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植物考 藤原辰史

根毛論(下)——ハンナ・ヘーヒの作品より

ハンナ・ヘーヒ

 香川檀の『ハンナ・ヘーヒ——透視のイメージ遊戯』(水声社、2019年)に出会ったのは、去年の冬である。この本と出会うまで、ハンナ・ヘーヒ(Hannah Höch)という人物について知らなかった自分の無知を心底呪った。読み終わった途端に、彼女の作品と世界観に取り憑かれて、ドイツの古本屋サイトに飛んで、売られている画集をほぼすべて買い漁ったのである[1]

 いずれにしても、この伝記は辛い時になにがしかの勇気をあたえるような書物ではない。むしろ、辛さを辛いものとしてより深く受け入れる痛みをともなう書物である。しかし、その痛みこそがヘーヒに力を与えている、という事実が指摘されている。辛い経験から勇気を得られるかどうかは人によるだろう。妊娠中絶を決断して傷つき、それゆえにずっと胎児の分身であると思われる人形を持ち歩き、ナチスの時代は隠遁して、それでも制作をやめなかったヘーヒの姿は、勇ましいというよりは、しなやかで、危機の時代を生きる一つの羅針盤となるだろう。香川の語り口も全く浮ついていない。静かにゆっくりとヘーヒの人生に寄り添い、その人生を語ることで、男性がどうしても主人公として語られがちな「前衛」のもろさを批判した上で、初発のモチーフを最後まで手放さなかった持続性の芸術の、真の斬新さを描き切っていると思う。このウェッブ連載では、著作権の関係で彼女の絵を多数掲載することができないのが痛恨の極みだが、ご関心がある方は彼女についてネットで検索するか、香川の本か、画集に手を伸ばしていただきたい。

 ヘーヒは、1889年11月1日、現在のテューリンゲン州のゴータに生まれ、1978年に西ベルリンで亡くなった前衛芸術家である。ヘーヒは、1920年代前後に活躍したベルリン・ダダ集団のなかで、唯一の女性であり、しかも、男の芸術家たちが次々のダダの精神から足を洗う中で、彼女はずっとそれを保ち、それどころか、ダダの作品を世に残そうと努力し、「男たちのダダ」の乗り越えを試みた人物である。

 ダダという前衛芸術は、説明が難しい。1916年2月のスイスのチューリヒで旗揚げされたダダは、香川の言葉を借りると、「西洋の精神文化を支える既成の価値観を覆そうとした」[2]、表現運動である。切り抜いた写真や段ボールやゴミを脈絡なく並べて貼り付けたり、意味を求めようとする受け手を裏切って、ナンセンスを追求したり、純粋な子ども遊びを目指したり、落ち着きのないグロテスクな形象を追求したり、見るひとの心を穏やかにさせるよりは、むしろ苛立たせ、自明のものと思っていた感覚を揺さぶる表現運動である。その誕生からすでに百年が経ったいま、そうした試みのかなりの部分は、企業や政府の広告に用いられているから、人によっては新鮮に感じることは少ないかもしれないが、それでも、いまなお研究と玩味に値する魅力を放ち得ている。

 ただ、香川の言うように、ダダに関わった芸術家は、「血気盛んな勢いと同時に、自らの短命を予感して生きいそぐ性急さもあったように思われる」。ダダの芸術は、ナチスの時代に退廃芸術とレッテルを貼られ、弾圧される。そんな中で、ダダの命脈をひっそりと保ったヘーヒの凄みを、私は彼女の植物に対する態度に、植物の作品に、見ていきたい。

ハンナ・ヘーヒの庭

 ヘーヒは、フォトモンタージュの作品、人形の作品、絵画作品などいろいろなジャンルを手掛けている。いずれも、植物の存在はけっして見逃すことができない。

 香川によると、ヘーヒは、ゴータの裕福な家庭に生まれ、「良家の子女」として教育を受けてきた。その教育に窮屈さを感じて、芸術の道に進んだ、というアーティストのストーリーは比較的見慣れたものだろう。父親のフリードリヒは、「仕事の合間に自宅の庭の手入れをし、草花を育てることをこよなく愛した」[3]という。その影響もあって、彼女の作品にはたびたび植物が登場する。

 香川もヘーヒの植物への眼差しについて「園亭への隠棲」と「フローラ・ヴィタリス——植物相への帰依」という小節を設けて詳しく論じている[4]。香川によれば、第二次世界大戦が勃発すると、ヘーヒは、ベルリンの北西の端にあるライニケンドルフ地区の庭付きの小さな家に、「官憲の目にとまれば押収され廃棄されてしまうような」ダダの機関紙や出版物や書簡などとともに隠棲する。「木造平家の一角がサンルームになっており、冬でも温室のようにサボテン類を育てることができた。そしてなにより、960平米を越える広々とした庭に囲まれており、[19歳年下の夫の]マティーエスとの旅行に使用していたキャンピングカーを停めておくためのスペースもあった」。

 この広い庭が、たいそう魅力的なのである。

 戦時下で食料の調達も不自由になっていくなか、食用にできる草花や果実、例えばジャムにできるベリー類などを多く植えて、自給自足の生活に入っていったのである。ほとんど収入らしい収入のなくなったヘーヒにとって、この庭のめぐみは、戦後の50年代にようやく年金が受けとれるようになり生活が安定するまで、文字通り命の糧となった。そればかりか庭の草木は、目前の警察権力から身を守るための、隠れ家の目隠しとしての役割を果たした。家の周囲に植えた蔦やつるバラは、平家の屋根にまで達し、家の側面をすっぽり覆い隠すように緑の帳で包み込んだのである。外回りの板塀は低かったが、通りから眺めると、鬱蒼と生い茂る植栽しか見えず、家もその住人もまったく視認できないほどであった[5]  

 まさに、緑の砦である。前衛芸術への粛清の嵐が吹き荒れる中で、ハンナ・ヘーヒは、亡命という手段を選ばず、この家で陣地戦もしくは持久戦を生き抜くことを選んだのである。香川は「隠棲」という表現を用いているが、もう少し積極的に、ナチスの暴政の中で立て籠る、地下ならぬ植物に潜る、と言ってもよいかもしれない。引きこもってゲームばかりしている若者に「引きこもっているんじゃない、立てこもっているんだ」と言わせる、小林賢太郎の笑劇「カジャラ」の一場面のセリフが思い浮かぶ。植物の絵を描くことは、必ずしも、現実からの逃避を意味するとはかぎらない。たしかに、隠棲中の彼女の絵には、前衛芸術とはほど遠い、写実的な花瓶に差した植物の絵もある。ある種の退避的な面もなくはない。だが、積極的とは言わないまでも、この時代と拮抗する表現も私はあったように思える。それらについて考えてみたい。

ハンナ・ヘーヒの植物の絵の特徴

 ヘーヒの植物をモチーフとした絵には三つの特徴がある。

 第一に、硬質なものが多い。1928年の油絵《栽培植物》は、工具や食器や楽器や文房具のようなものによって鬱蒼とした茂みが構成されている。柔らかさやしなやかさはあまり感じられないが、その異化作用が、植物とはしなやかで女性的なもの、という既成概念を打ち砕いていく。1930年の《シンボリックな風景III》という油絵もまた、幾何学的な空間図形の上に硬い植物風のオブジェが置かれている。どの植物も、無機物のように見え、帝王切開で母親のお腹から出てくる赤子や、ギターのようなものを持ってポーズを決める猫のような動物の方の有機性が浮き上がっている。機械と植物の境目を曖昧にし、植物の機械性を打ち出し、それぞれの形態を浮き出させていくところは、実は、「植物考4」で論じたカール・ブロースフェルトの植物のクローズアップ写真と類似している。ブロースフェルトの写真が、植物の硬質な装飾性を打ち出していたように、ヘーヒの作品も、カチコチの植物の生が描かれている。現に、硬い印象でありながら、どれもしおれていない。不毛の気配さえ漂う砂漠のような背景の中で、それでも生命的なものを失っていないのは、その硬質性のゆえではないだろうか。

 このように、植物から植物らしさを奪っていき、周囲の別のものと(それがたとえ生命が宿っていない無機物であったとしても)同化させていくモチーフは、1929年のコラージュ作品である《花束》にも見られる。《花束》は、一見ギョッとする作品だ。花のかわりに、いろいろな新聞雑誌から切り抜いてきた人間の無数の目が添えられているからである。まつ毛がちょうど花のように開き、あるいは、雄蕊のように屹立している。グロテスクな印象は、しかし、目という動物の器官と花という植物の器官のイメージの交換を可能にしていて、この融通無碍な感性が自由である。

 第二に、ヘーヒの植物の作品は、いくつかの例外をのぞいて、根が土壌に入り込んでいないこと、つまり根が丸裸だということである。その例外の一つである《一年の移り変わり》、珍しく写実的な春夏秋冬の有機的な植物たちが、人間の一生に寄り添って描かれている油絵でさえも、植物は地面に貼り付けられた印象があり、有機的につながっていない。根の根付かなさという点で一番典型的なのは、1935年の《嵐》と、1941年の《山岳風景》である。どちらもナチ時代の絵であり、後者は先ほどの植物で覆われた庭付きの平屋で書かれたものだ。

《嵐》Der Strum 1935 © VG BILD-KUNST, Bonn & JASPAR, Tokyo, 2020   G2235
《嵐》Der Strum 1935 © VG BILD-KUNST, Bonn & JASPAR, Tokyo, 2020   G2235

《嵐》は、香川の本では取り上げられていないが、1993年の8月7日から11月7日までゴータ市美術館で開催された展覧会「ハンナ・ヘーヒ」のカタログで見ることができた(Museen der Stadt Gotha, Hannah Höch, 1993)。全体として群青色や黒や灰色といった暗色の中で、数本の植物が猛烈な風をくらい、茎が折れている。よく見ると、ほとんど植物と同じような形態の男性が、首がもげそうになって必死に植物につかまっている。上方には、もげた首が大風に飛ばされているし、女性が一人体ごと飛ばされている。この植物には茎、葉、根という器官が全て揃っているが、根は大地に根差しておらず、丸裸になっている。しかし、まるで地面にしがみつく人間の指のゆようであり、動物のような印象さえ与える。

《山岳風景》は風が吹いていないように見える。無風だ。だが、窒息しそうな酸素の薄さを感じさせる。土壌がすべて侵食された、乾燥した岩だらけの山にどっしりと腰を据えているどの植物も、根は生えているが、どれもが動物の指がつかんではなすまいとするのように無機質な岩の上にしがみ付いている。根はやはり剥き出しになっている。しかも中央にある植物は、まるで動物が歩いているようだ。無機質な空間だが、植物の張りは保たれている。

「硬質であること」と「根が剥き出しであること」。これら二点の特徴は、何を意味しているのだろうか。

 ヘーヒの庭は、彼女が生きのびるための庭であり、ナチスの迫害から身を守るための庭であった。たくさんの根の生えた植物に覆われて暮らしていた。だが、ヘーヒ自身の人生は、香川の書物を読むかぎり、決して根の生えたものではなかった。男ばかりのダダイストの集団の中でも、堕した胎児と自分との関係でも、彼女が全霊をかけて愛し、その子どもの父親であったはずのラウール・ハウスマンとの恋愛関係でも、ティル・ブルクマンとのレズビアンとしての関係も、ナチ時代と自分との関係でも、根を生やすことなんて一度もなかったからではないか。根を生やすことの非現実性と不可能性を十分に味わい尽くしていたことが、逆に、自然科学的ともいえる、根の接着性への透徹した眼差しをもたらしたのではないだろうか。ヘーヒの作品では、根は、まるで根ではないように存在している。動物の足のようにも、紐のようにも思える。胎動する胎児の細い指のようでもある。だから不気味であり、動き出しそうであり、恐怖心さえ感じる。

 だが、ヘーヒは、恐怖と魅力を切り分けない。植物の植物らしさと、根の根らしさを徹底的に取り去ることによって、ある重要な植物の条件を炙り出すことに成功している。それが、植物の根がもつ粘着性である。ヘーヒの植物には根毛が描かれていない。ツルツルの物質の競演に過ぎない。だが、そうであるだけいっそう、《山岳風景》も《嵐》も、その植物たちの根の根毛が持つであろうしがみつく力を、際立たせているように思える。世界恐慌やファシズムという暴風の只中にあって、生にしがみつけるだけの粘着力。あるいは、それは、赤ん坊が渾身の力で細い指で親の手を握るときの握力と言ってもよいかもしれない。

 それは、逆に、動物にもそれと類似する器官があることを示す。ヘーヒの作品にしばしば猫が登場する(自身も猫を飼っていた)。猫は肉球を持ち、唯一汗で湿度を保つ部位である肉球で、地面を捉え、素早い動きを支える力を発揮する。人間もまた、足と手に、指という器官をもち、それを適度に湿らせて、縦横無尽に動かして、対象をとらえることができる。指の接触面には、指紋が施され、粘着性をより高めていることも指摘してよいだろう。

 人工物、植物、動物それぞれの付随物を極限まで削ぎ落とし、境界を突破して、形態学的に観察したあとで融合し、極限まで同質化させる。このことによって、スパナと植物が同じ平面に並べられる。そうすることで、逆にそれぞれの特徴が際立ってくる。形態学とは、類似と統合の学問である。ジャンルを横断するときに有用な道具となる。たとえば、丸い形態という枠組みで、地球も、熱気球も、眼球も、サッカーボールも同じ地平で論じられる。生態学の「分解」という機能は、それぞれのものの属性をはぎとり、別の構成要素になりうるほどまでに、中立化していく微生物たちのはたらきである。ヘーヒのフォトモンタージュの技法も、基本的には、このような分解者の技法と酷似している。

 一見ヘーヒは植物を無機質に描いているため、植物への観察が弱いように思えるが、それは全く逆である。ヘーヒの植物の形態に対する観察眼の確かさを私は彼女の作品から感じずにはいられない。

嵐の時代の根毛

 以上、根の性質が剥き出しになって受け手に提示されているハンナ・ヘーヒの作品から、根毛について考えてみた。

 根毛は、細くて、弱くて、脆い。しかし、それは最後の砦である。

 ヘーヒの描く、ツルツルの「山岳」の世界の中にあって、根の粘着と摩擦は、滑り落ちようとするものにとっての「わら」とも言える。時代も状況も違うが、日本で派遣労働者の切り捨てが進む中で、湯浅誠が表現した状態と、ヘーヒの植物は見事なまでに呼応している。「うっかり足を滑らせたら、どこにも引っかかることなく、最後まで滑り落ちてしまう。このような社会を、私は『すべり台社会』と呼んでいる」(『反貧困——「すべり台社会」からの脱出』岩波新書、2008年、30頁)。

《嵐》で描かれたような横から吹く暴風の中で、最後まで飛ばされないように地面にしがみつくには、重力ではなく、根の持つ突起が必要である。面ファスナーのように、私たちは、植物を擬態して危機の時代を生きようとしている。雨風が強いときは根を張ってしっかりと受け止め、太陽が輝くときは葉をしっかりと開いて光を受け止め、お迎えがきたときは、次世代のための栄養となって、土壌中の生きものたちの餌へと変化する。

 物理の授業でいつも私を苦しめてきた「摩擦のない平面」という仮定は、人文学にとってはディストピアである。生命とは摩擦である。ざらつきとは存在である。ひっつき虫がセーターにからむ、あの引っかかりである。

 

[1]ダダの芸術運動への関心は、拙著『分解の哲学——腐敗と発酵をめぐる思考』(青土社、2019年)や、「ボロとクズの人文学」(山室信一・岡田暁生・小関隆・藤原辰史編『われわれはどんな「世界」を生きているのか——来るべき人文学のために』ナカニシヤ出版、2019年)での、死骸やボロやクズの再生に関する関心とリンクしている。これについては、『ロトチェンコとソヴィエト文化の建設』(水声社、2014年)と『ロシア構成主義——生活と造形の組織学』(共和国、2019年)の著者である河村彩による拙著の書評で、表象文化論の視点から詳しく展開されている。なお、河村が拙著からハンナ・ヘーヒの作品を連想したことも、この文章を書く後押しとなったことを申し添えておきたい。https://note.com/aya_kawamura/n/n37d50e68a2b9

[2]香川檀『ハンナ・ヘーヒ——透視のイメージ遊戯』水声社、2019年、41頁。

[3]同上、22頁。

[4]同上、192-199頁。

[5]同上、194頁。

 

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著者略歴

  1. 藤原辰史

    1976年生まれ。京都大学人文科学研究所准教授。専門は農業史、食の思想史。2006年『ナチス・ドイツの有機農業』で日本ドイツ学会奨励賞、2013年『ナチスのキッチン』で河合隼雄学芸賞、2019年日本学術振興会賞、同年『給食の歴史』で辻静雄食文化賞、『分解の哲学』でサントリー学芸賞を受賞。『カブラの冬』『稲の大東亜共栄圏』『食べること考えること』『トラクターの世界史』『食べるとはどういうことか』ほか著書多数。


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