しい罪、でしょ? 」クッションを叩くのはとても自然に見える仕草なのだけれど、この自然さは、稽古で栗山さんと何度も試行錯誤を重ねてたどり付いた自然さである。

 多かれ少なかれ平穏な日常のなかに、舞台という場所があり、そこで人間の悲惨や希望が演じられる。フィクションのなかに何か心を掴むものが姿をあらわし、人はそれを自分のなかに取り入れて、日常へと帰ってゆく。それが心のなかに棲み続ければ、それは生きる支えとなる。

 


 2022年11月2日、オフィスコットーネからメールが来た。綿貫さんが10月31日に亡くなったというのだ。たった二ヶ月前に、綿貫さんがプロデュースした『加担者』の舞台を観て、上演後に稲葉さんと綿貫さんと私とでトークショーもしたばかりだった。とても信じられない訃報だった。

 綿貫さんは、眼が澄んでいて、演劇に向かう姿勢にとてもピュアで真っ直ぐなものがあった。ピュアで真っ直ぐだからこそ、生の矛盾や苦しさや不条理をその核心の部分で摑むことができたのだと思う。そのエッセンシャルな純粋さは、彼女と舞台を共にした人、その舞台を観た人の未来と現在をつないでいるような気がする。

 

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著者略歴

  1. 岩切 正一郎

    フランス文学研究者・戯曲翻訳家・詩人。著書に『さなぎとイマーゴ:ボードレールの詩学』(書肆心水)他。詩集に『La Citrondelle』(らんか社)他。書籍化されている戯曲翻訳に、アヌイ『ひばり』、カミュ『カリギュラ』、ジロドゥ『トロイ戦争は起こらない』(いずれもハヤカワ演劇文庫)他。日本を代表する演出家が手がける多くの舞台で戯曲翻訳を担当している。国際基督教大学教授。現在、学長。

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