上の鶴田さん、水かげろう、トータス・リコール社
ドアが開くと、中からマスクとサングラス、その上からフェイスシールドをした小柄な女性があらわれた。片手に持った消毒用スプレーの噴出口を、こちらに向けている。
シュウイチはあっけにとられながらも、「あ、あの、このたび下に引っ越してきた亀山と申します。こんなときにすみません、これはつまらないものですが……」といってタオルを渡そうとした。女性はそのタオルにいきなりスプレーをシュッと一吹き噴射した。
シュウイチが固まっていると、「だいじょうぶ、これは飲んでも害がないし、すぐに乾くの。手を出して」という。
「はっ?」
「手を出して!」
「はい」
差し出した手に女性はシュッと一吹きすると、上半身にもシュッシュッシュッシュッとスプレーを4連射した。
早々に引き上げたほうがよさそうだとシュウイチは頭を下げて帰ろうとした。すると、女性が「さあ、あがってあがって。ご遠慮なさらずに」といった。
「えっ?」
戸惑っているシュウイチの足元に女性はさらにシュッシュッとスプレーを噴射した。
「5分」女性がいった。
「はっ?」
「早く入って」
シュウイチが玄関に入ると、女性は玄関にあったタイマーのスイッチを押した。ジャンプするイルカをかたどっている。
シュウイチはいわれるままにリビングに通され、ペットボトルのお茶を渡された。女性はそれにもスプレーを一吹きした。
「カメ、飼われるんですってね」
――なんで知っている?
シュウイチはいぶかった。
「あたくしもカメ、飼っていましたの。リクガメ。もう40年くらい昔ですけど、生きていたら80歳くらいかしら。あたくしと同じ」
マスクとサングラスとフェイスシールド越しなので、表情はわからなかったが、声にはハリがあり、姿勢もよく、そんな歳には思えなかった。かといって、「お若いですね」というのもためらわれ、シュウイチは黙っていた。女性も黙っていた。
リビングの壁に大きなイルカの絵が飾られていた。夕日に輝く海面に何頭ものイルカがジャンプしていて、中央に向かい合わせになった2頭のイルカがハート型をなしている。その上に色鮮やかな虹がかかっている。どこかで目にしたことがあるような絵だった。
「そういえば、ここイルカ団地っていうそうですね」シュウイチが沈黙をやぶった。
サングラスとマスクをしていたものの、女性の顔が一瞬ぱっと輝いた気がした。女性は着ていたエプロンを持ち上げた。イルカの柄だった。それからサングラスのつるからぶら下がっているアクセサリーを示した。ガラス細工のイルカだった。
「イルカが来ましたの」
女性はそういうと、ベランダのほうを指差していった。
「あっちの川。あたくし、なんども見に行きましたわ」
女性は立ち上がり、棚から古ぼけたアルバムを引っ張りだしてくると、テーブルの上でおもむろに広げた。色のあせかけたカラー写真が貼られていた。
「その頃の写真ですの。あたくし、毎日のように川へ行きました。でも、カメラを手にするのが初めてで、うまく撮れなくって」
女性のいうとおり、ほとんどの写真はピントがずれていたり、川べりに群がる人びとの頭が写っているだけだったりした。水面にかろうじてイルカらしき影が写っている写真が数枚あった。
アルバムにはイルカの出現を報じる当時の新聞や雑誌の切り抜きもスクラップされていた。
「あたくし、ここにおりますの」
女性が新聞の切り抜きの写真の一角を指差した。橋の欄干にもたれて川面を見つめる人たちの中に、ワンピースを着て口元に手をあてた小柄な女性が小さく写っている。
「若いでしょう。インタビューも受けたんです。これがそのときの記事の切り抜き。でも、あたくしが答えたことは文字になっていなくて、答えてもいないことが文字になっていて、くやしくて出版社に電話して抗議しましたの」
そこには“「イルカがかわいくて感激しました」亀田まゆみさん(38歳)”とあった。インタビューというほどではなく短いコメントだ。亀田? たしか表札は「鶴田」となっていたはずだがとシュウイチは一瞬思ったが、仮名かもしれないし、とくに気にとめなかった。
そのとき、玄関のタイマーがピピピピと鳴った。女性がスプレーを手にして立ち上がった。
「時間になりましたわ」といってシュウイチを見た。女性が初めに口にした「5分」というのは滞在許容時間だったらしい。
シュウイチは立ち上がると玄関に向かった。その後ろから女性が足跡を消すようにシュッシュッと小気味よくスプレーを噴射していく。
「おじゃましました」とシュウイチが頭を下げた。
その頭に女性はスプレーを一吹きすると、「また、いらしてね」といった。
*
薄く目を開けると、上の方で光の波が揺れている。
白く小刻みにふるえる複雑な光の網目模様。
そのゆらめきに誘われるように、まどろみの中から意識がゆっくり浮上してくる。
こんなふうに揺らめく光を下から見上げていたことがあった気がした。広々として、風がとおりぬけ、鳥が鳴いていた。さらさらと水の流れる音、つぶやくような声も聞こえた。話の内容はわからなかったけれど、それを聞いているのは心地よかった――。
おぼろげにゆらめく記憶のつながりは、焦点を当てようとすると、かえって曖昧になり、切れ切れに散っていく。
シュウイチは布団の中で、まどろみと覚醒のわずかな隙間にたゆたいながら、記憶の糸がほつれて遠ざかっていくのを感じていた。
そのとき「バシャン!」という大きな音がした。
シュウイチは我に返った。
白い天井で小刻みに揺れていた水かげろうが花火のように弾け、きらめく無数の破片となって散った。
カメが水槽に飛び込んだのだ。
このところ天気の良い日が続いていた。
そんな朝は、ベランダに置いたカメの水槽に反射した朝日が、サッシのガラスを透かして天井に水かげろうを映し出す。
ここに暮らすようになって一ヵ月ほどになるが、この思いがけない自然現象をシュウイチは気に入っていた。
カメが水の中にいるときは光の波形はめまぐるしく変化する。カメが水槽から出ているときは、レースのような穏やかな網目が天井を彩る。太陽の動きにつれて水かげろうは天井を移動する。正午近くなって日光がベランダのひさしにさえぎられると、水かげろうはしばらく見えなくなり、日が傾くとふたたび現れる。そして夕暮れどきには、淡く飴色がかった光のさざなみが天井の隅を照らした。
シュウイチは寝床から起き出すとサッシを引いた。カメは水の中から首を伸ばして、外を見ている。
「おい、カメ!」
カメは振り向くことなく、ベランダの外を見つめている。たまに目が合うことがあるが、そんな気がするだけかもしれない。少なくとも、こちらの存在をあまり意に介していない。
意外だったのは、カメが思いのほか、よく動くことだった。水槽の中にずっといて、たまに餌を食べるくらいかと思っていたが、自力で水槽から這い出す。外へ出るときは、水槽の中の石の上に乗り、縁からからだを乗り出してバランスを取りながら落下する。甲羅が床にぶつかってゴスッと音を立てる。
行くところがあるわけでもないのに、ベランダをうろうろ歩き回る。端まで行くと向きを変えて、こんどは反対側の端まで歩いていく。一日のうちに、なんどかそんな歩みをくり返す。理由はわからない。
ときどき、ふいに立ち止まって頭をもたげ、外の風景をじっと見つめていることもある。無表情で、口をへの字に結んで、視線を遠くに向けているその姿は、深い思索にふけっているかのようにも映るが、そんな気がするだけで、じつはなにも考えていないのかもしれない。
もうひとつ意外だったのは動きが予想していたより、ずっときびきびしていることだ。
急にサッシを開けたとき、カメがいきなり走り出したことがある。カメもびっくりしただろうが、シュウイチもびっくりした。短い四本の肢をパタパタ回転させるようにして床の上をすべるようにかけていく。とてもカメとは思えないすばしこさだった。
「カメって走るのか……」シュウイチは思わず呟いた。
「ウサギとカメ」の、のろまのカメというイメージをもっていたシュウイチには思いがけなかった。
一方、動かないときはまったく動かない。二台のエアコンの室外機の間に入り込み、足と手を引っ込め、頭を奥の壁にくっつけてじっとしている。面壁して瞑想でもしているかのように何時間もそのままでいる。うしろからつつくと、足を引っ込めるので生きているとわかる。
日が傾いて壁に水かげろうがふたたび現れる頃になると、カメはのそのそと這い出して水槽に戻ってくる。しかし水槽の縁が高いので、自力で中に入れず、しばらくまわりをうろうろしている。シュウイチがカメを持ち上げて、水槽にもどしてやる。カメは平たい石のように沈んでいく。
スロープがあれば、自分で出たり、入ったりするのではないか。そう考えたシュウイチはホームセンターで画用紙くらいの大きさの板切れを買ってきた。で、その一方の端にフック型の金具をつけて水槽に引っかけると、30度くらいの傾斜のあるスロープになった。その上にカメをのせて、しばらく様子を見ていた。
カメは用心しているのか、頭を引っ込めて板の上で動かない。そのまま瞑想モードに入ってしまったのか、待っていてもちっとも動かない。その場を離れて、しばらくして戻ると、カメが水槽の中にいた。スロープを使ったのだ。シュウイチはちょっとうれしかった。
「エサは一日二、三回、食べ切れる量をあげる」とカメ本やカメ雑誌には書いてあった。カメ専用の人工エサのほか、野菜や果物、肉や魚など、要するになんでも食べるらしいので、ホームセンターで買った人工エサ、それにときどき煮干しをあげた。エサをあげると寄ってくることもあれば、なんの反応もないこともある。たくさん食べる日もあれば、まったく食べない日もあり、ときには一週間近く食べないこともあった。理由はわからない。
小さい頃、シュウイチの家ではイヌを飼っていた。ネギという名の人なつこい雄イヌだった。エサがほしいときは皿をくわえてきて、散歩に行きたいときはひもをくわえてきた。粗相をすると、ばつが悪そうに、頭を低くして上目遣いでこちらの機嫌をうかがった。シュウイチが転んで泣いていると、かけよってきて心配そうにからだをすり寄せてきた。視線や表情から、いまなにを望んでいるか、だいたい見当ついた。
カメはちがう。なにを望んでいるのか、どうしたいのか、よくわからない。カメ自身もわかっていないのかもしれない。
カメにどのくらいの知能があるのかはわからない。しかし、せっかく出入りしやすいようにスロープの板を設置したのに、いぜんとしてカメは外に出るときには縁からからだを乗り出して床に落下する。打ちどころが悪かったのか、頭から流血していることもある。
水槽に戻るときも素直にスロープを登ることはめったにない。板の下にもぐりこんだり、水槽のまわりをさんざんうろうろして、偶然、なにかのはずみでスロープに乗って水の中に落ちる。なんどくりかえしても学習しているように思えない。
それでも、カメ本によると、カメは二億年前には地上に出現していたというし、こんなに長い間生き延びてこられたのは、カメなりの知性があったからなのだろう。なにより、カメの世話といっても、たいしてすることがないのは気が楽だった。水替えとエサやりくらいで、散歩に連れ出す必要もない。トイレの世話もいらない。要するに、気を遣う必要がない。イヌのように、なにを考えているか、なにを望んでいるか、ある程度推測できてしまうと、それに応じなければという気にもなるが、なんだかよくわからないと気の遣いようもない。
しかし、あまりにすることがなさすぎて、シュウイチは暇をもてあました。忙しすぎて暇がほしくて仕事をやめたのだが、シュウイチがほしかったのは、こういう暇ではなかった。
居間の床に仰向けになって目を閉じた。宇宙の闇にじかにつながりそうな黒々とした青空がまぶたの裏に広がる。深く息を吸いこむと、混じり気のない希薄な空気が肺に流れ込み、全身の細胞があわだつ。
標高3000メートルを超える春の高原。杏の花が咲きみだれ、尾根には白く塗られた仏塔が並ぶ。その先端から色鮮やかな五色の旗が紐でつながれて裾野に向かって張られている。背後には白い雪をいただく峰々がそびえている。……本当はそんな風景の中で暇な春を満喫しているはずだった。それが、なぜかカメと郊外の団地に暮らしている。
気がつけば、ここにやってきてから、ほとんど人と話をしていなかった。たまに鴨志田からかかってくる電話(たいてい鴨志田が一方的に話して切れるのだが)か、上の鶴田さんとあいさつを交わす(これも鶴田さんが一方的に話して終わるのだが)くらいで、あとはだれとも話すこともなく、買い物と散歩のほかは、一日の大半を家にひきこもっていた。
カメを眺めているのは、けっして嫌いではなかった。それどころか、気がつくと動かないカメを一時間も眺めていることもあった。とくにカメが好きなわけでも興味があるわけでもないが、カメを見ていると気持ちが落ち着いた。理由はシュウイチ自身もよくわからなかった。
一方、カメ以外のものにふれていると、妙にそわそわしてくるのだった。SNSやネットのニュースにふれると、それが明るい話題であれ、暗い話題であれ、妙に落ち着かなかった。通りを走るトラックや車を見ても、公園のベンチでぼうっとしている老人を見ても、砂場で遊ぶ若い母子を見ても、電線で鳴きかわすヒヨドリを見ても、なぜかわからないがざわざわしてくるのだった。
それが焦りに近い感情だと気づいたのは、しばらくたってからだった。自分がここにこうしていることに、そのときどきで罪悪感をおぼえたり、ふがいなさや恥ずかしさを感じたり、挫折感にかられたり、どうにでもなれといった投げやりな気持ちがこみ上げてきたりする。そんなときにニュースで、もっとつらい思いをしている人の話を読んだりすると、自分がいかにもつまらない存在に思われてくる。だが、カメを眺めていると、不思議とそういう考えに陥らずにいられた。カメがそこにいていいように、自分もここにいていい。そんなふうに感じた。
シュウイチはうまく言葉にならないその気持ちをだれかに伝えたかった。だが、相手が人だと、どうして自分がここにカメと暮らすことになったのか、そのことからいちいち説明しなくてはならない。そう考えただけで、なにか途方もない気分になった。相手が言葉を持たず、自分になんの関心もなさそうなカメだからこそ、浮上してくるものがある。でも、それを言葉をもつ人間にむかって伝えようとすると、思ってもいないことをしゃべりだしそうだった。相手に合わせて、細部を削ぎ落として、わかりやすく組み替えた陳腐で退屈な物語。思い返せば、そういう話しかできなくなっていると気づいたのも仕事をやめた理由の一つだった。自分の中から自分の言葉が消えてしまった。でも、カメを見ていて、消えたのは言葉ではなく、言葉と自分の心との接点だったとわかった。
*
「トータル・リコール?」
「ちがいます。トータス・リコールです」電話の向こうで鴨志田がいった。
「おっしゃる意味がわかりませんが……」
鴨志田の話にはいつも前置きというものがない。
「トータル・リコールはアーノルド・シュワルツェネッガー主演のSF映画です。私がいま話しているのはトータス・リコールです」
「なんですか、それ?」
「うちと取引のあるITベンチャーです。不動産管理のAI化を推進することになって提携したんです」
AI化が促進されたら真っ先に鴨志田がリストラされるのではないかと思ったが口には出さなかった。
「それと私がなにか?」
「モニターを募集しているんです」
「モニター?」
鴨志田の話によると、トータス・リコール社が設立されたのは2年前。目下、新しい対話型AIを開発中とのこと。そのモニターをしてくれる人を探していて取引のある鴨志田の会社に問い合わせがあったという。
「話が来たとき、これは亀山様にお願いしなくてはとぴんと来ました」
「ぴんと来ましたって、それって、どうせカメつながりとかでしょう。そもそもAIとか興味ありませんし、カメだけで手一杯です」
鴨志田はかまわずしゃべり続けた。
「これは亀山様にとっても、たいへんいい話だと思います。最新のAIを利用できるだけでなく、報酬も支払われます。期間は1年です。モニターレポートの提出についてはAIの方から指示があるはずです。非公式なので厳密なものは要求しないそうです」
「興味ないので。申し訳ないのですが……」
「亀山様、じつは私どもにとっても亀山様にお願いしたい理由があるのです。大きな声では言えないのですが、オーナー様の代理人を務めている大口の不動産取引専門の代理店があるんです」
「うかがいました」
「えっ? どうしてご存じなんですか」
「以前、鴨志田さんが話してくれたじゃないですか」
「ま、まさか!」
「代理人の方が亀井さんというんですよね」
「そんなことまで……」
「それも話してくれましたよ」
「そこまでご存じだったとは……そうとあらば、もはや隠し立てはいたしません。じつはその代理店、モビーダック社というのですが、そこがトータス・リコール社のスポンサーであることが、さる筋からの情報でわかったのです。私どもとしては今回のトータス・リコール社のAI開発に協力することで、ひいてはモビーダック社との関係を深められればと画策しているのです。ここまで企業秘密を知ってしまったからには、もはや亀山様には引き受けていただく選択肢以外にないことは、当然、ご理解いただけるものと思います」
「理解できません。AIにも、そのモビーダックとかにも興味ありませんから。失礼します」
シュウイチは通話を切った。
――まったく……。
翌朝、シュウイチがまだ寝床でぼんやり水かげろうを眺めていると、呼び鈴が鳴った。宅配便だった。送り主は鴨志田だった。箱を開けると、緩衝材にくるまれたスマホと小型スピーカーとカメラが現れた。
「なんだ、これ?」
シュウイチがスマホに手をふれると、黒かった画面がパッと光り、Tortoise Recallというロゴが現れた。つづいて、「ハロー、シュウイチ! ウェルカム・トゥー・トータス・リコール」という女性の声がスピーカーから流れた。