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GEIDO試論 熊倉敬聡

GEIDOとしての性愛へ(1)「西洋」と「東洋」のエロス?――オンフレとド・ルージュモンの性愛論をめぐって

 

九鬼の「いき」とバタイユの「エロティシズム」

 

 九鬼は『「いき」の構造』の準備稿『「いき」の本質』を、遊学先のパリで1926年末には書き上げていたらしい註1。パリで、「『いき』とは極めて縁遠い」、「腰部を左右に振って現実の露骨のうちに演ずる西洋流の媚態」註2に食傷気味だったがゆえに、彼をして、日本の女たちの「いき」な風情が一際鮮やかに脳裏に浮かび、あえて筆を取らせたのかもしれない。

 そんなパリの国立図書館の片隅で、濃密に積層する知の狭間に身を潜めながら、密かに、その「『いき』とは極めて縁遠い」エロスの闇に、己の実存に深く開いた傷口から、鬱々と思索を巡らす者がいた。ジョルジュ・バタイユである。

 「死におけるまで生を称えること」と、エロティシズムを定義した註3、この「呪われた」思想家は、九鬼の闡明したエロティシズムとはいたって対照的な人間の欲望の在り様、その沸騰する消尽に慄きながら、限界的な思考に挑んでいた。

 私たちは、これから、GEIDOとしての性愛へと辿りつくために、まずはその対蹠と思しき暗黒の地点、すなわちバタイユのエロティシズムから出発してみたい。

 

 だが、その前に、バタイユのエロティシズムの特異性をより際立たせるために、九鬼のエロティシズム=「いき」を振り返るとしよう。

 九鬼にとって「いき」、その「内包的構造」とは、何よりも三つの徴表から成り立っていた。「媚態」、「意気(地)」、「諦め」である。第一の徴表でもあり、その構造の「基調」をなす「媚態」とは、何よりも「一元的の自己が自己に対して異性を措定し、自己と異性との間に可能的関係を構成する二元的態度」であり、が故に、自己と異性が完全なる合一を遂げ、二元的可能性の緊張を失う時、自ずから消滅する類のものである。媚態の要は、だから、「距離を出来得る限り接近せしめつつ、距離の差が極限に達せざること」である。まさに、距離の微分的強度が昂じるエロスであった。

 そのエロスの強度をさらに精神的に補強するのが、第二の徴表たる「意気」ないし「意気地」である。それは「武士は食わねど高楊枝」に象徴される武士道の道徳的理想主義が、江戸の町衆的に翻案された気構えであり、それが媚態のエロスの強度を「霊化」した。

 「いき」の第三の徴表は、「諦め」である。「諦め」とは何か。それは何よりも「運命に対する知見に基づいて執着を離脱した無関心」である。「『諦め』したがって『無関心』は、世智辛い、つれない浮世の洗練を経てすっきりと垢抜した心、現実に対する独断的な執着を離れた瀟酒として未練のない恬淡無碍の心」である。それは、この世の「無常」から解脱し、涅槃へと赴こうとする仏教の世界観が反映したものであった。

 九鬼は、結局、フランスという異国で、「問題は畢竟、意識現象としての『いき』が西洋文化のうちに存在するか否か」と問い、そして「『いき』の核心的意味は、その構造がわが民族存在(・・・・・・)の自己開示として把握されたときに、十全なる会得と理解を得たのである」と、結論づけることになる。

 「わが民族存在の自己開示」。九鬼もまた「日本民族」であったがゆえに、「『いき』とは極めて縁遠い」パリの女たちの「現実の露骨」にいかなるエロスの昂りも感じなかったのだろうか。「いき」が「日本民族」の存在の「自己開示」だとしたら、他の民族、例えば「フランス人」にも彼ら固有の「自己開示」としてのエロスの形があるのだろうか。「Oui!」と、バタイユは強く首肯する。それは「いき」などといった、ある意味「草食的」なエロスとは大いに異なる、いわば「肉食的」ともいえるエロスの形だ。『エロティシズム』の「序論」の冒頭の句「エロティシズムとは、死におけるまで生を称えることだと言える」に続き、バタイユはマルキ・ド・サドの二つの文を掲げる。「奥義は残念ながらあまりに明確なのだ。それだから悪徳にわずかでも根をおろした放蕩漢(リベルタン)は、殺人がどれほど官能を刺激するか知っている。」「死を淫蕩な発想に結びつけることほど、死と慣れ親しむための良策はない。」註4

 バタイユの説くエロティシズムとは、死を希求する、「殺人に隣接した侵犯」註5なのだ。なぜか。エロティシズムは、(まぐわ)う男女各々の存在の非連続性を「溶解」させ、すなわち解体=死へと赴かせ、両者の融合のうちに存在の連続性を開く営為だからに他ならない。

 

存在の溶解の動きにおいて、男性パートナーは原則として能動的な役割を演じ、女性側は受動的である。 確立した存在として溶解するのは、おもに受身の女性側だ。が、男性パートナーにとって受動的な相手が溶解することは一つの意味しか持たない。すなわち二つの存在が混ざり合う融合を準備するという意味だ。そうして二つの存在は最終的にともに同一の溶解の地点へ到達する。〔…〕決定的な行為は裸にすることだ。裸は閉じた状態に、つまり不連続な生の状態に、対立している。裸とは交流(コミュニカシオン)の状態なのだ。それは、自閉の状態を超えて、存在のありうべき連続性を追い求めるということなのだ。註6

 

 私たちは、(ジェンダー的不均衡も大いに問題だが、ここではあえて触れないでおこう)「いき」、九鬼のエロティシズムから遥かに遠い地点にいる。「いき」の構造的「基調」であった「媚態」は、「距離を出来得る限り接近せしめつつ、距離の差が極限に達せざること」であり、が故に「異性が完全なる合同を遂げて緊張性を失う場合には媚態はおのずから消滅する」のであった註7

 しかも、「姿勢を軽く崩し」、「うすものを身にまとい」、「湯上がり姿」に、近接の過去として裸体を回想させる「いき」な姿など註8、ここには微塵もみられない。「裸にすること」こそ、このエロティシズムにとって「決定的な行為」であり、「交流の状態」であり、存在の「連続性」を打ち開く行為なのだ。

 さらに、バタイユは、この「肉体のエロティシズム」における「交流」がまた、「聖なるもの」への合一を希求する「聖なるエロティシズム」ともなり、宗教的供犠の執行とも通底すると説く。「すなわちエロティシズムの女性パートナーは供犠の生贄のごとくに現れ、男性パートナーは供犠の執行者のごとくに現れるということ。そして男女両者が、性愛行為のなされてゆくあいだ、破壊の最初の一撃でできあがっていた連続性のなかへ、自分を消し去ってゆくということである。」註9そして再びサドを召喚しながらも、こう留保してみる。「エロティシズムにおいても、不連続な生は、サドの発言にもかかわらず、消滅を余儀なくされるというわけではないのだ。不連続な生は、ただ危機にさらされるだけなのである。」が、すぐさまこう付言する。「サドの常軌逸脱はごく少数の人々を誘惑し、そのなかには極端なところまで行く者もいる。」註10我々は、いくつかの証言によって知っている。バタイユが、その「ごく少数の人々」の一人であったことを。彼は、ピエール・クロソウスキーやアンドレ・マッソンらと秘密結社「アセファル」(無頭人)を結成し、パリ郊外のマルリーの森で秘教的儀式を繰り返し、ついには人身御供を実行しようとしていた。しかも最終的には、彼自身のそれを。

 

森の中での最後の集会の時、私たちはたった四人だった。そしてバタイユは荘厳な口調で、ほかの三人に向かって、自分を死に処してくれるようにと求めた。それはこの供犠が、神話の基礎となって、共同体の存続を確かなものにするためであった。この好意は謝絶された。数ヶ月後、本物の戦争が始まり、それは残り得たかもしれない希望を一掃してしまった。註11

 

オンフレ:キリスト教の「肉体の虚無主義」とインドの太陽的エロス

 

 はたして、この、他者の肉体・存在を、そして場合によっては、自らの肉体・存在を陵辱し、破壊することのうちに、何よりも性的快楽を求め、その沸騰的消尽に恍惚とするエロティシズムは、サドやバタイユなど「ごく少数の人々」に特有な欲望の在り方なのか。「Non!」と、例えば「反哲学者」を自認するミシェル・オンフレは言う。彼は、その『快楽への配慮――太陽性愛を構築するために』註12(未邦訳)の中で、この欲望の在り方は、キリスト教的エロス一般に固有の在り方であり、したがって「ヨーロッパ」的エロスに固有の在り方である、と断言する。彼によれば、「ヨーロッパ」とは、およそ二千年来「キリスト教」的であり、たとえ無神論者であっても、依然「キリスト教」的本性と構造を有していると言う。なぜなら、ヨーロッパは、そのあらゆる領域――教育、倫理、政治、法律、芸術、医学などの領域で、二千年来キリスト教化され続けてきて、全方位的に、意識・無意識も押し並べて、キリスト教に浸透され尽くしているからだと言う。そのヨーロッパで、キリスト教は、この長きに渡って、「惨憺たる身体(corps)」と「壊滅的なセクシュアリティ」を作り上げてきたと言う註13

 オンフレは、「惨憺たる身体」には、「キリスト教徒=ヨーロッパ人」が模倣してきた二つのモデルがあるとする註14。一つは、「イエス」という神話的存在――飲み食いや、性生活などあらゆる「人間的」営為を捨象され、いわば「天使的」な存在となった「反身体」(anticorps)としての「イエス」。もう一つのモデルは、十字架上で拷問され殺害された「死体」としての「キリスト」。特に後者のモデルは、性的不能で神経症だった(と、オンフレが推察する)パウロが、自らの呪わしい宿命を人類全体に及ぼそうとした怨念に負っているとする。この「惨憺たる身体」の二つのモデルを原則として、その後、「教父たち」は、「肉体(chair)の虚無主義」というキリスト教的エロスを統べる神学を展開していく。そして、殉教者――陵辱され殺害されることのうちに、楽園の至福を見出す殉教者たちが、キリスト教徒=ヨーロッパ人の性的快楽のモデルとなる。そこから、もう一つの神学=否定神学が、パウロの呪わしいエロスを意外な形で引き継ぐサドとバタイユを通して、以下のことをさらに強力に説いていく――苦痛と快楽の一致、女性蔑視、肉体への憎悪、死の逸楽…。

 そして、オンフレによる快楽の見取り図によれば、こうしたキリスト教における肉体の虚無主義の対蹠点にあるのが、ヴァーツヤーヤナの『カーマ・スートラ』であり、インドの太陽の下で、太陽的エロティシズムを称揚した。すなわち、「生命を愛する精神性、男性と女性の平等、愛し合う身体の性愛術、自然と調和する身体の創出、男女の美しさの奨励などを通して、輝き渡る身体を作り上げ、歓喜する実存を目指した。」註15

 本書におけるオンフレの最終的狙いは、結局、いまだキリスト教的肉体の虚無主義が支配する世界にあって、インドの太陽的エロスを現代的に発展させる形で、「官能の啓蒙哲学」とでもいった新たな性愛思想を提起することにある。すなわち、「太陽的で軽快なエロス、絶対的に自由で、女性を尊重し、互いに契約を大事にしながらも、歓喜に満ちたエロス」、そして「新しい価値、すなわち、思いやり、優しさ、慮り、気遣い、心の広さ、ギフト・シェアの精神」等々を尊重しながら、「一夫一婦制や貞操や子孫繁栄などといった軛から解き放たれた身体」を創出するような性愛思想を提起することである註16

 

二つの「神学」

 

 我々は、「GEIDOとしての性愛」を練り上げていく助走として、さらにオンフレの、この比較性愛論――キリスト教的夜のエロスとインド的太陽のエロスの比較を(その二項対立的思考を乗り越えるためにも)、さらに深く見ていくことにしよう。

 まずは前者。先述のように、キリスト教的(反)身体は、二つのモデルを模倣する。すなわち、「イエスの身体」――性的に汚れなく純潔な「天使的」身体、そして「キリストの身体」――殉教し、痛苦に満ち、受難した「死体」としての身体。キリスト教徒にとっての理想の身体とは、この反身体の二つのモデルを模倣しきることにある。例えば、純潔なる処女=聖女が、拷問され陵辱され四肢を引き裂かれ、法悦に浸るところを、野獣が貪り食う「殉教」のように。

 このイエス/キリストの反身体は、周知のように、様々なヴァリエーションを伴いながら、特に大量生産される絵画・図像を通して、ヨーロッパ中に浸透していく。そもそも、この反身体は、マリアという「処女なる母」というもう一つの反身体の「処女懐妊」という、自然の法則を超越した現象から誕生したのではなかったか。この「処女なる母」というモデルは、その後ヨーロッパ中の女性たちに重くのしかかるとともに、それから生まれたとされるイエスもまた当然のことながら、「精神的な糧」で育まれた「霊化された肉体」、「不死なる死体」として、水の上さえ歩くことのできる「非人間的人間」を演じ続けることになる註17

 オンフレは、このイエス/キリストの反身体を模倣することが、キリスト教徒たちにとっての第一の「存在論的プログラム」だとする。そして、第二のプログラムが、(先述のように)信徒たち自らの人生を十字架への道に擬し、変容させることであり、受難の痛苦、拷問の道具を愛することであると主張し、そのプログラムがとりわけ二人の「教父」によって書かれたことを論証していく。

 まず何よりもイエス/キリストの反身体は、死への愛に取り憑かれた聖パウロによる知的創作であり、パウロこそが、キリスト教の「死体愛好癖」を創り出したと、オンフレは断言する。さらに彼が、男性信徒に自分の男性性を放棄させ、女性蔑視の思想を一般化した張本人でもあると言う。なぜ、パウロはそこまで男性性の抑圧を彼らに強い、女性一般を嫌悪したのか。オンフレは、そこに、パウロの神経症、おそらく性的不能が引き起こした神経症の兆候を見てとる。パウロは、他の男たちに自身の呪わしい境遇を共有するよう男性性・性欲の放棄を説き、そうすることで自身の「異常」が異常でなくなることを何よりも望んだ。「わたしとしては、皆がわたしのように独りでいてほしい。」(『コリントの信徒への手紙 一』7.7)註18を、オンフレはそのように解釈する。当然、彼の境遇の呪わしさを露わにするはずの女性一般が「贖罪の山羊」となる。女性蔑視の思想を一般化する中、男性性を喪失した男に唯一受け入れることのできる女性の在り方が、「処女マリア」だったのだ註19

 さらにもう一人の偉大な教父が、キリスト教の哲学的基礎を補強する。聖アウグスティヌス、『神の国』である。オンフレによれば、アウグスティヌスは、パウロの創始した肉体の虚無主義をさらに、欲望、いや「リビドー」の哲学にまで深めた。アウグスティヌスは「リビドー」というラテン語を用いたが、オンフレは、その用法がフロイトと同じだという。つまり、存在を生命的に駆動するエネルギーという意味である。

 アウグスティヌスによれば、リビドーは常にあったわけではなく、ある時生まれた。その「ある時」とは、イヴがアダムを誘惑した時、すなわち「原罪」の時だと言う。故に、女性は、男性の禍の元凶であり、「原罪」をもたらした「蛇」そのものだと言う。

 神の国に赴くには、だから「意志」によりリビドーを抑え込み、己の身体を統制することが何よりも肝要である。放屁を思うように操り、音楽さえ奏でる放屁師のように、意志により己の身体・性欲を統御すること。仮に女性=蛇と同衾せねばならない場合でも、結婚という厳格な枠組みの中で子孫を作ることだけに専念すべし、とアウグスティヌスは説く。このように、オンフレはキリスト教的エロスの第一の神学を描出する註20

 続けてオンフレは、キリスト教的エロスの第二の神学、その否定神学を描き出していく。主な登場人物は、サドとバタイユだ註21

 彼らのエロスの闇に探りを入れる前に、まずオンフレは、殉教者たちの快楽の源泉を再確認する。もちろん、最大の源泉は、十字架で磔刑に処されたキリスト、残虐な拷問に苛まれることそれ自体が原罪を贖い、神の国へと赴く道だと説きかつ実行したキリストのイメージ=神話である。その源泉から、殉教という嗜好、すなわち死ぬことが生きること、苦痛を味わうことが快楽・至福を味わうことという逆説的嗜好が生まれた、とオンフレは論を展開する。

 まさに――そしてこれ自体もいたって逆説的だが――回心する前のパウロも迫害に加担したとされる最初の殉教者、聖ステファノ以降、(サドやバタイユを待つまでもなく)キリスト教の歴史は、殉教者の拷問と虐殺の歴史であった。確かに、デ・ウォラギネの『黄金伝説』を読めば、聖者=殉教者たちに加えられた残虐さの強度は、サドの小説のそれに比肩しうるものだ。サド、そしてバタイユの暗黒のエロスは、だから、いたって「キリスト教的」エロスの在り方の一つ、そのまさしく逆転した「否定神学」なのだと言えよう。

 そこで、サドである。かつて(ポスト)構造主義者たちの多くが、(バタイユと並んで)サドを旧体制の「変革者」として称えたが、オンフレは言語道断だと言う。(バタイユ同様)サドも、自らの思想と実践の最大の根拠が、神の瀆聖・侵犯であるがゆえに、彼らは絶対的に神を必要とした「保守主義者」である、と主張する。しかも、サドにあっては、書くこと(エクリチュール)が、その思想を実際の行動に移すのを阻む一種の「昇華」たりえず、現実にその思想を実践し、性犯罪を犯した。(バタイユにあっては、先に見たように「未遂」に終わったようだ。)彼自身が、いたって「サディック」な虐待者だった。有名な「アルクイユ事件」(私はたまたま留学時代、その事件が起きたサドの「別荘」――現存はしていないが――から目と鼻の先に住んでいた)や「マルセイユ事件」を挙げるまでもなく、彼は、貧困のため体を売るしかなかった女性たちを、執事にかき集めさせ、機会あるごとに、彼女らを陵辱し虐待していた。サドは、したがって、キリスト教的女性蔑視の(倒錯した)直系とも言える。彼は、女性の体を「精液の掃き溜め」としてしか見ていなかった。

 サドは、正統にも拷問と性的快楽を結合させる。例えば、『ソドムの120日』で彼が描き出す数々の残虐な快楽の場面は、あたかもデ・ウォラギネが『黄金伝説』で描いた殉教者たちの受難と法悦のそれを彷彿とさせるかのようだ。

 そして、バタイユである。彼もまた、思想と実践において、「肉体の虚無主義」を引き継ぎ、その実存の深奥、「内的体験」において深めていく。

 オンフレによれば、バタイユの全実存、全生涯は、「傷口」という徴の下にあると言う。(彼は、そのヘーゲル哲学の師コジェーヴに、こう書き送ってはいなかったか。「私の生である開いた傷口――はそれ自体で、閉じたヘーゲル体系への反駁となっている。」〔本連載第5回参照〕)梅毒症の父のもとに生まれたバタイユは、父の「(ろう)」の激烈な痛み=叫びを日々聞きながら、それに快感を見出していた。マドリッドの闘牛場で角が貫通し眼球が抉り取られた闘牛士の頭蓋。体の部位を切り落とされていく中国の凌遅(りょうち)刑の写真。そして最終的には、マルリーの森で、人身を生贄にしようとした供犠(の未遂)に至るまで、確かにバタイユは、他者の、そして自分自身の「傷口」に憑かれ続け、そこに神秘的かつ実存的な法悦、「聖なるもの」との合一を内的に体験していた。

 バタイユは、『エロティシズム』の「まえがき」で、まさにこう書いていた。「私は強調しておきたいのだが、本書においてはキリスト教の躍動とエロティックな生の躍動は両者の統一性において立ち現れることになる。」註22そして、その書を終えつつ、自らの否定神学の本質をこう抉り出す。「神秘主義が語りえなかったこと〔…〕を、エロティシズムが語るのである。すなわち、神は、すべての意味で神自身の凌駕でなかったら、無である、ということを。すべての意味でとは、通俗的な存在という意味において、おぞましさと不浄という意味において、最終的には無という意味においてだ……。」註23

 そして、オンフレは、キリスト教的エロスの神学についての考察を以下のように結論づける――パウロとアウグスティヌスの肯定神学とサドとバタイユの否定神学は、イエスの反身体と、キリストの死体としての身体を共に崇める、肉体の虚無主義的神学という同じ一つのメダルの表と裏にすぎないのである、と註24

 

インドの太陽的エロス

 

 キリスト教的夜のエロスの(否定)神学から、インドの太陽的エロスの世界へと媒介するのは、一枚の逆説的な写真・表紙である註25。オンフレが学生時代に初めて読んだ廉価版叢書の『エロティシズム』の表紙には、インドのカージュラーホーにあるカンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院の写真――夥しい男女が様々な姿態で絡まり合っている――が載っていた。それを見た時の彼の印象は、バタイユによる死の大いなる肯定と、この写真の示す、生の大いなる肯定があまりに不協和だということだった。

 その後、20年が経ち、彼はインドに赴き、この寺院の彫刻群を目の当たりにする。そこから彼は、インド的エロスの在り様、精髄について様々に学び、あるいは思考を巡らす。まず、彫像の女たちがその妙なる女性性に輝き渡っていることに驚く。それはまさに、処女マリアの対極にある輝きだ。キリスト教において乳房は授乳するためかあるいは拷問で切り落とされるかであるのに対し、インドにおけるそれはあくまで愛撫を受けるものである。そして、キリストの「処女なる母」の腰部は衣で覆い隠されているが、この寺院の女性たちのそれは、豊かな丸みを帯び、シヴァ神の交わり、すなわちリンガとヨニの交わりを模すように、男性との聖なる媾いを迎えんとしている。つまりは、インドの身体は、キリスト教的反身体の対蹠物なのだ。

 現地でオンフレは、自称「タントリズムの世界的権威」なる人物に出くわす。オンフレは彼に、ある男性像が雌馬と交合しているシーンの意味を問いただす。が、グルは答えを巧みにはぐらかす。そして、オンフレ自身こう推察する――この「動物性愛」の場面は、擬人化されたシヴァが、自らのリンガと雌馬=自然とを交合させ、新たな生命を生み出している様を描いているのではないか。インドでは、性愛は、自然の力によって動くあらゆるものとの間で為される。そこでは、生命のエネルギーが、男・女・動物を問わず、あらゆる生命体の間を、中を、駆け巡る一元的な世界を形作っていて、その中で性愛は常にリンガとヨニの神的・宇宙的交合を模しているのだ。

 シヴァ信仰は、〈自然〉の宗教であるのに対し、キリスト教は〈書物=聖書〉の宗教である。後者が、身体と魂を対立させる二元的世界であり、性は堕落した〈人間たちの国〉の悪魔的力であるのに対し、前者は、そうした対立のない一元的世界であり、性は生命エネルギーの循環の一部である。したがって、後者にあって、性行為は神への道に反するものであるが、前者にあっては、逆に神へ赴く道となる。後者にあって、身体は分裂症的、すなわちポジティヴな魂とネガティヴな肉体に分裂しているが、前者にあっては、全体にエネルギーが経巡るアーユルヴェーダ的身体である。そして、後者では、蛇が原罪を引き起こした堕落の象徴だが、前者では、蛇はシヴァの「伴」であり、現在でも多くの人々の信仰の対象となっている。

 このように、オンフレの比較性愛論は、ことさら二項対立的に、インドの太陽的エロスとキリスト教的夜のエロスを描き分ける。

 最後にオンフレは、インドにおける身体術・性愛術の学習の書として『カーマ・スートラ』を取り上げる。この有名でこそあれ内容をきちんと知られていないテキストは、決して性のテクニックのマニュアルなどではない。それは、男性・女性双方を「平等に」扱う、「性愛の術(art du sexe)」の「指南書」である。女性は、心身ともに「美しい」女性になるために、性愛の術のみならず、64もの技芸、すなわち「家事」に属する技(花飾りの作り方、ベッドメイキングから、オウムや椋鳥に言葉を話させる技まで!)から、絵の描き方、楽器の弾き方などいわゆる「芸術」、さらには(少なくとも同時代〔5世紀〕の西洋世界ではもっぱら男性のものとされていた)弁論術から戦法に至るまでを学べる、その人となりを育てる教育プログラムとなっている註26

 もちろん、性的快楽も男女共に平等に分有される。が、双方の器官の大小、欲望の度合いの強弱、行為時間の長短によって、快楽の強度の異なる九つの組み合わせが提示される註27

 こうして、我々現代人も、この『カーマ・スートラ』に倣って、自らの欲望の「特異気質」に応じて、固有の性愛の物語を紡いでいかなくてはならない、とオンフレは本書の「結論」に入っていく。

 

「私の性」へ

 

 そこで、我々はどうしたらいいのだろうか。

 オンフレは、少なくともフランスでは、過去に稀だが二回、「脱キリスト教化」の瞬間があったと言う。1793-94年と1968年だ。前者はわずか6ヶ月しか続かなかったが、グレゴリオ暦から共和暦への変更、キリスト教にまつわる町名・市名の変更、キリスト教の図像・象徴の破壊、修道院・僧院の接収などから、離婚を認める立法や婦人参政権運動などが行われた。後者(真の脱キリスト教化)は、いわゆる「5月革命」であり、ピルの解禁、堕胎の自由化などの立法から、社会のあらゆる位相、人間関係を(キリスト教的)権威・権力の構造から解放しようとした。

 しかし、「五月革命」の“春”の後には、長い“冬”がやってきた。資本主義的リベラリズムが、「超自我の性」から「エスの性」へ、すなわち無意識的欲動を限りない消費の欲望へと振り向け、性の消費資本主義へとすべてを押し流した。

 そして、今、第三の脱キリスト教化の時代が訪れようとしている。それは、「私の性(sexe du moi)」の時代だ。

 この時の「私」とは何か。この私を囲い込もうとするあらゆる定義――一般化し、普遍化しようとするあらゆる大文字の定義(「男」「女」など)から逸脱する、多様で、炸裂した「私」。「私は他者である」と言ったアルチュール・ランボーの「私」。「私」はだから、自らに固有の欲望の系譜を探索しなくてはならない。と同時に、そうした無数の、多彩な「私」の欲望が学習すべき、新たな「カーマ・スートラ」や春画、しかしもはや紙媒体に書かれた古の東洋のそれではなく、現代のスクリーンに映し出される「哲学的なポルノグラフィ」。が、決して商業主義的なAVの如きものではなく、ピーター・グリーナウェイやレオス・カラックスが作るであろうようなポルノグラフィである…。

 結局「本書は、各人の唯一性という新素材を元に自己を性愛的に育て上げる作業へといざなうものである」と、オンフレは、この『快楽への配慮』という著作を締めくくるのである。

 はたして、この、現代的な「私の性」が、我々の求めるGEIDOとしての性愛なのだろうか。

 

オンフレの比較性愛論の限界

 

 これまで見てきたように、オンフレは、キリスト教的(彼によれば、すなわち「ヨーロッパ的」)夜のエロスと、インドの太陽的エロスを、ものの見事に対照し、二項対立的な比較性愛論を展開した。そして(あたかも「弁証法」的知に導かれたかのように)、いわば両者を「止揚」し、「現代化」するような形で、“第三の”性愛の在り方、つまり「私の性」を導き出したのであった。

 しかし、と私は、そのあまりに鮮やかな展開・論旨に待ったをかけたい。往々にして、あまりに鮮やかな二項対立的論理(男対女、文化対自然、西洋対東洋、精神対物質など)には、論者自身が必ずしも自覚的でないイデオロギー的バイアスがかかっていて、そのバイアスが「鮮やかさ」を生み出している場合が多い。キリスト教的=ヨーロッパ的(=西洋的)エロスを糾弾し、それに対立させて、ヒンドゥー教的=インド的(=東洋的)エロスを称揚する――この二項対立的で不均衡な図式は、明らかに「オリエンタリズム」の逆転、「逆オリエンタリズム」に他ならない。「反(西洋)哲学者」を自認するオンフレだからこそ、その「哲学」の最大かつ最深の起源の一つ、「キリスト教」に文字通り反旗を翻し、そのエロスの倒錯・病理を抉り出し、翻ってインドの健康的で、精気に満ちあふれたもう一つのエロスを賞賛する。そのあまりの「鮮やかさ」こそ、彼の「反哲学」のイデオロギーの“表現”なのだろう。しかし、私は、GEIDOとしての性愛へと辿り着くために、この「鮮やかさ」に魅せられつつも、十分用心し、改めて自らの論を紡ぎ出していかなくてはならない。

 

宮廷風恋愛:「ヨーロッパ」のもう一つのエロス

 

 その手始めに、いったいこの比較性愛論にあって、何が問題なのか、この二項対立的論理では掬い切れない何か重大な論点はないのか、検討していきたい。

 オンフレは、先に見たように、ヨーロッパは約二千年来、生活と社会の全領域にわたってキリスト教化された(二つの例外的「脱キリスト教化」の瞬間を除いて)、したがって、ヨーロッパ的エロスは、そのままにしてキリスト教的エロスであり、それはイエス/キリストの反身体を模倣する肉体の虚無主義に他ならないと断じたのであった。がしかし、はたしてヨーロッパにはその唯一の「キリスト教的」エロスの形しか存在しなかったのだろうか。否、と例えば、やはりヨーロッパ(正確にはOccident〔訳者は「西洋」ではなくあえて「西欧」と訳している〕)における「愛 (amour) 」の形を論じたドニ・ド・ルージュモンは異を唱える。その『愛について――エロスとアガペ』において、ド・ルージュモンは、西欧における「愛」の源泉を、オンフレとは対照的に、必ずしもキリスト教に一元化することなく、多様に、その地下水脈を探し求めていく。

 彼によれば、西欧の、現代の多くの人々が今なお経験している「情熱恋愛」の原型は、例えば『トリスタンとイズー』の物語・神話に代表されるような騎士道精神が培った宮廷風恋愛にあると言う。

 宮廷風恋愛は、まず、12世紀初頭、南フランスで現れた。そしてその恋愛の悦楽と強度を、トルバドゥールと呼ばれる吟遊詩人たちが、プロヴァンス語で謳い始めた。その恋愛=叙情詩の登場人物は、ただの二人。すなわち「八百回、九百回、千回となく悲嘆をくりかえし訴える詩人と、常に(いな)という美女とだけ」註28である。

 この「結婚を度外視した」、いやむしろ、キリスト教の結婚の教義とその強制への反動として生まれた恋愛は註29、一つの儀礼を前提としていた。

 

ドムネ domnei またはドノワ donnoi と呼ばれる、愛する者の臣従の義務がそれである。詩人はまず調べの美しい賛美の歌で貴女(ダーム)の愛をかちとる。詩人はちょうど君主に対するように、婦人の前に(ひざま)ずいて永遠の忠誠を誓う。婦人は愛のしるしとして、遍歴の騎士に見たてた詩人に金の指環を与えてから、立つようにと命じ、詩人の(ひたい)に接吻をしてやるのだった。それ以後二人の恋人はコルテツィアの(おきて)によって結ばれることとなる。この掟とは秘密、忍耐そして節度を守ることである。註30

 

 したがって、この恋愛、エロスには、恋人たちの(儀礼化されているとはいえ)「距離」が決定的に重要であり、(九鬼自身は西洋に「いき」の存在を認めなかったが註31)ある意味で西洋的「いき」とでも言いうるように、その「距離」が逆にエロスの強度を高める、そうした恋愛の形であった。しかも男=詩人は女性の「下僕」であった。だから、バタイユのエロティシズム――何よりも(能動的な)男が(受動的な)女を「裸にすること」により、互いの存在の非連続性を解体し、肉体的かつ聖なる連続性=合一へと痙攣的に消尽するエロティシズムとは、いたって異なる“もう一つの”エロティシズムが、ヨーロッパにもあったのだ。しかも、このエロティシズムと、それを唄いあげる詩は、単に南仏に固有なものに留まることなく、(おそらくは詩人たちの吟遊の旅とともに)瞬く間にヨーロッパ各地に広まり、例えば『トリスタンとイズー』のような、新たな物語や詩を生み出していった。

 

象徴的東洋への回帰

 

 だが、とド・ルージュモンは自問する。それ以前には、女性の地位が賤しく依存的であり、かつこれほどまでに洗練された修辞的な詩を知らなかった南仏で、なぜ突如としてこの時代、二つの誕生の奇跡、すなわち非伝統的な女性観の誕生と、前例のない洗練された定型詩の誕生とが起こったのか。もしかすると、両者ともどこか別の場所から来たのではなかったか。しかも、ド・ルージュモンはここで、二つの重要な指摘を行う。まずは、こう問う。「常に否という美女」は、現実に存在する女なのか。それとも、ある何かの「象徴」なのか。それは、「人間の霊的部分、肉体の牢獄に閉じこめられた人間の魂が、憧憬的愛をいだいて求めるもの」註32の象徴なのではないか。トルバドゥールたちは、結局「神格化するエロスと、本能の虜囚たるエロスとの宿命的混同」を行い、「神がかり的な」情熱、彼らの言う「愛の歓び」と、「不幸な人間的情熱」を重ね合わせながら、唄い上げたのではなかったか註33

 もう一つの指摘――今日人々が〔オンフレもだが〕キリスト教の特色と信じている「肉の罪悪視」は、実際には、当時南仏を含めたヨーロッパ南部で隆盛していた「異端」カタリ派、さらにはそれに強い影響を与えたと目される当時の「世界宗教」であるマニ教〔アジア、アフリカ、ヨーロッパの各地にまで広まり、宇宙を霊的な光と物質的な闇の対立と捉え、物質や肉体を嫌悪する禁欲的な教義をもち、アウグスティヌスもまたキリスト教に回心するまで熱烈な信者だった〕に淵源しているのだ。聖パウロが蔑視している「肉」は、実は単なる肉体やその欲望ではなく、〔アウグスティヌスも『神の国』で指摘しているが註34〕「不信仰の人間のすべて(・・・)、身体、理性、能力、欲望――したがって()までも含めている」註35のである。

 そして、ド・ルージュモンは、さらに重大な主張をする。何と、南仏、そしてその後急速に「ヨーロッパ」各地に広まった宮廷風叙情詩は、「東洋」に発した二つの(キリスト教から見て)「異端」の潮流が、地中海の北と南を経て、南フランスで邂逅した結果生じた「歴史上もっとも異常な精神の合流の一つ」である、と言うのだ。長いが、いたって重要な主張なので、あえて引用しよう。

 

十二世紀、〔フランス南部の〕ラングドック地方とリムーザン地方に、歴史上もっとも異常な精神の合流の一つが生じた。その流れの一つは、マニ教的な宗教の一大潮流で、(みなもと)をイランに発し、小アジア、バルカン地方を通って、イタリアおよびフランスに流れ込んだものである。これは智慧(ソフィア)としてのマリアと《光明の形態》をとる愛とに関する秘教的教義をそこにもたらした。もう一つの潮流は、特殊な技法、一定の主題や人物、きまって同じような箇所に生ずる意味の曖昧(あいまい)さ、そして特有な象徴主義などをともなう高度に洗練された修辞法である。この流れはプラトン化されマニ教化されたスーフィー派のはびこるイラクから発し、アラビア的スペインに渡り、ピレネー山脈を越えて南仏に入って、そこの社会と出あった。この社会は僧侶の用いる言葉や俗語では敢えて告白できぬものを表現しよう(・・・・・)として、伝来してきた表現方法に期待することになった。宮廷風(・・・)抒情詩はこの(・・・・・・)二つの流れの(・・・・・・)遭遇によって(・・・・・・)生じたものだ(・・・・・・)。このようにして、同じ東洋に発し、文明的な地中海の両岸を経て伝来した魂の《異端》と欲望の《異端》との二潮流が、 窮極的に合流した地点に、情熱恋愛という表現形式の西欧的一大典型が誕生したのだ。註36

 

 そしてさらに、ド・ルージュモンは、「宮廷風といわれる現象の概観」として、いくつかの示唆的な事柄を列挙していく。その一つとして「貞節」の技法を挙げるが、それが何とインド、こともあろうに「タントラ教(tantrisme)」に淵源すると指摘するのだ! 宗教学者ミルチャ・エリアーデのヨーガ論を援用しつつ、タントラ教の信者たちは何よりも「シャクティ」――「女神」であり「妻」であり「母」である宇宙的な創造力を崇拝し、瞑想によりその力と合一しようとする。そして、その瞑想の技法の一つとして、タントラ教は、「マイトフナ(性交の儀礼)」を行うが、エリアーデによれば、その儀式は「故意に秘密で漠然とした二重の意味をもつ言葉を用いて」おり、マイトフナが「事実上の行為なのか、単に比喩にとどまるものかどうにも識別がつかない」ように表現されている註37。でもなぜ、その意図的に曖昧化・両義化されたマイトフナ=性交が「貞節」なのか。なぜなら、その「エロティックな」儀式は、ヨーガの「修行」であり、行者は、性行為という、行が貫徹されなければ「(カルマ)の惨憺たる法則の餌食」となりかねない行為を通して、逆説的に「解脱」する、すなわち「人間の肉体が最高存在の形相に超出することを体験する」のであり、その「最高存在の形相」こそ、シャクティ、「歓びと憩いの唯一の源泉、一切の女性的自然の理法を綜合した恋人」なのに他ならない註38

 こうして、ド・ルージュモンは、トルバドゥールにおける「神秘化するエロスと、本能の虜囚たるエロスとの宿命的混同」の、遥かな源泉を、こともあろうか、タントリズムにおける「マイトフナ」のエロスの両義性・逆説性に探っていくのである。さらに、「宮廷風といわれる現象の概観」の「決定的結論に代えて」と断りながら、以下のような「私の最小限度の主張(・・・・・・・)」を(大胆にも)行うのである。

 

すなわち宮廷風恋愛は十二世紀に発生したものだが、西欧的心理(・・)の発展の真只中において誕生したものなのだ。またそれは意識の薄明状態に(さかのぼ)らせたのと同じ心の動きから生じ、シャクティ(・・・・・)的女性原理、女性崇拝、母性崇拝、処女崇拝といった()の抒情的表現から生じたものだ。宮廷風恋愛はアニマの奇蹟的出現といった性質をもち、私の眼から見れば、西欧的人間における象徴的東洋への回帰として映るのである。註39

 

 「ヨーロッパ的」エロスの、確かに、最大かつ最深の源泉の一つは、オンフレの言うように、「キリスト教」に求められるだろう。しかし、「ヨーロッパ」もまた決して一枚岩ではない。そこには、「キリスト教」的ではない、様々な「異端」のエロスの流れ、「異教」のエロティシズムの地下水脈もまた流れ込み、ド・ルージュモンの説くように、中世の宮廷風恋愛・叙情詩を花開かせた。そしておそらくは、今なお「ヨーロッパ人」の欲望の幾ばくかを駆動しているのではないだろうか。

 

「私の性」の彼方へ

 

 ド・ルージュモンは、この『愛について』の中で、他にも様々に重要な指摘・主張をしている。例えば、(オンフレがほとんど触れていない)キリスト教的愛のもう一つの在り方、すなわち「アガペ」に関して、それを、他のあらゆる宗教(のエロス的弁証法)を否定する「未曾有の一大事件」とみなす。なぜならそれは、現世的「暗黒」から超越的「光明」へと飛躍し合一するのではなく、『ヨハネによる福音書』の冒頭にあるように、(ことば)=神がこの世においてキリストとして「肉化」し、「この世にありながら、新しき生が始まる」、「世界の内部への積極的な回帰」と「生の再肯定」を実現したから。しかも、この「愛の方向転換(回心)」が「隣人」を出現させ、「敵を愛しなさい」という「隣人愛」にまで展開していったからだと言う註40。このアガペによる「交わり(communion)」についてのド・ルージュモンの考察も、特に「キリスト教的愛」を論じる上でいたって重要だが(バタイユ的夜の「交流(communication)」とも比較検討したいところだ)、ここでは、GEIDOとしての性愛へと辿り着くためにも、あえて深掘りすることなく、先を急ぐことにしたい。

 オンフレは、インドの太陽的エロスを、現代的に蘇らせ、「私の性」を提唱していた。彼が、その新たな「性」を実現するために取ろうとしていた方策は主に二つだった。すなわち一方で、各自は「私とは誰か?」、「私の欲望とはいかなるものか?」と自問しながら、自らの性的系譜を探索すること、そして他方では、その各自の性的系譜の探索を、現代版ポルノグラフィ――もはや古の東洋の性の指南書のように書物の形ではなく、例えばグリーナウェイやカラックスのような映画作家が作り出しうる映像による「哲学的ポルノグラフィ」が指南していく。結局、この新たな「性」は、そしてそれを提唱するこの著作は、「自己の唯一性という新素材によって新たな自己を構築し」、「愉楽に満ちた身体的間主観性を構築する」よう、人々を導く、と締めくくられるのである註41

 この結論に至るまでにオンフレが考究したキリスト教的夜のエロスと、インド的太陽のエロスの比較性愛論の理論的・論理的「厚み」と「鮮やかさ」に比して、その両者を「止揚」するはずの、この「私の性」の提案は、何とも「薄く」、「不鮮明」と言わざるを得ないだろう。なかんずく、(我々のGEIDO論の文脈に引きつければ)、オンフレがインドの性愛術に論究していながら、それを内側から駆動しているはずの瞑想的行の在り様(例えばド・ルージュモンが論じたタントリズムの「両義的」修行)に一切言及していないのは註42、彼の「反哲学」がいまだ(反)哲学的「思考」に留まっていて、そうした「思考」では把捉し得ないエロスの内的体験の深みを感じ/観じていないからだろう。

 今や、我々はGEIDOとしての性愛の考究へと進むべき時である。

 

 

註1 『九鬼周造全集 第一巻』、岩波書店、1981年、87-108頁。

註2 九鬼周造『「いき」の構造』、岩波文庫、1979年、51頁。

註3 ジョルジュ・バタイユ『エロティシズム』、酒井健訳、ちくま学芸文庫、2004年、16頁。

註4 同書、18頁。

註5 同書、28頁。

註6 同所。

註7 九鬼『「いき」の構造』、22-23頁。

註8 同書、50-52頁。

註9 バタイユ、前掲書、29頁。

註10 同書、30-31頁。

註11 パトリック・ヴァルドベルグ「アセファログラム」、ジョルジュ・バタイユ『聖なる陰謀 アセファル資料集』、マリナ・ガレッティ編、吉田裕・江澤健一郎・神田浩一・古永真一・細貝健司訳、ちくま学芸文庫、2006年、473頁。

註12 Michel Onfray, Le souci des plaisirs :construction d’une érotique solaire, Flammarion, 2008.(以下、引用は拙訳)。

註13 Ibid., pp.22-24.

註14 Ibid., pp.24-27.

註15 Ibid., p.27.

註16 Ibid.

註17 Ibid., pp.29-44.

註18 『新約聖書 新共同訳』日本聖書協会、1987年、307頁。

註19 Onfray, op.cit., pp.44-56.

註20 Ibid., pp.56-69.「(罪がなかったら)性的器官は欲情によって刺戟されないで意志によって促されて、必要なとき必要なだけ、男は子孫の種を蒔き、女はそれを胎に宿したことであろう。〔…〕また、若干の人びとは、思いのままに自分たちの後ろから音楽的な音響を(いかなる臭いもたてずに)つくり出すのであるが、それは、かれらがその側から歌っているようにさえ思われるのである。」(アウグスティヌス『神の国(三)』、服部英次郎訳、岩波文庫、1983年、350-352頁。)

註21 Ibid., pp.70-113.

註22 バタイユ、前掲書、12頁。

註23 同書、457-458頁。

註24 Onfray, op.cit., p.110.

註25 以下のインド的エロスに関する記述は、同書のpp.114-163による。

註26 ヴァーツヤーヤナ『バートン版 カーマ・スートラ』、大場正史訳、角川文庫、1997年、29-36頁。(なお、この邦訳では「椋鳥」と訳されているところを、オンフレは「mainates(九官鳥)」と記している)。

註27 同書、52-60頁。

註28 ドニ・ド・ルージュモン『愛について――エロスとアガペ』、鈴木健郎・川村克己訳、岩波書店、1959年、98頁。

註29 同書、96-99頁。

註30 同書、99頁。

註31 わずかに九鬼は、ニーチェの「高貴」や「距離の熱情」に「意気地」との類似を見た。「またニイチェのいう『高貴』とか『距離の熱情』なども一種の『意気地』にほかならない。これらは騎士気質から出たものとして、武士道から出た『意気地』と差別しがたい類似をもっている。しかしながら、一切の肉を独断的に(のろ)った基督(キリスト)教の影響の(もと)生立(おいた)った西洋文化にあっては、尋常の交渉以外の性的関係は、早くも唯物主義と手を携えて地獄に落ちたのである。その結果として、理想主義を予想する『意気地』が、媚態をその全延長に(わた)って霊化して、特殊の存在様態を構成する場合はほとんど見ることができない。」(九鬼『「いき」の構造』、93-94頁。)

註32 ド・ルージュモン、前掲書、128頁。

註33 同書、249頁。

註34 アウグスティヌス、前掲書、261-263頁。

註35 ド・ルージュモン、前掲書、108頁。

註36 同書、158頁。

註37 同書、170頁。

註38 同書、170-171頁。

註39 同書、180-181頁。

註40 同書、86-87頁。

註41 Onfray, op.cit., pp.190-191.

註42 『カーマ・スートラ』自体、ヴァーツヤーヤナは、その執筆を「瞑想に没入」しながら行ったようだ。(「カーマ・スートラは、バブーラヴィアをはじめとする古代著作家を熟読玩味(がんみ)し、彼らの作った諸原理の意義をよく考え、聖典の教えに従って、ヴァーツヤーヤナが世の福祉のために編述したものである。その間彼は修業僧の生活を送り、神の冥想(めいそう)に没入した」、ヴァーツヤーヤナ、前掲書、215頁。)

 

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著者略歴

  1. 熊倉敬聡

    1959年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒、パリ第7大学博士課程修了(文学博士)。Ours lab. 共同代表。元慶應義塾大学教授、元京都造形芸術大学教授。フランス文学 ・思想、特にステファヌ・マラルメの貨幣思想を研究後、コンテンポラリー・アートやダンスに関する研究・批評・実践等を行う。大学を地域・社会へと開く新しい学び場「三田の家」、社会変革の“道場”こと「Impact Hub Kyoto」などの 立ち上げ・運営に携わる。主な著作に『瞑想とギフトエコノミー』(サンガ)、『汎瞑想』、『美学特殊C』、『脱芸術/脱資本主義論』(以上、慶應義塾大学出版会)、『藝術2.0』(春秋社)などがある。http://ourslab.wixsite.com/ours

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