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GEIDO試論 熊倉敬聡

GEIDOとしての経済へ(1)

 

文学と経済?

 

 今回は、個人的な回想から始めたい。私は、大学時代、経済学部に所属していた。しかし、積極的に経済学を勉強したいがために入ったのではなく、むしろ文学部に進みたかったが、親を説得しきれず(親は「文学で飯が食えるか」という思想の持ち主だった)、いわば仕方なしに(卒業単位数が一番少ないという打算的理由も重なり)経済学部に進んだのだった。

 数学が苦手だった私は、一般教育課程から専門教育課程に移る時、当然数式を駆使するような分野・ゼミを選ぶことなく、「社会思想」なる、ある意味曖昧な分野・ゼミを選んだ。当時は、ゼミに入る許可を得るために「入ゼミ論文」なるものを書かねばならず、私はいささか奇妙な題の論文――といっても、「レポート」に毛が生えた程度のものだが――、「二つのM」なる論文を提出した。「二つのM」とは、MarxとMallarméである。経済学部だから、「マルクス」は当然といえるが、なぜ「マラルメ」なのか。何を書いたか、内容はもうほとんど覚えていないが、おそらくは、当時いわゆる「ニュー・アカデミズム」の全盛期で、柄谷行人の『マルクスその可能性の中心』(1978年)が出版され、あるいは浅田彰が『構造と力』(1983年)に纏めることになる諸論考が『現代思想』などの雑誌に掲載されていた頃で、それらのテキストに触発されて、言語という「記号」と貨幣という「記号」を比較する、「記号学」的ないし「構造主義」的思考方法を取り入れ、マルクスの貨幣ないし商品についての考え方・理論と、マラルメの言語ないし詩についての思想とを、自分なりに比較して論じた文章だったと記憶している。

 それはまた、個人史的には、文学部に進みフランス文学を勉強したかった欲望を、経済学部の社会思想のゼミという「現実原則」に折りあわせ、しかしながら、その「折りあい」の内に何とか自分独自の思考方法(上記の「ニューアカ」的影響を受けながらも)を模索しようとした試みだったとも言えよう。以降私は、この、文学と経済の独自の「折りあい」を、理論的また実践的に様々に変奏していくこととなり、ついには本論においても、「GEIDOとしての経済」という、これまた奇妙な「折りあい」をつけようとしているのである。

 ところで、ゼミを出るときの論文、すなわち卒業論文は「価値形態論の論理的構造について」という題名だった。マルクス『資本論』の冒頭にある、難解でも有名な「商品」論、なかんずくその「価値形態」論の分析を試みた。このいたって「経済学部」的な――当時経済学部では一年生必修科目「経済原論」の一つとして「マルクス経済学」があった――題名・テーマの下に、実は私はまたもや「文学」を潜ませていた。分析の「方法」として。私は単に「価値形態」論を「経済学的」に分析しただけではなかった。私は、その分析に、文献学や文学研究でよく用いられる「テキスト批評(「本文(ほんもん)批評」ともいう)」の方法を援用したのだった。文献学における「テキスト批評」とは、いわゆるオリジナルなテキストたる「本文」(ないし「原典」)が何らかの理由で存在していない時に、それを元に書かれたと思しき複数の「異本(ヴァリアント)」を比較対照して研究することにより、不在の「本文」を可能な限り再構成しようとする方法である。それを文学研究に応用する場合には、主眼が本文の再構成というより、「完成稿」ないし「最終稿」とされるテキストに至るまで、それを「準備」する「異稿」が存在する場合、それらの「異稿」と「完成稿」を比較対照することによって、作品がどのようなプロセスを経てテキストとして生成されたかを(語彙から文体や構成に至るまで)分析する方法となる。私は、特にその文学作品研究におけるテキスト批評の方法を、マルクスの資本論、なかんずく「価値形態」論の分析に応用したのだった。というのも、実は、「価値形態」論には、「最終版」=「現行版」以前に二つの「異本」(「初版」のテキストとそれに付された解説的「付録」)があり、その三つのテキストをマルクスが書く過程で、価値形態、さらには「商品」、「貨幣」という経済(学)にとって枢要な構造的諸契機に関して決定的な「認識論的変動」が生じていたからだ。

 

われわれの問題としたいのは〔…〕、何故マルクスは、価値形態論のテキストを二度も書き変えねばならなかったのか、ということであり、さらには、この二度の書き変えによって、マルクスの言説にどのような認識論的変動が生じたか、ということである。この認識論的変動は、テキストの表層を追うかぎりでは、ほとんど気付かれることのないほどの微妙なものであるが、しかし、そこには、或る重大な謎――価値形態論に対する解釈を二分するような謎が、秘められているのであり、したがって、われわれは、能うかぎり、その微妙なずれに固執せねばならない。実際、マルクスの言説には、そのような謎に微かな光を放つ示唆的な表徴が、少なからず散りばめられているのだが、それらの表徴は、外見的には何ら周囲の言表と矛盾することなく、言説全体の秩序に取り込まれているために、その言説の表層的意味作用に幻惑されている視線にとっては、それらの表徴が表徴として識別されずに、見過ごされてしまうのである。また、たとえそれらの表徴が何らかの形で析出されたとしても、それらが言説全体といかなる関係を有するのかを正しく見定めないかぎり、逆に、それらの表徴を取り違えることによって、マルクスの言説全体を曲解してしまうという決定的な錯誤を犯すことになる。註1

 

 若書きゆえの生硬さが恥ずかしい限りだが、私はこうして、マルクスの価値形態論という「経済学的」テーマの分析に、「文学的」な方法を潜ませ、入ゼミ論文とはまた違った形で両者の「折りあい」をつけたのだった。

 そしてさらに、文学と経済の「折りあい」は続く。変奏されていく。

 

ステファヌ・マラルメの〈経済学〉

 

 私は、経済学部を卒業後、ようやく念願叶って(親をついに説得して)、大学院の文学研究科仏文学専攻の修士課程に入学した。そして半年ほどして、交換留学協定により(修士課程を修了していないにもかかわらず、受け入れ先のルーズな事務手続きが幸いして)パリ第3大学の博士課程(当時は「第三課程troisième cycle」と呼ばれていた)に入学した。私は、博士論文のテーマに(入ゼミ論文以来関心が深まっていた)マラルメを選ぼうとしていた。だが、パリ第3大学には当時マラルメの専門家がいなかったために、私は、『詩的言語の革命』註2でロートレアモンとともに、マラルメの「詩的言語」のみならず、通常「詩的」とはみなされない、詩人の晦渋で奇妙な晩年のテキスト群を、言語学、文学理論はもちろんのこと、哲学、精神分析学、経済学、人類学など、当時の人文科学の諸成果・諸理論を縦横無尽に駆使して分析・解釈してみせたジュリア・クリステヴァのいるパリ第7大学に編入学した。

 彼女自身、多忙をきわめ、指導する学生も手に余るほどであったため、私は、彼女の同僚で、文学的・思想的同志でもあったジャン=ルイ・ウードビーヌに直接の指導教授をお願いし、彼女には重要な局面での指導を仰ぐ次第となった。(最終の口頭審査の主査は彼女が務めた。)

 そして、私が選んだ論文のテーマは、事もあろうか「ステファヌ・マラルメの〈経済学〉」註3だった。

 先述したように、マラルメは晩年、いたって寡作の詩作品の他に、フランスの文学研究者が読んでも、極度の省略語法や哲学的に深度のありすぎる多数の暗喩などのために、読解そのものがいたって困難な、韻文とも散文ともつかない、奇怪なテキスト群(その多くが『ディヴァガシオン』註4〔「余談」という意味とともに「彷徨」という意味を持つ語〕という文集に収められる)を発表している。クリステヴァはまさに、詩作品とともに、それらのテキスト全体を初めて現代思想的に読解し、マラルメの、「詩人」としてだけでなく、一人の「革命」的な「思想家」としての歴史的・理論的重要性を鮮やかに描き出したのだった。私は、その業績を、ささやかながらも引き継ぎ、さらに独自に展開するつもりで、自らの研究に取り組んだ。でもなぜ、〈経済学〉なのか?

 これらの晦渋で奇怪なテキスト群を、私なりに読解していく過程で、これらのテキストのかなりの部分が、当然のことながら「詩」や「文学」あるいは「芸術」について書かれているのに対し、残りの部分が、(その特殊な難解さのために)判然とし難いながらも、どうやら「社会」、「政治」、「経済」問題について語っているらしい、ということが徐々に明らかになり、とりわけ「貨幣」というものが、「詩」との対比で、特別な位置を占めていることに気づいた。しかも、そのテキスト的分配(エコノミー)が、マラルメの有名な文言「すべては〈美学〉と〈経済学〉に要約される」註5とも奇妙に響きあっていた。がしかし、この「全体性」に関わる文言が、もう一つの、やはり「全体性」に関わる、同様に有名な文言「この世界において、すべては、一巻の書物に帰着するために存在する」註6と、(少なくとも表面的には)矛盾しているように感じられた。その矛盾=謎を解明するためにも、マラルメが経済、とりわけ貨幣についてどのように語り、どのように捉え、その語り、捉え方が、例えばクリステヴァが分析したように、あるいはそれ以上に、当時の(マルクスを含めた)貨幣理論さえ凌駕するような深度を宿していることを、私なりに明らかにしようとしたのだった。

 「マラルメの〈経済学〉」とは、畢竟、いかなるものなのか。それは、一言で言えば(少なくとも当時の理解では)、(貨幣を含めた)「記号(signe)」一般が再生産される時に作動する構造的な法則と権力を問い直す探究であり批評であったと言えよう。マラルメは、貨幣が重要な記号的産物であると見るにとどまらず、それが、記号全般の再生産を象徴するとりわけ重要な「兆候」とも見ていた。マラルメによれば、「古代の闘技場で発掘される鋳貨は、表に、穏やかな表情の顔を示し、裏には、粗暴な普遍的数字を示している。」註7フランス語の原文は、マラルメらしい省略が多い、「暗示」的な文なのだが、この文で言わんとしていることは、こうだ。――貨幣(鋳貨)の両面は、「記号」というものが人類の中で構造的に創設された時の「痕跡」をいまだに鮮やかにとどめている。裏面の「粗暴な普遍的数字」は、「記号」の、すべてのものを観念的に同質化しつつ差異化する構造的作用を象徴している。それに対し、表面の「穏やかな表情の顔」は、我々人類に「記号」を課した専制君主的権力を表す肖像に他ならない。こうして、マラルメにとって、貨幣は、記号全般の構造的再生産を象徴する典型的兆候であり、その「記号」には言語記号もまた含まれていた。だからこそ、詩人は例えば「詩の危機」というテキストにおいて、「文学」的でない言語――彼は「報道」(ルポルタージュ)の言語という――の在り方を「安易に何かを再現する通貨の機能」註8に喩えるのだ。換言するならば、マラルメの(言語記号も含めた)〈経済学〉とは、記号全般の貨幣的用法を問い直す批評であり探究なのに他ならない。

 では、この〈経済学〉に比した時、マラルメのいう〈詩〉ないし〈美学〉とはいかなるものなのか。マラルメにとって〈詩〉とは、記号の構造的再生産を可能にする法則・原理を内側から侵犯し横断し、それを危機に晒し、「消尽」する実践の謂いであり、〈美学〉とは、この〈詩〉的実践を理論づける学に他ならないのだ。

 マラルメの〈経済学〉、そして〈美学〉とは、「記号」をめぐる、人類学的事件の探究と批評の「両面」だと、とりあえずは言えよう。

 

IDEAL COPY――Channel: Exchange

 

 私は、7年に渡る留学生活を終え、1991年に帰国した。当時の日本は、バブル経済が「崩壊」し始めていた時期であったが、こと「文化」に関してはいまだ色とりどりの徒花が咲き乱れていた。「現代芸術」もまた、1980年代後半から90年代初頭のヨーロッパのそれの美学的・政治的「深刻さ」に比して――少なくとも当時のフランスでは爆弾テロも横行し、人種差別も激しく、人心が荒んでいた――、村上隆やヤノベケンジなど(日本版)「シミュレーショニズム」の作家たちの奇妙に「明るい」ポップさ、そしてダムタイプを筆頭として、関西を拠点としながらも国内外で洗練された美学と思想を「ハイテク」でパフォームする、その新鮮さなど、知性・感性を刺激する表現に満ちていた。

 そんな中、私はある奇妙なアーティスト集団に強い興味をもった。IDEAL COPYである。当時、東京・早稲田にあった「NWハウス」というギャラリーで、「Channel: S.P. 1988-1990」という彼らの展覧会が行われていた(1991年6〜7月)。展示としては、10個の黒いアタッシュケースが床に並べられているだけだったが、ケースは二泊三日レンタル可能で、その中には彼らのこれまでのプロジェクトにまつわる様々なアイテムが収められているということだった。早速、私はレンタルし、自宅に持ち帰り、ケースを開いた。中には、謎めいた「グッズ」が詰め込まれていて、私はそれらを一つずつ開封し、「鑑賞」していったのだった…。

 彼らの活動の綱領は、以下のステートメントとして表されていた。

 

IDEAL COPY は現代美術を背景に活動するクリエイティブ・プロジェクトとして一九八八年に結成された。
アーチストは「作品」と「社会システム」の中に存在する。
IDEAL COPY は現代社会の創作物である様々な「社会のシステム」をターゲットに既存のアートの枠組みを超えた活動を展開している。
IDEAL COPY はメディアを通してワールドワイドな展開の可能性を追求していく。

 

 文字通り、当時の「メディア」(「使い捨てカメラ」から「フロッピーディスク」まで)を駆使して、彼らは様々な「社会システム」に寄生しつつ、その特異な仕掛け(彼らは「Channel」と呼ぶ)を散種していた。

 ところで、「謎めいて」いるのは、グッズやプロジェクトだけではない。このグループの構成メンバーもまた「匿名」で、アイデンティティが一切明かされていないのだ。

 私は、その作品・作家双方の「謎」に魅惑され、いつのまにか、彼らの活動に関して論文を書きたくなり、その匿名のメンバーにコンタクトし、インタビューを試みることになった註9

 彼らもまた、「関西」を拠点としていたので、私は大阪のある場所まで赴き、長時間に渡ってインタビューを行った。その話の途上、現在進行中のプロジェクトの話題になったが、彼らは今「お金」に関する企画を練りつつあると言う。私は、自分の、フランスでの博士論文「ステファヌ・マラルメの〈経済学〉」について語った。彼らと私の間で、〈美学〉と〈経済学〉が交錯していった…。

 

IDEAL COPYは「両替所」を開設する。
IDEAL COPYは広く一般に呼びかけ、個人が所有する外国硬貨をIDEAL COPY コインと交換する。IDEAL COPYコインは、1 IC / 10 IC / 100 ICの三種類がある。
交換レートは、外国硬貨1グラム=1ICである。
このように交換された外国硬貨は、オブジェとして会場に展示される。
このプロジェクトは、地球上のすべての外国硬貨がIDEAL COPYコインに交換されるまで継続される。すべては〈美学〉と〈経済学〉に要約される(ステファヌ・マラルメ)。

 

 プロジェクトは「Channel: Exchange」と名づけられ、初回の展覧会と「両替」が、1993年3月から5月にかけて、東京の原美術館で行われた。その後も、日本各地、さらにはカナダ、フランス、スロベニアなどでも行われ、そしてこの原稿を書いている(2021年1月16日)翌週にも、京都市京セラ美術館で開催されるグループ展『うたかたと瓦礫(デブリ)』(監修:椹木野衣)でも展示と両替が行われる予定だ。

Channel: Exchange, Kyoto
Exchange Bureau
元龍池小学校(京都), 1995
撮影: 高嶋清俊

Channel: Exchange, Tokyo
Installation View
原美術館(東京), 1993
撮影: 三橋純

 

 展覧会場で「両替」される外国硬貨とIDEAL COPYコイン。前者が〈経済学〉に属し、後者が〈美学〉に属する――と、常識的な「経済学」と「美学」の視線には見てとられよう。でも、本当にそう言い切れるだろうか。外国硬貨は、貨幣でありながら、紙幣と違い、両替所に持っていっても、自国の通貨に両替できない。それは、だから、貨幣でありながらも、いわば貨幣性を宙吊りにし休止している状態。一方、「芸術作品」と目されるIDEAL COPYコインは、貨幣(それが「休止」状態とはいえ)と交換されるがゆえに、その貨幣と「等価」な価値をもつ「作品」=「商品」である、と同時に「コイン」でもある。はたして、この「両替所」では、何と何が「両替=交換」されているのか?ここでは、〈美学〉と〈経済学〉が目まぐるしく交錯する…。

 「マラルメの〈経済学〉」は、こうして、20世紀末から21世紀初頭にかけての芸術実践にまでその余波を及ぼしている。

 

貨幣とは何か?

 

 ところで私は、「マラルメの〈経済学〉」を解明する途上で、当然のことながら、貨幣とは何か?を根本的に考えざるをえなかった。経済学部で勉強したとはいえ、マルクスなどの「社会思想」的な経済学にしか興味を抱かず、他の経済理論などそれこそ教科書程度にしか学ばなかった私にとって、この、経済学にとっての最も根源的な問題に関する予備知識は皆無に近かった。その上、この「根源的問題」について深く考えれば考えるほど、そして、この問題を究明しようとした歴代の経済学者たちの諸説を知れば知るほど、貨幣は、ますます嘲笑うかのように素顔を隠してしまい、歯痒い思いだけが募っていく。だが、それでも、昼夜を問わず(日によっては夢の中でも)この問題を考え抜いていくと、本当に少しずつだが、厚い靄が薄くなっていき、所々透けて見えてくるように、貨幣の顔なき顔が垣間見えてきて、しまいには、これこそ素顔なき素顔かと思えるものを捉えるに至った。その把捉までの行程を、博士論文では、マラルメの、「素顔」を射抜く省略的暗喩力に導かれながら描ききり、帰国した直後に、さらにそれを日本語に訳しつつ練磨し註10、さらにそのエッセンスを拙著『瞑想とギフトエコノミー』註11の第三・第四章に再録した。したがって、ここでは、あくまで「GEIDOとしての経済」を論じる上で必要な、さらなるエッセンスのみを抽出して、事足れりとしたい。

 貨幣とは何か。別言すれば、貨幣を貨幣として成り立たせているものは何か。貨幣の「価値」を根拠づけているものは何か。私は先に、マラルメにとって、貨幣とは「記号全般の構造的再生産を象徴する典型的兆候」であると述べたが、それをもう少し詳らかにしよう。

 例えばマルクスは、貨幣が貨幣であること、貨幣の価値の根拠を、金貨が金であること、すなわち(純金の)金貨の価値がその物理的定在=金属としての金の重量と一致すること、金=金であることに求める。そして、時間とともにその純金の貨幣が使われ摩滅していく、あるいは歴史とともに「悪鋳」(純金属が抜かれ卑金属が混ぜられ鋳直されること)されていくことで、金貨の額面価値と実質価値が乖離する、その乖離した部分を、貨幣の「観念化」された部分、つまり貨幣の「記号」ないし「象徴」と見た。そして、その貨幣の「象徴・記号」化が限界的に進んだ貨幣こそ、(物理的な実質価値が限りなくゼロに近い)紙幣、すなわち「価値記号」だと言う註12

 たしかに、マルクスが言うように、貨幣の鋳造の歴史とは、ある意味「悪鋳」の歴史であった。紀元前7世紀に小アジアのリディア王国で最初のエレクトロン(天然白金)による鋳貨が誕生して以来、貨幣を鋳造する権利を独占する歴代の国王・領主たちは、ことあるごとに卑金属を混ぜ続け、少しでも多くの貴金属を手中に収めようとした(こうして国王・領主たちが得る利益は「貨幣鋳造特権(seigniorage)」と呼ばれた)。一方、それを日々の経済生活で用いる民衆は、自分の手の内にある鋳貨の中にいったいどれだけの割合で貴金属と卑金属があるのか知る由もない。彼らは、ただその肖像が刻印されている国王や領主の保証を信じて、その裏面に記された数字を、その貨幣の「価値」として信じて使い続けるしかない。ここには、だから、貨幣を間に挟んで、国王・領主と民衆との間に決定的な認識の視線の不均衡がある。鋳貨の純分を見透せるのは唯一それを鋳造する国王・領主のみであり、彼らはいわばこの視線の不均衡を搾取して、自らの「貨幣鋳造特権」をせしめるのである。

 民衆にとっては、貨幣の価値は全面的に「観念的」なもの、国王・領主にとっては、貴金属の物理的量、というこのような視点に立てば、マルクスの貨幣の「記号」論、その根拠であった「金=金」は、だから民衆にとっても国王・領主にとっても「正しい」ように見える。だが、はたして本当に「正しい」のだろうか。

 私は先に、史上最初の鋳貨は、紀元前7世紀リディア王国で誕生したと述べた。そして、それが天然白金(エレクトロン)であることを指摘した。ところで、この天然白金の純分、すなわち金銀の含有量はなんとアルキメデス(紀元前287-212年)が発見するまで知られていなかったのだ!註13 つまり、国王にしたところで、いったい自分の手中にある天然白金の内にどれだけの分量の金と銀があるのか知る由もなかったのだ。だから、先の民衆にとってと同様、実は国王にとっても貨幣の価値は、(マルクスの言うように)「金=金」という物質的定在・量ではなく、全面的に「観念的」なものだったと言える。

 では、国王にとっても民衆にとっても全面的に「観念的」な貨幣の価値を根拠づけるものは、いったい“何”だったのか。それこそ、「肖像」の刻印、マラルメの云う「穏やかな表情の顔」なのに他ならない。貨幣を貨幣として・・・用いる者は誰であろうと、この「穏やかな表情の顔」が表す背後の超越的な権力を「信じて」、貨幣を貨幣として用いる。その貨幣には、裏面に刻まれた「粗暴な普遍的数字」だけの価値があるものとして・・・用いるのだ。

 ところで、貨幣を貨幣たらしめる、この「穏やかな表情の顔」とは、いったい“誰”の顔なのだろうか。マラルメは、亡き友、詩人のヴィリエ・ド・リラダンに捧げた講演でこう語る。彼は、この詩人を尊敬しつつも、こうした「短所」があったと言う。

 

この形而上学者〔ヴィリエ・ド・リラダン〕の短所は、元気な頃でも〔…〕歴史的な合成物=合金と、たとえば正しい詩的材料を区別できなかったことにあります。また、ただ独りで思索に耽っていたために、実際紋章に飾られた自分の高貴な生まれともう一つの比類なき権力とを区別することもできなかったのです。それにまた、彼は光輝が山積みになるよう欲していましたが、そこから貨幣を排除することもしなかったのです。(もちろん、貨幣とは、名もなき王たちの肖像が刻まれていたり、また大奥でまったく歳をとることもなかった女帝たちの横顔が消えかかっていたりするものですが、それだけでなく、不正な取引をしたり、人を欺いたりするのに恰好な硬貨でもあるのです。)註14

 

 そう、リラダンの短所は、詩の「光輝」と貨幣のそれを区別できなかったこと、「詩的材料」と「歴史的な合成物=合金」(!)を区別できなかったことにある、とマラルメは言う。さらに彼は、その「歴史的合成物=合金」の上に刻まれている「顔」が、「名もなき王たち」の、あるいは「大奥でまったく歳をとることもなかった女帝たち」の「顔」だと言うのだ。マラルメは、わざわざ( )まで付して、何が言いたいのだろうか。具体的な貨幣にはもちろん、しかじかの歴史的に実在した王や女帝たちの顔が刻まれている。確かに、その貨幣を用いる者たちは、その実在する王や女帝たちの権力を信じて、貨幣を貨幣として用いているのかもしれない。しかし、マラルメは、貨幣を貨幣として根拠づける権力は、そうした具体的な権力者のそれではなく、非人格的で(「名もなき」)、超歴史的で(「まったく歳をとることもなかった」)、しかも人間の無意識の深奥(「大奥で」)から超越的な力を及ぼし続けている、(現代思想的に言えば)例えばドゥルーズ&ガタリの言う〈原国家〉の権力なのではないかと示唆しているのだ。ドゥルーズ&ガタリは言う。

 

〔…〕根源的な専制君主国家〔=〈原国家〉〕は、他の切断とは性格を異にする切断である。〔…〕それで、マルクス主義では、どうしていいかわからないのだ。その切断は、あの有名な五段階説、つまり原始共同制、古代ポリス制、封建制、資本主義制、社会主義制の中に入らない。それは、他の組織体とは性格を異にする組織体であり、また、組織体から組織体への移行過程でもない。まるで、それは、自らが切断するものに対して、また自らが再切断するものに対して、奥まって・・・・いるようで・・・・・、社会の物質的進化に対してさらに付け加わるもう一つ別な次元、頭脳的・・・観念性・・・、ないしは諸部分や流れを一つの全体に組織する規制理念あるいは反省原理(テロル)であるかのようだ。〔…〕〈原国家〉は、前からあるものをさらに切断する、が、後に来る様々な国家をも再切断する。そこでもまた、〈原国家〉はある別な次元に属する抽象体、いつも・・・奥まって・・・・いて、・・・潜在的で・・・・あるような・・・・・抽象体・・・のごときものであるが、またそれは、奥まっていて潜在的であるだけに、後に来る様々な国家の中に見事に舞い戻り、自らをその中に具現するのである。註15

 

 そう、「歴史的合成物=合金」に刻印された「名もなき王たちの肖像」、「大奥でまったく歳をとることもなかった女帝たちの横顔」とは、この〈原国家〉の刻印、「顔」なのではないだろうか。貨幣を貨幣たらしめている根拠なき根拠とは、この「いつも奥まっていて、潜在的であるような抽象体」、様々な歴史的な国家を再切断しにやってくる超歴史的な「頭脳的観念性」、すなわち〈原国家〉の権力なのではないか。

 マラルメは、まさにこの〈原国家〉を、全能の「金」に擬して、こう語る。

 

金は、今や、人類を真上から打っている。まるで、その太古からの日の出が、人間にあって、懐疑というものを、至高の非人格的権力で、もしくは人間の盲目的な平均で抑圧してしまったかのように、金の軌道は全能へと向かっていく――ただ一つ、輝き、今や正午の絶頂へと届かんとしている。

それだけでない――たちまち粗暴な輝きに負け、自ら臣下だと認めた者には、金は、公正に、現金で支払うのだ。註16

 

 そう、この〈金=原国家〉は、「太古」だけでなく、「今や正午の絶頂へと届かんとしている」のだ。人類史上(今や紙ですらなく、電子の流れと化し、「顔」すら消えているが)これだけ社会に、世界に、そして人々の心の襞の内奥にまで、貨幣が蔓延っているからこそ(「顔」は今や心に刻まれている)、ますますその「粗暴な輝きに負け、自ら臣下だと認めた者」が、この地球上でいや増しているからこそ、〈金=原国家〉は、「全能へと向かって」、その「至高の非人格的権力」を振るわんとしているのだ。まことに「金は、今や、人類を真上から打っている。」

 

資本とは何か?

 

 マラルメは、文字通り「金」というテキストを書いている。その初稿は、「雑報」という別の題で、「パナマ事件」という19世紀末のフランス全土を揺るがした大疑獄事件をめぐり書かれたものだ。

 パナマ事件は、スエズ運河の立役者(当時「偉大なるフランス人」と呼ばれもした)フェルディナン・ド・レセップス(1805-94)が、高齢にもかかわらず1879年、パナマ運河の計画に乗り出し、その資金集めに政界の大物たちに贈賄し、それが新聞によって暴露され、一大スキャンダルへと発展した事件だ。

 控訴院でレセップスらに判決が下された直後、マラルメは、そのほとんどが一般庶民から集められた総額10億4340万フランものカネが、雲散霧消してしまった情景について、次のように書く。

 

詩人が、巷の議論とは無縁なところへと抽き出し、密かに保つことのできるいくつかの真理――折りをみて、輝かしく生まれ変わらせようと思いを凝らしているいくつかの真理を別にすれば、このパナマの倒産劇の中で目立って気を引くものは何もなかった。落日の夢幻劇、ただ雲のみが(そして己の与り知らぬところで人類が己の夢から雲に委ねたであろうものが)崩れ落ち、溶け出す宝は流れ広がり、地平線を黄金に染める。それは、何億あるいはそれ以上もの金のさもありなんという光景だ。裁判の間、論告や見事な弁護の中で同様の金額が次々と挙げられたが、私にはとてもそんな金額がこの世に存在するとは思えぬ。ところが、まさにこの金は存在する、しかもいたるところにあるのだ!が、まさにある事情で、数字は大げさになるばかりでこの金をうまく表すことができない。誰も好き好んで事情をわかろうともしなかった。私とて、それを説明したくとも役立たずだ。ただ意味深長だと思うのは、金が増えれば増えるほど、ということは普通の人間にとってみればありもしない額に近づけば近づくほど、その金はより多くの0で書き表されるということだ。まるで、その金額がほとんど無だとでもいうかのように。註17

 

 マラルメは、ここで実は、「資本」の真実、素顔なき素顔に触れようとしている。言葉ではいたって表現しにくい実体なき実体を、互いに矛盾するかのような言い回しの合間から暗示しようとしている。それは「この世に存在するとは思えぬ」ながらも「いたるところにある」、「金が増えれば増えるほど」「その金はより多くの0で書き表される」、「ほとんど無だとでもいうかのように」。この遍在するほとんど無なるものこそ、「資本」の真実、素顔なき素顔なのだ。マラルメはさらに問う。「今世紀最大の利権のかかった論議〔パナマ事件の裁判〕が暴きだしたこの光輝の欠如は、いったい何を秘め隠しているのだろうか」註18と。

 私は先に、肖像の刻印、「穏やかな表情の顔」こそ、貨幣を貨幣たらしめている根拠であると述べた。そして、歴代の君主・国王たちは、その肖像の刻印がもたらす、貨幣をめぐる民衆との「視線の不均衡」を搾取する形で、「貨幣鋳造特権」なる利益を得てきた様を見た。

 ところで、この権力者だけが得る利益は、彼が鋳造し直し、民衆たちが現実の経済活動で用いる総貨幣価値量から「剰余」する価値であるがゆえに、経済学用語でいう「剰余価値」にあたるものだ。周知のように、資本主義は、この剰余価値が経済システムの中でいわば「自己増殖」するかのように極大化することを目指すが、その萌芽がある意味で、この権力者による「貨幣鋳造特権」の内にすでに胚胎しているということができよう。しかし他方で、それはあくまで資本の萌芽、潜在態であるにとどまり、いまだ十全に「資本」としてその可能性を展開していない状態とも言える。換言すれば、剰余価値は、元来貨幣に内在するものだが、いわゆる資本主義、特に近代的生産過程とともに発展し、それを絶えず自らの信用貨幣で潤しつづけた近代的銀行システムが、その剰余価値の創造を飛躍的に膨張させるのである。この貨幣から資本への展開、その剰余価値の飛躍的創造はどのように起こるのか。順を追って説明していこう。

 まず、貨幣は「鋳貨」という形態をとっている限り、価値の創造を無限に行うことができない。貴金属の物理的定在に內的に結ばれている鋳貨は、額面価値と実質価値との差を際限なく搾取することができない。なぜなら、肖像の刻印がいくら貨幣を根拠づけるといっても、目に明らかなほどの(ということは「剰余価値」分が見透せるほどの)貴金属純分の低下は、民衆に貨幣への信用を失わせ、鋳貨の貨幣性そのものを危機に陥れることになるからだ。その上、鋳造に利用できる貴金属の絶対量は、新たな鉱脈の発見か他所の財宝の略奪によるのでもない限り、飛躍的に増加することもない。ところが、ヨーロッパ中世は、商業活動が異常に活性化していくのに対して、鋳貨の供給量が大きく停滞していた。そこで、この鋳貨の相対的不足を補う何らかの代用物が必要とされたのだ。それが「商業信用」に他ならなかった。

 ヨーロッパ中世において、商業信用の中でも特に重要な役割を果たしたのが、「為替手形」である。それが、中世の国際的商業、より正確に言えば、定期市間の商業を可能にした。歴史家フェルナン・ブローデルも言うように、この為替手形こそが「狭小なヨーロッパ大陸に、非常に早くから――シャンパーニュ地方で定期市が開催されるようになった頃から――『世界』経済を打ち立てた」註19のだ。

 為替手形に関して、ここで私が注目したいのは、この、ブローデルの表現による「擬似貨幣」が、単なる貨幣の代用物ではなく、貨幣における「剰余価値」の生産に寄与するか否か、さらにはこれが貨幣の歴史的に新しい形態なのかどうか、ということだ。確かに、為替手形は、中世の商取引における支払いの大部分を、最後の瞬間まで「現金」(=鋳貨)の介入なしに実現した。ブローデルは語る。

 

ヨーロッパの中心的な定期市であった頃、つまり1539年まで、いや1579年までであるが、リヨンには、年四回の手形決済日になると、ヨーロッパ中から為替手形が押し寄せた。これらの手形は、実に、互いに相殺しあうのである。一枚の手形が一つの債務を消す…。リヨンの歴史家であるクロード・ド・リュビ (1533-1618)は、ある午前中だけで、百万件もの債務が、1スーたりとも現金を介入させることなく相殺されるのを見て驚きの声をあげている。註20

 

 鋳貨の機能的そして時間的「延長」として、為替手形は確かにある意味で貨幣性を帯びている。しかし、それは常に「支払期限」をもつ、ということは、それは常に、たとえ裏書きによって一時的に引き延ばされるとしても、時間的に制限された貨幣なのだ。為替手形は一時的な貨幣である。それは、あくまで貨幣の「延長」であって、新たな貨幣の「創造」ではない。なぜなら、「創造」とは、この「延長」、この「遅延」を、一時的ではなく、限りなく引き延ばすことにあるのだから。

 ところで、「銀行信用」とともに、事情は一変する。貴金属の預金証書から発展した銀行券もまた、確かに、貨幣を「延長」していると言える。兌換券である限り、銀行券は原則的にはいつでも相当の貴金属に変換することができる。しかし、現実的には、そして歴史的には、このような兌換は、戦争や政治的混乱といった例外的状況を除いて、次第に行われなくなっていく。こうして、貴金属への変換は限りなく引き延ばされていき、銀行券の発行量は、変換されるべき貴金属の量を大幅に上回り、ついにはほとんど自律化し、不換紙幣、すなわち金への変換を実際に行わない貨幣にまでいたる。紙幣は、金の物理量という制約から離れ、 理論的には無限に創造できるようになる。そして、金は、銀行の金庫の闇の中へとますます 引きこもっていく…。

 このようにして、金の退隠につれて、社会には、銀行券ないしは預金通貨の形で、「創造された」貨幣のみが流通し、膨張していく。それはまるで、金への遅延だけが、金への不透過だけが横溢するかのよう。この金の退隠に伴った「光輝の欠如」の遍在こそ、パナマ事件の起こった19世紀末フランスにおける貨幣の状況に他ならなかった。そして以降、もちろんフランスのみならず、全世界を覆い尽くし、我々の実存の奥深くにまで沁み渡っている、「ほとんど無」だが、「全能」でもある「資本」なのに他ならない。

 

 

註1 熊倉敬聡「価値形態論の論理的構造について」、慶應義塾大学経済学部卒業論文、1984年、26-29頁。

註2 ジュリア・クリステヴァ『詩的言語の革命 第一部 理論的前提』、原田邦夫訳、勁草書房、1991年。『詩的言語の革命 第3部 国家と秘儀』、枝川昌雄、松島征、原田邦夫訳、勁草書房、2000年。(なお、第2部は近刊。)

註3  Takaaki Kumakura, L’ « économie politique » chez Stéphane Mallarmé, 1991, Université Paris 7.

註4 『マラルメ全集Ⅱ ディヴァガシオン他』、筑摩書房、1989年。

註5 ステファヌ・マラルメ「音楽と文芸」、清水徹訳、同書、542頁。

註6 ステファヌ・マラルメ「書物、精神の楽器」、松室三郎訳、同書、263頁。

註7 ステファヌ・マラルメ「宮廷」、同書、341頁。(ただし引用文は拙訳。)

註8 ステファヌ・マラルメ「詩の危機」、同書、242頁。(ただし引用文は拙訳。)

註9 熊倉敬聡「芸術と資本主義 ⑴――IDEAL COPY」、『慶應義塾大学日吉紀要 フランス語フランス文学』、16号、1993年、89-111頁。「芸術と資本主義 ⑵――IDEAL COPY ⑵」、同紀要、18号、1994年、129-158頁。両論文は、加筆修正され、熊倉敬聡『脱芸術/脱資本主義論』(慶應義塾大学出版会、2000年)に収録。

註10 熊倉敬聡「芸術と資本主義 (2)――マラルメと貨幣 (1)」、『慶應義塾大学日吉紀要 言語・文化・コミュニケーション』第13号、1994年、7-24頁。ならびに「芸術と資本主義(2)――マラルメと貨幣 (2)」、『慶應義塾大学日吉紀要 フランス語フランス文学」第19号、 1994年、80-104頁。

註11 熊倉敬聡『瞑想とギフトエコノミー』、サンガ、2014年。

註12 カール・マルクス『経済学批判』武田隆夫他訳、岩波書店、1956年、135-157頁。マルクス『資本論(1)』岡崎次郎訳、大月書店、1972年、221-229頁。なお、私たちは、Zeichenというドイツ語に、これら邦訳の「表章」「章標」ではなく、より一般的な「記号」という訳語を用いる。

註13 「コインの種類が多岐にわたっていることが〔両替における〕一つの障害となる〔…〕。 この障害は、〔鋳貨に〕使用されている金属によってその程度が様々であった。青銅貨は、 地域の小規模な売買に使われていたために、問題とはならなかった。銀貨、金貨には、ゆっ くりと変化はするが、きちんと決まった昔からのレートがあり、両替商はその重さや純分を確かめることができた。〔…〕唯一、金と銀の合金、すなわち白金=エレクトロンだけが、その純分を確かめるわけにはいかなかった。たとえば、小アジアのキジコスのエレクトロン 製スタテル貨は、天然合金から鋳造されようが、人工合金から鋳造されようが、アルキメデ スがその金銀の割合を発見するまで純分を検定することができなかったので、慣用的な価値で流通していた。」(Moses I. Finley, L'économie antique, traduit de l'anglais par Max Peter Higgs, Paris, Minuit, 1975, p.223. 拙訳。)

註14 マラルメ「ヴィリエ・ド・リラダン」、『マラルメ全集Ⅱ』、筑摩書房、1989年、418頁。(ただし引用文は拙訳。)

註15 ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ『アンチ・オイディプス 下』宇野邦一訳、河出書房新社、2006年、13-14頁。(ただし引用文は拙訳、傍点筆者。)

註16 マラルメ「対決」、『マラルメ全集Ⅱ』、333頁。(ただし引用は拙訳。)

註17 マラルメ「雑報」、『マラルメ全集Ⅱ』別冊、筑摩書房、1989年、225頁。(ただし引用は拙訳。)

註18 同所。(ただし引用は拙訳。)

註19 Fernand Braudel, L'identité de la France III, Paris, Arthaud-Flammarion, 1986, p.385.(拙訳。)

註20 Ibid., p.384.(拙訳。)

 

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著者略歴

  1. 熊倉敬聡

    1959年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒、パリ第7大学博士課程修了(文学博士)。Ours lab. 共同代表。元慶應義塾大学教授、元京都造形芸術大学教授。フランス文学 ・思想、特にステファヌ・マラルメの貨幣思想を研究後、コンテンポラリー・アートやダンスに関する研究・批評・実践等を行う。大学を地域・社会へと開く新しい学び場「三田の家」、社会変革の“道場”こと「Impact Hub Kyoto」などの 立ち上げ・運営に携わる。主な著作に『瞑想とギフトエコノミー』(サンガ)、『汎瞑想』、『美学特殊C』、『脱芸術/脱資本主義論』(以上、慶應義塾大学出版会)、『藝術2.0』(春秋社)などがある。http://ourslab.wixsite.com/ours

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