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名なしのカメはAIの舞に興味がない 田中真知

システムダウン

 あひるの人形が交差点をわたったところに横たわっていた。
 一見したところ、傷などは見られない。
 もしトラックにぶつかっていたら遠くに跳ね飛ばされて、形をとどめていなかったはずだ。
 シュウイチは人形をうらがえした。
 やはり傷はない。
 でも、それならどうして動かないのだろう。
 あひる人形はまぶたを閉じたまま、眠ったように動かない。
「こんなに走ったのは、ホノルルマラソン以来です」

 やっと追いついた鴨志田は、ハンカチで顔の汗をぬぐいながら荒い息でいった。
 それからしゃがみこむと、あひる型人形の体を両手で持ち上げて、逆さにしたり、下からのぞき込んだりした。
「これはおそらく……」
 鴨志田はシュウイチの方に向き直ると一瞬神妙な顔つきになった。その表情に、シュウイチはどきりとして息を呑んだ。
 すると鴨志田は表情をゆるめて、こう付け加えた。
「電池切れです」
「……電池切れ」
 シュウイチは脱力感に襲われた。

「そうです。充電が切れたのでしょう。なにしろスマートスピーカーなので、こんなに走り回ることは想定されていなかったものと思われます。私もアンナプルナで自分がバッテリー切れになったときは立っていられませんでした。幸いリュックの底にカチカチに凍ったバナナを見つけたおかげで九死に一生を得ました。あ、バナナは麓の村で通りすがりのおばあさんにもらったんです。あのおばあさんは、じつは神様だったと私はにらんでいます。神様が人間の姿をして私の前に現れたのでしょう。おまえには、まだやるべきことが残っている。その使命を果たすまでは死んではならん、という神様の思し召しだったというのが順当な解釈です。では、その使命とは何なのか。神様はそこまでは教えてくれませんでした……」
 鴨志田がしゃべっている間に、シュウイチはあひる型人形からスマホを取り出して、マイに呼びかけた。あひる型スマートスピーカーがバッテリー切れでも、マイの本体は動いているはずだ。
 しかし、なんど呼びかけても反応はなかった。

「……私の使命とはなにか。思えばホノルルマラソンに参加したのも、その使命を探すためだったといっていいいかと思います。なぜかといいますと、走るという行為は……」
 鴨志田はあひる型人形を手にしたまま、遠くを見ながらしゃべりつづけていた。
「鴨志田さん」
「はい、私、鴨志田にとって走ることは生きることだと気づいたのです。なぜかといいますと……」
「鴨志田さん!」
「は、はい!」
 鴨志田がシュウイチを見た。

「マイがいません」
「マイさんがいない……それはそうです。マイはAIですから、実在しているわけではありません」
「そうじゃなくって、呼び出しても出ないんです」
 シュウイチはスマホの画面を示した。「ネットワークエラー」と表示されている。鴨志田はしばらく画面を見つめていた。

「マイさんも電池切れかもしれません」
 鴨志田がいった。

「はっ? いや、ネットワークエラーとありますけど」
「私が思うに、マイさんも働き詰めで疲れたのでしょう」
 鴨志田はシュウイチの言葉をスルーしてしゃべりはじめた。
「過重労働は世間でも問題になっていますから、ときどきマイさんにも休みをあげたほうがいいかもしれません。いや、けっして亀山様が悪質な労働をマイさんに課しているといっているわけではございません。ただ、悲しいことに世間には自分の立場を利用して、ひとを奴隷のように使い捨てるあこぎな輩が跋扈しています。もちろん、亀山様がそんな人ではないことは、だれよりも私がよく存じております……」
 それにしても、よくこれだけ内容のないことを、立て板に水のようにとっさにまくしたてられるものだ。しかも本人に悪気がない。じつは鴨志田こそAIなのではないか。シュウイチは半ば呆れ、半ば感心しながら聞いていた。
 しかし、マイはいったいどうしたのだろう。あひる型人形が充電されれば、マイは戻ってくるのだろうか。しかし、あひる型人形は端末の一つでしかない。やはり、マイのシステムが一時的にダウンしたのかもしれない。トータス・リコール社のほうでトラブルがあったのかもしれない。

「……というわけですので、休みをとることは人類の発展のために必要にして不可欠である、と私は結論づけたいと思います」
 鴨志田の話が一段落したところで、シュウイチはいった。
「鴨志田さん、トータス・リコール社に聞いてくださいますか」
「何をですか?」
「マイの件に決まってます。マイとつながらなくなっている。なにかシステムにトラブルがあったのかと」
「なるほど! 亀山様の着眼点はするどい! さすがです。そんな亀山様が女子に過重労働を強いるなんてことがあるわけがありません。だれも信じなくても、私だけはどんなことがあっても亀山様を信じます!」
 シュウイチは脳内で鴨志田の言葉をミュートした。

「私は部屋に戻ってマイ、いやあひる型人形を充電します。鴨志田さんはトータス・リコールへの連絡をお願いします」
 そういうとシュウイチは立ち上がって電池の切れたあひる型人形を受け取ると、イルカ団地へ向かった。
 部屋に戻ったシュウイチはあひる型人形を電源につないだ。充電中であることを知らせる赤いランプがお尻のあたりで点滅をはじめたが、まぶたは閉じたまま。充電中は動かないらしい。
 しばらくしたら、鴨志田から電話があった。
「亀山様、仰せのとおりトータス・リコールに連絡しました。マイとつながらない件ですが、目下原因を究明中で、しばし、お待ちをとのことです」
「そうですか」
 すると鴨志田は急に声をひそめた。
「じつはですね。トータス・リコールはなにか隠していますね」
「どうしてそう思うんです?」
「野生の勘ってやつです。私、勘のよさにかけては、いささか自信があります。その私の勘によると、マイさんはやはり休暇をとったと思われます……」
 シュウイチは最後まで聞かずに電話を切った。




 コンピューターを再起動してアプリを立ち上げてもエラー表示が点滅したまま。いつもシステムは不安定だったけど、こんなことは今までなかった。会社に連絡しても、問題が解決されるまでしばらくお待ち下さいという自動音声が流れるばかり。
 最初から妙な話だと思っていた。派遣でコールセンターの仕事はしていたけれど、コンピューターにくわしいわけでもないし、愛想がいいわけでもない私に、どうしてこの仕事がまわってきたんだろう。オペレーター時代は、クライアントに機械音声だと思われて、「話にならん、オペレーターに代わってくれ」といわれたこともあったというのに。
 私の声には表情がないといわれる。感情がこもっていないともいわれる。それでも、初めは声優になりたいと思っていた。東京に出てきたのもその夢を叶えるためだった。あんたの声はアニメ向きだと友だちによくいわれたし、自分でもそう思っていた。
 でも、養成学校に入ってすぐに、それがかんちがいだったと気づいたんだ。私が声優になりたいと思ったのは、自分を切り離して、他人になりきって生きられると思ったから。他人を演じていれば、自分を隠しておける。自分である必要がない。
 だけど、そうじゃなかった。自分がなければ、他人も演じられない。他人を演じるからこそ、自分でありつづけなくてはならない。めきめき力をつけていく他の学生を見ていて、私には向いてないって思った。どんなに努力しても、彼らのようにはなれない。なぜって、目指しているものがちがうと気づいたから。
 それに私は肺活量が圧倒的に足りなかった。生まれつき心臓に問題があった。体育も見学ばかり。大きな声も出せない。そう、舞衣と同じ病気を抱えていたから。
 アニメの声なら声量はいらないだろうと思っていたけれど、それはちがった。小さな声で滑舌よく喋るのに肺活量は必須だった。
 もうやめよう、と思ったとき、養成学校の先生に仕事を紹介された。
「機械音声の役をやってみない?」

 声優をめざしていたのに、機械音声? 
 本来その役をするはずだった声優が病気でレコーディングに参加できなくなった。その代役だった。
 もちろん抵抗はあった。でも、機械なら「自分」はいらない。
 子どもむけアニメに出てくる旧式のロボット、という設定で短いセリフをいくつか担当した。
 それで終わるはずだった。
 ところが、終わらなかった。
 そのアニメを見たという関係者から、ときどき声がかかるようになった。
 コンピューターの合成音声だと無表情すぎるし、ボーカロイドだと媚びすぎる。無色だけど透明ではなく、どこか禁欲的な感じ。そんな機械音声のリクエストがアニメ、電化製品、ネット広告などいろんなジャンルから寄せられるようになった。
 正直、そんな仕事は興味なかったけれど、私に声をかけてくれた先生が窓口になって、それらの仕事を次々と引き受けることになった。
 収入は微々たるものだった。ギャラはたいしたことないよ、という先生の言葉を鵜呑みにしていたから、そんなもんかと思っていた。ピンはねされていたと気づいたのは先生が突然姿をくらましたあとだった。

 結局、私は学校をやめ、中途半端にやっていた声優もやめた。
 しばらく体調がふるわない日が続き、私は単発のバイトをかけもちして、なんとかやりくりしつつ、在宅でできる仕事を探した。やっと見つけたのがオンラインの派遣オペレーター。
 これは私の性に合っていた。支離滅裂な問い合わせも、パワハラも、セクハラも、私はなんとも思わなかったから。
 自分を切り離すのは私にはたやすかったし、感情が高ぶることもなかった。電話番号案内、携帯電話のサービス案内、家電の取扱説明、なんでもやった。機械音声の役が難なくできたように、どんなに理不尽に見える問い合わせであっても、私は感情を乱されることはなかった。なぜなら、そこに「私」はいなかったから。
 最後まで、私のことを自動音声やAIだと思っていた人もいた。最近のAIは、ずいぶん進化したんだなあと感心するクライアントもいた。私の声のせいなのか、対応のせいなのかはわからない。たぶんどっちもだろう。
 派遣元から、私に連絡を取りたいという問い合わせがあったと聞いたのは、この仕事に退屈を覚えはじめてきた頃だった。
 転送されてきたメッセージによると、その会社は新型のAIを開発中で、私の声をAI音声としてサンプリングしたいという。
 とっくに声優の世界とは縁を切った私に?
 私の居場所をどういうルートで突き止めたのかは謎だ。
 サンプリングはすべてオンラインで行い、作業は一日で済むという。提示されたギャラもびっくりするほどよかった。
 迷ったけれど、最終的に引き受けることにしたのは、会社の名前が気になったからだ。トータス・リコール社。怪しさ満載だった。

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著者略歴

  1. 田中真知

    あひる商会CEO、作家、立教大学講師。慶應義塾大学経済学部卒。エジプトでの8年にわたる滞在経験や中東・アフリカの旅を扱った著書に『アフリカ旅物語』(北東部編・中南部編、1995年、凱風社)『ある夜、ピラミッドで』(2000年、旅行人)『孤独な鳥はやさしくうたう』(2008年、旅行人)『美しいをさがす旅にでよう』(2009年、白水社)『旅立つには最高の日』(2021年、三省堂)など。1997年、イラク国際写真展にて金賞受賞。アフリカのコンゴ河を丸木舟で下った経験をもとにした『たまたまザイール、またコンゴ』で第一回斎藤茂太賞特別賞を受賞。

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