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〈メイド・イン・ジャパン〉の食文化史 畑中三応子

集団食中毒20年史

 粗食ブームがはじまった1990年代は、安い輸入牛肉が出回るようになったおかげで、日本人が史上もっともたくさんの牛肉を食べた時期だった。肉食を控えて穀菜食に励む一派がいる一方で、牛肉食べ放題の店がやたらと繁盛する。そこに大きな対立や分断があったわけではない。こうして矛盾した流行現象が違和感なく同時進行するのが、日本の食文化のおかしなところである。

 牛肉輸入自由化、米の部分開放がそうだったように、90年代からは食のグローバリゼーションが、生活のなかで目に見えるようになった。それにともなって、海の向こうの食のリスクが持ち込まれるようになり、「国産食品安全神話」が醸成されるわけだが、ことはそう単純ではなかった。

それはハンバーガーからはじまった

 最初に猛威をふるったのは、病原性大腸菌O157だった。牛の腸内をすみかにし、その糞便から食べ物や水を介して人に感染して、さらに人から人へも感染する。赤痢菌に似た強い毒素を出す腸管出血性大腸菌のひとつで、少量の菌でも感染してしまう。低温に強く、冷凍庫でも生きのびる。成人のほとんどは激しい下痢と腹痛、血便で終わるが、抵抗力のない子どもや高齢者の場合は、急性腎不全や脳症を起こし、死にいたることもある。潜伏期間が長いため、感染源の特定が難しい。

 はじめてO157が検出されたのは、1982年にアメリカで起きたハンバーガーによる集団食中毒事件だった。その後、ヨーロッパ、オーストラリア、アジアでも相次いで発生し、93年にはアメリカの大手ハンバーガーチェーン「ジャック・イン・ザ・ボックス」で感染者732人を出し、うち4人が死亡。当時「アメリカ史上最悪の食中毒事件」と呼ばれた。

 ハンバーガー業界の実態を暴き、世界的なベストセラーになったノンフィクション、『ファストフードが世界を食いつくす』をドラマ化した『ファーストフード・ネイション』というアメリカ映画がある。あまりにも劣悪な労働環境、いいかげんすぎる衛生管理は衝撃の連続だが、いちばんショッキングだったのは、精肉工場で牛を解体するとき、内臓の取り出し方がずさんで、肉が糞便で汚染されるシーンだった。

 肉の表面に付着した菌はそこで増殖するが、肉の内部には入っていかない。また、O157は熱には弱く、75度で1分以上加熱すれば死滅する。かりにステーキ肉に付着していても、表面をしっかり焼けば、なかがレアでも中毒はまぬがれる。しかし、挽肉を混ぜ合わせて作るハンバーガーのパテは、全体にまんべんなく菌が広がり増殖するので、中心部分まで75度に加熱しないと危ない。ジャック・イン・ザ・ボックスの食中毒は、パテが生焼けだったのが原因だった。

 原作の著者、エリック・シュローサーによると、現在、1個のハンバーガーには数十頭、ときには数百頭の肉が混ざっており、そのうち1頭でも危険な病原菌を持っているだけで、感染の拡散ははかり知れない。効率化を追求する生産システムは、食品を媒介に伝染するさまざまな病気のリスクを増大させ、グローバル化によって瞬時に国境を越え、数百万人の健康を脅かすようになった。

ぬれ衣を着せられたカイワレ大根

 国内では1990年に埼玉県浦和市(現さいたま市)の幼稚園で、井戸水から319人が感染し、2人が死亡したのが、O157が最初に注目された事件。それ以降も感染は続き、96年に入ると全国で爆発的に流行した。

 まず5月、岡山県邑久町の幼稚園と小学校で、468人が発症し、2人が死亡。原因は、給食と見られた。それからというもの、各地で同じような集団感染が相次ぎ、7月には大阪府堺市の小学校で、感染者9000人以上、うち死亡者3人(2015年に後遺症で1人亡くなったので計4人)という、桁外れの集団食中毒事件が発生した。原因は、やはり給食だった。

 このとき、厚生大臣(当時)の菅直人が、原因食材の可能性が高いと発表したカイワレ大根は、壊滅的な打撃を受けた。それまでの健康食品イメージを完全に失い、全国的に出荷量は激減、価格は半値以下に落ち込んだ。破産に追い込まれたり、自殺した生産者も現れて、大きな社会問題になったほどだ。

 結局、給食に使用されたカイワレ大根の生産施設と従業員からはO157は検出されず、菅大臣は一転、記者会見でカイワレサラダを食べるパフォーマンスで、安全性をアピールした。だが、このときの痛手は長く引きずられた印象がある。生産業者らが損害賠償を求めた民事裁判では、2003年の最高裁で国に損害賠償支払いが命じられたが、その後スプラウト(新芽野菜)のブームが起こっても、カイワレ大根の存在感は薄かった。原因食材は、いまも不明のままだ。

 牛の腸内にいるO157がなぜ野菜に付着するかといえば、糞便が土壌を汚染し、その土で育つ野菜を汚染することからはじまる。収穫から調理までのプロセスでも、汚染のリスクはいくつもある。カイワレ大根のような水耕栽培の野菜は、水が疑われる。

 問題なのは、感染しても症状が出ない人もいることだ。本人は健康でも便にはO157が存在しているため、タオルやドアノブを介して、気づかないうちに周囲に感染を広げる可能性が高い。調理時にも、手や器具に少しついていただけで感染する恐い菌なのである。

先進国で多発する新型食中毒

 カイワレ風評被害のあおりを受けて、レタスやキャベツなど、生食野菜全般の消費も激減し、値崩れした。食中毒への恐怖から、外食産業の売上も落ちた。一方で、除菌スプレーや薬用石鹸、アルコール消毒液、漂白剤など、除菌関連商品が飛ぶように売れ、抗菌加工が施された台所用品や日用雑貨、文房具などの抗菌グッズの売れ行きも絶好調になった。しかし、食品衛生に対する意識が本当に高まったかというと、そうとは思えないのである。

 まだわからないことは多いが、牛がO157を保有するようになったのは、北米で濃厚飼料による多頭飼育が普及した1960年代以降という説がある。国産牛からのO157検出率は、2000年代に急激に増加しているらしい。野菜や果物から感染することはあっても、もっとも危険度が高くて警戒すべきは、輸入と国産を問わず、やっぱり牛肉だ。

 それなのに、牛肉によるO157中毒は、集団食中毒事件後もあとを絶たなかった。1998年から2018年までの20年間で、最少の年でも34人、最多の年では928人もの患者が発生している。全部の原因食材が牛肉ではなく、テイクアウト惣菜のポテトサラダや、露店の冷やしキュウリという思わぬ伏兵もいたが、ユッケ(牛の生肉を細かく叩いて調味料であえた料理)、レバ刺し、ハンバーグ、サイコロステーキ、たたき、ローストビーフといった牛肉料理が目立つ。

 O157感染を予防するには、食品は冷蔵庫できちんと保存する、料理する前には手、調理道具、材料をよく洗う、肉をさわった手で他の材料をさわらない、疑わしい食べ物は食べないなど、昔ながらのアナログな方法で十分に役立つ。何より重要なのは、肉はよく加熱すること。中心までしっかり火を通せば、O157だけでなく、ほとんどの細菌やウイルス、寄生虫は熱で死滅する。とてもシンプルな解決法だ。

 ところが、2000年代以降、とくに2010年代は、グルメ志向から生や半生の肉料理を好む人が多くなったように思える。外食では、たんぱく質が変成するかしないかの低温で時間をかけて加熱し、かぎりなく生っぽく仕上げる低温長時間調理の流行が典型だ。やわらかくてジューシーになるが、表面の菌が元気に生きのびている危険がいっぱいの調理法である。

 衛生設備が完備した先進国でO157が多発するのは、ヘルシー志向の影響もある。アメリカでも感染源の多くは牛肉だが、アップルジュースや有機栽培のホウレンソウから発生したこともあるし、2018年の流行では原因はシーザーサラダの主材料であるロメインレタスと断定され、米疾病対策センターが販売禁止と廃棄を勧告し、「シーザーサラダが食べられなくなった」と騒がれた。

O157に見る衛生観念の消失

 食中毒の増加で、とりわけ危険性が高いとみなされたのが、ユッケとレバ刺しだった。2012年、生食用の牛肉は、と畜場の名称と所在する都道府県名(輸入品は原産国名)、加工施設の名称・所在地などを表示し、表面から深さ1センチ以上に60度2分以上の加熱殺菌後、ただちに4度以下に冷却するなど、きわめて厳しい基準が義務づけられた。牛レバーにいたっては、食品衛生法で生での販売と提供が禁止された。レバーは肉とは違って、表面だけでなく内部にもO157が検出されたためである。これで、焼肉店で何十年も定番として親しまれてきた2品が、メニューから消えた。残念だが、子どもに平気で生肉を食べさせる親がいるような現状だから、仕方がない。

 もともと日本人は刺身や生卵を好み、戦後は生野菜のサラダを食べる習慣を身につけた。生食大好きの長年の嗜好が、O157の発生以降も弱まるどころか逆に強まり、蔓延を許したのは、公衆衛生政策や企業の取り組みがうまく機能して、食品衛生の水準が高まった反面、各人の衛生観念が低下したためではないだろうか。世界一のグルメ国と浮かれるのは結構だが、身を守るのはひとまかせで、作る側も食べる側も、菌にはあまりにも無頓着になってしまった。

 牛のレバ刺しが禁止されて、あろうことか代替品として豚レバーの刺身を出す店が多数現れた。とんかつやローストポークを、半生で出す店も珍しくなくなった。豚肉の生食はE型肝炎ウイルス、サルモネラやカンピロバクターなどの細菌に感染するリスクがあり、海外では有鉤条虫、旋毛虫など寄生虫の感染も報告されている。ましてや、レバーを生で食べるなんて、論外の暴挙だ。少し前まで、豚は絶対に中心まで火を入れるのが常識だったから、厚労省も想定外だったろうが、2015年に食品衛生法で肉と内臓とも生食用の販売と提供が禁止された。いちばん恐いのは、恐れを知らぬ日本人の食欲だ。

 牛がダメなら豚という発想から見えるのは、食品知識の欠如。豚がダメなら今度は鶏ということで、刺身、たたき、湯引きなど、生や半生で食べた鶏肉や鶏レバーが原因のカンピロバクター食中毒が、目下多発している。鮮度抜群の国産地鶏であろうが、菌はかまわずついてくる。食中毒への危機感の不在には、呆れることの連続だ。

 にもかかわらず、日本人の食品安全性に対する不安は、世紀末から2000年代に大きなうねりとなって広がっていった。決定的な出来事は、狂牛病の発生だった。

 

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著者略歴

  1. 畑中三応子

    1958年生まれ。編集者・ライター。編集プロダクション「オフィスSNOW」代表。『シェフ・シリーズ』と『暮らしの設計』(ともに中央公論新社)編集長を経て、プロ向けの専門技術書から超初心者向けのレシピブックまで幅広く料理本を手がけるかたわら、近現代の流行食を研究・執筆。著書に『カリスマフード――肉・乳・米と日本人』(春秋社)、『ファッションフード、あります。――はやりの食べ物クロニクル』(ちくま文庫)、『体にいい食べ物はなぜコロコロと変わるのか』(ベスト新書)、『ミュージアム・レストランガイド』(朝日新聞出版)、「七福神巡り――東京ご利益散歩」(平凡社)、『おやじレシピ』(オフィスSNOW名義、平凡社)、共著に『東京バスの旅』(文春新書)がある。第3回食生活ジャーナリスト大賞(ジャーナリズム部門)受賞。

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