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名なしのカメはAIの舞に興味がない 田中真知

あひるになったマイ

 滝は一人暮らしのようだった。
 玄関にはサンダルが一足だけ。中に入ると居間の隅に小さなテーブルと椅子が一脚。壁沿いに扉のない低い棚。突然の訪問にもかかわらず、散らかっているものもなく整然としている。
額に入った大きな絵が壁にかかっている。
 玄関で、くたびれた寝間着姿の滝を見たとき、とっさにゴミ屋敷のような部屋を想像したことをシュウイチは申し訳なく思った。
 滝は椅子に腰かけると、「ベランダはここからだ」といって指さした。

「失礼します」
 シュウイチは頭を下げてベランダに出た。
 部屋の中と同じく、ベランダもすっきりとしている。エアコンの室外機と数鉢の観葉植物のほかはなにもない。カメが隠れるところがあるとすれば、室外機の下くらいだ。
 シュウイチは身をかがめて、室外機の下を覗き込んだ。黒っぽく平べったいものがそこにはさまっていた。思いのほか、あっさりと見つかった。
 シュウイチはカメを抱えて部屋に入ると「見つかりました。室外機の下にいました」といった。
「よかったね」と滝がいった。
 ぶっきらぼうではあったが、表情がやわらいでいるようにも見えた。
「お騒がせしました」シュウイチはお礼をいって帰ろうとした。
 そのとき滝が「さっきのお姉さんは?」といった。

――お姉さん? マイのことかな。

「ああ、あれじつはAIなんです。スマホに入っているプログラムなんです」
 シュウイチは片手にカメを持ちながらマイを呼び出した。
「マイ、カメ見つかったよ」
 そう呼びかけると、マイが「よかったです。予測が当たりました。滝さん、どうもありがとうございました」
 滝がいぶかしげな顔をしているのを見て、シュウイチはつけくわえた。
「マイというのはコンピューター上のプログラムで人間じゃないんです。会話したりはできるんですが、ふれられないし、目にも見えないんです……」
「私にとっては同じことだよ」
 滝がさえぎるようにいった。
 どういう意味なのか、シュウイチはとまどった。
「私は見えないんだ」
 滝がいった。
「あっ……」
 薄目を開けているように見えたが、見えていなかったのか。マイのことを実在の女性だと思っていたのか。

「すみませんでした」
「あやまることないよ。機械の声だということくらい私にもわかる。家電や風呂もパソコンだって、今はしゃべるからね。ただ、ちょっと不思議だったんでね」
「不思議というと?」
「機械なのはわかるんだが、なにかちょっとちがう感じもしたのでね」
 滝はそういって、テーブルの上にあった2つのクルミを片手のひらですりあわせた。そういう健康法があるのをシュウイチは思い出した。
「試作品のAIだからかもしれません。私もよく知らないんですけど、たぶんほかのと反応が違うのかも」
「反応というより声がね」
 滝はクルミをカリカリさせながらいった。
「声がというと?」
 そのとき、それまで黙っていたマイが声を出した。
「私の声がどうかしたんですか」
 滝はクルミをこする手をとめた。
「あんた名前は?」
「マイです」
「マイさんの声は色が揺らいでいる」

「えーっ!」マイの声が高くなった。
「声に色があるんですか?」シュウイチがいった。
「色があるというか、色を感じるんだ。見えなくなって何十年にもなるけど、声を聞くと色が浮かぶ。あんたの声は黄土色っぽい」
 滝はシュウイチにむかっていった。
「黄土色……」
「マイさんは藤の花のような色なんだけど途中で色が変わる。赤っぽくなったり青っぽくなったり。そういうのはあまり感じたことがなかった。あんたのいうとおり機械のせいかもしれないがね」
「どういうことですか」
 シュウイチがいった。
「そう感じただけで、だからどうこうということじゃない。どうしてそう感じるのか自分でもわからない」
「私の声は藤の花の色なんですね……」
 マイがしみじみといった。
 そのときシュウイチが手にしていたカメがもぞもぞと動き出した。
「あっ、カメが……」
 カメを落とさないようシュウイチはカメを抱えた。
「どんなカメなんだい」滝がいった。
「どんなって……」
 シュウイチが説明に窮した。するとマイが
「体長20センチくらいのミシシッピアカミミガメです」といった。
「よかったら、持たせてもらえるかな」
 滝がいった。
「いいですよ。噛みつかないといいのですが」

 滝は手にしていたクルミをテーブルに置いて手のひらを上に向けた。皺深く肉厚の手のひらにシュウイチはカメをそっとのせた。
「ひんやりしている」
 滝は片手のひらにカメをのせ、もう片方の手のひらでカメの甲羅にふれた。カメは首と手足を引っ込めてじっとしている。
「どのくらい飼ってるんだい」
「まだ3カ月くらいです」
 滝はうなずいた。
「滝さんはお一人で暮らしているんですか?」
 マイがいった。
「そうだよ」
「部屋がきれいに片付いていて、びっくりしました。滝さん、きれい好きなんですね」
 マイがいった。
「きれいかどうかわからないけど、片付いていないと不便なんだ。どこになにがあるかわかっていないと、あれはどこだっけとか、手探りで、探し回る羽目になってしまうのでね」
「なるほど」
「だから、家にはめったに人を入れない。うっかり物の位置をずらされたり、配置を変えられたりすると、あとがたいへんでね。まあ、今回は仕方ないがね。カメをさわらせてくれてありがとう」
「いえ、こちらこそ。おじゃましました」
 シュウイチはカメを受け取って帰ろうとした。そのとき壁にかかっている大きな絵が目にとまった。中世の広場で大勢の人たちがいろんな遊びをしている場面が描かれている。楽しげな場面なのだが、どことなく不気味な印象も受ける。それ以上に滝の家に絵が飾ってあることが意外だった。
「大きな絵が飾ってありますね」
 シュウイチがそういうと、滝は「ああ、それはもらったんだ。もちろん複製だがね」といった。
「『子供の遊戯』、ブリューゲルの作品ですね」
 シュウイチの胸ポケットのスマホからマイの声がした。
「よく知っているね。まあ、AIだから当然か」
 滝は立ち上がると絵に近づいた。
「もちろん絵は見えないんだけど、どこになにが描かれているか、だいたい覚えている」
「そうなんですか。よほど好きなんですね」
「変に聞こえるだろうけど、この絵の中の場面は、私にとってこの部屋の一部なんだ。この部屋の中を歩くとき、私は自分の頭の中にある部屋の地図の中を歩いている。同じように、この絵に描かれている広場も私の頭の中にあって、私はその中を歩くことができる。といっても、想像しにくいだろうけどね……」
「私、わかります!」
 マイがいった。

「私もそうですから。レンズを通して見える世界と音だけがインプットされる外部情報です。レンズから入る情報は限られているので、滝さんと同じようにほとんど言葉や音から世界を構成しています。だから、現実の世界と情報の世界は私には同じです。しかも、私には〈ふれる〉とか〈におう〉というセンサーもない」
 滝はマイのいうことをしずかに聞いていた。
「面白いな。AIと話して面白いと感じるとはな」
 滝はぼそっといった。
「そういえば」と滝がつけくわえた。
「この絵の中にカメがいたな。どこだったっけな」

 シュウイチがカメを抱えて部屋に戻ってくると、ドアの前に鴨志田がいた。ダンボール箱を抱えている。
「カメが見つかってよかったですね」
 鴨志田がニコニコしていった。

「えっ、なんのことでしょう」
「カメがいなくなったんじゃないんですか。昨日電話くれましたよね」
「いえ、あれは、仮にいなくなったらという話ですよ」
「まあ、いいでしょう。カメちゃん、元気そうでよかったです」
 鴨志田はカメに目をやって、
「今日は別件でまいりました」といった。
「な、なんでしょう」
「くわしい話は中で」

 中に入ると、鴨志田は持参した箱をテーブルの上においた。
「今日はいくつか新製品をお持ちしました。まずは、今回のようにカメがいなくならないように、カメ用GPSのカメトラッカーです」
「だから、いなくなっていませんから」
 鴨志田は答えず、クリップ状の小さな装置を取り出した。
「これを甲羅の縁に挟みます。防水仕様で一回の充電で1週間持ちます。これがあればカメちゃんがどこにいても、すぐにわかります。消費カロリーも計算してくれます。カメフレンドリー大賞も受賞した製品です」
「はあ……」
「メインはここからです。次はAI用センサーです」
「AI用センサーって、マイのですか?」
「はい。まだ試作品なのですが」
 鴨志田が取り出したのは白い縁のシンプルなメガネだった。

「ウェアラブル端末です。レンズとマイクとイヤホンがついていて、亀山様の視界をAIと共有して、会話もできます。スマホのように手で持たなくても大丈夫です。かけてみてください」
 シュウイチはメガネをかけてみた。
「オンオフはまばたきで行います。左ウインクでオン、右ウインクでオフです」
「なんですか、それ」
「ウインク、苦手ですか」
「そういうわけじゃないですけど……」
 シュウイチは左ウインクをした。小さな電子音がした。
「あっ、あなたは、ええと階段でシュウイチさんを突き落とした鴨志田さんね」
 スマホからマイの声がした。

「人聞きの悪い言い方ですね。あれは不幸な事故でした。それはさておき、よく見えるでしょう。これだと亀山様が見ているものをマイさんも同時に見ることができます。一心同体というやつです。ただ、亀山様、トイレとかお風呂では外すのを忘れないようにお願いします。あと、もう一つあります。トータス・リコール社の技術の粋を集めて開発された初公開の製品です」
 鴨志田は箱から30センチほどの白くてぽってりとした鳥のようなものを取り出した。あひるのぬいぐるみだった。ふくらんだ胴体から首が伸び、黒い瞳と黄色いくちばしがついている。
「なんですか、これ?」
「かわいいでしょう」
「かわいいですけど、なんですか?」
「あひる型スマートスピーカーです」
「スマートスピーカー?」
「失礼します」というと鴨志田はシュウイチがかけていたメガネを外すと、あひるの背中にあるくぼみにさしこんだ。ぐわっというあひるの鳴き声がした。
「こうすると起動します。こんどはあひるの目がマイさんの視点になります。しかも、首が動くので視点を変えられますし、モーターも内蔵されていて歩くこともできます。ほかにもいろいろ機能があるそうですが、それはマイさんから聞いてもらってください。あと、胴体は低反発クッションのような弾力のある素材でできているので、ぶつかっても大丈夫です」
 鴨志田が得意げにいった。

「ちょっと意味わかんないんですけど……」
 シュウイチはつぶらな目をしたあひるスピーカーを白々と見た。
「カメの世話とAIは承知しましたが、こんどはあひるですか!」
「生きたあひるではなくて、あひる型スマートスピーカーです。池にはカメとあひるがいっしょにいることが多いので、ネイチャーフレンドリーというコンセプトからあひる型になったそうです。つまり、マイさんはスマホとメガネとあひるというネットワークの上に存在しているわけです」
「待ってください……」
 そのときテーブルに置かれたあひるが首をゆっくり動かした。
「シュウイチさん、いろんなところが見えます!」
 あひるの口からマイの楽しげな声がした。

 シュウイチは複雑な気分だった。
 カメに乗った女としてやってきたマイ。それからしばらくは二次元のナースの姿だった。それが突然、あひるの姿になって話している。AIのプログラムだとはわかっているが、やはり違和感が拭えない。
 そもそもトータス・リコール社にどういう狙いがあるのか見当がつかない。なにか綿密に練られた計画があるのか、それとも行きあたりばったりなのか。口の軽い鴨志田に聞いても、どうも本当に何も知らないらしく、とんちんかんな答えしか返ってこない。
 でも、少なくともあひるの姿をしたマイは楽しそうだった。AIが「楽しい」と感じるのかどうかわからないが声が快活に聞こえた。「声」といえば、さっき会った滝さんなら、いまのマイの声を何色だと感じるだろう。
「そういえば、鴨志田さん」シュウイチがいった。
「23号室の滝さんて、ご存じですか」
「滝様? ああ、あの目のご不自由な方ですね。わたしくどもとの直接のおつきあいはありませんが、古くからいらっしゃる方です。こちらのオーナー様と仲が良かったと聞いています」
「そうなんですか」
「はい、滝様の部屋に大きな絵があるんですが、オーナーが差し上げたものです。私どもが運んだのでよく覚えています」

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著者略歴

  1. 田中真知

    あひる商会CEO、作家、立教大学講師。慶應義塾大学経済学部卒。エジプトでの8年にわたる滞在経験や中東・アフリカの旅を扱った著書に『アフリカ旅物語』(北東部編・中南部編、1995年、凱風社)『ある夜、ピラミッドで』(2000年、旅行人)『孤独な鳥はやさしくうたう』(2008年、旅行人)『美しいをさがす旅にでよう』(2009年、白水社)『旅立つには最高の日』(2021年、三省堂)など。1997年、イラク国際写真展にて金賞受賞。アフリカのコンゴ河を丸木舟で下った経験をもとにした『たまたまザイール、またコンゴ』で第一回斎藤茂太賞特別賞を受賞。

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