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名なしのカメはAIの舞に興味がない 田中真知

カメはどこに行った?

「カメがないって、どういうことですか?」
「カメがないんだ!」シュウイチはあたりを見回しながらくりかえした。
「すみません、よくわかりません」マイがいった。

 シュウイチはプランターボックスをひっくりかえしてカメの隠れられそうなところを探した。しかし、カメの姿はない。
 サッシは閉めてあったし、部屋に入った形跡もない。
 ベランダの柵から外へ身を乗り出して下を見た。ここは2階。3メートルほど下に芝生が広がっている。

――柵の隙間から落下したのだろうか? 
 しかし、ベランダの床と柵の間には30センチほどの垂直の段差がある。カメがジャンプして段差にしがみつき、そこから懸垂すれば登れないことはない。しかし、想像すると、それはあまりにもバカバカしい光景だった。

「シュウイチさん、どうしたんですか」うしろに置いたスマホからマイの声がした。
「だから、カメが見当たらないんだ」
「カメはここにはいません」
「えっ?」
「カメは池や川にいる爬虫類です。海に棲んでいる種類もいます」

 シュウイチは無視した。

「確実にカメを見たければ、水族館に行くことをおすすめします」
 シュウイチは上を向いてため息をついた。

「お役に立ちましたか?」
「……ものすごく役に立った」シュウイチは無表情にいった。
「お役に立ててうれしいです。でも、そのいい方にトゲがあると感じました。本当にお役に立てたのか、じつは役に立たなかったのか判断しかねます」
 シュウイチが驚いてふりむいた。

「変なAIだなあ」
「ほかのAIを知らないのですみません」
「悪かったよ。『礼儀を持って接する』のを忘れていた」
「ちゃんと説明してくださればお手伝いできるかもしれません」
 シュウイチはスマホのカメラをベランダに向けた。

「このベランダでカメを飼っているんだ。ミシシッピアカミミガメというやつ。いつもはこの水槽にいて、ときどき自分で這い出して歩きまわっている。でも、ベランダの外へ出たことはなかった。柵の間をすりぬけるにはカメは厚みがあるし、第一、柵まで段差がある。カメの大きさを考えるとよじのぼれない。サッシも閉めていたから部屋にも入れない。でも、カメはない。どこに行ったのか」
「GPSはついていますか?」
「そんなもの、ついていないよ」
「次回からつけておくことをおすすめします。カメトラッカーという商品が入手可能です」
「そんなのがあるんだ……」
マイはしばし沈黙した後、「こんな動画が見つかりました」といった。画面に映ったのはカメが金網をよじ登っている外国の投稿動画だった。
「えっ?」
「カメの中には垂直の金網をよじ登るものもいます。ベランダの段差をよじのぼった可能性もゼロではありません」

 シュウイチは柵から身を乗り出した。仮にカメが落下したのだとしても、芝生がクッションになるし、甲羅もある。そのあとどこかへ移動したのかもしれない。
 シュウイチは部屋を出た。芝生に立って、あたりを見回した。カメはどこに落ちて、どこへ移動したのか。

「カメが落ちたとすれば、今朝です」マイがいった。「今日の明け方から9時までの間だと推測されます」
「どうして、そうだといえるの?」
「カメは夜間は眠っています。雨の日も動きは鈍いです。昨日は一日雨だったので、今朝目が覚めて明るくなってから動き出した可能性が高いです」
「ならば、そんなに遠くへは行っていないな」
「シュウイチさんのいう『遠く』がどのくらいの距離を意味しているのかわかりませんが、甲羅の長さが20センチのミシシッピアカミミガメの陸上の平均移動速度は分速約5メートルです。1時間で300メートル。仮に9時に落下したとして、いまは12時ですから最大900メートル移動している可能性があります。だとすれば、落下点を中心に半径900メートルの円内にいると推測されます」

スマホの画面に、ベランダを中心にして半径900メートルの地図が表示された。その範囲内にある建物や木や植え込みなども浮かび上がった。

「この地図上でミシシッピアカミミガメの移動経路をシミュレートすると、次のようになります」
 蛇行するグリーンのラインが画面上に何本も引かれていく。
「すごい。こんなことができるんだ!」
「実際にそのカメを知らないので、あくまで仮の予想経路です。地図も過去のデータに基づいているので現状と異なるかもしれません」

ラインは全部で30本。たどる確率が高い順に1から20まで番号がふられている。シュウイチは1から順にそのルートをたどった。
 ところが、実際にたどってみると、それらは無理のあるルートばかりだった。向かいの棟の階段を登っていくルート、木の上に通じるルート、川を渡って向こう岸に通じるルートなど、およそカメがたどりそうにないルートだった。
 シミュレートされたルートを何本かたどったところで、シュウイチがいった。
「マイ、申し訳ないけど、自分で探すよ」
「どうしてですか。まだ13本残っています。それらをすべてたどった場合、カメが見つかる確率は23パーセントです。もし、ご自分で探した場合は4パーセントです」
「なんでそういう計算になるのかわからないけど、もういい。とにかく自分で探す」
「……そのいい方にはトゲがありますね。『おまえのいうことは信用できない。引っ込んでいろ』といいたいのですね!」
「……いや、そういうわけじゃないけど」
 スマホの画面が暗くなって、マイの姿が消えた。

――意外とめんどくさい性格だな。AIってもっと素直なものだと思っていたんだけど。
 シュウイチは芝生を歩き回ってカメを探した。1階のベランダの下や植え込みの中などカメが隠れそうな場所を細かく見てまわった。一度見た場所も、時間をおいてもう一度念入りに確認した。
 芝生にはいない。だとしたらどこへ行ったのだろうか。
 シュウイチは焦った。目を上げると団地の敷地の向こうに畑が見えた。シュウイチは畑に向かい、ジャガイモや枝豆が葉を茂らせる畝をたどった。カメは見つからない。畑の向こうには土手があった。その向こうは川だった。
 シュウイチは土手に上がった。

――川へ入っちゃったのかな。
 想像したら胸が苦しくなった。土手下の道路をクルマが通ると、クルマに轢かれたのではないかと思い、野良猫が歩いていると、猫に襲われたのではないかと想像した。そのたびに胸がしめつけられた。
 汗だくになった顔を、初夏の風がひんやり吹きすぎていった。気がつけば日が暮れかけていた。なんとも思っていないつもりだったカメだけど、いなくなると、こんなにもざわざわするのか。それがシュウイチには自分でも意外だった。
 カメがいなくなったら、どうなるのだろうとシュウイチは考えた。
――カメの世話をする契約で団地に住まわせてもらっているのだから、ここに住めなくなるかもしれない。だが、家賃がかからないという以外、ここに住む理由はない。元はといえば、あの鴨志田に乗せられたのだ。おまけに変なAIまで押し付けられるし、新興宗教みたいな会にも連れて行かれる。ややこしくなる前に、ここを出られて、かえってすっきりするのではないか。
 理性的に考えると、そんな気がしてきた。シュウイチはスマホを手にとって電話をかけた。
「あ、鴨志田さん、亀山です。先ほどはどうも。いえ、大丈夫です。ありがとうございます。あのー、ちょっと聞きたいのですが、あくまで仮の話なんですが、うちにいるカメがですね、もしどこかに逃げ出してしまったとしたら、どうなるのでしょう。……まさか! ちがいます! だから仮の話ですって。そんなわけないじゃないですか。いまも元気に餌を食べています。……えっ? 違約金? ちなみにどのくらいですか……えっ、そんなに? 契約書に書いてある? ええ、もちろん知っています。……はい、そんなことになるはずありませせん。ご心配なく。はい、失礼します」

シュウイチは電話を切った。それから深くため息をついた。

 「カメはどこへ行ったと思う?」
 結局、この日カメは見つからず、落ち着かないシュウイチはマイを呼び出して聞いた。
「カメの移動ルート候補はまだ13本、残っています。明日、それを確認しましょう。ただし時間が経過しているので、移動可能領域が広がっています。そのため発見の確率は昨日より平均して15パーセント低下しています。逆に確率が向上したルートもあります。理由は……」
「うーん、もういいよ」
「そのいい方には『信用していない』という意図がありますね。あるいはカメを発見する気がないという意図ともとれます」
「責めてるわけじゃないけど、カメが見つかる確率が高いっていうルートが、全然あてにならなかったし」
「確率ですから、うまく行かないこともあります」
「カメが見つからないと困るな」
「なにが困るんですか?」
「違約金が発生するんだ」
「違約金を払えば困らないんですか」
「そりゃ、そうだけど、けっこう高いんだよ」
「違約金を払いたくないんですね」
「そりゃ、払いたくないよ。カメがいれば払う必要ないのに」

 マイは少し間をおいた

「それなら明日、カメを買いに行きましょう。5キロ離れたペットショップが爬虫類を扱っています。カメの価格が違約金より安ければ、違約金を払うより困りません」
「いや、それはちょっと……カメなら、なんでもいいというわけじゃないんだ」
「ミシシッピアカミミガメですよね」
「ミシシッピアカミミガメだけど、ここにいたミシシッピアカミミガメじゃないとだめなんだ」

マイは沈黙した。数十秒して、短い通知音のあとでマイは言葉を継いだ。

「契約書を確認しましたが、そのような条項はありません。義務とされているのは、カメの世話をすることです。どんなカメであるかは特記されていません。どんなカメでも大丈夫です」
「それはちがうんじゃないかな」
「法的には問題ありません」
「そうかもしれないけど、いなくなったのは、ここにいたミシシッピアカミミガメなんだよ。物じゃないんだし、他のカメで置き換えるっていうのはないよ」
「それでしたら、より価格の高いカメと置き換えるのはどうでしょう。倍返しというやつです」
「いや、そういうことじゃなくて、いなくなったカメが心配なんだ」
「つまり、いなくなったカメを見つけたいんですね」
「ええと、そうだね」
「それならカメを見つけたいといってください」
「あ、はい……なるほどね、こういう感覚がずれているのか。思考回路が人間とちがうんだなあ」
「人間じゃありませんから」

 翌朝、シュウイチはマイが算出した残りのルートを地図上でチェックした。
 昨日さんざん探しても見つからなかったので、あてにはならなくても、自分が気づいていないルートがあるかどうか確認してみようと考えた。

「時間がたつことで発見の確率が上がっているルートがあるっていってたね」
「はい」

 マイが示したのは意外なことに団地の他の住人の部屋だった。

「これは?」
「時間がたつと行動範囲が広がります。そうすると人目につく確率も上がり、だれかに保護されている可能性があります」
「なるほど。その中でも確率が高いところは?」
「ここです」
「えっ?」

 それはシュウイチと同じ2階の並びにある部屋だった。隣だけではなく、2階の部屋すべてが候補に上がっていた。22号室から26号室だ。

「どうして2階に?」
「この団地の建設時期からすると、当時のベランダは端から端までつなげる設計が一般的です。仮にそうなら、カメがベランダの隔壁下の排水溝を通って他の部屋に移動した可能性があります」
「下に落ちたんじゃない? それならきのういってくれればよかったのに」
「昨日の時点での発見確率は8番目のルートでした。シュウイチさんは7番目でキャンセルしましたよね」
「ああ……」

 シュウイチはベランダに出た。マイのいうように、ベランダ隔壁下の排水溝は隣の22号室のベランダへとつづいている。幅も高さもカメの甲羅からすると狭いが、からだを斜めにすれば通り抜けられるかもしれない。

「どこから探そう」
「確率的にはほぼ同じなので、どこからでも」

 ベランダ越しに22号室をのぞいた。ベランダに物はない。引っ越してきたときいちど挨拶に訪れたときはだれも出なかった。カーテンがかかっているので空き部屋ではなさそうだが、以後も住人と顔を合わせたことはない。
 ベランダはさらにその向こうの23号室のベランダとつながっていた。ここからは見えないので訪ねることにした。
 23号室には「滝」という表札が出ている。
 インターホンの呼び鈴を押す。
 反応がない。
 なんどか呼び鈴を押し続けたが、やはり返事はない。あきらめて帰りかけると、インターホンから「何だ」と男性の声がした。

「すみません。お宅のベランダにカメが入ったかもしれなくて」
 シュウイチが呼びかけると、しばらく沈黙が続いた。
「……カメ?」いぶかしげな低い声がした。
「ええ、カメです」
「カメなんかいらん。引き取ってくれ」

 セールスと勘違いしているらしい。

「いえ、そうじゃなくって、お宅にカメが入りこんでしまって……」
「カメなんかいらんといってるだろ。帰ってくれ!」
「そうじゃなくって……」

 そのとき、やり取りを聞いていたマイが「私が話をします」といった。いわれるままにシュウイチはスマホをインターホンに向けた。

「こんにちは、滝さん」とマイが語りかけた。シュウイチと話すときよりも声のトーンが上がっている。
「21号室の亀山と申します。じつは、うちで飼っているカメが逃げ出してベランダ伝いに、滝さんのベランダに入ってしまったかもしれないんです。私の監督不行き届きで、滝さんにご迷惑かけて、本当に申し訳ございません。うちのカメおとなしいんですけど、万が一、滝さんになにかあったら心配で、急いで引き取りにまいりました。お手間は取らせません。よろしければ、ベランダを拝見させていただけないでしょうか」

 マイのそつのない話しぶりにシュウイチがあっけにとられていると、扉の向こうで人の気配がした。少したってカチャッと鍵が開く音がした。

――開くんかい!

 現れたのは寝間着姿の高齢の男性だった。
 ぼさぼさの白髪を肩のあたりまで伸ばしている。皺深い顔を不機嫌そうに歪めて、ややうつむいている。
「あのう……」とシュウイチがなにかいおうとする前にマイが話し始めた。「滝さん、お休みのところ本当に申し訳ありません。でも、お目にかかれてうれしいです。私、滝さんならきっとわかってくださるって信じていましたの。うちのカメのことで、ご迷惑かけて心からおわび申し上げます」

 男はシュウイチを見ようともせず黙っている。
「あがりなさい。ベランダはあっちだ」男は後ろを向いて指を上げた。
「おじゃまします!」マイがいった。

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著者略歴

  1. 田中真知

    あひる商会CEO、作家、立教大学講師。慶應義塾大学経済学部卒。エジプトでの8年にわたる滞在経験や中東・アフリカの旅を扱った著書に『アフリカ旅物語』(北東部編・中南部編、1995年、凱風社)『ある夜、ピラミッドで』(2000年、旅行人)『孤独な鳥はやさしくうたう』(2008年、旅行人)『美しいをさがす旅にでよう』(2009年、白水社)『旅立つには最高の日』(2021年、三省堂)など。1997年、イラク国際写真展にて金賞受賞。アフリカのコンゴ河を丸木舟で下った経験をもとにした『たまたまザイール、またコンゴ』で第一回斎藤茂太賞特別賞を受賞。

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