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ぼくらはまだ、ほんとうの旅を知らない 久保田耕司

旅の途上――「境界」を意識する(1)

 

 「日本人にとっての旅行って、そこに行って来たってこと自体が重要みたいなところがあるじゃない? あとで帰国してから、あそこに行ったことあるって友達に自慢したいみたいな。だから、その場所に行っても本当には全然楽しんでないのよね。ただツアーでそこに行って、あっという間に通り過ぎるだけでしょう? こっちの人はもっとゆっくりと旅を楽しむのよ」

 日本人特有の旅のあり方について、そんな話を始めたのはドイツ在住の日本人女性、M女史だった。

 

 このとき、僕はガイドブックの取材でドイツを訪れていた。まったく新しい個人旅行者向けのガイドブックのシリーズを立ち上げるということで、そのドイツ編の制作を一冊丸ごと任されてのことだった。

 といっても、もちろん一人で全部の取材は無理なので、何人かフリーランスの仲間に声をかけて手分けして取材をすることになったのだが、僕自身はロマンチック街道などを担当することになって、その起点となる街、ヴュルツブルクを訪れていたのだ。

 

 M女史と出会ったのはまったくの偶然で、僕が取材で街中をうろうろしていたとき、重たそうなカメラバック(実際に重いのだが)を肩にかけて地図を広げていたのが気になったのか、声をかけてくれたのがM女史だったのだ。

 事情を説明すると、この街に住んで長いというM女史は、親切にも案内役を買って出てくれ、有名なワインケラーにも知り合いがいるから紹介してあげる、とまで言ってくれた。

 

 親切な申し出には遠慮なく甘えるクセのある僕は、M女史の申し出にももちろん甘えて、とりあえず近くのカフェで話しをするうち、その内容は日本とドイツの文化の違いから、次第に海外から見た日本人論的なものになっていき、いつの間にか日本人の旅行観についても話が及んだのだった。

「そうですか。でも最近は日本でも個人旅行者が増えてきているし、今回の取材もその個人旅行者をターゲットにしたガイドブックを作るためのものなんです。今後は日本人の旅の仕方も変わってくると思いますよ」

 この当時は、僕はまだ、なんとなくこの手の物事は時代とともに自然と移り変わっていくだろうと軽く考えていて、そんな受け答えをした記憶がある。

 

 M女史はドイツ人男性と結婚していて、自身も現地で仕事しているとかで、ドイツ文化を受け入れるのに特に苦労しているようには見えなかった。

 現地のワインケラーと顔見知りというのも本当で、そのビュルガーシュピタールというワインケラーでは、M女史の紹介のおかげで、普通に訪れただけでは見せてもらえなさそうな貴重な古いワインも取材させてもらう事ができた。

 

 余談だが、その古いワインとは、店側の説明によると「世界最古のもの」ということだった。ところが間に入って説明してくれたM女史は「こっちの人(ドイツ人)はあまり調べずに、すぐに世界最古とか大げさに言うけど、本当かどうかは分からないからちゃんと後で調べてね」と言う。

 このときはそれほど気に留めていなかったが、これがドイツ人気質に関する示唆だったのだと後から気が付いた。

 たとえば日本的な感覚だと、自画自賛するような宣伝の場合には、本当にそう表現していいのか徹底的に調べてから、自分の格がそれに相応しいかどうかも十分考慮して、それでも若干控えめに宣伝したりしそうなものだ。

 ところがドイツの場合、たとえば観光物件を調べていると「アルプスより北では最も大きな○○様式の建築」などという表現によく出くわすのである。

 最初は、そんなにすごいところなのか! と思って取材しようと思うのだが、よく調べてみるとイタリアなどの南欧州ではもっと規模が大きく有名な「○○様式」の建築がたくさんあることが分かる、ということがよくあった。

 「アルプスより北では」という点では間違いではないのだろうが、わざわざ条件をつけて、その条件の中では一番、と宣伝するのがドイツ流らしく、もしかしたらこの「世界一古いワイン」にも、何か条件が付いていたのかもしれない。

 

 

 話を戻そう。

 

 M女史とそんな話をしてから二十年以上の年月が過ぎた。予想通り、今では日本でも個人での海外旅行が当たり前になってはきたが、それで果たして日本人の旅行のあり方が本当に変わったと言えるのだろうか?

 僕が今回、このM女史との話を冒頭に持ってきたのは、最近、とあるネット記事(”旅行目的は「インスタ映え」大学生の本音” プレジデントオンライン)で、日本の若者に人気がある旅行先や、その旅先選びの動機についての記事を読んだからなのだ。

 それによると、最近は『女子旅の8割は「インスタに写真を上げる」のが目的』なんだそうだ。いわゆるインスタ映えする写真を撮って、その手のSNSに上げ、「いいね」の数を増やせるかどうかが、旅先選びの基準になっている、というのである。

 

 この記事元では、これはまったく新しい現象で、若者の旅の動機が昔のものとは劇的に変わってきた、というような論調になっていた。

 なるほど、インスタグラム自体がほんの10年に満たない歴史しかないし、二昔前にはそのインスタはおろか、インターネット自体がまだ始まって間が無いような時代だったわけで、インスタ映えを狙って旅に出るというこの動機は、新世代特有の新しいものに見えるかもしれない。

 しかしそれは、あくまでも表面的な現象として見た場合の動機であって、その奥にある動機の「背景」というか、動機を生み出す「条件付け」とでも呼ぶべきものにまで目を向けるとしたらどうだろう?

 インスタ映えする写真を上げて「いいね」の数を稼ぎたいという動機の裏にある文化的条件付けは、20年以上前にM女史が言い放った「そこに行ったことがあると友達に自慢したい」という動機の裏にあるそれと、どれほど違うと言えるだろうか?

 僕の目には、他人の評価を気にするという、いかにも日本的な条件付けが根底にあって、その上で生まれた動機という点では、両者は全く同じようなものに見えるのだ。

 この場合の文化的な条件付けというのは、言うまでもなく、日本で生まれ育った日本人なら、日本文化特有の思考回路で条件付けられている、ということを意味する。

 そしてこの条件付けは、旅行の動機に限らず、文化的行為全般の行動原理になっていそうだから、昨今の若者が昔の人と同じ動機の背景をもって旅先選びをしていたとしても特に驚くほどのことではないのかもしれない。

 それでも、M女史との会話から20年以上も経って、団体旅行が当たり前の時代から、今や個人旅行も普通に出来る時代になって、行き先や旅のスタイルも多様化しているのに、その奥にある旅の動機の背景が世代を超えてこんなにも同じように残り続けているということに、今さらながらちょっとだけ驚かされたのだ。

 

 もっとも、よく考えると表面的にはまったく違う別の行動様式に見えて、内面的にはよく似た文化的背景から行われた結果、平行進化みたいによく似たイベントになってしまっている、ということは他にも色々ありそうではある。

 個人的にすぐに思いつくのは、90年代くらいに流行った「パラパラ」というダンスがある。ギャルがディスコとかで、なにやら腕をくるくる回したり左右に振ったりしながら、2ステップの振り付けで踊っていたアレである。

 当時からアレを見て、内心、これは何かに似ているなぁ、とは思っていたのだが、それが具体的に何なのか、なかなか思い浮かばなかった。

 それが何年か前、ニュース映像で盆踊りの話題を見ていてやっと気がついた。僕らが子供の頃は、盆踊りといえば東京音頭と相場が決まっていたものだが、そのニュースによれば、近年はバブルのころに流行った『ダンシング・ヒーロー』で踊ることも多くなっているのだという。

 そう、僕が「パラパラ」に似ていると思ったその何かとは「盆踊り」のことで、時代が巡って、今度はその盆踊りの方が、バブル全盛期のダンスミュージックを取り入れつつあるというニュースを見て、やっと両者の類似性に気が付いたのだ。

 盆踊りの方は、もともと歴史的には、踊り念仏に端を発すると言われ、先祖の魂を供養するお盆の行事と結びついたものではあるが、実際には娯楽の少ない時代、田舎では体のいい男女の出会いの場になっていたという経緯がある。満月の夜など、日ごろのストレス発散も兼ねて、さながら和風ディスコのように機能してきたのだろう。パラパラを踊っていたギャルたちも、その内なる動機の背景に目を向けるなら、出会いを求めたり、日頃のストレスを発散したいということがあっただろうし、両者が偶然似たスタイルになっていたとしても別に不思議はない訳だ。

 

 しかし、こういう書き方をすると「パラパラはともかく、インスタに旅先の写真を上げるのは、なにも日本の若者だけではないだろう。外国人の旅の仕方や動機だって、本当はそれほど日本人と違わないんじゃないのか?」と思う人もいるかもしれない。

 そこで、まずは説明の前提として、なぜM女史がドイツ人(欧州人)の旅行の仕方と日本人のそれが違うと言ったのか、僕なりの勝手な解釈で解説してみたい。

 バックパッカーとしてインドや東南アジアを旅していた頃、同じようなスタイルで旅をしている欧州からの旅行者と出会う機会は多かったから、M女史の指摘を受けるまでもなく、その頃から僕なりに欧州人の旅行スタイルが表面的には似ていても、実態としてのその内容が日本人のそれとは大きく違うことには気が付いていた。

 たとえば、欧州からの旅行者は、どちらかというと単に旅行するというよりは、バカンス寄りのリゾート滞在を志向することが多く、それは僕が出会った、あまり裕福そうでない若いバックパッカーたちの間でも同様だった。

 彼らの場合、バカンスといっても、それほど裕福ではないから、名のあるリゾートの高級ホテルなどには泊まることはできない。

 ではどうするかというと、日本ではまったく知られていないような小さな島とかビーチに出かけて、その中で特に自然が豊かだったり、地元民向けの安く過ごせそうな格安バンガローがあったりする場所を発掘し、昔は口コミ、今ならSNSなどで情報を拡散&共有して、皆でそこに集まるようにしていく、という傾向があった。

 そのうち、その島に居ついてバーの経営に乗り出すものが現れたり、ダイバー向けのツアー会社を作るものが現れたりするうちに、いつの間にか、そこを彼らの理想のリゾートにしていってしまうのである。

 今では日本でもそこそこ有名になったタイのパンガン島が、フルムーン・パーティーと称して野外フェス的なビーチ・イベントを開催して発展してきたし、今ならラオスのシーパン・ドンあたりがこれからそんな風に発展していきそうな雰囲気を持っている。

 たぶん、彼らの文化的元型に、労働からの解放イコール楽園という図式があるのだろう。そして休暇中に出かける旅行とは、その楽園でのレジャーを楽しむために行くもの、という感覚があり、必ずしも名所めぐりや有名な場所を訪れて見聞を広げようということではないのだろう(もちろん東南アジアに来る時点でそういう目的の人が最初から少ないということはあるだろうが)。だからその場所が最初から特に有名であったり、設備が高級であったりゴージャスであったりする必要もなく、あくまでも自分たちが自由に楽しむことが出来るかどうかが重要で、他人からどう評価されるかは重視していないように見えたわけだ。

 実際、彼らは日本人旅行者と比べると、時間や予算があったとしても、それほどあちこち忙しく見て回ろうとはしない傾向があった。

 これに対して、日本人旅行者の場合、一部を除けば、バックパッカーと呼ばれる人たちの中でさえ、今まで何カ国旅したことがあるかとか、どれくらい長期間旅を続けているかとか、どれくらい旅の知識があるかなどをお互いに競い合うようなところがあって、会って話をすると、すぐにどちらが旅人として上かのマウンティングが始まることが多かった。

 そして、それらに負けたくない人は結局、あそこの遺跡も見に行こう、こちらの寺院も見ておこう、と忙しく移動する傾向が多かったように思う。つまり、他人からどう見られるかという評価が重要だったわけだ。

 

 ということで、この違いを前提に、欧州と日本のインスタ活用の内面的スタンスの違いについても、僕なりの勝手な解釈でもう少し説明させてもらうことにする。 

 たとえばM女史と出会ったヴュルツブルクには、通称レジデンツと呼ばれるバロック様式で建られた有名な宮殿があって、ユネスコの世界遺産にもなっている。

 実は僕自身、ここは初めてのドイツ取材で訪れた、最初の世界遺産として強く印象に残った場所で、それなりに思うところがあったので、これを題材に説明してみたいと思う。

 レジデンツとは18世紀に建てられた領主司教の館で、館内上階には豪奢な内装で知られる「皇帝の間」とか、その控え室「白の間」「鏡の間」など、メインホールとも言うべき部屋もあるのだが、なぜかここではその上階へと至る手前の階段で、その名も「階段の間」と呼ばれる吹き抜け空間の方が、他の部屋よりも有名になっているのだ。

 この「階段の間」、その名の通り機能的にはまぎれもなく単なる「階段」にすぎないのに、その吹き抜け空間は、ありえないほど大きな天井を、柱がないまま上辺に頂く構造になっていて、そのアーチ状の天井には、一枚天井画としては世界一大きく壮麗なフレスコ画が描かれている。

 単なる階段なのになぜそこまでゴージャスに造るの? と思うほど豪華絢爛な造りなわけだが、その巨大さからくる迫力と、複雑で細部にいたるまで造り込まれた豪華さに目を奪われて、そんな疑問も吹き飛んでしまうのか、あまりその理由を詳しく解説した資料を目にしたことはなかった。

 それでも何かの機会に現地のガイドに疑問をぶつけると、それは領主司教が訪問者に、その財力と威光を示すため、ということであった。

 なるほどと思いつつ、後で自分でも調べると、もともと教会建築から発達したバロック様式には、訪れる信者の信仰心を喚起したいという意図があったと言われていて、この様式に共通する圧倒的に大きな空間と、目もくらむほどの絢爛豪華な装飾を施した内装というのは、その信者たちの信仰心を高める劇場空間であることを求めてのことであった、ということが分かった。

 つまりこのレジデンツにも、同じ精神というか、同じ発想というか、同じような文化的条件付けがあって、それがこのような設計になって現れた、ということなのだろう。

 レジデンツは教会でこそないが(一部に礼拝堂はある)、単に美しさを追求したという単純な話ではなく、信者や訪問者への権威の誇示があったという側面は間違いないようだった。

 この権威を誇示することや、外観を必要以上に飾り立てようとする文化的性向は、バロック様式だけではなく、その後の欧州文化全般にも、考え方の基底として広く残っているように思う。

 小さな事例では、例えばドイツでは窓辺やバルコニーには花を飾って綺麗にして、間違っても外から見えるところに洗濯物を干したりはしないし(法律で禁じられている訳ではなくても、皆、常識として外から見えるところに洗濯物は干さない)、町によっては、町ごと全部の景観を保つため、どの家屋も屋根の色が統一されていて勝手に別の色を使うことは許されていないなど、とにかく外見をよく見せようとする傾向は社会全般にあまねく浸透していて、時代と共に流行りのスタイルの変遷があったとしても、見た目で自己アピールする性向は彼らの生活全般で広く見られるのだ。

 

 先に紹介した、ビュルガーシュピタールの「世界一古いワイン」というフレーズも、もしかしたらそういう、少しでも権威を示したいという条件付けから自然にでてきた宣伝傾向なのかもしれない。

 これに対して、日本文化では明らかに自分を必要以上に大きく見せようとはしない傾向がある。

 日本では自分が権威である、と主張するのではなく、自分のことを評価してくれる権威はあくまでも自分の外部にあって、自分はその外部の権威からの評価を受け取る立場である、と受動的にへりくだることが美徳とされてきたのではないだろうか。

 これはかつて、幕府の将軍が実質的な権力を握っていても、天皇という権威から征夷大将軍の任命を受ける、という形式をとったところにも現れているだろうし、小さいところでは、お客をもてなすときにお茶を出すのにも「粗茶でございます」とへりくだってもてなすところにも現れていると思う。

 良いお茶かどうかは客人が判断することで、たとえ高級なお茶であっても、もてなす側は粗茶でありますと控えめに出すのが日本文化の普通の感覚になっていると思う。

 だからインスタを利用するシーンでも、日本人の投稿では「評価は、あくまでもそれを見た相手がするもので、投稿した自分は良い評価を受けられたらうれしい」という受動的発想があるように感じられる。

 

 これに対して欧州の場合、基本的に自分の評価は自分で下すというスタンスの人が多いように思う。

 もともとが階級社会で、身分を現すためにわざわざドレスコードがあるような文化の人たちが、いまさら他人からの評価で自分が何者であるかを確かめようとしたりはしないのだろう。

 レジデンツのように、あくまでも自分の権威、権勢、身分などを積極的にアピールするか、あるいはただ単に自分が良いと思うことを広めたい、あるいはもっと単純に自己主張したい、というような理由でインスタを利用しているように見えるのだ。

 この欧州人の自己主張の精神が、庶民の日常にも深く浸透している例として、僕がいつも思い出すことがひとつあるので、それもついでに紹介しておこう。

 

 ドイツの有名観光地では、繁忙期にだけ民宿として営業している宿というのが結構ある。

 取材ではあまり贅沢は出来ないので、僕はそういう安い民宿に泊まる機会が多いのだが、その手の宿に泊まると、必ずと言っていいほど聞かれる質問があって、その質問を聞くたびに、ああドイツに来たんだなぁ、と思うのだ。

 最近はそうでないところも少しづつ増えてはいるが、ドイツでは伝統的に宿泊施設は朝食も提供するものと決まっていて、安い民宿でも一応そのスタイルで運営されている。

 ということは、宿泊すると自動的に朝食が宿代に含まれていて、こちらが特にお願いしないでも朝食は用意してくれるのだが、それならそれで、好きに作って適当に用意しておいてもらって何の問題もないのに、この手の宿では必ずと言っていいほど、その朝食の前日の夜に、翌朝の飲み物はコーヒーにするか、それとも紅茶にするか、卵はゆで卵がいいか、スクランブルがいいか、それとも目玉焼きにするか? と聞かれるのである。

 最初はたまたま自分が泊まった民宿だけがその質問をするのかと思って気に留めてなかったが、どこの地方のどの民宿に泊まっても、判で押したように同じような質問を受けて、その度に自分の好みを言わないといけなくなるに至ってやっと、これもまたドイツ人気質の問題から生じる質問なのだと気が付いた。

 

 ドイツではあらゆる場面で「自己主張」をしないとなかなか自分の思い通りに事が進まない傾向があり、日本みたいに放っておいても周りが気を遣ってくれて物事が潤滑に進むということは少ない。

 だから朝食の飲み物の好みを先に聞くのも、ドイツ的には単に親切心から質問しているだけだったのだろうが、逆に言えば、あちらの国では、みな自分の好みを強く自己主張する人たちばっかりということで、日本のようにこちらの好みはおろか、注文もしていない段階で勝手に「お通し」が出てくる居酒屋に何の疑問も感じない国から来た身としては、そんなところにも違和感を感じてしまうのであった。

 

 同じ事を同じようにやっているように見えて、内面の条件付けが違えばまったく違う文脈による行為になる。

 受動的に評価を受けることに喜びを感じて、その数を競うようになる日本人の感覚と、できるだけ自己の権威を周囲に自己主張して認めさせたい欧州人では、同じインスタ利用でも意味合いが違ってくるのだ。

 先とは別のネット記事で、インスタ映えするスポットはいわゆる旧所名跡と呼ばれる場所よりたくさんあるから、今のほうがよっぽどあちこち行くのに忙しい、という感想を言う大学生がいたが、そんな風に出来るだけ多くの場所を巡ろうとする様は、まさに昔の日本人旅行者が、そこに行くこと自体を目的に、お互い競い合うようのに有名な場所を訪れていたのと大して変わっていない様に思えてしまう。

 特にSNSで「いいね」の数を競うという感覚は、昔の旅行者が自分の旅した国の数や、旅の期間の長短を自慢する感覚に酷似しているように思えるのだ。

 

 旅に出て最初に気が付くことのひとつは、自分の生まれ育った場所の自然環境や景観、街並みなどと、旅先で出会うそれらとの「違い」ではないだろうか。

 これらの「違い」は、地理的、気候的、物理的な違いであって、要するに、外観とか見かけ上の違いである。

 この手の違いに気が付くのは簡単だし、それに気が付いたからといって、特に何か自分の中で変化が起こるという訳でもない。

 しかし何らかの事情で、例えば留学しているとか、仕事で駐在しているとか、M女史のように結婚して移住していたりとかすると、現地の人たちとの交流と接触から、たとえ街並みの景観の小さな違いであっても、実はその違いは、そこに住んでいる人たちの物事の捉え方や考え方に、自分のそれとは異なる何かがあって、その違いが(自然環境を除けば)外側に反映されているのだ、と気が付くようになる。

 いやしくも旅人として旅をしているという人なら、この捉え方に同意してくれるだろうと思う。

 そしてそんな風に、他国でそこに住む人たちとの内面的な「違い」に気が付くということは、自分自身の内面の「条件付け」に気が付くということでもあると思う。

 

 外面の違いだけに注目して、その写真をインスタに上げるだけで満足するというのは、僕の目には、サファリパークに動物たちを見に行く感覚に似ているように思える。

 サファリパークでは、動物たちを見に行っても、自分は見学車から降りなくてもかまわない。いや、というより、実際には降りることは許されていない。あまりに危険だからだ。

 そしてパーク内の動物たちと自分との間には、柵や檻こそ無いものの、外界と自分を隔てる「境界」として、自分の外側に見学車が存在している。

 つまりこの場合、世界と自分の「境界」は、自分の外側にあり、従って自分には直接関係がなく、自分の側の変化や対応は要請されていない。

 これに対して、旅先で現地の人たちと何らかの交流をするような立場に置かれるというのは、野生動物がうようよいる自然公園に丸腰でキャンプしに行くような感じであろうか。 

 そこには、自分と世界の「境界」は、実は自分の外側にある何かではなく、内面的な条件付けなのだ、ということに気が付く危険性が存在している。

 そしてそれは、情け容赦なく、自身になんらかの対応や変化を求めてくるのだ。

 

 僕はここで、ドイツ文化の方が日本のそれより優れているとか、逆に日本の文化の方が他国のそれより優秀だ、というようなことを言いたいのではない。

 何であれ、何かの違いを認識すると、すぐにその違いの優劣を比較したくなるのは分かるが、ここで大事なのは、あくまでもそのような違いを生み出す背景について知ること、自分の内面の条件付けに気が付くことだと思うからだ。

 

 僕は旅の途上で、現地在住や長期滞在中の人に出会う機会があると、現地の文化をどう思うかとか、自国文化を振り返ってどう思うかという質問をぶつけることがよくあったのだが、どこの国にいっても、自国文化に関する感想というのはある程度は共通していた。

 それは、海外に長年住んでいると、その国の文化に影響を受け、ものの見方や考え方がいつの間にか在住国仕様を取り入れて変化することがある一方、逆に自分の中の変わらない日本的な部分に気が付いて、それを今まで以上に大事に失わないように守ろうとするようになったり、それまで気にしたことがなかった日本の歴史を勉強してみようと思ったり、日本の良さを再認識して、今まで以上に、より日本人らしくあるようになるというものだった。

 もちろん、人によってその比率や度合いは様々だと思うが、海外に出ることで、より強く日本人であることを意識する、という部分は、どこの国に行った人にもだいたい共通していたのだ。

 

 ちなみに最近では、ネット上でもこの手の海外から見た日本文化の話を書く人は多く、割と広く知られているというか、半ば常識にもなっているようで、たまに初対面の人に、僕が昔、放浪の旅をしていたという話をすると「でも海外に行っても、結局日本が一番良いって分かるだけでしょ? 他の国を体験すると、かえって日本の良さが分かるようになるんでしょう?」と真顔で聞かれることもあるくらいだ。

 もっとも、そう聞いてくる人に「あなたも海外に長くいたことがあるんですか?」と聞き返すと、「いや、一度も日本を出たことがないんですけど」と返されて困惑するということも多いのだが。

 たぶんそういうことを言う人は、自身の「境界」が作り出す違いではなく、単に外面的な違いにしか目がいっていないのだと思う。つまり、ただ単に違いを比較して優劣を付けているだけなのだ。

 先にあげた、海外に出ると日本人であることを強く意識するというのは、その「境界」を内面に感じるからこそ出てくる感想で、別に優劣をつけたいからではなく、仮に欧州文化の方が優れているところがあると感じる場合でも、自分は日本人だから彼らのまねはしたくない、というような複雑なケースもあって、この辺りは実際に現地で体験しないと本当の理解は難しいように思う。

 

 

 海の中で生まれ、海の中で育ち、一度も陸に上がったことのない魚は、外から海を見ることがないので、その真っ只中で生きているのにかかわらず、「海」というものが何なのかに気が付かない、というたとえ話があったと思う。

 同じように考えると、日本に生まれ、日本で育ち、一度も海外に出ることがなければ、日本文化やその条件付けがどういうものか、その本当の正体に気が付くこともない、ということになるかもしれない。

 物事を認識するためには差異というかコントラストが必要で、対象とその背景の「違い」がないと、そもそも対象を認識することすら出来ない。

 そして、その差異=境界を、もっとも簡単に、自然に意識するようになるきっかけとなるのが「旅」だと思うのだ。

 

 ということで、次回はこの「境界」を生み出す内的条件付けについて、もう少し深く突っ込んだ話を書いてみたいと思う。

 

「ベルリンの壁はどこにあったのでしょう?」ベルリンの取材中、現地で手伝ってもらっていたガイドのN氏に、こんなナゾナゾ風の質問をして困らせたことがある。何も事情を知らない人なら、東ベルリンと西ベルリンの間でしょ、とか答えるのかも知れないが、N氏はそんな簡単な引っ掛けには乗らない。というより、明らかに質問がおかしいのだが、それにすぐ気が付くくらい事情に詳しいN氏の困惑ぶりに満足して僕はこう答えを明かした。「ベルリンの壁はねぇ、人の心の中にあったのです」


   

ということで今回は、たぶん世界で一番、物理的な「壁」は、実は心理的な「境界」が作り出していると分かる場所、ベルリンの写真を紹介してみる。僕が最初にベルリンを訪れたときにはすでに「壁」は撤去され記念に一部残っている程度だったのだが、開放された旧東側へ西側の人や文化が流入し、その古くなったインフラ再建が活発になりつつある過渡期の頃だった。古くても安ければいいという若者が、こぞって旧東側のアパートに引越し、街中いたるところで工事中だったりしたが、古いものが解体され最先端の何かに変貌しようとする熱気が街中に感じられる面白い時期だった。写真はその頃(確か1998年頃)、100万人以上とも言われる人出が6月17日通りを埋め尽くした、当時世界最大規模のレイブイベント「ラブパレード」の様子だ。街の開発が進み、新しく生まれ変わる頃には、騒音が迷惑だとか、イベント後のゴミがひどいとかの苦情が大きくなって中止され、新しくなった今のベルリンでは同じようなイベントはもう出来ないだろうと言われている。


  

間近で見ていた感想としては、人と人との距離を縮めるため、まずは普段の自分の心の防御壁を壊さないといけないのだろうか、思いっきりそれを打ち壊すようなパフォーマンスが入ってから、やっとパレードが始まるという印象をもった。パレード自体も、いくら人が多くなってもインドのような混沌とはならず、秩序を意図的にゆがめることで生まれる擬似的な混沌でとどまり、彼らなりの既存の何かを壊そうとするスタイルが、かえって同じトーンで統一されて新たなまとまりを持ち始める様子が面白かった。もちろん、人と人の距離が元から近い日本の盆踊りやパラパラとはまったく違うパフォーマンスであった。


  

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著者略歴

  1. 久保田耕司

    1965年静岡県出身。広告代理店の制作部からキャリアをスタート。90年代初頭から約1年ほどインド放浪の旅に出る。帰国後、雑誌や情報誌などエディトリアルなジャンルでフリーランス・フォトグラファーとして独立。その後、ライター業にも手を広げ、1997年からは、実業之日本社の『ブルーガイド わがまま歩き』シリーズのドイツを担当。編集プロダクション(有)クレパ代表。

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