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女に産土はいらない 三砂ちづる

女に産土はいらない

 産土、うぶすな、とは、ふるさとのことである。「女に産土はいらない」、タイトルにしたこの言葉は、もちろん、メタファーである。いや、メタファーというのは少し違うかもしれない。実際、すべての女に、ふるさとはある。自分の生まれたところ、は、どんな人にもあるわけで、ふるさとは生まれた土地のこと、あるいは育った土地のこと、あるいは、育まれた文化、というものだとすれば、もちろん、それらは女の数だけ存在する。存在はするが、ふるさとであるそこ、にこだわり、そこに残り、そこで自分の人生を展開するようには生きていかない、生きてこなかったのが、女、というものだ。不本意であっても、ふるさとを遠く離れても、あるいは隣の村であっても、どこに向かおうとも、そこで生活をたちあげ、子どもを産み、あるいは次世代を育て、愛情を注ぎ、逝った人を悼み、祈り、家族の場所を作るのが、女というものだ・・・だから、「女に産土はいらない」。彼女たちはどこにでも適応する。どこででも生きていける。

 とんでもないことだ、と言われそうな気がする。「女というものだ」ではなく、せめて「女というものだった」、と過去形でいうべきなのかもしれぬ。いまは、「女というものだ」などという言い方自体が、そもそもポリティカリーコレクトではないからだ。女が子どもを産むものだ、とか、女が家族の場所を作るものだ、とか、前時代的で、女性にその役割を押し付けている、と言われるからである。わかってはいるのだが、そのような現在のポリティカルコレクトネスに凌駕されつくされるべくもないのが、男と女、というものではあるまいか。

 永遠の課題なのだ。人間にとって。女とは何か。男とは何か。産むものである女。孕ませるものである男。そうしない例外があることになんら異論はないが、女は産み、男は孕ませることが続くことが、人類が絶えない、ということであるから、それは生物としての人間の限界であり、可能性である。「女というものは」という言い方も、ポリティカルコレクトネスを超えて、その人類の基本形に、やすやすと包含されてしまうのではないか。

 

 性とはグラデーションのようなものであり、男と女、というふうに、はっきりと線引きをすることができないというのが、現在の思想的な方向性である。性的指向と性自認には、まことにさまざまな組み合わせがある、と言われていて、流動的でもあることから、グラデーションのような性、と言われるのだ。女子大学にトランスジェンダーの学生を受け入れる、ということが2018年あたりから話題に上り始め、国立女子大をはじめとする幾つかの女子大がトランスジェンダー受け入れに実際に踏み出したが、性とはグラデーションのようなもの、であることを考えると、ことはそれほど簡単ではないように思われ、どこまで広がっていくのか、わからないと思う。「進歩的」でありたい女子大としては、トランスジェンダー学生受け入れは進めたいのだと思うが、「グラデーションとしての性」、つまりは、線を引けないからこそグラデーションというのだが、そのどこかでむりやり線をひかねばならないことをどう理解したら良いのだろうか。「男性として出生し、男性として性自認する人以外は全て受け入れる」と定義することは可能かもしれないが、性自認と性的指向は、ゆるぎないものではなく流動的であり、セクシャルマイノリティーには男女どちらにも性的指向がなく、自分自身の性を決められない、わからない、という人もいるのである。まことに「グラデーション」なのであり、そのような中で、女子大が誰を受け入れるのか、という議論は「どこで線を引くのか」という議論をすることになり、「どこで線を引くのか」というのは「どの人は女子大には入れないのか」ということと同義でもあり、本当の意味で開かれた大学になる、ということであれば、女子大はやめて、すべての人に門戸を開く、すなわち、「グラデーションとしての性」を大切にした、すべての人のための大学、つまりは、俗にいう「共学」の大学になっていくしかない。理論的につめればつめるほど、「女子大」をやめることこそがふさわしい、ということになるのではないのか。

 男子校、女子校、という男女別学の学校は、「グラデーションとしての性」という考え方があらわれるより、ずっとずっと前に作られた。男と女が二分されることに疑問がなく、二分されることを前提としてつくられた制度である。いわば、現在の思想状況とその結果としてのポリティカルコレクトネスには、どうやっても適合しない前世紀の遺物が、男女別学、なのである。前世紀の遺物であることはわかっているが、卒業生の多くは、その学校での別学教育の生活をなつかしく、よきものとしてとらえており、学校をささえる教職員の側も、男女別学に理念もあり、教育上の効果も十分に感じているから、ここまで続いてきたのである。ここは、前世紀のアナクロニズムと言われようが、「グラデーションとしての性」について教育は行い、知識は提供するとしても、女子校として存続したいのであれば入学資格要件を変更したり検討したりしないほうが、一貫した態度と理念を示せるであろう。おそらく。

 グラデーションとしての性、は、そういった方向性により、生きづらさが減少する人がもちろんいるから重要なのではあるが、そのグラデーションとなる部分の幅は、生物としての人間を考えると、あまり広くはならないような気がしている。両端である男と女、は、限りなく、色濃いものである。

 性のグラデーションや現在言われているダイバーシティは、思想による方向性であるが、生物の仲間、動物の一員としての人間を考えると、多様性、ということばは、現在言われているダイバーシティとは異なる意味を帯びている。単細胞生物から始まった生物の営みの果てにあり、多細胞生物として、長い長い時間をかけた有性生殖によって進化し、「多様性」を獲得してきた果てに、わたしたち人間がいる、というのが生物学的な理解であろう。  

 「男と女」という、かなり違う形になっていること自体が、「多様性」のあらわれなのである。2021年夏現在、世界は新型コロナウィルスによるパンデミックのさなかにあり、ウィルスとの共存、ウィルスに抵抗、などという言葉を日々聞くのであるが、そもそも、「男と女」、「オスとメス」すなわち「性の分化」、つまりは「有性生殖」ということは、ウィルスに対抗するための進化であった、と生物学者はいう[1]。もともとは単細胞だった生物どうしがくっついて多細胞生物が誕生し、多細胞生物は、そこからさらに構造が複雑な生物へと進化を繰り返していく。当初、生物は、自分自身をコピーすることで、すなわち「無性生殖」を繰り返すことで増えていたが、生物が高度になるにつれ、その細胞にとりついてエネルギーをもらいたいウィルスやバクテリアとよばれる寄生者があらわれてくる。宿主である生物には、こういった寄生者にエネルギーを吸い取られたら、増殖の効率が下がってしまうので、できるだけエネルギーを取られないように進化していく、という[2]

 生物が進化すると同じように、寄生者であるウィルスやバクテリアの方も、構造を変化させて、宿主の進化を突破しようする。(パンデミック最中の現在、こういうことは、随分リアリティのあることだと感じる。ウィルスの変異は、いかにも、早い。)つまり、宿主である生物よりも、寄生者の方が、構造が明らかに単純で、世代交代は早いのだ。宿主の方の進化は、追いつかなくなっていく。このように寄生する側の素早い変化、という絶え間無い環境変化に対抗すべく、宿主である生物が編み出した画期的な方法が「遺伝子を宿主間で交換する」という「有性生殖」だった、というのだ[3]。有性生殖は、卵と精子という二型の配偶子を持つようになり、それを生産するのに特化した個体として、メスとオスが生まれる。生物が複雑に進化するにつれて、メスとオスは、形態や機能において、その差異はどんどん大きくなる。高等生物である人間は、つまりはウィルスやバクテリアなどの寄生者に抵抗しようとする進化の果てに、有性生殖による「多様性」を獲得した形となり、メスとオスの分化が最も進んだ形をとったのである。男と女がかように異なるのは、まさに、ウィルスとの闘いの果て、の姿であるともいえるらしい。真ん中にグラデーション部分があろうとも、性の極北には男がおり、その反対には、女がいる。男と女は、異なる。「女というものだ」、という言い方は、そこでは許されるだろうか。

 

 話を戻そう。「女に産土はいらない」。

 民俗学者、赤坂憲雄は、山形のある村を訪ねて高齢女性の聞き取りをしていた時のことを語っている。「ふるさとってどこですか?」と何気なく聞いた赤坂に、聞かれた女性は魂が飛んで言ったように呆然としていた、という。女性たちは、大抵よその村や集落から知らない家に嫁いできて、自分の生まれ育った家族の場所を捨てることを強いられた。ふるさとを捨てろ、と言われて、別の見知らぬ家で子どもを産んで、育てた。男のように、生まれ育って死んで行く場所を当たり前のようにふるさと、と言えない女性たちの姿がある。そういうことに思いが至らないままに「ふるさとってどこですか」ということを、女性たちにきいてしまった自分を、無知と思い、質問ががさつだった、申し訳ない、という思いをもった、という[4]。唯一無二の仕事をして来た赤坂のことばは、真摯で、丁寧で、女性たちに寄り添って、やさしい。

 女たちは、確かに、強いられた。女たちは、おそらく、ふるさとを捨てろと言われた。女たちは不本意なところに行かされた、女たちは自分が望んだわけではない男と一緒になることになった、女たちは見知らぬ家で子どもを産んで育てた。世界中で起こっていたことで、いまだに、世界中で起こっていることであろうと思う。それがよいのだ、という気は、ない。それでは、よくない。それではよくない、と若い女性たちは思ったし、そのことに賛同する人も少なくなかった。それぞれがより「自由」に、自分の人生は自分で決められることを基礎にして、それぞれの人にそのように生きる権利があることを前提としているのが、近代社会なのである。女たちも勝手に生きられるほうがいい。行きたいところにさっさといってしまうのがいい、自分が選んだ自分が好きな男と暮らすのがよい、その男の子どもを産んで家族になるのが良い。それがいいと思ったし、それができないことはくやしかったし、自分の娘はそういうことができる方がいいと思ったから、世の中は少しずつ変わっていった。嫁ぐことや結婚、という「枠組みの解体」、がめざされていったのだ。

 1950年代末(昭和30年代)に生まれた私自身には、その枠組みの解体の鮮やかな記憶がある。母の世代も、祖母の世代も、「結婚」すること、結婚して家族を作ること、は生きていくことの大前提であり、「独身」を生涯貫く、というのは、よほどのことがない限り、立ち現れないことであった。男女の恋愛は、結婚のきっかけになることは否定されていなかったが、そのような「恋愛ごと」のような、どちらに転ぶかわからない予測もつかないことを結婚の条件にすれば結婚できない人の方が多くなることが誰にもわかっていたから、結婚はそのような個人の自由に任されていなかった。働き者であってもなくても、見目麗しくてもそうでなくても、背が高くても低くても、ある程度の年齢になれば、男も女も、周囲がそれこそ、たいへんなおせっかいをして、それなりの相手を見つけてきて、結婚していた。いや、させていた。若い人たちが、現在でも、「もっとひとりで自由にしていたいから」と簡単には結婚したがらないように、どんな時代もきっと、よほど好きな人がいるのではない限り、若い頃は結婚にそんなに乗り気ではなかったと思うが、そういう問題ではなく、枠組みがあるのだから、周りは有無を言わさず結婚させたのである。

 統計上もそれは明らかで、2019年の統計によると、50歳時の生涯未婚率は男性は24.2%、女性は14.9%である。50歳男性の四人に一人は一度も結婚したことがない。私の生まれた頃である1960年には、男性は1.3%、女性は1.9%で、つまりはほとんどの人は結婚していた[5]。結婚する、という「枠組み」が作り上げられており、機能していて、ほとんどの人に、性と生殖を前提とするパートナーの存在が保障されていた。性と生殖に本人はさほど乗り気ではないが、周りに言われて「いやいや」若いうちに結婚する、というストラテジーの立て方は、横暴だ、封建的だ、というのは簡単だが、なかなかのものであったように思う。現在、結婚が完全に個人の自由に任されると、結婚したいが相手が見つからない人は、結婚相談所に行ったり、ネットのサイトで探したりするのだが、「なんだか、もの欲しそうで、ちょっとつらい」と話しているのを聞くと、周りにアレンジされて、仕方なく結婚しました、というのは、悪くない解決の仕方だったのかもしれないと感じるが、枠組みはこわされたので、もう機能しない。

 団塊の世代の登場とともに、そのような「枠組み」は、音を立ててこわれた。私自身にとって団塊の世代とはほぼ10歳上のお兄さん、お姉さんだったので、彼らのやっていることを子どもの頃からつぶさにながめ、観察できる環境にあったし、また、彼らがこわしていった後の荒野を歩いていかなければならない世代だったのだから、忘れることもできないのである。彼らは親の言う通りに結婚することは嫌だ、といった。結婚前に性交渉してはいけない、と言うのも嫌だ、といった。全ての権威に反対することがやらねばならないことだと思っていて、大学紛争を担った。好きな人ができたら、同棲することもめずらしくない、と言うことを始めたのも彼らの時代で、今となっては、結婚する前に一緒に住んで結婚式の準備を一緒にする、と言うやり方もこの時代に端を発するのだ。かくして、「枠組みの解体」は進んだ。冒頭の「グラデーションとしての性」のありようも、これらの枠組みの解体の帰結していったところの一つでもある。

 

 さて、解体されていった枠組みは、ない方がよかったのか。枠組みを持って、さらに自由に生きる方法はなかったか。あるいは枠組みがあっても、そこを越えて遠く枠組みの外に幸いを見出すことはできなかったか。枠組みがあった頃の女たちは、みな不幸だったのか。枠組みがあっても、女というのは実にやすやすとその枠組みを越えて、自らの暮らしを生き抜いていた、というふうにみることはできないか。

 2004年から約10年、アフガニスタン女性教員の日本における研修に関わっていた。毎年10数名のアフガニスタン女性教員が数週間日本にやってきて、日本の女子大で研修をする。アフガニスタンなどイスラム圏の女性たちは抑圧されている、と、西洋社会や日本では思われているし、もちろん、社会的な活動や行動の自由に問題があるのだろうし、2021年8月、アメリカ軍撤退によるタリバン支配の広がりで、さらに混迷が深まりそうである。それは間違いない。

 しかし、長い時間かけて会ってきた数多の女性教員たちは「抑圧されている」ということを容易に感じさせない、実にたくましい人たちだった。日本の女子学生とさまざまに意見交換してもらったが、日本の学生たちが「結婚と仕事の両立に不安がある」といった話をすると、アフガニスタンの参加者たちから「私たちは、不安はないですね、結婚は、親が決めてくれるから、自分でリスクを取らなくていい。自分がやりたければ、仕事もできますし、女が稼いだお金は全部自分のものになります。生活費を稼ぐのは夫の役目だから。私たちにはあなたたちが心配しているような問題はない。日本で女性が仕事をするのは、大変そうですね」と逆に同情されていて、話が通じていなかった。イスラム教の女性たちの結束は堅そうで、彼女たちは助け合いながら「枠組み」を生きていた。イスラム教の女性たちはかわいそう、というステレオタイプな見方では見えてこない強さが感じられる。枠組みの中で生き延びることについて、学ぶべきは、こちらの方ではなかったのか。

 

 先の赤坂の「ふるさと」についてのことは、全く別のストーリーとして読み替えることもできる。ふるさとを聞かれて、当惑するほどに、今の生活に没頭している。没頭させられる、女というもの。どこにいっても生きていける女、というもの。それは、幾重にも不本意であろうとは思う。思いはするが、女たちは本当の意味で、強い。ふるさとについて聞かれれば、虚をつかれたようになるほど、ふるさとから離れて、それでも、生きていける。男たちは怖かっただろう。女が取られるのではないか。取られてしまえば、女は、取られていった先で、生活を立ててゆき、そこの人間になってしまうのだから。

 女はふるさとなしで生きていける。世界中どこでも生きていける。ふるさとを忘れても、生きていける。自分を恃みとする男や、幼い人や、年老いた人があり、その人たちが自分を必要とするから、自分の役割を得て、強くなっていける。どこででも生きていける、どこででも生き抜いてやる、そういう力を女性が得ていくことこそ、そちらに向けて強くなっていくこと、が本当のエンパワメント、ではないのだろうか。

 どこでも生きていくことができるのは、世界中どこにいっても、女同士は助け合えることを知っていたからである。経済的自立こそ女性のエンパワメントということでもよろしいが、それがないところでさえも、女性同士は、ずっと助け合って生きてきた。嫁姑の関係の悪さや、家父長制の中での女性の地位の低さ、など、前近代について語られるのは、否定的な話ばかりなのだが、実際には女性たちはもっとしたたかに生きられるのではないか。

 月経、妊娠、出産、赤ちゃん・・・世界中の女性はそれだけで連帯できる。そういう本質的に女性的なことで困っていたら、必ず、世界のどこにいても、周りの女性はあなたを放っておかない。必ず助けてくれる。月経の手当ては、いろいろあるが、地球の裏で全然言葉も通じないところで生理になって困っていたら、身振り手振りで説明したら、誰かが助けてくれる。急に衣服が汚れてしまったら、誰かが自分の服を脱いで隠してくれる。

 急にお産になったらどうしよう。そういう不安を持っている人は少なくない。妊娠している女性はおおよそ、そう思う。特に初めてのお産の時は不安でしょうがない。どこかで破水したらどうしよう、どこかで産気づいたらどうしよう。初めてのお産では、そうやって突然産気づくことは少なくて、むしろ、お産に時間がかかることの方が多いのだが。ともあれ、どこかで急にお産、ということになっても、そばに、女がいたら、必ず助けてくれる。助けて欲しい、と言えば、必ず誰かが助けてくれる。世界中でそうだと思う。

 女同士は助け合える。女は連帯できる。シスターフッドってこういう身体的なものとつながっている、と思う。いや、そんなことはない、誰も助けてくれない、妊娠出産する女性は日本では孤立している、と言われるのだけれど、実際に助けを求めてみれば、誰か助けてくれることを、本当は、女たちは知っていると思う。助けを求めてもいい、と、自分で思えていないところにこそ、深い哀しみと問題が横たわる。女に産土はいらない。どこででも助け合って生きていける。それなのに、女性たちが分断されている。分断は作られているのではないのか、と疑うところから、始められなければなるまい。

 

 

[1] 五箇公一「これからの時代を生き抜くための生物学入門」辰巳出版、2020年

[2] 五箇 前掲書

[3] 五箇 前掲書

[4] [対談] 中村佑子・赤坂憲雄 「失われた<女たちの連帯>を求めて」『すばる』2021年6月号

[5] 国立社会保障・人口問題研究所「人口統計資料集」2019年

 

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著者略歴

  1. 三砂ちづる

    1958年山口県生まれ。兵庫県西宮市で育つ。作家、疫学者。津田塾大学教授。著書に『オニババ化する女たち』『月の小屋』『不機嫌な夫婦』『女たちが、なにか、おかしい』『死にゆく人のかたわらで』など多数。

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