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GEIDO試論 熊倉敬聡

民藝からGEIDOへ(その2)遊行のラディカリズムへ――柳宗悦、一遍、ドゥルーズ&ガタリ

 

 

『南無阿弥陀仏』

 

 『美の法門』(1948年講演、翌年上梓)から三年後、柳は、その美の宗教のさらなる思想的探索を、浄土門の中に展開していく。それが『南無阿弥陀仏』である。

 なぜ、浄土門なのか。なぜ、南無阿弥陀仏なのか。その由縁を、柳は「趣旨」で述べる註1。「南無阿弥陀仏」こそ、「人類の思想史における最も驚くべき出来事の一つ」であり、「人間が考え得た宗教思想の一つの極致」であると絶賛する。浄土門こそ、この念仏の一門・一道こそ、(自力の難行に耐えないであろう)一般の民衆にとって「絶大な恩寵」だからだ。しかし、と柳は付言する。浄土門=他力門に心惹かれるのは、聖道門=自力門を否定したいからではない。世間ではとかく、両門の優劣を論じたり、両門が争いあったりもするが、所詮それは初歩的なことにすぎず、自分はむしろ両門が、同じ頂きを目指す二つの道であると観じる。浄土門は、主に法然、親鸞、一遍によって深められたが、自分は三者を「一者の内面的発展のそれぞれの過程」において見たい。が、なかんずく、これまで他の二者に比べて、研究において不遇にあった一遍こそが、浄土門を究竟(くきょう)にまで導き、彼において「自力他力の二門が邂逅」し、「自他一如の境」に至りつくのである。

 柳はこう「趣旨」で、自分がことさら浄土門、南無阿弥陀仏に惹かれた由縁を述べる。私は、柳の晩年の傑作と誉高いこの宗教思想論の全貌について論及したい心持ちも強く感じるが、ここではあえてGEIDO論をさらに先鋭に繰り広げたいがゆえに、柳によれば浄土門の究竟を極めたという一遍の宗教的・思想的ラディカリズムに照準したい。

 

念仏と民藝――人と品の浄土へ

 

 一遍の浄土門としての究竟、ラディカリズムは奈辺にあるのか。柳によれば、彼が一切のものを捨て、一切を六字=南無阿弥陀仏そのものにした点にある。「念仏の一門は一遍に来て、その最後の花を美しく開いた。彼は念仏の意義を究竟(くきょう)の点まで高めた。あるいは(きよ)めたといってもよく、深めたといってもよい。念仏独一の法門に達した。独一であって、これ以上行き得ぬ境地にまで念仏の意味を押し進めた。そうして一切のものを捨棄して、六字のみを活かした。否、一切を六字そのものになした。」註2法然においては「私たちが阿弥陀へ帰入」し、親鸞においては「阿弥陀が帰せよと私たちに命じる」のに対し、一遍は「私たちと阿弥陀とを不二(ふに)の境に見る」。故に、一遍においては、人が仏に念仏するのでもなく、また仏が人に念仏を求めるのでもなく、「念仏が自ら念仏している」のである註3。この、人も仏も消え、ただ念仏の反復、永劫回帰のみが響き渡る境域こそ、「浄土」であり「極楽」である。一遍のラディカリズムは、この「念仏至上主義」とも「念仏原理主義」とも言いうる絶対の境地を究めることにあった。

 

 なぜ浄土門なのか。なぜ南無阿弥陀仏なのか。なぜ一遍なのか。実は、柳にはこれを問い論じるべき、もう一つ別の狙いがあった。民藝、その理想郷である「美の浄土」を思想的・宗教的に裏打ちするという狙いである。

 『美の法門』は、私たちが「美の王国」を作らねばならないと説いていた。そのためには、民衆が念仏により救われるのと同様に、彼らが用いる品物においてもまた「衆生済度が果たされねばならぬ」註4。片田舎に住みながら念仏のおかげで篤く安心を得ている信者「妙好人」と同様に、民藝の品々もまた「妙好品」とでも呼んでしかるべきではないか。念仏の反復が凡夫たちをして自己を離れさせ、浄土に赴かせるように、やはり凡夫たる工人たちもまた手と心の反復により自己を離れ往生する、と同時に彼らの手の内で生まれる品物もまた浄土へと(いざな)われる。民藝の「他力美」。民藝は、こうして思想的・宗教的に浄土門に裏打ちされ、人と品ともに往生する「美の浄土」の降臨に浸される。『美の法門』でも説かれた美醜未生の国である。

 

「たとひわれ、仏を得たらんに、国の中の人天、形色(けいしょく)同じからずして、好醜あらば、正覚(しょうがく)をとらじ」〔『大無量寿経』の四十八大願のうちの第四願〕。

これは「無有好醜」(好醜有ることなし)の願と呼ばれるもの、念仏の宗門において、まだこの願の意義を取り上げたものを見ないが、しかしこれこそは美の法門の依って立つべき経文だといえよう。好醜とは美醜の別のことであって、この差別の残る所に仏の国はないことを告げる。善悪、凡愚の差別の彼岸に念仏の一門が立つなら、同じく美醜の彼岸に藝術の浄土があるべきである。一切の真に美しい作物はまがいもなくこの真理を示すものといえる。醜に対する美は、(いま)だ充分に美だとはいえぬ。この第四願はまさしく美醜以前、美醜未生を報らせようとするのである。この願以上に、藝術の浄土を説くわけにゆくまい。その美の浄土があれば「無有好醜」でなければならぬ。

 

  仏は「凡てのものを美しさで迎える」。誰が何を作ろうと「本来は凡て美しくなるように出来ている」。仏の国=浄土では、「何処にも争う二がない」、「凡ての者、凡ての物が、救われている」。そこでは人が美しいものを作るのではなく、「仏自らが美しく作っている」。「美しさとは仏が仏に成ること」である。そして「本来あるがまま・・・・・のものが美」(傍点筆者)なのである註5

 この、柳の言う「あるがまま」とはどういう意味か、どういう事態か。柳には「あるがまま」としてどのような情景が観じられていたのか。「実は彼岸が此岸に在るのである。此岸を離れて彼岸はないのである。彼岸こそ此岸の本体なのである。」註6

 此岸=彼岸。念仏が念仏となり、民藝が民藝となり、仏が仏となるまでに、往生し成仏し悟ったかもしれぬ柳にとっては、此岸にして彼岸、「ありのまま」がすべて「美しい」と映じていた、のかもしれない。来る日も来る日も念仏に明け暮れ、民藝に明け暮れ、自らが仏となった、いや仏が仏となった境地においては、確かにそうなのかもしれない註7。この時、「あるがまま」は、すべての物、すべての者それぞれの特異性のきらめきなのだろうか。それとも、そうした特異性が一様に中性化された茫漠たる広がりなのだろうか。仮に前者だとして、はたして柳以外のすべての者も、その境地にありつづけられるのだろうか。念仏と民藝に明け暮れ、浄土へと成仏しつづけられるのだろうか。その通りだ、いや少なくともそうあるべきだ、と柳は言っているように見える。しかし、そうあるべきだとしても、彼以外の多くの者は、仮相たる現世に舞い戻ってしまうだろう。それどころか、念仏も唱えず、民藝も愛でず、日々を過ごす輩がほとんどではなかろうか。そうした時、成仏した者=柳は、そのもう一つの「あるがまま」に何をなしうるのか。もちろん、念仏を唱えよ、民藝を愛でよ、と説きつづけるだろう。実際、柳の生涯とは、そうしたものだった。昏き者たち、己れの手の内で「美」を生みつつも、それを知らぬ者たち。己れの心の内に仏を宿しつつも、それに気づかぬ者たち。だからこそ、「明るい」者が、美と仏を「直観」しうる者が、彼らを手招きし、無明から美と仏の光明へと導かなくてはならないのだろう。

 しかし、もう一つの「あるがまま」は在りつづける。柳亡き後も、在りつづける。いや、ますます幅をきかせ、地球上を覆い、人々の心、体の微細な襞にまで浸透しつづけているようにみえる。この「あるがまま」がやがて、にもかかわらず、もう一つの、真の(?)「あるがまま」へと、浄土へと、極楽へと転成するには、今なお念仏を唱え、民藝を愛でるしかないのだろうか。

 

踊躍念仏――一遍のラディカリズム

 

 ところで、念仏と並んで一遍の行の根幹にあるにもかかわらず、なぜか奇妙なことに柳が『南無阿弥陀仏』で全く触れなかったものがある。「踊り」、「踊躍(ゆやく)」である。

 「踊躍念仏」、通称「踊り念仏」。「念仏が念仏する」という他力道の究竟とともに、一遍の遊行のオリジナリティを構成するもう一つの契機、「踊躍」。一遍にあって、それが「念仏」と絶えずカップリングされているがゆえに、柳が『南無阿弥陀仏』で、それに全く言及していないのは、甚だ奇妙だ。なぜなのか。もしかすると、その極限的な「猥雑さ」が、柳の美学、「美の浄土」には相応しくなかったからかもしれない。

 

念仏する時は、頭をふり肩をゆすりておどる事、野馬のごとし。さはがしき事、山猿にことならず。男女根をかくす事なく、食物をつかみくひ、不当をこのむありさま、併、畜生道の業因とみる。註8

 

 それは、即興的トランス、集団的エクスタシーを惹起する乱舞。時衆たちが念仏を唱えながら(しょう)(はち)を叩き、群がり来る民を煽り立て、そのアナーキーな法悦を伝染させ、ともに浄土へと連れ去る。しかも、煽られ、興奮しすぎた者たちは、男女問わず己れの陰部を曝け出し、野山の獣同然の風情。確かに、その「野性」は、柳の美意識には似つかわしくなかったのかもしれない。

 私は、ここで柳から離れ、この踊躍念仏に放たれる「野性」にこそ注目したい。

 詩人、現代思想家であり、かつ自身が浄土宗の住職でもある守中高明は、その『他力の哲学』において、まさに踊躍念仏を、現代思想、なかんずくジル・ドゥルーズ&フェリックス・ガタリの思想を援用しつつ、分析している註9

 守中は、踊躍念仏の原理を「来たるべき人民集団」というアクチュアルでアクティヴィスト的な実践として捉える。そのアクティヴィズムはまず、(あらゆる社会的価値観も含め)全てを捨てたからこそ可能な、絶対的特異者たちの「平等」、すなわちあらゆる「異類異形」な者(動物の殺害を生業とする者からハンセン病者に至るまで)を「ともがら」として受け入れることにあった。それは、当時の「穢れた」非人たちを差別する社会構造へのラディカルで革命的な異議申し立てであった。

 

この集団の中では、彼ら/彼女らはそのそれぞれの「此性」において、すなわち、相対的比較考量を可能にするようなどんな共約可能性からも離れたその存在の絶対的単独性において平等・・なのであり、たがいになに一つ共通のものを持たないまま、しかしその差異の数々が産み出す普遍性の地平においてたがいに平等・・なのである。いかなる社会的属性もその価値を無化され、裸形の声たちだけが響き合う集団編成......。註10

 

 守中の一遍論のキーワードの一つは「此性(これせい)」だ。この聞き慣れない言葉は、中世の神学者ヨハネス・ドゥンス・スコトゥスの概念を現代的に敷衍したドゥルーズ&ガタリが『千のプラトー』で理論的に変奏していった特異な言葉である。

 

人称や主体、あるいは事物や実体の個体化とはまったく違った個体化の様態がある。われわれはこれを指して〈此性〉heccéitéと呼ぶことにする。ある季節、ある冬、ある夏、ある時刻、ある日付などは、事物や主体がもつ個体性とは違った、しかしそれなりに完全な、何一つ欠けるところのない個体性をそなえている。この場合すべては分子間や微粒子間における運動と静止の関係であり、また触発し触発される(情動をおよぼし情動を受けとめる)能力であるという意味で、こういったものは〈此性〉なのである。註11

 

 衆生の「此性」が響き合う集団編成――守中は、一遍の踊躍念仏をそう捉える。この、絶対的特異性たちが交響し、渦巻く「平等」なるエクスタシーの力能・強度。これこそが、社会の差別的構造を解体し、民衆をその「イデオロギー的主体形成作用から解放」した、一遍の政治的ラディカリズムであった註12。しかも、そのラディカリズム=平等は、人間のみならず、「山河草木」「ふく風たつ浪」にまで及ぶ。

 

かやうに打あげ打あげとなふれば、仏もなく我もなく、まして此内に兎角(とかく)の道理もなし。善悪の境界、皆浄土なり。外に(もとむ)べからず、(いとう)べからず。よろづ(いき)としいけるもの、山河草木、ふく風たつ浪の音までも、念仏ならずといふことなし。人ばかり超世の願に(あずかる)にあらず。註13

 

 すべての人間のみならず、あらゆる生きとし生けるもの(「ガイア」!)までが念仏なのであり、成仏すると言う。一遍の踊躍念仏はまさに生態学的に転回・展開すらしていたラディカリズムでもあった。

 

動物への、分子への生成変化

 

 ここで私は、この一遍のラディカリズムをさらにラディカルに、アナーキーに、「野性」的に追究してみたい。この裸形の声と踊躍が響き合い、拍動しあっていた集団編成の中では、いかなる情動、強度が渦巻いていたのか。その情動に、強度に天才的に同期し、しかもそれを特異な言語の奔流へと刻みつづけるアナーキズム研究者がいる。栗原康である。

 

一遍がうりゃあといってはやくたたくと、うたもおどりもスピードをあげる。もっともっととおおきくたたくと、声と身体もおおきくはねる。もっとはやく、もっとたかく、もっとおおきく。さけんでうたって、おどってはねろ。そうやって、一遍が時衆をあおりまくっていると、念仏房ともうひとりのお坊さんも、お椀と棒切れをとってきて、輪のまんなかにはいり、ホラッホラッと、そいつをガンガンとたたきはじめた。もっとはげしく、もっと乱雑に。もっとくるしめ、もっとくるしめ、死ね、死ね、死ね。フオオオオオオッ、エクスタシー、エクスタシー!!一遍たちは未知の領域にふみこんでいった。人間の限界の、限界の、さらに限界をこえて、ありえないようなうごきをみせはじめた。まるで痙攣でもおこしているかのように、ブルブルブルッと猛烈ないきおいで体をゆさぶり、フオオオッ、フオオオオオオッっと奇声をはっしながら、あらあらしくとびはねた。ひとにも物にもバシバシとぶつかり、スッころんでもすぐまた起きあがる。足が擦りきれ、血液がふきだしてもかまいやしない。まるで獣だ、野蛮人だ。ここまでくると身分の上下も、キレイもキタナイも、男も女も関係ない。およそ、これが人間だとおもいこんできた身体の感覚が、かんぜんになくなるまで、自分を燃やして、燃やして、燃やしつくす。いま死ぬぞ、いま死ぬぞ、いま死ぬぞ。体が念仏にかわっていく。どんどん、どんどんかるくなる。まだまだいける、まだうごける。いくらはねても、つかれやしない、その力、無尽蔵だ。ああ、これが仏の力を生きるということか。生きて、生きて。生きて、生きて、生きて、往きまくれ。おまえのいのちは、生きるためにながれている。なんでもできる、なんにでもなれる、なにをやっても死ぬ気がしない。あばよ、人間、なんまいだ。気分はエクスタシー! 註14

 

 どうだろうか。私たちは、柳の「美の浄土」からはるかに遠い世界、リアリティに放たれていないだろうか。この「リアリティ」はしかし、栗原の特異な感性と想像力が発明したアナーキズムの「物語」ではない、と私は確信する。自らの経験から、そう確信する。

 しかし、自らの経験、と言っても、私には踊躍念仏の経験はない。が、ある種の踊り・ダンスの経験がある。

 私は以前、10年間ほど、勅使河原三郎率いるダンスカンパニーKARASのワークショップに毎週通っていた。1990年代前半、社会的にも、芸術界でもまだ「ワークショップ」と言う語が珍しかった時代、まともに踊った経験もなく、ましてや持病の喘息を抱えていた私でも辛うじて通うことができる場であった。それまではとかく頭でっかちであった私はそこで、人生が、自分の身体がコペルニクス的に転回する体験を数々したが、本論の文脈に限っても、以下のような貴重な「発見」をした。

 私が学びえたかぎり、勅使河原のダンス哲学には二つの核心がある。「脱力」と「呼吸」である註15。彼のダンス・メソッドは、おそらくクラシック・バレエからヨガ、舞踏などに至るまで古今東西の多様な身体技法がオリジナルに組み合わされたもので、それらを駆使して身体の「脱力」が図られる。その要諦は、身体の「初期化」だ。私たちの身体は、「人間」として、そして(私の場合なら)「日本人」として生き、動けるように、出生直後から多様なプログラムをインストールされる。そうしてインストールされたプログラムに従って、私たちは歩き、座り、走り、あるいは服を着、食べ、話し、寝る。だが、勅使河原によると、身体がプログラム通りに作動しているかぎり、それはダンスにはならない。ではどうするか。身体から可能なかぎりのプログラムをアンインストールする、身体を「初期化」する。それこそ、ドゥルーズ&ガタリの用語を使えば(勅使河原は使っていなかったと思うが)「器官化」された(すなわちプログラムされた)身体を「器官なき身体」に差し戻すのだ。

 身体を「脱力」する、「脱器官化」するための実際の方法、ワークにどんなものがあったか。20数年後の今もはやすべてを想起できない。が、踊躍念仏に絡めて印象的に思い出されてくるワークがいくつかある。例えば「限界」を超えてゆっくり、あるいは速く身体を動かすワーク、いや「動かす」という意識的コントロールの「限界」を突き破るほどに、ゆっくりあるいは速く動くような身体に「なる」ワークがあった。例えば、床に横たわった状態から1時間くらいかけて、可能なかぎりゆっくりと、いや「可能なかぎり」を超えてゆっくりと立っていく。誰でもやってみればわかるが、1時間かけて「ゆっくり」と立ち上がることがいかに身体を「限界」の淵にさらすか、全身の筋肉と筋(すじ)が悲鳴をあげるか。そして対照的に、限界を超えて速く動かす=動く。例えば、手を振る、足を振る。しかし、自分が意識する「限界」=100%を超えて、150%、200%速く、手足が文字通りバラバラに吹き飛ぶように速く振る。もはや「自分」が「振る」のでなく、(念仏が念仏するではないが)「振るが振る」とでもいった意識と身体の臨界の彼方に、手が足が振られていく(「人間の限界の、限界の、さらに限界をこえて、ありえないようなうごきをみせはじめた。まるで痙攣でもおこしているかのように、ブルブルブルッと猛烈ないきおいで体をゆさぶり…」)。そんな「脱力」「脱器官化」のワークを多様に、身体のあらゆる部位に施しながら、身体はやがて「初期化」していく。そうして「人間」としてインストールされたプログラムをアンインストールされた「器官なき身体」となって、初めて踊りが、ダンスが立ち上がってくる(「およそ、これが人間だとおもいこんできた身体の感覚が、かんぜんになくなるまで、自分を燃やして、燃やして、燃やしつくす。いま死ぬぞ、いま死ぬぞ、いま死ぬぞ。体が念仏にかわっていく。どんどん、どんどんかるくなる。まだまだいける、まだうごける。いくらはねても、つかれやしない、その力、無尽蔵だ」)。

 では、その初期化された身体から踊り・ダンスを起動する契機は何か。「呼吸」である。身体から「人間」のプログラムを抜かれても、「呼吸」だけは続いている。この生命体としてのプログラムだけは、生きつづけるかぎり、取り除くことはできない。その作動しつづける呼吸に身体を澄まし、それが身体に何を望んでいるかを聴きとる。聴きとりながら、それが望むように、身体が自然と動き出す。その動き出した身体の中を、吸う息が、吐く息が、流れ、満たし、あるいは立ち去り、また舞い戻る。そうして徐々に、呼吸と身体が相まって、「踊り」が「ダンス」が立ち上がり、繰り広がり、空間をそよがせ、他の「踊り」たちに呼応し、裏切り、けしかけながら、次々と、目くるめく展開をみせていく。そうして、脱器官化、脱「人間」化した身体/呼吸の展開のうちに、「動物たち」が、他の生き物たちが目覚めてくる。身体の奥深く、あるいは細胞の記憶に眠っていた、牛が、トカゲが、鳥が、虫が、アメーバーが蘇る。私は、牛となって・・・歩み、トカゲとなって・・・這いずり、鳥となって・・・飛び、虫となって・・・貼りつき、アメーバーとなって・・・泳ぐ。

 

ほんらい、ひとはなんにだってなれるんだ。その身体のつかいかたは、無限の可能性にひらかれている。それが仏になるということだ。もっと遊べ、もっとおどれ、もっとさわげ。子ども、子ども、子ども!!  馬、馬、馬!!  猿、猿、猿!!  畜生だ、畜生になれ、畜生になっちまえ。どんどんいけ、どんどん往け。とにかくはねろ、なむあみだぶつ。註16

 

 私は動物に「なる」。動物への「生成変化」。「此性」と並んで、ドゥルーズ&ガタリの思想のキーワードの一つだ。例えばある種の作家たちは、自らの書く行為の中で、様々な動物になる、生成変化すると、ドゥルーズ&ガタリは言う。「作家がれっきとした魔術師たりうるのは、書くことが一個の生成変化であり、ねずみへの生成変化、昆虫への生成変化、狼への生成変化など、作家への生成変化とは異なる不可思議な生成変化が書く行為を貫いているからだ。註17

 ところが、ドゥルーズ&ガタリによれば、この動物への生成変化は、「女性への生成変化」、「子供への生成変化」同様、生成変化の「中間地帯」の切片なのだと言う。では、この「中間地帯」の向こうには何があるのか。「元素」への、「細胞」への、「分子状態」への、「知覚しえぬもの」への生成変化がひかえているのだ。ドゥルーズ&ガタリは、ある種のSF小説、ある種の音楽、ある種の麻薬などが、その分子状態への、知覚しえぬものへの生成変化をもたらすと言う。

 ドゥルーズ&ガタリにつづけて言おう。一遍の踊躍念仏もまた、「動物=中間地帯」を突き抜けて、分子状態へと、知覚しえぬものへと生成変化していたのではなかったか。それに完全に同期した栗原の分子的アナーキズムが見事に描き出したように。

 私もまた、ダンスにおいて、この分子状態への、知覚しえぬものへの生成変化を体験していた。ダンスは、少なくとも勅使河原によるダンスは、「脱器官化」「初期化」された身体からしか生まれえない、と私は述べたが、それは、脳による四肢の「中央集権的」操作からも脱することを意味する。では、その時、ダンスはどのように生まれるのか、身体は動いていくのか。もちろん、その中心的契機は「呼吸」だが、同時に全身のいたるところに、細胞の一つ一つに「小さい脳」、分子的神経節とでも言うべきものが分散し、それらが「感じ」「考え」、今ここでまさに「自然」で「必然」的な動きを生み出していく。あるいは、身体の〈外〉では、他のダンサーたちが時に即興的に踊っているが、20人、30人が同時に踊っていても、まず衝突することはない。身体の〈内〉で、「小さい脳」たちが今ここで「自然」かつ「必然」的な動きを生み出している、その「分子状態」が、他のダンサーたちの〈内〉でも同時に生じていて、それらが「自然」かつ「必然」的に同期し、「知覚しえない」ムーヴメントの即興的交響体を刻々と生成していたのではなかっただろうか。

 

瞑想――地球とのダンス

 

 ここで再び、柳に戻ろう。『南無阿弥陀仏』で柳は、世間ではとかく浄土門と聖道門の優劣を論じたりするが、それは初歩的なことにすぎず、両門は行の在り方こそ違えど、所詮同じ一つの頂きを目指す二つの道にすぎない、と述べていた。さらに彼は、その二つの道と頂きを「円」に譬え、浄土門は円を西から登るが、聖道門は東から登る、その違いにすぎないと言う。が、行の中身はいたって対照的だ。聖道門(=自力道・難行道)は、「己の大を覚る道」であり、智者・強者・天才の辿る道であるのに対し、浄土門(=他力道・易行道)は、「己の小を省みる道」であり、「小さく哀れな人間がくぐる門」であると、比較する註18

 私は先に、浄土門の究竟たる一遍の遊行=踊躍念仏において、動物への、さらに分子状態への生成変化を、栗原の「野性」味溢れるテキストとともに(そして自らのダンス体験を元に)探索してみたが、では、翻って、聖道門=自力道においては、そうした生成変化が起きるのか起きないのか、と自問してみると、(これまた自分の体験を踏まえて)「起きる」と確言したい。確かに「人間」の限界を越えるまでに躍動・乱舞する踊躍念仏に比して、例えば坐禅は「止」、しかも究極的な「止」を観ずる行ではなかったか。しかし、前著『藝術2.0』で論究した禅僧藤田一照がいみじくも坐禅は「重力とのダンス」だと喝破していたように註19、実は絶対的「止」を求める行の中にも、限りなく微細な動きが無数に生じているのだ、いや完璧な「止」を求める行だからこそ、「止」以外の森羅万象の「動」が、諸行の「無常」が観じられるのだ。

 

まじめに瞑想をつづけてゆくと、やがて感覚の質が変化する段階に入る。全身に均一で微細な感覚があらわれ、それがものすごいスピードで生まれては消えてゆくのである。このとき意識はうわべのかたまりをつらぬいて、それを構成している背後の現象を感じ取っている。万物を構成する微粒子のうごきを感知している。微粒子はひっきりなしに生まれては消え、その無常性をまざまざと体験するのである。からだのどこを観察しても微粒子が振動している。血液、骨、固体の部分、液体の部分、気体の部分、醜いところ、美しいところ、どこを観察しても波動の集まりだけを感じる。もうからだの各部を区別できない。識別したり命名したりするプロセスも止まる。このとき、自分自身のなかで、たえず流動し、生まれては消える物質の究極の真理を体験するのである註20

 

 私もまた、瞑想の深まりとともに、この「微粒子」の波動を感じる。この「微粒子」をパーリ語で「カラーパ」と言うが、仏教、少なくともテーラワーダ派の仏教は、この無数のカラーパの生滅が身体を生み出していると捉える。

 

からだはカラーパという原子より小さな微粒子からできている。カラーパは一瞬一瞬とてつもないスピードで生まれては消える。その変化のなかで無限の組み合わせが生じ、物質の基本要素たる、質量、粘性、温度、運動を現象化する。それが、からだのなかでありとあらゆる感覚を引き起こすのである。註21

 

 いったい、この「カラーパ」、身体の「微粒子」は何なのだろう。私は(自らの限られた体験と知識に基いてではあるが)、それは、生命体を駆動している生体エネルギー、ATP(アデノシン三リン酸)が発するエネルギーなのではないかと思っている。(このエネルギーを、ある種の東洋的思想圏・宗教圏では「気」と呼んだりしているのではないか。)

 私は『藝術2.0』で、小倉ヒラクの『発酵文化人類学』について(多大なインスピレーションを受けつつ)論じたが、小倉は「発酵」という現象が、植物の光合成や動物の呼吸と並ぶ、生物によるエネルギー獲得の「第三の道」だと説いていた。そして微生物を含めた全生物は、発酵でも活躍するエネルギー発生装置ATPが生みだすエネルギーによってまさに「生きて」いる。このATPが生むエネルギーの生態系における循環こそ、まさしく地球の「生命の環」なのであり、そのエネルギーの「ギフトエコノミー」が、微生物、植物、動物、人間の間を縦横無尽に駆け巡ることによって「ガイア」が作り出されているのだ。

 この、細胞レベルでATPが生みだすエネルギー、電子の流れを、瞑想者は、その行の深まりとともに感じ、「観」ているのではないか。それを仏教は「カラーパ」と呼んでみたのではなかろうか、と今のところ、私のごく限られた経験と知識の中で、自らに問うているのである。(ぜひ私より多くの経験と知識をお持ちの方からご教示いただきたい。)

 こうして、瞑想もまた、全き「止」を求めつつ、いや「止」となるからこそ、地球上の生きとし生けるものたちと「ダンス」することができる、生命の諸行無常なるパフォーマンスの舞台となることができるのだ。

 

純粋で真剣な「遊び」――山河草木とともに

 

 ところで、柳は、聖道門も浄土門も、東と西の違い、行の中身の違いはあれど、同じ「頂き」を目指す、と言っていた。この「頂き」とは何なのか。もちろん、「悟り」「解脱」「涅槃」などと呼ばれているものであろう。この仏教の「ゼロポイント」について、鋭利な言語をもって論じきった著作が魚川祐司『仏教思想のゼロポイント――「悟り」とは何か』である註22

 魚川は、ミャンマーで学んだ教理と経験を縦横無尽に使いこなしつつ、「ゼロポイント」に迫る註23。彼によると、「悟り」「解脱」「涅槃」などと呼ばれる境地は、決して思考や学問だけで得られるものではなく、修行の深まりにおける決定的で明白な実存の転換がもたらす「行道の完成」であると言う。

 

分別の相である「物語の世界」は、そもそもその形成の時点で、対象への貪欲と瞑志を巻き込んで成立している。つまり、凡夫にとって「事実」であり「現実」である「世界」というのは、最初から欲望によって織り上げられているということだ。

そのような「世界」を終わらせるためには、単に内面に現象してくる個々の煩悩に気づいていて、それを「堰き止める」だけではとても足りない。「世界の終わり」に到達するためには、その成立の根源にある「煩悩の流れ」そのものを「塞ぐ」こと、即ち、それを根絶することが必要とされるわけである。

 

 解脱知見を得る者は、だから渇愛の「完全かつ決定的な滅尽」を達成した者である。その滅尽によって開かれる涅槃は、無常な諸行の生成消滅が「寂滅」(静止)した、不生不滅の境地である。そう、魚川は確言する。

 しかし、魚川の論がさらに興味深いのは、以下の点だ。魚川は、ゴータマ・ブッダは、解脱した後、「なぜ死ななかったのか」と問う。「なぜ彼は悟後にそのまま死ぬのではなく、解脱の楽を独り味わうことに安住せずに、そのような『物語の世界』への再度の介入、即ち、衆生に対する仏教の宣布をはじめたのか。」そして、その問い――ブッダに限らず、覚者すべてに共通するであろう根源的な問いへの答えとして、魚川は、「死ぬ」あるいは解脱の境に留まりつづけるか、それとも「物語の世界」に再度介入し、利他行へと踏み出すかは「自由な選択」の問題である、と結論づける。

 

こうしたことからわかるのは、覚者が慈悲の利他行へと踏み出して、「物語の世界」への再度の関与を行うかどうか、そして、それをいかに・どの程度のレベルで行うかということは、基本的に「自由な選択」の問題であるということである。独覚のように、解脱してもその境地を他者に開示しない者もいれば、ゴータマ・ブッダのように、機根のある衆生にだけ教えようと考える者もいる。あるいは、『十地経』の菩薩のように、一切衆生を一人残らず、救いきろうと決意する者もいる。

 

 そして、利他行を「自由に選択」した覚者にとって、「物語の世界」は、解脱の風光から反照されることによって、純粋に「楽しむ」ことのできる世界、純粋だが真剣に「遊ぶ」ことのできる世界となる。彼らの「利他行」は、だから、倫理的に意味があるから、社会的に必要だから行われるものではない。「ただ助ける」、すなわち意味も必要もなくただ「遊び」として「助ける」ことである。

 

「ただ助ける」というのは、解脱者たちには行為の対象である衆生に対する執著がなく、「物語の世界」を実体視してもいないがゆえに、それは意味も利益も必要もなく、「ただ行われる」ということ。したがって、それは「遊び」である。そのように「遊び」として「ただ助ける」ということが、捨の態度を根底に有しながら慈・悲・喜の実践を行うということの内実なのであり、それがいわゆる「優しさ」と「慈悲」との違いであるということは、既に述べたとおりである。

 

 さらに魚川は、仏教の多様性――欧米の地にまで根付き、極東の地にまでも禅から浄土までの多様性を生み出した原因の一つが、この「遊び」としての「物語の世界」への参与の「自由裁量」にこそあるのではないか、と指摘している註24

 そう、涅槃の境で独り坐りつづけてもいい、それこそ死ぬまで坐りつづけてもいい(即身成仏!)。あるいは、そこから翻って、衆生へと振り返り、あえて「物語の世界」へと入りなおす、しかしあくまで離見しつつ、彼らとともに坐ってもいいし、念仏を唱えてもいいし、踊ってもいいだろう。あるいは、「仏教」を出て、私のように、共にイチゴを食べてもいいし、自前の「家」で学びを「乱交・乱投」しあってもいいだろう註25。そう、「いびつなV」たちの「いびつな○」は、まことに多様なのだ。その「○」の歓待は、さらに「人間ならざるもの」、「山河草木」にまで及びもするだろう。生態学的に転回・展開もするだろう。木とともに突然変異する桶をあつらえたり(中川周士)註26、微生物とともに発酵食品を再デザインしたり(小倉ヒラク)註27、あるいは鴨川の畔で「ふく風たつ浪の音」とともに茶を点て供することもできるだろう(陶々舎)註28

 一遍の「遊行」もまた、こうした多様な「遊び」の一つ、だが限りなくラディカルな「遊び」の一つだったのだ。

 

 

註1  柳宗悦『南無阿弥陀仏』、岩波文庫、1986年、25-38頁。

註2  同書、60頁。

註3  同書、135-137頁。

註4  同書、37-49頁。

註5  柳宗悦『美の法門』、『民藝四十年』、岩波文庫、1984年、271-283頁。

註6  同書、283頁。

註7  鶴見俊輔はその『柳宗悦』(平凡社選書、1976年)で、柳の二人の息子の興味深い証言を引いている(93-94頁)。

「おやじの本を読んだ人は、おやじのことを偉い坊主のように思っている人もあるらしい。しかしそれは大間違いだ。お寺や神社へ行っても、拝んでいるおやじの姿を、私はついぞ見なかった。晩年、病に倒れて不眠症になった時、おふくろが、『念仏を唱えたら寝られるでしょう』といったら 『念仏なんかきくものか』といってひどく怒ったとか。要するに、おやじは筆では信を唱えても、それはあくまで自己の体得した美に対する裏づけの理論としてに過ぎなかったと思う。」(柳宗理)

「父は、民芸の研究をし、美の研究をする根源として、仏教の研究を終生続けていた。仏の教えについて、私は父の書いたものを読むことによってよく理解出来た。私が父から教えを受け影響されたことといえば、この仏の教えについてである。しかし、息子の私から見ていると、教えを説いたのは父であったが、身をもって実践したのは母に他ならない。」(柳宗民)

註8  『天狗草子』(栗原康『死してなお踊れ 一遍上人伝』、河出文庫、2019年、Kindle版、位置No.1766に引用)

註9  守中高明『他力の哲学』、河出書房新社、2019年。

註10 同書、181頁。

註11 ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ『千のプラトー 中 資本主義と分裂症』、宇野邦一、小沢秋広、田中敏彦、豊崎光一、宮林寛、守中高明訳、河出文庫、2014年、Kindle 版、位置No.2691-2696。

註12 守中、前掲書、184頁。

註13 『一遍上人語録』、大橋俊雄校注、岩波文庫、1985年、35頁。

註14 栗原、前掲書、位置No.1572-1585。

註15 以下の私による勅使河原のダンス哲学の理解は、あくまで20数年を隔てた私の記憶によるものであり、用語や表現などは必ずしも正確でないかもしれないことをお断りしておく。ただし、彼の哲学の本質は外していないつもりである。また、ワークショップでは、勅使河原以外のKARASのメンバーも指導していた。

註16 栗原、前掲書、位置No.1803-1807。

註17 ドゥルーズ、ガタリ、前掲書、位置No.2055-2057。

註18 柳宗悦『南無阿弥陀仏』、112-115頁。

註19 熊倉敬聡『藝術2.0』、春秋社、2019年、175頁。

註20 ウィリアム・ハート『ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門』、日本ヴィパッサナー協会監修、太田陽太郎訳、春秋社、1999年、169-170頁。

註21 同書、152頁。

註22 魚川祐司『仏教思想のゼロポイント――「悟り」とは何か』、新潮社、2015年。

註23 同書、特に第六章、131-161頁。

註24 同書、180-181頁。

註25 熊倉、前掲書、第5章。

註26 同書、第1章。

註27 同書、第3章。

註28 同書、第8章。

 

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著者略歴

  1. 熊倉敬聡

    1959年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒、パリ第7大学博士課程修了(文学博士)。Ours lab. 共同代表。元慶應義塾大学教授、元京都造形芸術大学教授。フランス文学 ・思想、特にステファヌ・マラルメの貨幣思想を研究後、コンテンポラリー・アートやダンスに関する研究・批評・実践等を行う。大学を地域・社会へと開く新しい学び場「三田の家」、社会変革の“道場”こと「Impact Hub Kyoto」などの 立ち上げ・運営に携わる。主な著作に『瞑想とギフトエコノミー』(サンガ)、『汎瞑想』、『美学特殊C』、『脱芸術/脱資本主義論』(以上、慶應義塾大学出版会)などがある。http://ourslab.wixsite.com/ours

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