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GEIDO試論 熊倉敬聡

風土から脱風土化へ――和辻、クレマン、ベルクをめぐって

 

 前回は、「民藝からGEIDOへ(その2)遊行のラディカリズムへ――柳宗悦、一遍、ドゥルーズ&ガタリ」と題して、柳宗悦の晩年の名筆『南無阿弥陀仏』の、特に一遍について論じた(くだり)に照準して、民衆と民器の相携えての往生、すなわち浄土門による民藝の宗教的「裏打ち」が打ち開く「美の浄土」――仏が仏となり、「あるがまま」がそのまま美となる美醜未生の国――を瞥見するとともに、その国からなぜか奇妙なことに、念仏と並ぶ一遍の宗教的ラディカリズムのもう一つの核、「踊躍」が排除されていることに、改めて驚き、もしかするとその踊りのあまりの「野性」が、柳の美学には耐え難きものだったのではないかと推論してみた。

 そして、その一遍の「踊躍念仏」の「野性」を探索するため、しばし柳を離れ、現代思想家守中高明やアナーキズム研究家栗原康による一遍の現代的読み替え――前者はドゥルーズ&ガタリの概念装置、後者は天才的な踊躍的同期による――を追跡し、さらには私自らのダンス経験も交えつつ、踊躍念仏における「動物への生成変化」、「分子状態への生成変化」を跡づけてみた。

 さらに、踊躍念仏と真逆に、どこまでも絶対的「止」を観じようとする瞑想では、そのような生成変化は起きないのかと問い、いやまさに「止」となるからこそ、それ以外の生きとし生けるものの諸行無常なるパフォーマンスの舞台となれる、地球とのダンスの舞台になれる由縁を詳らかにした。

 そして最後には、気鋭の仏教学者魚川祐司の『仏教思想のゼロポイント』を元に、「ゼロポイント」=涅槃・解脱の成就以後の「自由な選択」の問題、すなわち涅槃の楽の境に独り在りつづけるか、それともそこから衆生へと翻って、あえて利他行へと赴くか、その実存的機序を瞥見した。そして、結局は、利他行を「選んだ」者も、それを倫理的ないし社会的責務と捉えたがゆえではなく、もはやあらゆる世間的な価値観から脱しているがゆえにただの「遊び」として、があくまでも真剣な「遊び」としてそれを為すことを確認した。

 GEIDO家たち――「仏教」的行を必ずしも修めているとは限らないが、各々のやり方・アプローチで決定的な実存的転換を果たし、現世へと還帰した者たち(その軌跡を私は「いびつなV」と形容していた)――もまた、それぞれが自分の流儀で純粋にだが真剣に「遊び」、人々のみならず「山河草木」までをも歓待する(その歓待の様を「いびつな○」と形容した)、その生態学的転回・展開を再確認した。

 さて今回は、GEIDOの生態学的転回・展開を、また別な角度から見つめ直し、さらに深め直してみたい。「風土論」という視点からである。

 

和辻による「風土」

 

 日本で「風土論」といえば、まずは哲学者和辻哲郎のその名も『風土』を嚆矢としよう。彼は、欧州への留学の途次、船上から日々移り変わっていく、陽射しの強さ、湿気の感触、あるいは海原の有り様、風雨の度合いなどを体感しつつ、さらに寄港先の港の周りの人々の生き様、風俗をつぶさに観察しつつ、その詩的感性と哲学的知性を存分に発揮しながら、何とも叙情的な思索を展開した。

 彼は「風土性」という概念を文字通り「発明」した、と言えよう。それは決して「自然環境」ではなく、「主体的な人間存在の表現」であり、「構造契機」であると、まずは「序言」で明言する。

 彼がこの「風土性」という概念を発明する契機となったのは、1927年ベルリンでハイデガーの『有と時間』(和辻の表記に従う)を読んだことだと言う。(またもやハイデガーだ!)ハイデガーが人間の根源的な存在構造として時間性をかくも徹底的に追究しているにもかかわらず、どうして空間性を同様の重要性をもって論究しないのか。しかもハイデガーは人間存在を主に「個人」の相でのみ見ていて、「個人的・社会的なる二重構造」において見ていない。人間存在の構造は、時間性が空間性と相即する時、そして(その社会的展開である)歴史性と風土性が相即する時、初めて十全に明らかにされるのではないか。そうしたハイデガーへの、自身への問題提起が、「風土性」という概念の発明へと、和辻を突き動かしたのである註1

 では、「風土」とは、具体的にどういう事態か註2。それは、まずはある土地の気候、気象、地質、地味、地形、景観などの総称と言いえるが、決して単なる「自然現象」ではないと言う。では何か。和辻は「寒さ」を例にとり説明する。「寒さ」とは、「物理的客観としての寒気が、我々の肉体に存する感覚機管を刺激し、そうして心理的主観としての我々がそれを一定の心理状態として経験すること」、ではない。寒さを感じる前に寒気という独立の有を知ることは不可能であり、我々は寒さを感じることにおいて・・・・寒気を見出す、と言う。さらに和辻は言い換えて、我々という「主観」、寒気という「客観」を区別すること自体が誤解であり、我々は寒さを感じる時、我々自身はすでに寒さの中へ出ている(・・・・)、と言う。(ハイデガーの「世界−内−存在」ならぬ、「風土−内−存在」であろう。)

 しかも、風土において、我々は「我れ」ではなく、あくまで「我々」である。

 

寒さの中に出ているのは単に我れのみではなくして我々である。否、我々であるところの我れ、我れであるところの我々である。「外に出る」ことを根本的規定としているのはかかる我々であって単なる我れではない。従って「外に出る」という構造も、寒気というごとき「もの」の中に出るより先に、すでに他の我れの中に出るということにおいて存している。これは志向的関係ではなくして「間柄」である。だから寒さにおいて己れを見いだすのは、根源的には間柄としての我々なのである。

 

 人間の根源的な存在構造は時間性と空間性の相即である。しかし、その相即は「我れ」という個人におけるそれのみならず、その社会的展開である「我々」における歴史性と風土性の相即をも意味する。「従って歴史と離れた風土もなければ風土と離れた歴史もない」のである。

 ところで、和辻の「風土」論が、人間を「歴史−内−存在」と相即する形で「風土−内−存在」と規定するからといって、それは決して単なる「環境決定論」ではない。彼ももちろん、多様な風土的負荷が人間に作用を及ぼすことを認める。

 

このような風土的負荷は我々の存在の内にきわめて豊富に見いだされる。晴れた日の晴れ晴れしい気持、梅雨の日の鬱陶しい気持、若葉のころの生き生きとした気持、春雨のころのしめやかな気持、夏の朝の清々しい気持、暴風雨の日のすさまじい気持、恐らく我々は、俳諧において季を持つあらゆる言葉をあげても、なおかかる負荷を尽くし得ぬであろう。かくて我々の存在は、無限に豊富な様態をもって風土的に規定せられることになる。

 

 しかし、と和辻は強調する。我々の存在はただ風土的負荷を負うだけでなく、また「自由」でもある。「すでに有ることでありつつあらかじめ有ることであり、負荷されつつ自由である、というところに、我々の存在の歴史性が見られる。」過去の歴史と風土に負荷されつつ、それを未来に向けて作り直していく「自由」をも、我々人間は併せもっていることを強く説くのである。

 

風土の「三つの類型」、そして日本的風土性

 

 こうして、和辻は、この著の第一章にあたる「風土の基礎理論」を元にして、世界の風土を「三つの類型」に分けて論じていく。有名な「モンスーン」「沙漠」「牧場」の類型である。

 風土としての「モンスーン」は、何よりも暑熱と湿気との結合として特徴づけられる。その湿潤は、自然の豊かな実り・恵みをもたらすと同時に、大雨、暴風などの抗い難い脅威ともなりうるがゆえに、住む人々に「自然への対抗」を呼び覚まさない。「モンスーン」的風土に暮らす人間は、したがって、「受容的」であり「忍従的」な特性をもつ註3

 それに対し、「沙漠」という風土は、その極端な乾燥ゆえに、絶えず人間の生を脅かし、死をもたらしうる力を蔵している。したがって、その風土に暮らす人間は、自然と「対抗的」「戦闘的」関係をとらざるをえず、しかも個人ではその過酷さに太刀打ちできないがゆえに、自然との戦いは共同態として行わざるをえず、さらに、たとえば一つの井戸が他の部族の手に落ちることは即自らの部族の存続の危機を意味するがために、他の部族とも「対抗的・戦闘的」関係をとらざるをえない。「沙漠」で誕生した唯一絶対なる人格神は、この「自然と対抗する人間」の全体性の自覚化であり、人間たちはそれへの絶対的服従を宿命づけられたのであった註4

 第三の「牧場」は、何よりもヨーロッパの風土であり、乾燥(夏)と湿気(冬)の綜合・弁証法である。その根源はギリシアにあり、陰がなくすべてが露わな「真昼」のごときギリシア的風土が、従順で明朗で合理的な自然という見方を育み、人間による自然の支配と、自然との戦いからの人間の解放を可能にし、ひいては人間活動の激成を可能ならしめた。奴隷のおかげで労働からも解放された市民たちは、何よりも「観る」ことに喜びを覚え、数々の芸術的・知的創造を成し遂げた。純粋な「観」としてのtheoria(テオリア)は、その精髄であろう。

 このギリシア的風土性が、古代ローマのポリスの「統一的」巨大化を通して、西欧へと伝播し、元々夏季の乾燥ゆえ雑草が少ない従順な自然の支配を可能ならしめ、しかしながら日光に乏しく雨の多い冬季の「陰鬱」が、内面への沈潜をもたらし、その深みと抽象への傾向が、沙漠=土地からの抽象を特性としたユダヤ教的精神性と共鳴して、人格的な唯一神への信仰を西欧人の心に深く根付かせることになった註5

 こうして、和辻は、風土の三つの類型を論じた後、モンスーン的風土の特殊形態として、シナと日本を論じる。和辻は、日本的風土の特性をどのように捉えるのか。

 日本人も、モンスーン的風土性を共有しているがゆえに、基本的に「受容的」であり「忍従的」である註6。しかし、そこに、日本列島に固有な地理的・気象的条件が重なることにより、「熱帯的/寒帯的」という二重性格(稲/麦に代表される)と、「季節的・突発的」という二重性格(台風に代表される)が付加される。結果、日本人の性格、存在の仕方が、以下のごとき、複雑に転変する様相を呈することになる。

 

そこで日本の人間の特殊な存在の仕方は、豊かに流露する感情が変化においてひそかに持久しつつその持久的変化の各瞬間に突発性を含むこと、及びこの活発なる感情が反抗においてあきらめに沈み、突発的な昂揚の裏に俄然たるあきらめの静かさを蔵すること、において規定せられる。それはしめやかな激情、戦闘的な恬淡である。これが日本の国民的性格にほかならない。

 

 その「しめやかな激情」を象徴するものこそ、豪奢なる桜が風に舞い散る様に心震わす情緒であり、「戦闘的な恬淡」の顕著な現れが、闘争における生への執着から生の超越にまで高まる淡白なる自死である。

 この「しめやかな激情」と「戦闘的な恬淡」は、男女の恋愛においても典型的に現れる。その極点である「情死」こそ、台風的激情性の只中での静かなあきらめ、生命の否定における恋愛の肯定をしめやかに成就する行いなのである。

(この後、和辻は、恋愛の延長線上に、「しめやかな激情」と「戦闘的な恬淡」の家族的な「間柄」における実現として、日本的「(うち)」の特殊性を、ヨーロッパとの比較により描き出す。「家の家」としての天皇制=国家論を含め、微妙な政治思想的問題を孕んだその論もまた興味深いが、ここではGEIDO論の展開をさらに進めるためにその検討は割愛したい。)

 

 私は、先に、マクロン大統領を初めとした欧米の各国首脳による新型コロナウイルスとの「戦争」というメタファーに、曰く言い難い違和感を覚え、そこから人類と自然との別様の関係の可能性を模索してきた。

 和辻による風土の「三つの類型」論、そして日本的風土性の定義からすると、私たちは、ウイルスとの「戦争」、さらにはハイデガーの「大地と世界の闘争」をすら、「沙漠」的風土、そしてそれに精神の深みで共鳴した「牧場」的風土、すなわちヨーロッパ的風土における、人間と自然との「戦闘的・対抗的関係」に帰すことができるのだろうか。そして、それに対する私自身の曰く言い難い違和感を、「日本の国民的性格」、すなわち「しめやかな激情」と「戦闘的な恬淡」による自然との「情死」に起因すると言いうるのだろうか。しかし、和辻自身も言うように、人間は、そうした風土からの「負荷」を被る存在であるとともに、そこから「自由」ともなりえる主体性を兼ね備えた存在なのではないか。ということは、「沙漠」や「牧場」の民も、そして特殊に「モンスーン」的民も、各々がその歴史的負荷とともに風土的負荷を被りつつも、その負荷に抗い、そこから自らを振り解きつつ、新たな歴史と風土を創造する可能性も宿しているのではなかろうか。その可能性の一つが、もしかすると、私がとりあえずGEIDOと呼んでみたいものなのかもしれない。その可能性を探るためにも、私はさらに『風土』の第四章「芸術の風土的性格」を検討してみたい。

 

幾何学と「気合い」

 

 和辻は、芸術を風土論的視点から考察する。ヨーロッパと日本の芸術を比較し、その風土的異なり方を明らかにしていく註7

 ヨーロッパの芸術の原理は、何よりも「秩序から美が出る」ことであり、従って美とは「感覚的なるものにおける『論理的なること』の現われ」であり、芸術とは「調和的な世界連関の感覚的現わし」となる。だから、ヨーロッパの芸術家たちは、作品の「まとめかた」において美的形式原理の普遍妥当性を求めた。

 しかし、和辻は念を押す。ヨーロッパの芸術の偉大な源泉の一つ、古代ギリシア芸術は単に模範的な「まとめかた」を追求したわけではなかった。例えばギリシア彫刻の逸品においては、内から盛り上がるいのちの起伏と、シンメトリーや比例との結合こそが、その力強い美を生み出していた。この「内なるものを外にあらわにする」ことこそ、ギリシア彫刻の優れている由縁であった。ところが、古代ローマによるその「うつし」、模造ではこの原理が失われ、シンメトリーや比例という幾何学的形式のみが内なる生命から切り離され、その後特にルネサンスとともに、この数学的側面のみを強調することになり、それが近代ヨーロッパ文化の特殊性を形成した、と和辻は断定する。

 では、それに比して、東洋の芸術、なかんずく日本の芸術はいかなるものなのか。そこにもある種の「まとまり」はあるが、その規則は明らかに数量的関係ではない。では、何か。

 この問いへの橋渡しとして、和辻は「庭園芸術」を例に取る。

 ギリシアのポリス、劇場の多くは、美しい見晴らしをもった場所に位置している。そこからしても、ギリシア人たちにとって、風景の美しさが欠くべからざるものだったことがわかる。ただし、彼らは、その風景を「庭園」として理想化しようとしなかった。

 ローマ人たちは、古代ギリシアから劇場などの文化を受け継ぎつつも、風景の美を顧みることなく、自然を支配する人工の力に喜びを見出し、それを「庭園」という形に結晶化した。しかし、そこでは、ローマ郊外ティヴォリの有名なエステ家別荘の庭園などに典型的に見られるように、人工的な幾何学的な形が自然の美を殺している、と和辻は診断を下す。

エステ家別荘の庭園(ピラネージ画)

 では、それに比して、日本の庭園は如何。それは何よりも、「自然の美の淳化・理想化」である。が、それは単に「自然のまま」ではない。人工を自然に従わしめることこそ、日本の庭園の精髄だと言う。「自然を人工的に秩序立たしめるためには、自然に人工的なるものをかぶせるのではなく、人工を自然に従わしめねばならぬ。人工は自然を看護すること(・・・・・・)によってかえって自然を内から従わしめる。」

 和辻は、大徳寺真珠庵方丈の庭などを例にとり、その杉苔の「看護」の様をこう語る。

 

しかしこの杉苔は自然のままではこのように一面に生いそろうことのないものである。それはただ看護によって得られた人工的なものにほかならぬ。しかもこのように()いそろうた杉苔は刈りそろえられた芝生のような単純な平面ではない。下より盛り上がって微妙に・・・起伏する・・・・柔らかな・・・・緑である・・・・。その起伏のしかたは人間が左右したのではない自然のままのものであるが、しかし人間はこの自然のままの微妙な起伏が実に美しいものであることを知って、それを看護によって作り出したのである。

 

 そして、この「微妙に起伏する柔らかな緑」を刻む堅い敷石との関係、ある種の「まとまり」は、もちろん幾何学的な比例などではなく、いわば「気合い」とでも言うべきもので達成されている。人と人とが「気が合う」ように、苔と石、石と石との間も「気が合って」いる。この「気合い」によるまとまりこそが、日本の造園術のみならず、芸術全般の規則なき規則を成している、と和辻は見てとるのである。 

 幾何学的規則によるまとめかた、そして「気合い」によるまとまり。人工による自然の支配と、人工の自然への従属。ヨーロッパの芸術と日本の芸術の風土性は、かくも対照的に異なる。しかし、私たちは先に確認した。人間は、ということはもちろん芸術家もまた、風土的負荷を被りつつも、そこからの「自由」を主体的に求めることができる。私たちは、和辻が船や列車で旅したように、ある風土から別の風土へと旅することができる。そうして、徐々に、あるいは突如として、己れの出自の風土的拘束から「自由」になる。そして、未知の風土を発見する。自然に従順だった者も、自然と闘う術を知る。逆に、自然と闘い支配することしかできなかった者も、自然の懐に身を委ねる喜びを知る。そうした、風土横断的な旅から、それまで本人も、そして誰も知らなかった風景が立ち上がってくるのかもしれない。

 

第三風景としての新しい庭 

 

 「新しい庭は人間なしでつくられるのか?」 そう自らに、そして読者に問いかけるフランス人庭師がいる。ジル・クレマン。ローマ人たちの人工の力の美学を継承し、それを「庭」という形でものの見事に花開かせたこの国で、こう問いを発する庭師は、「新しい庭」を、こともあろうか「荒れ地」から発想する。「荒れ地」こそ、「わたしたちが必要としている新しいページなのではないだろうか?」と。註8

 和辻も説いていたように、ヨーロッパにおいて、庭、庭園は、イタリア式庭園やフランス式庭園を典型とするように、人間による自然の征服の象徴の一つであった。だからフランスのような「文明国」では、放棄された「荒れ地」は、人間=文明人の「恥」であり、自然に対する「深刻な敗北」を意味した。だが、人間による自然の支配が大きく揺らいでいる今こそ、こうした固定観念を大きく転換して、「荒れ地」――この「滅びゆくこととは無縁であり、生物はそれぞれの場所で一心不乱に生みだし続けていく」土地を、「新しい庭」への実験場としなくてはならない註9

 しかし、それは「新しい庭」から人間を排除することを意味しない。これまでも植物は、その種は、風や動物を介して、地球上のいたるところからいたるところへと旅してきた。その惑星規模の混淆、「組み合わせのゲームのなかで、人間という媒介者は最良の切り札」なのだ。だから、「荒れ地」、この「組み合わせゲーム」=混淆の旅の一中継地を出発点として、庭師は、「植物の自然の流れにしたがい」「場所に命を吹き込む生物の流れに入り込み」、自然と人間が共に「存在することのある種の幸福」を、「新しい庭」として翻訳する務めを担うのである註10

 そうした「新しい庭」の実験の一つを、クレマンはフランスのリールで行った。都市の大規模再開発地の只中に、周りを高層ビルに囲まれながら、「デルボランス島」という「荒れ地=庭」を(自然とともに)作りだした。高さ約7メートルの壁を巡らせたその上部に約2500mの土地が広がるが、そこに登る階段はどこにもない。年二回植生調査のため人が立ち入る以外、誰も入り込むことのできない「庭=荒れ地」なのである。この人間、文明にとってのあからさまな「恥」を、リール市長は当然のことながら「視覚的汚染」と形容して、撤去を求めた註11

デルボランス島(via wikimedia commons

 それはまさに、クレマンが「第三風景」と名付ける「人間が風景の進化を自然だけにゆだねた空間」を、大都市の只中に設えた「新しい庭」の試みだった註12。確かに、この「庭」には人間が立ち入ることはない。その意味では、人間が一切介入しない「ありのままの自然」が展開しているようにみえる。しかし、そこに吹く風、そこを訪れる鳥たち、そしてそれらに運ばれてくる種子たちは、周囲の都市的・建築的コンテキストに必ずや干渉されているはずだ。そもそもこの「手つかずの自然」のような空間を構想し施工したのが、クレマンを始めとした人間たちに他ならない。クレマンは、「生きているもの(vivant)」と、それによって作られる庭をこう捉えている。「わたしが言うところの生きているものとは、多様な自然と数多くの人類を同時に含んでいる。庭は『自然』の創造性に『人間』の技を組み合わせる。」註13

 この「第三風景」としての「新しい庭」は、惑星規模の混淆のネットワークの一中継地である。が、そのネットワークには「最良の切り札」としての人間もまた介在しているがゆえに、(我々がここまで参照してきたクレマンの訳者であり研究者である)山内によれば、そこに「美的次元」「文化的次元」がもたらされると言う。「惑星規模で撹拌された生態学的な環境のなかにクレマンが見いだすのは、新しい風景なのである。つまり惑星規模の撹拌は、実際の風景をつくりかえることで、生態学的事実と同時に美的次元にも作用している。〈動いている庭〉では、植物は生態学的環境にしたがって移動することで、時間的堆積という感覚できないものを形態として可視化していた。同様に〈惑星の庭〉においても、植物はより遠くへと移動し、あるいは人間によって移送されることで、惑星規模の撹拌という感覚できないものを風景や庭のなかへと、つまりロジェが言う意味での文化的次元へともたらす。」註14

 そしてまた、この「第三風景」としての「新しい庭」は、「準庭園」に留まりつづけることにより、世界の「庭園化」に抵抗し、政治的次元をも切り開くのである註15

 確かにそうなのかもしれない。しかしながら、思うに、この政治的次元の切り開きも、世界の「庭園化」への抵抗と言う視点からは両義的と言わざるを得ないのではないか。つまり、「準庭園」としての「新しい庭」は、デルボランス島のように、「庭園化」の只中に置かれた場合、それに抗う「抵抗」の仕草を演じうるが、一方そこへと風をもたらし種をもたらした主要因の一つが「庭園化」それ自体であり、さらには資本主義的に高度に発達した交通網やインフラ網でもあるからだ。「美的次元」もだから、少なくともその幾ばくかは資本主義的文明による「庭園化」の美的欲望に負わざるを得ないのではないだろうか。惑星の庭を作り出す地球規模の撹拌はだから、「新気候体制」(ブルーノ・ラトゥール)という脅威の幾ばくかをも肯定してしまう危険性を孕んでいるとは言えないか。

 

人間は松になれるか?

 

 ところで、山内は、その庭師でもある経験に裏打ちされた、庭の松についての興味深い小論を書いている註16

 伝統的な日本庭園の主要素の一つである、奇妙な形にうねり捩れた老松。山内はなぜ、「自然樹形ではきわめて直線的に伸び、幾何学的に枝葉を展開していく」はずの松がそのような異形を成していくのかを、理論的・体験的に問うていく。

 山内は、古来の作庭書を繙きながら、日本の庭園は基本的に海景を見立てていて、奇妙に捩れた老松も、長年強い潮風や荒波を受けながら抗い変形し、辛うじて生き延びてきた松を模し仕立てた姿ではないかと推論する。

 

こうした野生と仕立てが互いを含みあう相互交雑の過程を考慮に入れるならば、庭の松の姿の念頭に置かれている荒磯の松の姿とは、技術に媒介された人為的野生とでもいうべきものであり、文字通り・・・・野生・・でありながら・・・・・・仕立てられている・・・・・・・・。他方、荒磯の・・・松の姿の・・・・念頭に・・・置かれている・・・・・・庭の松の姿・・・・・とは、野性的人為とでもいうべきものであり、高度に・・・つくり込まれて・・・・・・・いながら・・・・野生のものなのだ・・・・・・・・。私たちはこうした重層的な相互包摂過程の圧縮体として、奇形化した庭の松に野生を見、奇形化した岸壁の松に仕立てを見る。

 

 この松と庭師の、野生と仕立ての相互交雑・包摂。山内は、その相互作用をさらに深掘りし、奇妙なことを言い出す。

 

しかしながら仕立てられた松の姿が、海景に点在するいびつな松の姿を畳み込んでいるとすれば、古葉を落として枯枝を折りとり、枝を透かす庭師の技術は、海岸の潮風や塩害、ひいては大波や台風にも見立てることができる。庭師が自然物としての松の本性を別様に展開させ、仕立てていくとき、庭師は松の性質を理解するだけでなく、その性質につき従う必要があるからだ。それゆえ同時に、松は自らに触れる人間の本性を別様に展開させ、自らの植物的性質に巻き込むことで庭師を・・・自然現象に・・・・・仕立てる・・・・だろう。庭師は松を仕立てているようでいて、松に仕立てられもする。

 

 ここで山内は、非常に特殊なことを言っている。おそらくは通常のヨーロッパの庭師には(クレマンはどうだろうか?)到底理解できない、どころか感覚的にも経験不可能であろう、しかし山内を含め日本の多くの庭師にはむしろ自明かもしれない体験、すなわち「松になる」という体験であり技である。松を仕立てる庭師は、自らが仕立てつつも、やがて松をそういう形へとあらしめた松自体の植物としての特性、そして強風や荒波や急崖などの物理的・生物的(ことわり)へと、巻き込まれ仕立てられて、いつの間にか荒磯に揉まれる松そのものになりきる・・・・のではないか。庭師は、松の内在的強度と、それを誘発する環境的交響体へと「生成変化」することで初めて、仕立てられ/仕立てる「共演」としての「庭」が励起してくるのではないか。

 そして、この人間の自然への生成変化と自然の人間への生成変化、その目眩く相互換入は、何も松や庭の仕立てにとどまらず、日本の多くの職人芸や藝道に共通した原理であり動力であろう。それは、「共生」という言葉が通常惹起する何やら予定調和的な関係性ではなく、むしろ一期一会の真剣勝負、しかし決して「戦争」などではない、(和辻の「気合い」ならぬ)「合気」の一番であろう。

 

風土化から脱風土化へ

 

 フランスの風土学者、オギュスタン・ベルク。彼は『風土学はなぜ 何のために』註17の中で、自己の学の生成――この(彼によれば)少なくともヨーロッパの「近代」的学問の限界を乗り越える可能性を提示する独創的な学、すなわち「風土学 (mésologie)」の生成を、個人史的に振り返っている。

 ヨーロッパ的学問の土壌で自己形成したベルクに、その学的方向性を大きく変更させたのは、何よりも日本文化との出会い、なかんずく和辻哲郎の『風土』であった。ベルクは、西田幾多郎など他の(主に京都学派の)哲学をも批判的に読解しつつ、またヤーコブ・フォン・ユクスキュルの「環世界」論やハイデガーの存在論に触発されながら、(歴史性とともに)人間存在の構造契機の一つと彼がみる「風土性」の生成メカニズムを「通態化(trajection)」という新しいコンセプトとして練り上げていった。その最初のステップ=定式化が、r=S/P、「現実(r)は、PとしてのSである」だ。Sは命題における主語(Sujet)、Pはそれについて言明される述語(Prédicat)であり、r現実(réalité)が小文字なのは、それが近代科学の前提とするような即自としての絶対的実在Réalitéではなく、人間が世界と関わる時につど生起する相対的な現実であるからだ。例えば、私が「これは庭である」と言う。その時、「これ」という主語が意味するものは物理的に存在するが、それは同時に私にとっては、生態的(多くの植物動物が織りなす)、技術的(人間の造園術が作り出す)、そして象徴的(「庭」という言語・概念として規定される)現実=rとして立ち現れる。このr=S/Pという過程、すなわち現実=風土が主体sujetと客体objetの間に、「/」として・・・それらを横断して生成されてくる過程・メカニズムを「通態(trajet)」ないし「通態化(trajection)」と、ベルクは名づけたのである。

 しかも、この風土の生成=通態化は、一回限りのものではない。次の時代の庭は、この時代の庭を前提として造園されるだろうし、その次の時代の庭も同様であろう。そうした「通態的な連鎖(chaîne trajective)」が庭の「歴史」を作っていくのであり、それはもちろん「庭」に限らず、人間の作り出すあらゆる事象=風土についても言いうるだろう。それを定式化すれば、((S/P)/P')/P''…となる。

 これが、ベルクの把捉した風土性・通態性の最初のステップ=定式化だとすれば、第二のそれは、r=S-I-Pである。第一の定式とどう違うのか。新しい要素Iは「解釈者」である。風土r=S/Pは、その生成に関わる特定の人間=Iいかんによって、そのつど立ち現れ方を変える、ということである。近代科学は逆に、このIを捨象する、すなわちカッコに入れ、普遍的な虚視点――ブルーノ・ラトゥールが「どこからでもない視点」「シリウス的視点」と言っていた視点――で置き換え、S-Pという二元論で世界をことごとく解釈しようとした。それに対し、

 

風土学は、解釈者IをS-Pの対から締め出すことで満足する狭い合理主義に代えて、より豊かでより正統的な理性をうちだす。それは、S-I-Pの三つ組を成す具体的な現実を考慮に入れ、実際は「SはIにとってPである」と認識する理性である。風土の具体的現実において、水は単なるH2Oではけっしてない。水は、エチオピアの農民にとっては恵みの雨、エロー川流域の住民にとっては破滅的な洪水、人がその上で転倒する雨氷、夕空に浮かぶ飛行機の航跡、等々である。すなわち、水(S)は特定の解釈者(I)によって、そのつど何かとして(S/P)、つねに通態化されるものである。註18

 

 そしてベルクは、近代(科学)が称揚したS-Pという二つ組=抽象を、緊急にS-I-Pという三つ組に置き換えねばならないと言う。なぜなら、

 

人間主体(I)は、その科学と技術がつくり出した客体的世界から自己を引き離したおかげで、自分自身を抹殺しかねない危機に瀕しているからである。それが実際のところ、人間が自己の風土(エクメーヌ)を支える生命圏を荒廃させながら、行ってきたことなのだ。われらの栄えある人新世(アントロポセン)は、短命に終わりそうだ。というのも、人類の歩みは、地球上で六度目の生命大消滅に赴きそうな勢いだから。註19

 

 だから、風土学としての最終的な定式はr=S-I-Pであり、その通態的連鎖である(((S-I-P)-I'-P')-I''-P")-I"'-P"'…となる。

 この定式の連鎖は何を意味するのか。

 

述語的審級(人間主体、より一般的には生物主体)が、通態化によって、IからI', I'', I'''等々へと進化し、それにつれて環世界の現実も、S/P, S'/P', S"/P", S'''/P''' 等々へと進化する、ということを。風土学にとって、そういうことが進化と歴史の根本的論理であり、それは偶然(アザール)と必然を、偶発性(コンタンジャンス)と主体性に置き換えるということである。われわれは、「より秩序立てられた方向(過去)から、より秩序立てられない方向(未来)に向けられた矢」において、地球におけるもっぱら物理的な決定から徐々に進み、生命圏における拡大する自由を経て、風土における人間主体の自由意志に到達する。註20

 

 この、ベルクの風土学的達成は、まさにヨーロッパの「牧場」的な学的風土による「負荷」を負いながら、日本という「モンスーン」的風土の特殊形態に出会うことにより、半ば「自由」となり、その新たに自己形成したIによって、自らが出来した学的風土を「通態」的に書き換えた結果得られたものに他ならない。だからこそ、その新たな学的風土は、西欧「近代」の科学・哲学が前提する理論的構え(S-P)に対しある種の批判力を蔵することができただろう。しかし、その西洋的二元論の〈脱中心化〉は(訳者の木岡伸夫も言うように)註21、おそらくはハイデガー(!)との学的再会により、Sとしての「大地」とPとしての「世界」との「闘い」へと〈再中心化〉され、西洋形而上学的伝統に再び自らを繋ぎ直した、と言わざるを得ない。

 〈再中心化〉において、ベルクの風土学は、少なくとも二つの限界を露呈する。

 1)確かに、最後の通態的連鎖の定式化が示すように、その通態化の歴史は、S-I-Pが常に次代のS'-I'-P'を生み出しつづけることによって限りない「進化」を遂げてきた。そしてベルク自身「最初のSについては何も言えない(なぜなら、Sは定義上、すでに S/Pへと通態化されているからだ)」としながらも、「最初のS」を自己同一的な根源的存在として措定し実体化することをやめない。しかし、先の通態的連鎖を表す定式は、その論理に従う限り、未来へ向かって無限に「進化」していくのと同様、過去に向かってもやはり無限に遡行しうるはずだ。と言うことは、「最初の・・・S」のみならず、「最初の・・・S-I-P」というもの自体が「在る」とも「無い」とも言えないのだ。ベルクが、そこから〈脱中心化〉の契機を得た和辻や西田の哲学は、故にそれを仏教的な「空」と観じた。が、〈再中心化〉したベルクには、それが「神秘的・宗教的跳躍」と見えたのだ註22。しかし、ベルクの通態的連鎖の論理に忠実に従う限り、逆に「最初のS(-I-P)」を自己同一的な実体と前提してしまうこと自体が、論理的かつ理論的な「跳躍」と言わざるを得ないだろう。

 2)なぜ、ベルクには、「最初のS(-I-P)」を「空」と観じること、「有」とも「無」とも断じることなく、その〈あいだ〉の境位をそのままに観じることが「宗教的・神秘的跳躍」としてしか映じなかったのか。それはおそらく、ベルクに坐禅ないし瞑想の経験が少なくとも「空」を観じるほどにはなかったからではないか。

 先に引用した文に続き、ベルクはこう書く。

 

つづいて、I の主体性は、連鎖を重ねるごとに、現実へとよりいっそう浸み込んでゆく、ということを。つまり、S/P の関係よりも S'/P'の関係に、よりいっそう主体性が浸透する。なぜなら、S'はIによるSのPとしての解釈にほかならないからだ。同じ理由から、S'/P'よりも S"/P"に、よりいっそう主体性が浸透する。以下、同様である。いいかえれば、風土はよりいっそう人間的となり、犬の環世界はますます犬的に、猫の環世界はますます猫的になる、等々といった次第で、こうした事実の全体は、いっそう「環境」に還元できなくなる。これによって、各々の環世界・風土には、そこに存在するものが人間主体であれ、人間以外の主体であれ、それぞれに固有の風土性(メディアンス)(環世界性)が生じる。註23

 

 人間を含めた生物種それぞれは、こうして進化するとともに、ますます「主体性」を浸透させ、固有性を増していくのかもしれない。人間はますます「人間」的に、犬はますます「犬」的に、猫はますます「猫」的になっていくのかもしれない。しかし、少なくとも人間は、こうして「進化」するだけでなく、(前回見たように)ある種の行、例えば瞑想や(踊躍)念仏によって、この通態的連鎖を遡行する、「脱通態化」することもできるのだ。そうした行は、(ベルクの定式に則るなら)先代のS-I-Pに「'」を加える行為ではなく、逆に先代の「'」を取り去る行、先代のみならず、行の深まりとともに、先々…代の「'」を次々と取り去り、先々…代のS-I-Pへと限りなく遡行していく身心的プロセスであろう。それは、だから、Iによる「として」=「/」を次々と脱ぎ捨て、Sを脱風土化=脱「人間」化していく過程でもある。それはだから、より「人間」でないものに「なる・・」過程に他ならない。「文明人」が「野生人」へと、「動物」へと、「植物」へと、「分子」へと生成変化していく過程だ。まさに、庭師が松になり・・「仕立てられ」ていく過程、踊る時衆が畜生になる過程、瞑想する行者がカラーパになる過程だ。私たちが、これまで「分子」から「人間」まで通態化してきた無数の風土を無限に遡り、それらの風土的負荷から次々と「自由」になり、大地へと、ガイアへと、尽一切へと転生していく過程だ。

 

註1 和辻哲郎『風土――人間学的考察』、岩波文庫、1979年、3-5頁。なお、今回の論は一部、次の既出の拙論と重複することを許されたい。熊倉敬聡「Creativity3.0をめぐるノート」(University of Creativity)

註2 以下、「風土の基礎理論」は、同書第一章、9-33頁。

註3 同書、34-62頁。

註4 同書、62-90頁。

註5 同書、91-178頁。

註6 同書、199-208頁。

註7 同書、252-303頁。

註8 ジル・クレマン『動いている庭』、山内朋樹訳、みすず書房、2015年、6-7頁。

註9 同書、7-10頁。

註10 同所。

註11 山内朋樹「新しい庭は人間なしでつくられるのか」、『あいだ/生成』2012年第2号、12-13頁。

註12 同書、14頁。

註13 同書、16頁。

註14 同書、23頁。

註15 同書、24-25頁。

註16 山内朋樹「野生と仕立ての相互包摂――庭の松についての試論」、『あいだ/生成』、2016年第6号、77-83頁。

註17 オギュスタン・ベルク『風土学はなぜ 何のために』、木岡伸夫訳、関西大学出版部、2019年。

註18 同書、88頁。

註19 同書、90頁。

註20 同書、94頁。

註21 同書、「訳者解説」参照。

註22 同書、99頁。

註23 同書、94頁。

 

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著者略歴

  1. 熊倉敬聡

    1959年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒、パリ第7大学博士課程修了(文学博士)。Ours lab. 共同代表。元慶應義塾大学教授、元京都造形芸術大学教授。フランス文学 ・思想、特にステファヌ・マラルメの貨幣思想を研究後、コンテンポラリー・アートやダンスに関する研究・批評・実践等を行う。大学を地域・社会へと開く新しい学び場「三田の家」、社会変革の“道場”こと「Impact Hub Kyoto」などの 立ち上げ・運営に携わる。主な著作に『瞑想とギフトエコノミー』(サンガ)、『汎瞑想』、『美学特殊C』、『脱芸術/脱資本主義論』(以上、慶應義塾大学出版会)などがある。http://ourslab.wixsite.com/ours

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