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スヴニール とりどりの肖像  佐々木健一

高取秀彰さん――ザ・レアリスト

 

まったく普通のひとなのに強烈に個性的、この取り合わせがすでに個性的だ。

 

高取さんには、証人としていちど言及している。第6回の「戦後派群像」のなかで、西井一志さんについてわたしの知らない事実を教えてもらったひととして、お名前を挙げた。わたしが大学に入った時点で、既に卒業しているはずの年齢だったから、わたしにとっては西井さんと同類のひとだった。そういう遠近感でメールのやり取りをしていると、そのことが高取さんにはまったく意味不明のことだったらしい。高取さんにとって西井さんはジェネレーションを異にする異人種で、ご自身はわたしなどと同世代と思ってらしたようだ(高取さんは、大学に入学する前すでに、劇研の重鎮だった西井さんに引き合わされ、「スカウト」されていた)。しばしの不審のときが過ぎ、ことの次第を理解された。もちろん、わたしのような後輩の目にご自身がどのように映っているかを発見され、驚かれたのだが、そうかと納得された。ご自身の目からわたしの目へと乗り換える、この柔軟性が高取秀彰というひとである。いろいろなところで、高取さんはこの《目の乗り換え》をして来られた。

 

高取さんにわたしは、東京大学戯曲研究会という学生演劇のサークルで出会った。やがて同じ高校の先輩であることを知り、距離感は縮まった。高取さんから教えられたことのなかで、何を措いても挙げるべきことがある。“Palaces and pyramids” の件だ。

 

不思議な魔女どもの予言のことばにたぶらかされて、忠臣マクベスは逆臣となり、王位を手に入れる。しかし、良心の痛みは精神を病み、その王権を内側から蝕むとともに、正義の軍勢に追い詰められてゆく。窮地に立ったかれは、再び魔女どものもとを訪れ、自身の行く先についての予言を求める(第4幕第1場)。どうでもこうでも自身の今後の成り行きについての予言を聞かせろ、と迫る。この「どうでもこうでも」のところは、《たとい世の破滅を対価とするものであっても》というすさまじい内容で9行に及ぶ。ご存じであろうが、行数を数えることができるのは、せりふが詩のかたちだからである。しかもこのマクベスのせりふはブランク・ヴァース(脚韻なしの詩)で書かれていて、魔女や直後に呼び出される幻影の語ることばが脚韻を踏んでいるのと対比されている。当然このコントラストは、マクベスの錯乱ぶりを映し出すもので、「どうでもこうでも」の長広舌を支えている。その切迫した心理は、脚韻を整えるという形式的配慮を許さないだろう。しかし、一体この違いは日本語に翻訳できるものだろうか。多くの邦訳があり、それぞれの訳者はそのことを承知していたに相違ないが、この違いは訳すべきものと考えられていただろうか。この《どうでもこうでも》の部分に “palaces and pyramids” という句が出てくる。少し長いが、この箇所を、われわれの読んでいた福田恆存訳で紹介しよう。

 

……その代り、風という風を解き放ち、教会をぶっ潰そうと勝手だ、さかまく怒濤に船をくつがえし、海底の藻くずと消してしまえ、穫入れまえの麦の穂を吹きとばし、立木もへし折ってしまうがいい、城壁を押倒し、衛兵を生き埋めにしろ、宮殿やピラミッドの頂も揺るがし傾けるがいい、ええい、どうとでもしろ、自然を豊かに実らす万物の種を、ことごとく地表にさらけだし、いかなる破滅の魔手も面をそむける荒廃が大地を蔽おうと、構いはせぬぞ、さ、おれの問いに答えてくれ。

 

われわれと書いたのは、上記の戯曲研究会のことだ。高取さんは、学生演劇の世界で、衆目の一致する名優だったが、「赤毛物」を拒む意思の点でも異色だった。せりふの翻訳臭、言い換えれば実感を欠くせりふを生理的に嫌ってのことだ。翻訳もののレパートリーのなかで、その高取さんが演じたいと思った稀な演目のひとつが『マクベス』だった。こういう大芝居になると、その様式的なつくりが無理を通した翻訳の技巧性を飲み込んでしまうものらしい。それでも高取さんは、この「宮殿やピラミッドの頂」につよく異を唱えた。曰く、《この palaces and pyramids は p の破裂音の繰り返しが破壊のすさまじさを描写しているので、「宮殿やピラミッド」とするのは意味がない》。このときわたしは大学2年生(多分同年の友人たちより知的に幼かった)、高取さんは6歳年長で、この年代での6年の違いは大きい。わたしが思ったのは、風変わりな理屈を弄するところ、やはり高取さんは変人だ、ということだった。どう訳せばかれは満足してくれたのだろうか*。またご自身はなんと訳そうとされたのか。

 

*思い立って、手近に入手できる翻訳を数点、参照してみた。面白くなり、以下のような寸感を書き残したくなった。目障りにお思いの方はこのパラグラフを飛ばして、次に進んでいただいてよい。――高取マクベスを上演したころ、福田訳は新しく、殆ど決定版の趣きがあった。今読みなおしてみて、その魅力の大元が簡潔さにあると気づいた。センテンス、と言うよりフレーズが短く発声の生理に適っている。七五調でもなければ、古語を使っているわけでもないのに格調があるのは、そのせいだ。そしてこの点は、後に現れたすべての翻訳に影響を与えたように思われる。ブランク・ヴァースの問題について一言しておくなら、これを反映させたとおぼしき訳は見当たらない。そこで、この箇所だが、これは翻訳上の小さな難所らしい(と言っても、難しいのは意味のうえのことで、音の効果の移し替えは論外である)。「宮殿とピラミッド」について、訳語に「ピラミッド」を使うのは今では少数派のようで、これを「尖塔」とするものが多い。これは辞書に載っている語義でもある(pyramidの原義は「角錐」)。その訳語の選択に関わる問題は、ピラミッドそのものよりも動詞にあり、その動詞の意味に「ピラミッド」は相応しくない、ということのようだ。一応、原文を示せば、次の如くである。 “Though palaces and pyramids do slope/Their heads to their foundations…” その動詞 slopeは、カタカナ書きの「スロープ」がそうであるように、「斜め」のイメージが強い。そこで「傾ける」のような訳が生まれるわけである。そう解すると、安定感のかたまりのような「ピラミッド」はそぐわない。たしかに「尖塔」なら、その頂きを傾けることもあるだろう。しかしこの訳は “to their foundations” をまったく反映していない。細かい詮索は差し控えるが、この点を反映させた訳としては、「宮殿もピラミッドも頂きが傾き/土台へとなだれ落ちようと、知ったことか」(松岡和子訳)というようなことになろう。錚々たるシェイクスピア学者たちを前に、さらに異を唱えるのは厚顔無恥というものだが、「斜め」のイメージを消すことが、ここの破壊の描写にふさわしいのではなかろうか。『オックスフォード英語辞典』で “slope”を引くと、動詞1の3つ目の用法(他動詞)として、「傾ける、曲げる」とともに “to direct downwards or obliquely”(下方へ、あるいは斜めに向ける) という語義が示され、この項の用例の最初に『マクベス』のこの箇所が挙げられている。この辞書がこれらの語義のなかのどれが『マクベス』におけるslopeの意味として適切と見なしていたかは分からない。しかし「下方に向ける」が可能であることは間違いあるまい。それは粉砕のイメージにぴったりで、「ピラミッド」はその破壊のすさまじさを示すのに適格となる。

もちろん、高取さんが問題としていたのは、このようなことではない。そこに戻るまえに翻訳のことで、もう一か所言及したいところがある(ごめんなさい、どうしても書きたくなってしまったのです)。冒頭に登場する魔女の有名な一句で(『ハムレット』の「あるかあらぬか」と同じくらい有名かもしれない)、坪内逍遥以来「きれいはきたない、きたないはきれい」というように訳されてきたせりふである(“Fair is foul, and foul is fair”)。だが、この日本語を聴いて、あるいは読んで、撞着語法であるという以外に何か意味を捉えることはできないだろう。呪文のような言葉なのでこんなものか、という受け止め方しかできない。しかし、木下順二(『《マクベス》をよむ』)が強調しているように、そのあと初めて登場するマクベスが、“So foul and fair a day I have never seen” と同じ語句を発するところが重要で、翻訳のうえでも相関させなければいけない。木下訳は、「輝く光は深い闇よ、深い闇は輝く光よ」(魔女)と、「闇になったと思うと輝く光が射しそめる。初めてだぞおれは、こういう日は」(マクベス)。わたしが感心し名訳と思ったのは安西徹雄訳で、魔女の「晴々しいなら 禍々しい、禍々しいなら 晴々しい」に対して、マクベスは「これほどにも晴々しく、これほどにも禍々しい日は、見たことがない」となっている。木下氏は言葉のつながりによって、マクベスが魔女の世界に取り込まれているような感じを観客に覚えさせる、ということを指摘していて、これも立派な読み方と思う。ただ、訳文そのものの意味は、そのときの天候のことに限定されているし、日本語の言い回しがしつこく、原文の簡潔さに遠い。さらに、「闇」と「光」が交替するようにして、撞着語法を合理化しているところも問題だ。それに対して安西さんの訳では、「晴々しい」が戦勝を指し、その戦勝が稀代の禍事の引き金を引くこと、そういう世のならいとも言うべき理法を捉えたことばとなっている。すなわち、撞着語法は修辞のレベルを突き抜けてこの作品の世界観を表現する域に達している。魔女の存在そのものがこの世界観の象徴だ。翻訳のもつ意味合いの射程は長い、こともある。

 

われわれが翻訳するのは、99パーセント、文意である。高取さんも、palaces and pyramidsという句が意味を欠いているとは言わない。しかし、言葉によって表現されるのは意味だけではない。この語句が表現しているのは、意味だけではなく、また意味以上に、破裂音の頭韻が与える殆ど生理的な効果だ、というのがかれの主張だ。これは詩的言語についての正統的な捉え方である。しかし、《だから詩は翻訳不能だ》というのが通説で、訳すべきは意味ではなく音の効果だ、という主張はきいたことがない。若かったわたしの覚えた不思議な感銘には、呆れたという思いが強かったが、長く記憶に残った。そして30年ほど経った後、「翻訳原論」という論文を書いた(季刊『文学』第3巻第1号、1992年)。そこでわたしが翻訳の原理としたのは「等価性」である。A言語において書かれた文の値を捉え、その値に相当する文をB言語において実現する、それが翻訳だ、という考えで、ときにその「値」は意味をはみ出し、語音の効果に支配されることもあるだろう。この構想が高取さんの教えに由来することは、わたし自身はっきりと自覚していた。――高取さんが近年になって作り上げたこのマクベスのせりふの訳を頂いた。上演台本として見事なせりふだが(ここに掲載することも考えたが、マクベスだらけになってしまうので思い止まった)、残念ながら「宮殿とピラミッド」の部分の音訳はなく、飛ばされていた。

 

この一件以上に、わたしが高取さんから受けた刺戟の最も大きなものは、理屈っぽさかもしれない。理屈の道といえば学問だが、ご当人は学問に関心を示されたことはない。この面では存外純朴な印象もある。翻訳にクレームをつけても、学問的な正確さの見地によるものではない(逆に、高取さんのような問題を提起する学者もいない)。何か別の関心による異議申し立てだった。その「何か」が高取秀彰というひとの核心をなすもののように思われるが、簡単には摑まえられない。

 

高取さんは中学のときから演劇になじみ、やがてのめり込んだ。大学ではスカウトされていた劇研に入ったものの、翻訳もの路線を嫌い、早稲田の劇団に移りたいと思われた。当時早稲田大学には100以上の劇団があると言われ、学生演劇界の覇者だった。早稲田で図学の教授をしてらした父君に、演劇科の教授だった河竹繁俊のもとに連れて行かれ、前進座に紹介してやると言われた。決断がつかずに、その話は沙汰やみになったとは、高取さんご自身の述懐だが、実現していたら、看板俳優になっていたかもしれない(もっともその場合には、わたしが高取さんに出会うこともなかった)。ときは「60年安保闘争」とそれにつづく政治の季節だった(ちなみに前進座は、当時、歌舞伎を主体としながら政治的急進派という不思議な団体だった)。われわれの戯曲研究会は「藝術派」だったが、そこに合流されるまえ、高取さんは「政治派」演劇研究会の舞台で主役を張ったりしていた。政治的メッセージがどうあれ、芝居として人間が描けていればそれでよいとの考えだった。「メッセージ」は表層のもので、the realはドラマそのもののなかにあるという洞察である。反「政治」としての「藝術派」というわけではないらしい。

 

前進座の話には乗り切れなかったが、俳優になることを真剣に考えていた。そんななか、大学卒業まえに、縁あってテレビの吹き替え(アテレコ)の演出家になった。外国の映画やアニメのせりふを日本語に置きかえる仕事だ。当時大学院生でありながら家庭をもったわたしは生活に困窮していた。そこで、高取さんは、その翻訳の仕事をくださった。『アルヴィン・ショー』というアメリカのアニメで(日本語のタイトルは忘れてしまった)、原作は、主人公のアルヴィンを中心とするシマリスの三人組コーラスグループで、その音声を早回しにしたところを売り物とし、子供向きのうたがたくさん含まれていた。わたしの仕事はフィルムを見ながら音声をダビングして、そのテープに合わせてせりふを翻訳することだが、一言ひとことの長さをフィルムのなかの人物たちの話す長さに合わせなければならない。1回目のとき、わたしは大失敗をした。ある夜(つまり収録の夜)、高取さんから電話がきて、せりふが大量に足りない、すぐに来い、と言われた。わけがわからなかったが、話すテンポを吹き替え流儀よりゆっくりめに取ったためにそれぞれのせりふが短くなってしまった、ということだった。それ以後、吹込みの本番に立ち会うことになった。録音は深夜に設定されていた。時間の制約がないというのが、高取さんの狙いだった。日本語版は早回しのような手の込んだことはできないので、アイドル歌手の走りだった青山ミチをアルヴィン役に充てていた。声優でもなければ俳優でもない。簡単なせりふを噛まずに言わせるために、23テイクとった、と高取さんは回顧している(この記憶力にも呆れる)。このようなNGの連発も、かれのゆったりした時間感覚の賜物だ。そして、吹き替えのせりふは字句の「翻訳」である必要はない、ストーリーの流れと、その場面の「絵」にぴったりはまっていることが、何より望ましい、ということを、この深夜の仕事で教えられた。これも等価性の原理を培った教えだ。

 

なぜ俳優にならないのか、という問いに、高取さんは「芝居では食えない」と答えられた。高取さんなら「食って」も十分お釣りがくる、と誰もが思ったはずだ――173センチの長身(特に舞台上ではもっと大きく見えた)、10キロくらいは平気で歩く健脚(ただし飛んだり跳ねたりは上手でない)、せりふ回しに格調のある美丈夫だった。今回、この肖像を書くうえで、いろいろお訊ねしているなかで、「食えない」というこの常識的な答えには含みがあることを知った。「食えて」いる俳優たちとて、舞台で十分な収入があるわけではなく、テレビやアテレコの仕事をたくさん得ることによって生計を立てるのが普通だった。アテレコの現場に現れるかれらは、多くの台本をかばんにつめ、それらの役を次々と器用にこなす忙しさだった。高取さんにとって、「芝居で食う」とはこういうことではない。1行のせりふでも、トーンやアクセントを変え、いろいろな可能性を試して、その場にふさわしく、相手役との呼吸を合わせられるひとつを探るのが、かれの快楽だった。かれが垣間見た俳優業の現実は、この欲求を満たしてくれるものとは思われない、高取さんはそう思った。

 

演戯だけではなかった。高取さんの血のなかには、また、造形意欲のDNAが流れている。父君が図学の教授だったことは右に触れたが、祖父は宮内庁付きのやまと絵師だったそうだ(昔なら宮廷画家)。設計図とやまと絵は不調和とも見えるが、多分、図学からは抽象化の視力と空間感覚を、やまと絵からは虫眼鏡で見るようなものの質感を、それぞれ受け継がれたと見るのは、牽強付会だろうか。造形活動の始めは仏像彫刻だ。お宅でその仏像を見せられた、遠い記憶がある。今回その次第を伺ったところ、浪人時代に「立体木彫というものはどうやれば作れるのか」と思い立ち、木材と格闘すること1ヶ月、ようやく完成させた、という。「見よう見まね」ではない。範とする仏師がいたわけではない。モデルとしたのは、古都で実見し、図版でも見ている古仏のかたち、すがただけである。木材からあのような像を取り出すには何をなすべきか、何が難しいのかを一から体得することが、問題だった。独学独歩の精神。この関心の持ちようは、芝居の役作りにも、戯曲の翻訳にも通じている。ことの核心を内側から身体的に理解することである。その核心こそ the realと呼ぶことができよう。

 

この制作体験が、卒業論文「飛鳥仏の考察」へと結実した。一気呵成に書き上げ、教授からも高く評価されたそうだ。それでも、小林忠さんとは異なり、学問として美術史を続けることはなかった(小林さんは同じグループからやはり美術史を専攻され、いまや日本美術史、とくに浮世絵研究の大家だ)。高取さんの知的関心は、作ることによって知ることだ(作ったものだけを知ることができる、と喝破したイタリアの哲学者、G・B・ヴィーコの思想を体現するものだ)。

 

この制作体験は、さらに、アテレコの仕事を辞めた高取さんの、その後の「本業」的なものへの道筋をつけた。すなわち、高取さんは爾来、主に造形職人、あるいは造形作家として活動してきている。これも縁あって、ディスプレイの制作会社に誘われたのがきっかけだ。最初の作品はオランウータンで、新宿駅地下通路のウィンドーのなかに設置され、通行人を驚かせる仕掛けだ。京王線の観光スポット、とくに多摩動物公園の宣伝用だったが、そこを通りかかった飼育課長が、園の保存していた剥製と思いこみ激怒した、というのが高取さんの自慢だ。凝りに凝る高取さんが、オランウータンの毛並みの再現に熱中した成果だ。これはまだ動かない対象の再現で、芝居の小道具造りやギリシア悲劇の仮面づくりの延長上にあり、細部のリアリズムという点でやまと絵風と言えないことはない。

 

高取風リアリズムへの飛躍の機会は、直ぐにやって来た。おなじ動物園がらみで、京王線の動物園線の宣伝用ディスプレイの注文を受けた。ウレタンフォームの質感が動物の皮膚に似ていると感じていた高取さんは、これであしかを造形し、中にモーターを仕込んで動かす「あしかの球回し」を発案した。動くあしかを作るため、高取さんは上野動物園に出かけて、得心のゆくまでじっと観察した。何を観察したのか。もちろんあしかの動きだが、得心がゆくほど理解するということは、その動きを内感することに相違ない。3方向の動きの成分とそのリズムを自分のからだの内側に再現することができるまで、高取さんはあしかを見つめ続けた。

 

こんな根気のあるひとは稀だろう。少なくともわたしにはできない。だから観察は雑になる。内感を得るための観察というのは、ものまねと似ている。天才的なものまね藝人なら、一挙に直観するかもしれないが、それをものとして作ることはできないだろう。高取さんはものまねを通り越し、生物をもののなかに再現しようとする。その課題の難しさそのものが、かれにはたまらない魅力であるらしい(これまた高取さんの自慢は、初老の女性がこのあしかを生きたほんものと取り違えたことだ)。その難しさの所以は、リアリティを捉えて、それを自らの手で現実化しようとするところにある。既に指摘したように、リアリティとは、単なる生き写しでもなければ実感でもなく、もののあり方の核心のことである。役者高取秀彰の役作りも、シェイクスピアのせりふについての異論も、同じ精神だ。作品として表現されているもの、俳優として実現すべきものがある。それを作り出すためには、字面の正確さに囚われず、作り替えてでもシェイクスピアが狙ったのと等価なものを実現しなければならない。この「とらわれのなさ」は、レアリストの重要な一面だ。かれは時を忘れて、あしかの動きを見つめ続けた。高取さんの家には時計もカレンダーもないのではなかろうか(それでも、待ち合わせや会合の約束をたがえたことがないのは驚きではある)。

 

この動く立体作品を高取さんは「動刻」と名づけ、恐竜のような展示物を制作してリースするという事業に携わり、相当な成果を挙げられたらしいが、経営面の成功を必ずしも伴わなかった。その間、高取さんはもうひとつの造形形式を発案された。「ネットアート」である。1枚の金属の網に手で凹凸をつけ、ひとの顔や女体などを造形するものだ。素材の特性をめでるところは、ウレタンフォームと同じだが、作品は「生き写し」のレベルを超え、藝術の域に達している。「俳句の表現の妙は,五七五の十七文字という制約を設定して初めて生じるもの」とは高取さんご自身の言葉で、立体的なものを敢えて1枚の金網で造形するという制約の妙へのこだわりを語っている(ホームページ)。その作品が、光の当て方で表情を変え、表と裏を反転させるなど、計画されなかった見え方への可能性を開いていることがその藝術性だが、それは余裕の効果であり、かつ制約の賜物に相違ない。簡潔で豊か、これがリアルということだ。

 

自由人である高取さんは、この間、『花太閤』というモノドラマを書いていた。造形するのと同じように、矯めつ眇めつ、推敲を愉しんでらしたに相違ない。多分、歌舞伎役者による上演を念頭においてらしたのだろう。かつて、戯研の仲間で、長らく博多座の支配人を務められた小坂弘治さんは、「一座は何十人もの役者を抱え、かれらを動かさなければならない。一人芝居はそこがむずかしい」と言いつつ、これを舞台に上げるみちを探ってらしたが、果たされなかった(ここでちょっとだけ脱線し、大町玄さんにも触れておきたい。高取さんは、『花太閤』の草稿についてこの2人の意見を求めたということだから、お許し願おう。小坂さんも大町さんも高取さんとほぼ同年、ともに戯曲の読解にすぐれ、見事な演出力を見せた。『マクベス』は大町演出だった。わたしは、この3人の長老大学生から多くを教えられた)。そこで『花太閤』は結局、新宿のミニシアターで、朗読劇として初演された。この芝居、栄華の絶頂において、それを誇示するように催された秀吉の醍醐の花見を題材としている。大祝宴のなかの主人公にモノローグを語らせ、それだけで一篇を構成する、という発想は、まさに制約の美学の実践だ。老境に入り、栄華を極めた権力者が、同時に、近づいてくる死の足音を聴く。その驕り、自負、不安、妄想、欺瞞が、エッジの効いたせりふに乗せ、咲き誇る桜を背景に紡がれてゆく。

 

この作品、多くの個性派の名優たちが演じるところを観たい。さまざまなアプローチや表現を誘う懐の深さがあると思う。学生時代、高取さんは空想キャスティングがお好きだった。思い出すのは、かれの興味がそれぞれの役者の力量というようなあいまいなものではなく、「味」や「柄」という個性的な面にあったことだ。そのためには技術的な弱点には目をつぶって(しかし、実は23テイク)、弱点の活かしどころを探してやる、そんな優しさが高取さんでもある。あの《目の乗り換え》と、ことを内側から体感しようとする創造的精神が、この優しさに通じている。

 

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著者略歴

  1. 佐々木健一

    1943年(昭和18年)、東京都生まれ。東京大学文学部卒業。同大学大学院人文科学研究科修了。東京大学文学部助手、埼玉大学助教授、東京大学文学部助教授、同大学大学院人文社会系研究科教授、日本大学文理学部教授を経て、東京大学名誉教授。美学会会長、国際美学連盟会長、日本18世紀学会代表幹事、国際哲学会連合(FISP)副会長を歴任。専攻、美学、フランス思想史。
    著書『せりふの構造』(講談社学術文庫、サントリー学芸賞)、『作品の哲学』(東京大学出版会)、『演出の時代』(春秋社)、『美学辞典』(東京大学出版会)、『エスニックの次元』(勁草書房)、『ミモザ幻想』(勁草書房)、『フランスを中心とする18世紀美学史の研究――ウァトーからモーツァルトへ』(岩波書店)、『タイトルの魔力』(中公新書)、『日本的感性』(中公新書)、『ディドロ『絵画論』の研究』(中央公論美術出版)、『論文ゼミナール』(東京大学出版会)、『美学への招待 増補版』(中公新書)、ほか。

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