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ぼくらはまだ、ほんとうの旅を知らない 久保田耕司

旅の途上――「境界」を意識する(2)

  

 バンコクでオープンチケットを購入してインドを目指していた僕は、なぜかスリランカの地に立っていた。

 これは時空が歪んでしまったからではなく、実はいったんスリランカに立ち寄ってからインドに入るルートをアレンジしていたからなのだが、今にして思えば、なんでそんな非効率的なルートを選択したのか記憶があいまいだったりする。

 たしか、インドに入国してからスリランカに立ち寄って、その後またインドに戻るより、最初にスリランカへ立ち寄って、それからンドに入ったほうが、ビザの有効期限を気にせずゆっくり回れるかも、と思っていたからだったと思う。

 実際、初めてのスリランカは、期待以上にすばらしいところで、ビル並みに背の高いヤシの木が何十メートルも続く圧巻のビーチがあったり、山間に茶葉の緑の絨毯が美しく波打つ高原地帯があったり、象の群れもたわむれる草原の自然公園まであって、コンパクトな国土のわりに変化に富んだ自然景観がすっかり気に入り、2~3ヶ月あちこちうろついていた記憶がある。

 この当時、スリランカはまだ、北部を実効支配していたLTTE(タミール・イーラム解放のトラ)との内戦が終結していなかったが、その北部に近づかないかぎり危険なことは何もなかったようで(たまにテロ的な事件はあったらしいが)、少なくとも僕の滞在中に危険を感じたことは一度もなかった。

 日本では、有名なガイドブック、なんとかの歩き方シリーズのスリランカ編もまだ出ておらず(旅行者から、ちょうど僕が滞在中に初版が刊行されたと聞いた)、観光客も極端に少なく、国としてもまだ、今よりはるかに貧しい時期だった。

 タイのバンコクにはそれほど長逗留しなかったから、この国が僕にとって実質的にはじめての旅先国となったわけだが、豊かな自然と、観光地としてあまりスレていない牧歌的な雰囲気に浸りながら旅するうち、自分でもそれまで全く自覚していなかった自身の固定観念というか、内的条件付けに気が付く機会にも多く恵まれた。

 

 ということで今回はまず、この頃感じたカルチャーショックの話からはじめてみたいと思う。カルチャーショックは、旅の最初の頃のほうが新鮮で強烈に感じるものだし、そこで感じた問題意識を元にしたほうが、前回書いた内的条件付けについても説明しやすいと思うからだ。

 そのスリランカで長距離バス(鉄道の代わりにバス移動が発達していた)に乗って次の目的地を目指そうとしていたときのことだ。

 定刻までまだ時間があったので先に乗り込んで出発を待っていると、小学生低学年くらいだろうか、まだ幼さが残る子供の物乞いが乗り込んできて、出発までの時間、乗客の間を回ってバクシーシを求める、ということがあった。

 バクシーシとは本来「喜捨」のことだが、広く南アジアでは単なる物乞いへの施しの意味に使われ、特にインドでは旅行者がよく遭遇するその手の貧者の代名詞にもなっている。

 スリランカでもバクシーシに出会うことはあったが、インドほど強引でもなければ頻度も少なく、もともと仏教国で、お坊さんに喜捨するというような本来の意味でのバクシーシも身近なものだったので、あまり気に留めることもなかった。

 ところがそのバスに同乗していた、ある旅なれた雰囲気の日本人旅行者は、子供たちが物乞いする様子を見て、僕にこんなことを説明し始めた。

「ああいう子供たちって、自分の意思で物乞いしてるように見えるけど、子供たちをまとめる元締めみたいなのがいるのは知ってる?」

「元締め、ですか?」

 そういう話は初耳だった。

「そう、親がやらせてる場合もあるだろうけど、何人かまとめて"売り上げ"を管理する元締めがいるんだよ」

「うーん、でも言われてみれば確かに子供たちだけというのは不自然ですね」

 そんなこともあるのかと僕が納得しようとすると、その旅行者は追い討ちをかけるようにさらに混乱するようなことを言ってきた。

「それだけじゃないんだよ。ここではそういうのは居ないかもしれないけど、インドに行くとね、手足がなかったり目がつぶれて見えなかったりする子供がいるんだけど……それって実は、親が子供を乞食として食べていけるように、わざとそうするんだよ」

「えっ、わざとって、親がですか? 自分の子供を? 生まれつきでもないのに? なんでそんな」

 さすがにこれはちょっとした衝撃だった。いくらなんでも、実の親が我が子にそんな風に手をかけるものなんだろうか?

「五体満足だと、仕事がない場合、飢え死にするしかないだろう? 手足をもいだり、目をつぶしたりしておけば、誰かが面倒を見てくれるし、乞食として食べていける。生きていくためにわざとそうするんだよ」

 僕が衝撃の余韻で黙っていると、その旅行者はさらにこう続けた。

「だから自分はバクシーシはしないようにしてるんだ。それで食べていけると思わせるのがいけない。施しするのが良いこととは限らないんだよ」

 

 アジアを旅していると、検証しようがない都市伝説をよく耳にすることがあった。インドだと有名なのが、ミドリさん伝説という、売春しながら旅費を稼いで旅してるミドリさんという女性がいるというものであるとか、大抵は真偽のほどが分からず、最後はなんだ作り話か、と後から気が付くことができる程度のものだったが、この話は作り話で済ませるには度が過ぎていて、真剣に考え込まざるをえなかった。

 生きていくためとはいえ、親が自分の子供をわざと不具者にするなんて、いくらなんでも常識外れすぎる。はじめて聞く人ならまず信じる気にはならないだろう。

 僕も最初は半信半疑だった。だが、この旅行者だけではなく、複数の旅なれた旅行者たちがみな、このことをいわば旅の常識とでもいうように知っていて、真顔でバクシーシを施すことが良いとは限らない、というのを聞いているうちに、そして実際にこの後インドを訪れ、コルカタで本場のバクシーシを体験したりするうちに、次第にこの話は本当なんだろうと思わざるをえなくなっていった。

 それまで僕は、貧しい人に施しをするのは当然で、相手にとっても良いことだと単純に考えていた。というより、そのことについて特別深く考えたことすらなかった。

 それがまさか、世の中には貧しさを商売道具にして生きている人たちがいて、それに対して施しをすることは、彼らを本当に助けることにはならない、なんてことがあるとは。

 

 またあるとき、別のバスに乗っていると、今度は黄色い袈裟を着たお坊さんが乗車してくるということがあった。スリランカは上座部系ではあるが仏教国で、今でも頭を剃ったお坊さんがたくさんいる。ちなみに、日本ではお坊さんの袈裟は黒と相場が決まっているようだが、こちらではみな黄色が普通だ。

 僕がバスの前のほうに座っていると、そのお坊さんは乗りかけたものの、僕が座っていることに気が付くと、そのままきびすを返して下車しようとした。

 実はそれ以前に誰かから、スリランカでは、バスの最前席はお坊さん専用だから座らないほうがいい、とは聞いていた。しかしこのときは、そのことをうっかり失念して、誰もいなかったのでそこに座ってしまっていたのだ。

 そのことを思い出して、あわてて席を空けてお坊さんに座るように促したが、いや、すぐに次のバスが来るから自分はそっちに乗るからいい、と言って降りようとする。特に怒っている風でもなかったのでそれ以上強く勧めはしなかったのだが、結局、僕が後ろの席に移動したあとも、そのお坊さんはバスには乗らなかったのだ。

 

 後日そのことを、ある旅行者と話す機会があったが、その旅行者もお坊さんの振る舞いには不満があったようで「そうそう、こっちの人は物乞いとかもそうだけど、バクシーシしてもお礼のひとつも言わないでしょう? あれが嫌なんだよね。みんな感謝しないんだよ」と言っていた。

 その旅行者の言うとおり、確かにバクシーシに応えて小銭を施しても、誰もそれに感謝しないで当然のように立ち去っていく、ということが多かった。というよりその後もずっと、思い出すかぎり、そのことで感謝されたことは一度もなかった。

 もっとも、僕自身はそのこと自体に不満を覚えたということではなかった。しつこくバクシーシを求められ、まとわり付かれ、道をふさがれ、あまりに邪魔だから追い払いたいという感覚で、日本円にしたらごくわずかの小銭を施すことはあっても、感謝してもらいたくてバクシーシしているという感覚ではもはやなかったからだ。

 そういうやり取り自体が、本来の「喜捨」でないのは明らかだったし、実はそれ以上に、本来の「喜捨」の意味からしても、施しをもらうほうは感謝などしない理屈になっていることも知っていたからだ。

 本来の「喜捨」には、施すほうが徳を積む、という意味がある。だから、徳を積むことは得がたい機会とみなされ、そのような機会を与えてくれてありがとうと、お礼をいうのはむしろ、バクシーシを施す側であるという理屈になっているのだ。

 こういう理屈については以前、はじめてのインド訪問時にすでに聞いていたいので、相手側がバクシーシに感謝しないこと自体は僕的には納得できていたのだ。

 しかし物乞いを職業化していたり、生きていくために子供を不具者にしたり、バスの最前列に座ることが当然の権利になっていたりということになると、さすがに違和感を感じないわけにはいかなかった。

 あの旅なれた旅行者が言ったように、本当にバクシーシは施さないほうがいいのだろうか? それとも事情はどうあれ、喜捨の本来の趣旨にのっとって、いくばくかでも施すべきなんだろうか?

 

 当時、僕が安宿などで知り合った欧州からの旅行者の間では、施しすることは良くないことだ、という論調が圧倒的に優勢だった。

 ある白人女性バックパッカーは、「施しは絶対にダメ。彼らも働くべきだわ。甘やかしても逆に彼らのためにならないのよ」と厳しい口調で断言したものだ。

 こういう場合、欧州系文化圏の人は、文字通り有無を言わせぬ絶対的な態度というか、それはそれは冷たい態度をあらわにする。

 彼ら自身、子供時代に教育されたときの親の態度を反映しているのだろうか、それとも一神教の影響で絶対的な正義を信じているからなんだろうか、とにかく側で見てる方がハラハラするくらい冷淡な態度をとるのだ。

 それまで何かの書籍で、日本人は情緒的でどっちつかずであいまいな玉虫色の態度をとることが多いのに対して、欧米人は合理的な判断で白黒はっきりさせて情に流されたりしない、というような話を読んだことはあった。

 しかし、実際に見ると聞くとでは大違いで、僕が見た彼らの合理性とは、単に多くの要素を考慮しないから単純なだけだったり、情に流されないというのも、本当は自分勝手で無情なだけなんじゃないかと思ったものだ。

 ということで欧州系バックパッカーとの出会いも、ちょっとしたカルチャーショックだったので、それについてももう少し書いておこう。

 

 かつては、日本で外国人を見かけることは都市部でも比較的珍しいことだった。それが地方の田舎となれば、ガイジンは動物園の珍獣並みの扱いだった。僕は高校までの一時期、北海道に住んでいたことがあったのだが、そこでは中学の英語の授業で、担当教師がわざわざモルモン教の布教に来ていたガイジン青年二人組を連れて来たことがあったくらいだ。

 そんな訳で、自分では特に白人コンプレックスや、欧米文化に憧れるような気持ちはないつもりだったが、それでも映画やTVの中くらいでしか見かけてこなかったガイジンと旅先で直接交流するようになってみると、最初のうちは無意識のうちに相手を上に置くような扱いをしていることに気が付くこともないではなかった。

 だが、僕のそんな態度を、ちょっと白い目で見てる日本人バックパッカーがいた。 

「自分だったら、彼ら(白人バックパッカー)には自分から話しかけたりしないな」

 その日本人青年は機をうかがって僕にそう忠告してきた。彼は普段、穏やかな感じの大人しそうな人で、旅の経験は豊富だったから、同じ宿で話しかけて、一緒に近くの観光地まで行動をともにしていたところだった。

「え、どうしてですか?」

 僕が不思議に思って聞き返すと、

「まあ、向こうから話しかけて来たら対応するけどね。でも、自分から話しかけようとは思わないな」

 とだけ答えて、僕が重ねて説明を求めても、

「そのうち分かるよ」

 とだけ言ってそれ以上は何も説明してくれなかった。

 この頃は旅をはじめたばかりで、本当にその意味が分からなかったのだが、とりあえずその青年は普段は良い人なので、それ以上は気にしないで深く追求しなかった。

 

 しかし、その理由を知る機会は意外に早く訪れた。

 先に書いたとおり、欧州系バックパッカーは、どちらかというとバクシーシを拒絶する傾向が強いのだが、話だけではなく、彼らが実際に物乞いに対処している現場を目撃することがあったのだ。

 ある白人カップルが、観光地で何かスナック菓子みたいなものを食べながらイチャイチャしていると、彼らの後ろから、痩身の物乞い女性が近づいてきて手を伸ばしバクシーシを求めてくるということがあった。

 すると彼らはニヤニヤ笑いながら振り向いて、わざと見せつける様に身を乗り出してその物乞いの前でスナックをゆっくりおいしそうに食べるてみせると、子供たちが囃し立てるときに使うような裏返った甲高い奇声で何か馬鹿にした言葉を浴びせたかと思うと、今度はプイッと背を向けて、あとはその物乞いが何を言おうと一切無視してその場を立ち去ったのだ。

 別に特段の大声で怒鳴りつけたわけでも、暴力を振るったわけでもなかったが、見てるこちらの気分が悪くなるくらい酷い態度だった。

 差別……そんな言葉も頭をよぎった。しかし彼らにその態度の意味を問いただしても、それが差別だとは決して認めなかっただろう。むしろその物乞いのためにバクシーシの無益さを教えていたんだ、とさえ言い出しそうな堂々とした態度だった。

 黙って見ていると、彼ら欧州系バックパッカーは、物乞いに対してだけではなく、現地で出会う普通の人に対しても、あまりほめられたような態度を見せることは少なかった。    

 それでも僕があの青年の忠告の意味にすぐには気が付かなかったのは、彼らも相手が同じ旅行者同士だと、僕みたいなアジア人でも、すぐにあからさまに差別的な態度で接するということが少なかったからだろう。

 そんな鈍感な僕も、彼らと何度か話をするうち、彼らのその粗野な振る舞いが直接自分に振り向けられて嫌な思いをすることも出てきて、ようやく疑念が確信に変わっていった。

 たとえば、ある英国人と日本の食べ物について話をしたときのことだ。

「スシってあれは調理しているの? それとも生なの?」

 日本的には、鋭利な刃物で魚をさばいて切り身にする事自体、高度な調理技術だと思うのだが、英語での調理する(Cook)はたしか熱を加えることだったな、と思って

「えーと、生だよ」

 と答えると、オエェーッと何か吐き出すようなしぐさで気味悪がってみせたりするのであった。

 今でこそスシは世界的なブームで、英国でも高級料理として市民権を獲得していると思うが、当時は米国西海岸のカリフォルニアロールが話題になった程度で、欧州ではまだまだ認知度が低かったのだ。

 欧州文化に詳しい人なら「英国人って言っても労働者階級なら、自国内でもその程度の反応は仲間内で普通にやっているだろうし、特に差別意識のあらわれというほどではないな」と思うだろう。

 今なら僕もそう思うかも知れない(そもそも彼らの本気の差別モードはこんなものではない)。しかし日本文化の温室でぬくぬく育った当時の自分にとって、これはかなりショッキングな反応だったのだ。

 

 僕が見るに、この当時アジアを旅していた日本人は、自分も含めて欧州文化に対する憧れのようなものがない人がほとんどで(あったらインドなど目指さず真っ先に欧州に旅立っていただろう)、こんな風に嫌な思いをした共通体験からか、自然と欧州系バックパッカーを避けるような傾向があった。

 以前、アジアにはなぜか日本人ばかり集まる日本人宿がある、という話を書いたが、そうなった理由のひとつは、この欧州系バックパッカーとのいざこざを避けるためということもあったと思う。

 少なくとも、僕が出会った長旅している旅人たちは、あの忠告をくれた青年をはじめ、それまで日本で流布されていた欧米文化礼賛観に疑問を感じるようになっている人がほとんどだったのだ。

 

 僕は旅に出る前、人間というのは、百人いたら百人ともそれぞれがユニークで、考え方や感じ方も人それぞれ違うのが当然だと思っていた。

 漠然とではあるが、物の見方や振る舞い方だって、その気になれば誰でも自由に新しいものに変えることができるはずだと思っていた。

 しかし、実際に旅に出て異文化に触れてみると、日本人は皆、多かれ少なかれ、なんだかんだで日本的な物の見方や感じ方が共通しているし、それは欧州系の人たちや、インド文化圏の人たちも同じことで、それぞれの傾向でまとまって飛び抜けてユニークな人などいなかった。

 前回、僕はこのような違いを「壁」と表現して、内面的な物の見方の違いが「境界」を生み出すのではないか、というような書き方をした。

 外面的な事象の違いや、些細な生活慣習の違いは、郷に入っては郷に従えで、面白がって相手国の文化に合わせていれば良い。

 しかし、旅を進めるうちに、その表面的違いの奥に潜む、物の見方や考え方といった内面的な違いまで見えてくるようになると、先に書いたバクシーシのときのように、本当にこのまま郷に従って良いのか?となってくる。

 特に、絶対的に自分が正しいと思うような「価値判断」に関わる部分に触れる「違い」に関しては、単に理屈の上でどうにかできないくらい強い拒否反応が出てきてしまい、本当にその先に進むことの出来ない境界があるように感じてしまうのだった。

 先に書いたバクシーシに関して言うなら、それ自体は別に道徳的に許せないという程の行為ではなかった。むしろその元の理念には、富める者がそうでない者を助けるという側面もあり、施しを授ける方が受け取ってくれた者に感謝するというのも、むしろ美しい考え方に思えた。

 多くの人が疑問を感じ、僕自身、本当なら許せないと思ったのは、子供を不具者にするとか、元締めがいて仕事として管理しているとかの部分である。

 ただ単に科学的に、あるいは論理的におかしいというだけなら、昔からの伝統だから迷信もあるだろうと、笑って済ませられたかもしれない。

 しかし、そこに「価値判断」が絡んできて倫理的におかしいとなると、そう簡単に納得することは出来なくなるわけだ。

 

 たとえば「喜捨」に関しては、インドやスリランカだけではなく、輪廻転生やカルマを信じてる国、特に上座部系仏教の国では共通していて、タイやミャンマーでも同じような考え方がある。

 後年、ミャンマーを訪れたときのことだ。そこではインドのように、物乞いが観光客に殺到してバクシーシを求めたりすることこそなかったが、寺院の参道脇で小鳥を売っている人を見かけるということがあった。

 地味な野鳥みたいな小鳥が、鳥かごいっぱいにぎゅうぎゅうに詰め込まれるようにして売られていたのだ。

 こんなところでなぜ小鳥を売ってるのかと思って話を聞いてみると、その小鳥売りは、実はその小鳥そのものを売っているのではないという。

 そうではなく、捕まってかごに入れられた、かわいそうな小鳥を逃してやる権利、つまり小鳥を逃して徳を積むという権利を売っている、というのであった。

  いやいやいや、それなら最初から捕まえなきゃいいだろうと思ったものだが、迷信(と決めつけてしまうのは気が引けるが)とは恐ろしいもので、なぜかそれが商売として成立してしまっていたのである。

 こういう事例は、論理的におかしいし、本当に功徳があるのか科学的にも説明できないわけだが、世間ではそれほど話題にならないようで、大騒ぎする旅行者も少ないようだった。

 

 ちなみにこれに関しては、そのお隣のタイでも同じようなことがあるそうで、タイではこういう功徳のことをタンブンと呼ぶのだそうだ。

 自分の子供を不具者にするよりかははるかにましだが、基本的な考え方は共通しているんだなと思ったものだ。

 バクシーシ以外で強い憤りを感じるようなカルチャーショックというと、おそらくインド方面なら、多くの人が体験するだろう悪名高い、買い物時のボッタクリだったり、何を買うにもそもそも値切り交渉が必要なことだったり、道を聞いてもデタラメを返されたりするというようなことだろうか。

 

 こういった倫理観をさかなでするような「違い」に触れてカルチャーショックを感じる場面というのは、最初はだいたい「そんなんだからいつまで経っても途上国のままで発展しないんだよ!」とか、自分が正しくて相手が間違っているという、差別的な発想と偏見を伴った見方に終始することになることが多いと思う。

 僕自身、最初はどう対応するべきなのなのか、なるべく相手の側に立って考えてみたりしたが、それでも限度があってなかなかうまい対処法は見つからなかった。

 

 バクシーシにはどう対処するのが正しいのだろうか? ボッタクリに合わないようにするにはどうすればいいのだろうか? 道を尋ねると適当な返事しかしないようなウソばっかり言ってるインド人たちと、どう折り合いをつけて旅を続けていくべきなのだろうか?

 インドという国は、反発して嫌いになって二度と行かなくなるか、逆に面白さにハマって好きになって何度も行くようになるかのどちらかだ、とよく言われる。

 反発してインドなんて嫌いなるのが正常なのか? 同調して面白がって、好きだから悪い面は見てみぬ振りでもしておけばいいのか? それとも何か別の対処法があるのだろうか?

 ということで長くなってしまったので、続きは次回、実際にインドに渡って旅を続けるうちに見えてきた、これまでとはまったく違う境界に対するときの「物の見方」について書いてみたいと思う。

 

南アジアの田舎を旅していると、物理的な空間だけではなく、時間も飛び越えて太古の昔を旅しているような錯覚に陥ることがある。本文ではスリランカのカルチャーショック話を書いたので、写真のほうでは、そんな別の時間軸に存在していたスリランカを紹介してみたい。高原の古都、キャンディで毎年7~8月に行われるペラヘラ祭りだ。ゴータマ仏陀の歯を納めたという仏歯寺から、その仏歯を背に戴いて象が街中をパレードするという奇祭である。たまたま偶然、祭りの時期にキャンディに滞在していて写真に納める機会を得たが、知らずに出かけたら、その象の頭数がすごかった。たしか20頭ぐらいまでは数えてみたが、それ以上は数え切れなかったから、軽く50頭、いや100頭ぐらいはいたかもしれない。僕が訪れた当時は、観光客も少なかったから予算も無いのか、象の着せられていた衣装は近くで見るとぼろぼろだった。もっとも、その素朴な手作り感がかえって悠久の伝統を感じさせ、暗闇に輪を描いて舞う踊り手の松明の光の怪しさが、異次元への入り口のように感じられたのだった。

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著者略歴

  1. 久保田耕司

    1965年静岡県出身。広告代理店の制作部からキャリアをスタート。90年代初頭から約1年ほどインド放浪の旅に出る。帰国後、雑誌や情報誌などエディトリアルなジャンルでフリーランス・フォトグラファーとして独立。その後、ライター業にも手を広げ、1997年からは、実業之日本社の『ブルーガイド わがまま歩き』シリーズのドイツを担当。編集プロダクション(有)クレパ代表。

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