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植物考 藤原辰史

世界に浸れない私たち

コッチャの「植物の哲学」

 植物こそが、哲学の営みにとって真の媒介者になる。そう主張するイタリア人の哲学者がいる。エマヌエーレ・コッチャである。コッチャは、一四歳から一九歳までイタリア中部の田舎の農業学校で植物生理学や作物学などの実学を学び、ジョルジョ・アガンベンの下で哲学を研究し、ドイツ南西部のフライブルク大学での教歴を経て、フランスのパリにある社会科学高等研究院の准教授の職に就いた、ちょっと変わった経歴を持つ哲学者である。

 コッチャは、2016年に刊行された『植物の生――混合の形而上学』[1]で、哲学界で流行している動物論に違和感を表明した。動物論とは、欧米的な思考のなかでは厳然として存在していた動物と人間の境界をあえて揺るがし、日常会話であたり前に使っている「人間」という概念を根元から疑って分解し、再統合しようとする議論だが、コッチャには、動物を媒介として世界を知ろうとする試みは、人間の自己愛の投影に陥りがちだと批判する。犬や猫やダニなどの動物のふるまいから人間社会の限界を感じ取り、動物に人間社会の閉塞感の突破口を見出すことはたしかに魅力的だと私も思ったのだが、コッチャは、人間と動物の距離なんて、動物と植物の距離と比べものにならないくらい遠いのだから、動物ばかりにそんなことを頼って植物を論じないのは、人間のナルシシズムだと感じられるのである。

 いうまでもなく彼は、動物のつぎは植物だよね、というブームを先読みするような哲学の着せ替え人形ごっこをしたかったのではない。植物だけが、他の生命を頼ることなく、光、水、石といった地球上の基本要素によって世界を作り上げていた、とコッチャはいう。つまり、植物についての思考であれば、人間が世界を思考しているつもりで自分についてしか思考していない、という悪循環を断ち切ることができる、というわけである。

 こうした世界観は農業学校で学んだことが生きていると、本人も認めている。農業学校の哲学とはまるでイタリア版宮澤賢治のように私には響く。『動物と人間の環世界への散歩』(1934)[2]の中でミツバチやダニの環世界Umweltの刻々と変化する有様を描いて人間中心主義を揺るがしたヤーコブ・フォン・ユクスキュルでさえも、やはり、本のタイトルにあるように、あくまでも動物の環世界論に終始した。けれども、大気に酸素を放出し、みずからを栄養素として動物たちの生存基盤に捧げてきたのは植物であった、とコッチャは植物の復権を説く。本連載の意図とも少なからずオーバーラップする議論である。

 たしかに、知識人たちはあまりにも動物に拘泥しすぎてきたかもしれないと、コッチャの不満に共鳴するところが私にもある。そういえば、このままDDTなどの農薬を使い続けた結果もたらされる世界の終末観として、レイチェル・カーソンがとらわれたのは、一匹の鳥も鳴くことがない世界であって、一本の草も生えない世界ではなかった。アリストテレスもデリダもアガンベンも動物を論じるのにかけた情熱を植物には捧げてこなかった。いや、もっと正確にいえば、論じるのは動物でも良かったのだけれど、あまりにも人間の似姿としての動物にこだわりすぎていたのかもしれない。

枯葉剤

 動物の存在しない地球で植物は存在できるが、植物の存在しない地球で動物は存在できない。当たり前のことだが、意外と意識しづらい。

 だが、ヴェトナム戦争ほど、この事実を私たちにはっきりと突きつけたものはないだろう。1961年から71年まで10年にわたって1万9905回、アメリカ軍が空から航空機(と部分的にはヘリコプター、トラック、ボート)で240万ヘクタールの土地に撒いた7600万リットルの枯葉剤は[3]、多大な犠牲を払って、人間が植物にしがみついてしか生きていけないことを地球の住人に明らかにした。標的はとくにコメ、トウモロコシ、サツマイモ、バナナなどの畑。食べものだ。敵の飢え、つまり兵糧攻めを狙ったこの作戦は、最初「ハデス(Hades=地獄)作戦」だったのが、「ランチハンド(ranch hand=牧場使用人)作戦」という柔らかい名称に変更された。ランチハンドという言葉にどんな意味が込められているのか。ウェールズ出身のジャーナリストのジョン・ミッチェルによれば、これは「荒野の手に負えない自然を手なずける、アメリカのカウボーイ的想像力をかき立てるアイコン」であると述べている」[4] 

 枯葉剤は、ダウ・ケミカルやモンサント、さらには日本の化学企業によって生産されていたエージェント・オレンジ(オレンジ剤)というコードネームを持つ除草剤(2,4,5-Tと2,4-Dを混合したもの)を濃縮したものが代表的である。これだけでも毒性があるのに、その製造過程の副産物である猛毒のダイオキシン(2,3,7,8テトラクロロジベンゾ・パラ・ダイオキシン)が大量に含まれており、それらの「複合汚染」によって、南ヴェトナムの80パーセントのマングローブ林と12パーセントの熱帯雨林が消滅した。もっといえば、2,4,5-Tも2,4-Dも、高熱の状態になればダイオキシンに変化する。ナパーム弾の嵐の中で、それは容易に起こりえた化学変化だといえよう。この増粘剤を添加した焼夷弾は、人間にも物質にも付着すると容易には消火できず、約1000度まで温度が上昇するからである。ちなみに、呼吸困難を引き起こす催涙ガスであるCSガス(クロロベンジリデンマロノニトリル)も、700万キロ投入されたという[5]。世界の警察がしばしば「暴徒」に使用するこの催涙ガスも毒ガスの一種であることはもっと知られてよいだろう。

 それだけではない。戦後にヴェトナムに入り、助産師から聞き取りをした写真家の中村梧郎によれば、周辺に住んでいた多くの母親が、顔が毛で覆われていたり、体が真っ黒であったり、歯が生えていたり、眼球がなかったり、肛門がなかったり、耳の穴が塞がっていたり、腹部が膨満していたり、胴体に二つ頭がついていたりする、多くの奇形児を生み、胎児にさえなれなかった胞状奇胎も多く出現した[6]。それらの人たちは、ちょうど日本の水俣病の発生時のように、「親や先祖の悪事報い」や「たたり」だと言われもした[7]。大量のヴェトナム人兵士やアメリカ人兵士、さらには参戦した韓国やオーストラリアなどの兵士が深刻な病気に侵されたり、亡くなったりした(1984年にはヴェトナム戦争のアメリカ人帰還兵によって枯葉剤製造業者への集団訴訟がなされた)。480万人ものヴェトナム人が枯葉剤にさらされた。いうまでもなく白い霧に覆われた地域では、鳥どころか植物も死に絶え、沈黙を強いられた。なぜなら、ダイオキシンは土壌によって分解されない物質だからである。

 アメリカ合衆国の配下にあった南ヴェトナム政府は、こう述べていた。「除草剤として使用される化学薬品は、ベトナム共和国政府の要求によりアメリカ合衆国から供給されたものである。ベトナム共和国政府は、この化学薬品が野生動物および家畜、人間、土壌に対して毒性をもたず、有害でないことを強調しておく」[8]。ここに「植物」という文字がないことに私は注目したい。また、1969年4月に刊行されたアメリカの陸軍省の訓練テキストにも、「オレンジは人畜に無害である。航空機から散布した薬剤を浴びた人間への被害は報告されていない」[9]と書いてあった、という。やはり植物という文字はない。作物へのダメージによってヴェトナム人の飢えと戦闘力の低下を狙ったはずのアメリカ軍は、それに止まらない生態学的ならびに超世代的被害をもたらしたのである。これらの文章には、植物とそれ以外の動物とのあいだに大きな壁が見られる。植物と土壌のあいだにさえも厳然と線が引かれていた。だが、2,4,5-Tはもともと第二次世界大戦中に化学兵器として開発されていたものの平和利用だった。日本でもゴルフ場や田畑の農薬に使用されていた。それを本来の目的に戻しただけなのである[10]。動物に無害なわけがないことを、使用者が誰よりもわかっていた。1960年代中頃には、アメリカ政府も生産した企業もその人間に対する毒性がわかっていたことが、1983年のダウ・ケミカルの連邦地裁に提出された報告書によって白日のもとにさらされた。

 枯葉剤とは、もともとは人間に直接害を与えるために開発された特殊兵器だが、第二次世界大戦後、人間にとって不要と思われる植物を駆除する農薬に平和利用された。それを濃縮したものにすぎない。それゆえに、かえって被害が許されざるほどにまで甚大になった。枯葉剤の散布と病気の多発の因果関係も核兵器ほど明らかに示されない。ヴェトナム戦争で計画されていた限定的核兵器使用の代わりに、それよりは人道的に見える兵器として枯葉剤は用いられた。そこから考えなければ、ヴェトナム戦争の残虐な現代史的意味を見過ごしてしまう。

 すでにみてきたように、植物は、土壌、動物、人間に深く浸透している。入り混ざり、溶け込んで、それらのかたちを作り出している。森の葉を枯らして、土壌微生物を殺戮し、作物の生産力を弱らせ、兵士たちをあぶり出す、という枯葉剤の効果は、当初はそれほど残虐なものとして考えられていなかったはずだ。けれども、森の中で戦っていたヴェトナム人のみならず、アメリカ人にも枯葉剤は散布され、本人とその家族にも後遺症をもたらした。戦後も作物が実らず、飢餓が発生した。植物だけを死滅させる、という枯葉剤使用者の念頭にあった考え自体、そもそも近代科学の盲信に過ぎないことは、ヴェトナム戦争で十分すぎるほど人びとの胸に刻まれたはずだが、いまなお、農薬の大量散布とそれによる人間の健康破壊が終わる気配がない。植物の破壊は、人間を破壊するだけではなく、人間の未来をも破壊するのである。

 そもそも人間を「除草」するとはどういうことだろうか。

 ここで私の頭によぎるのは、人間を「殺虫」したのはナチスだった、ということである。比喩ではない。絶滅収容所で使われたツィクロンBは、第一次世界大戦の毒ガス開発に関わっていた科学者たちが戦後、企業に参加し、害虫駆除剤として開発したものである[11]。アメリカ軍は、比喩ではなく、人間を除草したのである。

 先ほど引用したジョン・ミッチェルの『追跡・沖縄の枯れ葉剤』は、当時ヴェトナムの軍人のあいだで「オキナワ・バクテリア」と呼ばれたこともある厄介の原因が、沖縄で航空機に積まれてヴェトナムに向かった枯葉剤であった事実、さらには沖縄自体が枯葉剤の実験場となり汚染されていた事実、枯葉剤を沖縄の港で陸揚げするときにアメリカの兵士たちが被曝した事実、さらにはそのことをアメリカが隠蔽していた事実を明らかにする迫真のルポルタージュである。沖縄は当時、米軍の直接統治下にあったが、ヴェトナムから2500キロの距離であることから、ヴェトナム戦争の前哨基地にされた。

 2013年6月13日には、沖縄市の米軍基地返還跡地のサッカー場に埋められていたドラム缶から、基準値を大幅に超えるダイオキシンと、オレンジ剤の成分が検出された。そのドラム缶には「Dow Chemical」、つまりダウ・ケミカル社の名前が書いてあった。そもそも、1945年5月には日本の本州と四国の稲作地帯に1645トンの2,4,5-TをB29で散布する計画が米軍によって立てられていた[12]。日本国も枯葉剤の被害者であり、加害者であるのだ。

大気と太陽

 そんな枯葉剤製造の誘惑に抗えなかった近代科学や大企業の視野の恐るべき狭さを、コッチャの議論は意図せずとも糾弾している。とともに、人文・社会科学者の植物や植物と土壌を壊滅させる農薬全般に対する無関心をも、深く抉っているように思える。農薬に対する人文・社会科学的研究を怠ってきたことへの批判でもある。ヴェトナム戦争の後、1976年にヴェトナムのカマウ岬で中村梧郎が撮った、枯葉剤の効果で枯れ果てて針の山のようになったマングローブ林の中で亀裂の入った土壌の上に立つフン少年の写真は、多くの人たちの目に触れたはずだ。しかし、この生命の打ち砕かれたマングローブの木々の残骸、一本一本が、かつて動物と人間にどれだけの酸素とブドウ糖と燃料を用意してくれたのか、あるいは、その用意がヴェトナムに住む動物にも(この少年を含む)ヴェトナムの人びとにも絶対に不可能なはたらきであることを、どこまで深く理解していただろうか。もっといえば、この光景は、「国破れて山河あり、城春にして草木深し」という杜甫の詩や「夏草や兵どもが夢の跡」という芭蕉の句が示す光景とは性質が異なることを、どれほどの人間が想像できただろう。兵士が亡くなっても草が生えるかぎり、次の世代の人間たちは生きる基盤を得る。しかし、夏草も土壌微生物も同様に死に絶えてしまった場所は、もはや跡さえも残らない。そんな植物さえも死に絶える生命全般の根源的な死を、私たちの時代は経験してきたのである。

 コッチャは、ヴェトナム戦争のことは一言も論じていない。だが、私が彼の議論から真っ先に思い浮かべたのは、枯葉剤で破壊された森を撮ったあの中村の写真であった。

 コッチャはもちろん、自分の議論を「植物主義」とは述べていない。だが、本連載の趣旨からすると、コッチャの「植物性」は相当にエッジが効いている。人間も含まれる多くの高等動物は、消化器官に肥沃な動植物の死骸を流し込み、土壌化したものに根を張って養分を吸い取る「動く植物」である、という私の理論モデルをさらに洗練させるためにも、必須の議論である。では、詳しく見ていこう。

 コッチャは、「媒介役」という言葉を重視する。これは、「わたしたちが達しえない境地で世界を見、また生きることのできるまなざし」[13]という意味だ。「媒介者」はたとえば物理学であったり、化学であったり、あるいは、動物であったり、天使であったりするのだが、コッチャは、こう断言する。「真の媒介役をなすのは植物をおいてほかにない。植物は世界に対して初めて据えられ開かれた眼なのだ」[14]。なぜなら、「世界とはなによりもまず、植物が作り上げることのできたすべてをいう」からである[15]。ここが重要である。枯葉剤の破壊を知る「媒介役」として植物がふさわしいことがわかるからだ。

 第一に、本連載でも繰り返し強調してきたことだが、植物は、太陽エネルギーを生命エネルギーに変換できる唯一の存在である。太陽が崩壊したあとの地球はもはや存在しえない。同様に、地球上で太陽光をエネルギーに変えられる唯一の生命体である植物が存在しない地球は、やはり存在しえない。太陽光発電があるではないか、という反論はここでは当てはまらない。太陽光発電は、電気を生み出すが、食べものは生み出せないからである。

 第二に、コッチャのもっとも重視する点で、私が大いに学んだところだが、植物は大気のクリエーターだからである。すでに述べたように、植物だけがこの世界に酸素をもたらしてくれる。動物は、酸素を吐き出さない。動物は、酸素を吸い込んで、身体中の細胞に輸送し、細胞のミトコンドリアで酸素を用いてATP(アデノシン三リン酸)を作り出す。これが動物のエネルギー源なので、酸素がなければ、動物は「動く物」ではなくなる。動物を動物たらしめているのはやはり植物なのである。

 枯葉剤で破壊された森林や田畑にいくら太陽が降り注いでも、それは他の動物が食べることのできるエネルギーにはほとんど変換されない。酸素は大気に供給されない。もちろん、以上のことは、枯葉剤がもたらした世代を超えるヴェトナム人に与えた傷への責任を一ミリたりとも減ずることはない。むしろ、この事実は、枯葉剤による戦争犯罪に、人間破壊ならびに人間の生存基盤の破壊という項目を付け加えることになる。ヴェトナム戦争の惨禍を知っていてもなお危険な農薬を販売し続ける国や企業にも、戦後責任という責任を負わせる事実なのである。

浸り

 コッチャの『植物の生』を読んでいて刺激的だったのは、彼が植物のみならず生命体が流体的な世界に「浸っている」、と考えたことである。まるで私たちが音楽を聴くように。あるいは胎児が子宮の羊水に浸っているように。浸りとは、「生命が常に生命そのものの環境になるという事実、またそれゆえに生命が身体から身体へ、主体から主体へ、場所から場所へと循環していくという事実のこと」[16]である、という。コッチャはまたこんな比喩を用いる。「魚が海に暮らすように、また原初の有機体の分子が原始のスープに暮らすように、わたしたちはその安らぎの場に暮らす。わたしたちは一度たりとも魚であることをやめたことがないからだ」[17]。この場合の原始のスープこそが、植物である。「植物ゆえに物質は生命へと変化できるようになり、生命は『原材料』へと再変化できるようになった」[18] 。

 コッチャは、このような生命の流れを息吹(Pneuma)ともいう。プネウマとはギリシア語で呼吸や風のことであり、それは、霊的なものとの関連のある語である。『岩波古語辞典』によれば、日本の「息吹」もまた、古代では「いふき」、「い」とは「息」のことであり、生命の誕生と息・霧・風などと関係があったことを示している。

 コッチャの議論は、本連載の人間や動物の見方を別の角度から強化してくれる。植物が排出した酸素を身体中に運ぶ血液や体内を満たすその他の体液のことである。血液やその他の体液は、太古の海の塩分濃度とほぼ同じであると言われているが、それはまさに、体液の海に人間が漂っていることを示すのではないか。血液は、口を通じて肺に立ち寄り、植物の根のように肺に絡みつく無数の毛細血管の中を通って酸素を受け取り、さらにそれが身体中を循環して、再び肺に戻ってくる。まさに植物の息を吹き込まれた血液が、動物のエネルギー源となっていくわけだ。人間は血液を血管というチューブの中に隠し持っているというイメージを抱きがちだが、実は、血管の中の血液は外部とつながる「外」である。私たちは、血管を隔てて血液の海を泳いでいるのであり、体内は体液で充満しているのだから、体液の海を泳いでいるとも言える。

 とするならば、動物は、循環器と通じて体液という海を泳ぎ、消化器を通じて食べものという土壌をまさぐり、呼吸器を通じて呼気および吸気という大気に羽ばたく植物である、と言っても事実とそう遠くないだろう。血液は血管、食べものは消化管というチューブの中に、そして空気は肺という袋の中に閉じ込めているにすぎない。閉じ込めたと思っているが実はそれは、うちなる外界であり、他の生物が感染する温床でもある。

 コッチャの言い方では、「内容と容れ物の区別はすべて無効になる」[19]となるが、この世界を私なりに解釈すれば、高等動物は、外界を中部に閉じ込めて、その海のなかで「根」を張り巡らして、ほじくり、まさぐり、吸って、養分なり、空気なりを手に入れる「植物」であるということになる。

「植物」としての人間。空気の流れと、食べものの流れにたゆたい、無数の触覚のような根をめいっぱい伸ばし、自分に取り込もうとする人間。

 ここで枯葉剤に戻ろう。あるいは原爆でも水爆でも水俣病でもイタイイタイ病でもチェルノブイリや福島の原子力発電所の爆発でも、それは変わらない。これらの禍いは、いつも中心から遠いところで起こった。広島も長崎も富山も熊本も福島も東京から物理的のみならず、(もっと深刻だったのは)心理的に遠いところに存在した。ビキニ環礁も、ヴェトナムも、ワシントンDCから、チェルノブイリも、あるいはプルトニウムの採掘場もモスクワから、はるか遠い場所であった。誰もが、それらの場所でどんな人たちがどのように暮らし、そこにどんな生きものがいるのかさえ関心を持とうとしなかった。そこで、圧倒的な科学力に裏打ちされた暴力によって、「人権」は粉々に砕け、植物と人間の境界を揺るがせた。それは逆説的に、高度な科学技術を手にしてもなお一塊の植物として世界に根を張ってしか生きていけないことを人間に伝えた。小学校で植物についてちょっと学べば誰にでもわかることを、あまりにも甚大な犠牲を払って、伝えたのであった。

 人間は、肺に溜めた大気に毛細血管の根を張り巡らして酸素を取り込み、土壌や海から集めた生きものの死骸を消化器官に取り込み、消化器官に毛細血管の根を張り巡らして栄養素を取り込む。枯葉剤は、放射性物質と同様に、私たちの肺を冒し、食べものを冒し、胃腸を冒し、血液を冒し、生殖器を冒す。土壌、海洋、大気、体液。私たちが浸っている世界を全面的に汚染していく。これが枯葉剤であった。にもかかわらず、そんな薬剤が人畜無害として散布された時代が、進歩的な時代とされてきたのである。

「浸り」を買う時代

 コッチャも引用しているドイツの哲学者のペーター・スローターダイクの著作『空震――テロの源泉にて』は、第一次世界大戦で毒ガスという兵器が使用され、それが殺虫剤や農薬として使用されていった時代を、空気の管理の時代、つまり「空調」の時代だと論じている。人間が当たり前のようにどっぷりと浸っている条件を、変えるようなことがなかったのが19世紀までの地球の歴史だとすれば、20世紀は、人間という生命体が、大気や土壌や海洋にさえ大きな作用を与えうる存在になった時代だった。工場の煙突は大気を黒くし、工場の廃液は海を茶色くした。それだけではなく、フォスゲンは人間の呼吸を止め、マスタードガスは、皮膚をただれさせることで皮膚呼吸を弱体化し、シアン化水素は血液の酸素運搬能力の働きを阻害した。毒ガスの転用である農薬は、農業従事者の健康をむしばみ、土壌内生物の活動を弱めてきた。

 私たちが植物として浸っている世界は汚染されているものとみなされ、マスク、フィルター、空気清浄機、浄水器やエアコンによってなんとかその境界を保とうとしている。鉄筋コンクリートとガラスによって汚染と自己を区切ろうとしている。

 けれども、食べものは鉄筋コンクリートの隙間を通って私たちの胃腸に運ばれ、空気も換気扇を通って運ばれてくる。だから、農薬から逃れた有機農産物と、空気の綺麗な場所にある家やマンションの部屋と、ミネラルウォーターが買い漁られる。さらには肉体的に害の多い労働によって作られた食物とそれを食べる罪の意識から逃れ、じっくりと浸れる世界を用意してくれる。コッチャは述べていないが、浸るには、お金が必要であり、浸ることは、もはや、ビジネスになりつつある。動く植物である人間は、もうちゃんとその市場まで確立しつつあるのだ。

 それにしても、世界に浸ることがお金でしか確保できない時代は、なんと厳しい時代だろうか。

 ここでもう一度、植物の特徴を思い出しておきたい。マンクーゾによれば、植物は知性を、つまり、問題を解決する能力を持つという。それは、逃げない・・・・で、問題を解決する能力であった。根を持ち、環境に浸ることが本質である植物に、そもそも逃走という選択肢はありえないからだ。植物は、周りがどれほど汚染されていても、死に絶えるという結末を迎えぬために、あらゆる手段を探って、最適解を求めてきた。

 逃げないというのはもちろん、座して死を待つという意味ではない。つまり、毒を積極的に受け入れるということではない。第一に、毒の発生源を確定し根絶することである。動く植物として世界からあらゆるものを吸収してしか生きていけない人間の環境を全体として汚染する物質の開発が20世紀の特徴であったとすれば、浸りを阻害する科学技術全体の見直しを迫ることである。

 第二に、それでも環境に残留する毒を分解することだ。毒の分解とは、植物にせよ、動物にせよ、個体の極めて重要な機能であり、生態系による連携プレイの機能でもある。ピュアな「浸り」を購入できる層は、しかしながら、やがてみずからの分解能力を弱めて、自滅していくことになるだろう。これはフィルターや浄水器や空気清浄機でいくら物理的な壁を作っても、自分の体内の免疫が弱ければ、外敵は侵入しやすくなり、いたちごっこの始まりとなる。そうではなく、毒の分解ネットワークを構成することこそが、植物主義の目標となる。

 コッチャが述べるように、植物だけが世界を作ることができる。中村梧郎が1995年にヴェトナムを再訪して、あのマングローブ林の写真と同じ場所に妹に支えられながら立っつ、成人になったフン少年を撮ったのだが、その背景にはわずかではあるが灌木が生えていることが確認できる。あとはエビの養殖場にされたという。植物の力で不毛の地に生命が蘇った、という言い方は、ここでは当てはまらないだろう。

 だがそれでも、いったん植物までも死に耐えた地に再び生命が芽生えるとすれば、それはやはり植物からでしかない。

 

[1]邦題=『植物の生の哲学——混合の形而上学』嶋崎正樹訳、山内志郎解説、勁草書房、2019年。

[2]邦題=『生物から見た世界』日高敏隆、羽田節子訳、岩波文庫、2005年。

[3]ジョン・ミッチェル『追跡・沖縄の枯れ葉剤』阿部小涼訳、高文研、2014年、p. 26-27. 中村悟郎『新版 母は枯葉剤を浴びた——ダイオキシンの傷あと』岩波現代文庫、2005年、61-62頁。

[4]ミッチェル『追跡・沖縄の枯れ葉剤』、p. 26.

[5]ミッチェル『追跡・沖縄の枯れ葉剤』、p. 25.

[6]中村『新版 母は枯葉剤を浴びた』、61-62頁。

[7]同上、62頁。

[8]マリー=モニク・ロバン『モンサント——世界の農業を支配する遺伝子組み換え企業』村澤真保呂・上尾真道訳、戸田清監修、作品社、2015年、75頁。

[9]中村『新版 母は枯葉剤を浴びた』、36頁。

[10]同上、164-165頁。

[11]藤原辰史「第一次世界大戦の環境史——戦争・農業・テクノロジー」公益財団法人史学会『災害・環境から戦争を読む』山川出版社、2015年。

[12]中村『新版 母は枯葉剤を浴びた』、165頁。

[13]エマヌエーレ・コッチャ『植物の生の哲学——混合の形而上学』嶋崎正樹訳、山内志郎解説、勁草書房、2019年、29頁。

[14]同上、30頁。

[15]同上、31頁。

[16]同上、68頁。

[17]同上、48頁。

[18]同上、69頁。

[19]同上、99頁。

 

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著者略歴

  1. 藤原辰史

    1976年生まれ。京都大学人文科学研究所准教授。専門は農業史、食の思想史。2006年『ナチス・ドイツの有機農業』で日本ドイツ学会奨励賞、2013年『ナチスのキッチン』で河合隼雄学芸賞、2019年日本学術振興会賞、同年『給食の歴史』で辻静雄食文化賞、『分解の哲学』でサントリー学芸賞を受賞。『カブラの冬』『稲の大東亜共栄圏』『食べること考えること』『トラクターの世界史』『食べるとはどういうことか』ほか著書多数。


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