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女に産土はいらない 三砂ちづる

産婆という近代?

 産婆は世界最古の職業である、と言われている。お産フリークであるわたしも、そう思っていた。女が子どもを産む時、誰か経験豊かな別の女性が助けてくれる。それが最古の職業である、という言い方はわかりやすかったし、そういうものだと思っていた。

 何かに心惹かれる、ということに、なぜ、という疑問符をつけることはむずかしい。何故この人のことを好きになったのか、ということを冷静に説明できないように、なぜ、この音楽が好きなのか、ということに理由はないように、それぞれの興味関心、というのはただ、霊的なもの、つまりは私たちの理性のはたらかないところから、贈り物のようにとどくもの、としか言いようがない。

 お産フリークだ、と書いたように、お産のことが好きだ。興味がある。それはいったいどこから来たのか、今考えてもよくわからない。二十歳になるやならずのころから出産のことに惹かれていた。およそ40年くらいまえのことになるが、当時、朝日新聞に藤田真一記者が連載していた「お産革命」[1]の記事を目を皿のようにして読んでいたし、流行っていた「ヒ・ヒ・フー」という呼吸を行うラマーズ法にも興味があった。ラマーズ法は夫立会いの出産ということもあいまって、70〜80年代に一世を風靡したが、その後、お産の時の呼吸も姿勢も自然なままでいい、というフリースタイルのお産にとってかわる。1980年代初めには、フランス、ピティビエ病院に「野生の部屋」をつくり、水中出産を行なっていたミシェル・オダンの本が紹介され、衝撃を持って読んだ[2]。薄暗い「野生の部屋」でぬるい湯につかり、陣痛を逃しながら自らに集中していく妊婦の姿は美しく、子どもが生まれる時の顔はただ恍惚として、女とはこんなに美しくあれるものか、と感動していた。当時の私は、子どもを産んだことがあるわけでもなく、助産婦(いまは“助産師”というのだが、当時は“助産婦”と言っていたのでここでは助産婦、と書く)への道を選んだわけでもなかったが、お産に惹かれてゆく。

 「お産革命」にとりあげられていた三森助産院のようすから日本の開業助産婦の仕事を知ることになる。日本に住んでいれば、自分や家族や知り合いがお産するとき、助産婦に会うことが多いので、助産婦という医療職は、当たり前に存在するように思っておられるであろう。冒頭の「人類最古の職業」の末裔たる助産婦は世界中にいるのであろう、と思われるが、実はそうではないし、「開業助産所」などという医師の存在無しに助産婦だけで開業できる施設が存在しているところも、ほとんどない。ヨーロッパの国々や、ヨーロッパの旧植民地であったところなどには、医療職種としての助産婦がいることが多いが、新大陸南北アメリカでは近年まで制度的な助産婦が存在しないところも少なくなかった。アメリカでもカナダでも、制度的に助産婦ができたのは、州にもよるがここ数十年のことであったりするのである。

 ともあれ、お産が好きで、お産する女性を支える助産婦という職業がずっと好きだった。医療介入をすることができないからこそ、女性が産む力を生かし、赤ちゃんが生まれる力を生かそうとする助産婦という職業に心からの敬意と愛情を感じる。彼女たちが女性たちに寄り添うことで、お産はスムーズに進んでいく。「人類最古の職業」産婆の末裔であり、なおかつ近代医療の職種でもある助産婦の仕事をただ、素晴らしいと思っていたので、「なぜ」人類最古の職業、と言われているのか、当たり前のように思って、あまり深くは考えていなかった。

 

 数年前のことになるが、古い友人である女性人類学者から電話があった。「あのさ、人間は、一人で子どもは産めない、っていうことでいいんだよね?」。お産好きの行き着く先、として、わたしはお産とか、月経とか、子育てとかそういう分野をカバーする母子保健分野の研究者となったから、こういう電話もかかってきたりするのだ。一瞬、何のことを聞かれているのかわからなかった。一人で産めない? どういうことだろうか? いや、一人で産めるか産めないか、といえば、産めないはずはないだろう。医療設備が整い、立派な助産師や医師のそろう日本で、子どもを一人で産む理由もないし、一人で産まない方がいいし、かのWHO(World Health Organization: 世界保健機構)も、リスクを避けるために世界中の女性がSBA(Skilled Birth Attendant:技術と資格のある出産介助者)とともにお産ができるように、といっている。一人で産まない方が良いのだ。そうではあるけれども、そして、そのようにすべきだと思うけれども、予定しなかったのに、結局、一人で産んでしまう女性はいつでも存在する。

 ある若い友人は、初めてのお産の時、こんな痛みが陣痛のはずはない、と思って普通に家で掃除をしていた。でも結構痛いので助産婦さんに電話すると「いや、まだ大丈夫だから、おうちにいて」と言われて掃除を続けていたら、すごい勢いで赤ちゃんがおりてきて、玄関で産んでしまった、という経験を持つ。彼女は助産婦ではないが、フィリピンでお産の研究をしていた人であった。さきの、WHOの、SBAたる資格のある出産介助者とともに産む、は、イコール施設出産を推進することである、と読み替えられていることも多いから、彼女がフィールドとしていたフィリピンのある州では、「自宅出産を禁止」するに至った。家で産んだ人にも、自宅の出産を介護した人にも、罰金が課されるなどという州令を作ってしまっていたので、そのことを研究するために、彼女はフィリピンに行ったりしていたのだ。お産の研究をしているくらいだから、初めてのお産で玄関で赤ちゃんを産んでしまっても、あまりあわてず、おちついて赤ちゃんをバスタオルでくるみ、助産婦さんに連絡をして、まあ、こういう場合は妥当と思う対応である救急車を呼んで施設に運んでもらったのだという。「私がフィールドワークをやってたフィリピンの州だったら、これ、罰金ものですよね。自宅出産、というのは生涯のテーマになりました」と言っていた。運命というのはこのように決まるものだ。

 この方にかぎらず、予定しないで、つい、産んでしまった話は、よくある。なにごともなく、母子ともに無事である人もいれば、陣痛で何日も苦しむ人も少なくないことを思えば、これは、たいした安産である、といえないこともないのだ。だいたい、私の祖母くらいの世代からは、畑で産んでしまった、とかいう話をずいぶん聞いていた。けっこう、一人で産んでいるのだ。それに何より、開業助産所のお産をかなり観察させていただいたのだが、そこでは女性は、助産婦さんに励ましてもらったり、背中をさすってもらったりはしているが、基本的に女性は自分の力で産んでいる。つまりは、誰かに手を出してもらわなくても「ひとりで産んでいる」ことを観察してきた。

 だから、人類学者の友人の電話に、「いや、人間は一人で産めると思うけど・・・」と返事したところ、彼女は、有名な論文があって、人類学者の間では「人間は一人で産めない、ということになってるんだよね・・・」という。日本語にも訳されているローゼンバーグとトリーバスンの「出産の進化」という論文[3]によると、「ヒトは出産に際して他者からの介助を必要とする唯一の霊長類である」と記されている。その理由は、「困難と危険を伴うヒト特有の出産の特徴にある」と述べられ、「ヒトが直立歩行を始めたために、胎児の通り道である骨盤内腔の広さが制限され」るようになったので、胎児は産道を通るときにその体をひねったり回転させたりしなければならない。胎児の回旋、と呼ばれる分娩のプロセスである。その回旋の結果としてほとんどの赤ちゃんは、生まれてくるとき、「正面」をむいておらず、後頭部を母親の方に向けて生まれてくる。確かにそうである。

 ヒトの他のサル(「ヒト」以外の霊長類を「サル」と定義して良いのか、疑問もあるが、ローゼンバーグとトリーバスンの論文では、そう書いてあるので、そう書く)の産道は直立歩行するヒトのねじれた産道とはちがうので、サルの胎児は母親と同じ向き、すなわち正面を向いて生まれてくるという。正面を向いて生まれてくることには利点がある。サルは四つん這いかしゃがんで出産するが、子どもが出てくると母親は子どもをつかみ、産道から出てくるのを助けて、口や鼻についている粘液をとって呼吸を楽にさせてやって、乳首へ導き授乳を始める。サルの新生児は力が強いので、いったん外に出たら母親にしっかりつかまっていられる・・・と書いてある。ひるがえって、我々ヒトの赤ん坊は、回旋するため、母親と反対の方向を向いて産道を出てこなくてはならない。このため、ヒトの母親はどのような体勢を取っても産道から出てくる子どもを外に出る手助けをすることは不可能で、子どもが呼吸できるようにしてやったり、授乳のために自分で乳房の位置まで持ち上げられない・・・だからこそ、ヒトのお産には、介助者が必要になったのだ、と、ふたりは議論しているのである。他人の手を借りないとお産はできず、それが人間の共助の起源、のように議論されており、その論拠は、この「正面を向いて出てこない」ことらしい。

 この論文を読んで、まず、変だな、と思ったのは、なぜ、子どもの顔が正面をむいていない、という理由だけで、母親が能動的な行動をとることができない、と議論しているのだろうか、ということだった。助産所や自然なアクティブバースを大切にしている産院で、お母さんたちが四つん這いやスクワット(しゃがむ)で出産することはよくある。そこで生まれてきた子どもはもちろん、正面を向いてはいないが、一旦出てきた子どもにさわったり、だきあげて授乳に導いたりすることに、なんの不便もありはしない。ここで、ローゼンバーグとトリーバスンが、「サルのお産」と書いているのと似たようなことをヒトもやっているのである。二人は人類学者であったり助産婦であったりする研究者のはずだが、どういうお産を観察してきているのだろうか。

 研究者は、さまざまな先行文献から自分の研究に必要なものを読み取り、学んでいくのだが、その生まれた環境、育った環境は、研究者としての問いの立て方や、前提、というものに大きな影響を与えると思う。西洋では、寝て、分娩台で医師の立ち会いのもとにお産をする、ということがもう何世代も行われてきているから、「四つん這い」や「スクワット」でのお産を、実際にはあまり観察していない、というか、現代でのそういうお産の存在をあまり前提にできないのだろうか。どちらにせよ、ヒトの赤ん坊は正面を向いて生まれてこないから、介助者が必要である、という議論にはかなりの無理がある、と考え、前述の友人の人類学者に、論文を読んだ後も「いや、やっぱり、人間も一人で産めると思うけど・・・」と返事をした。人類学の分野で、こういう常識になっているらしい、ということは理解できた。

 しかしその後、この話には別の展開が加わる。実は、「サル」の仲間であるチンパンジーの出産の観察により、ヒトと同じように子どもが回旋して、母親に背を向けて生まれてくることが観察されたのである[4]。文字通り「出産のプロセスで、人間だけがユニークというわけではない」というタイトルの論文が2011年に発表されている。これは当時、岡山にあった株式会社林原の林原類人猿研究センター(Great Ape Research Institute of Hayashibara Biomedical Laboratories, Inc., 通称GARI)からの報告であった。直接対面飼育、つまり、チンパンジーと日々むきあい、ふれ、ともに眠り、安寧をこそ共有するような、世界でも稀な飼育環境をつくりあげてきた世界にも例のない類人猿研究センターは、林原の経営破綻とともにその歴史を終えたのだが、他の施設では観察するべくもないような事例が、数多く残された。出産をつぶさに観察し、映像に残すことができた、というのも、GARIのスタッフがチンパンジーと平素から深い関わりを紡いでいたからこそ可能であったのだ。実際に映像におさめられたチンパンジーのお産では、人間と同じように、回旋したのち母親に背中をむけて娩出された子どもを伺うことができる。ローゼンバーグとトリーバスンの議論は、ここでも、疑問を呈されることになったのである。

 ローゼンバーグとトリーバスンの論文では、母親が取り上げることができないから、だれか、母親の代わりに子どもを取り上げる人が必要であり、それが介助者の存在であり、それこそが人間の共助の基礎である、ということを議論しているのだ。つまり、この論文では、実際に、母親と子どもにふれて、子どもをとりあげる産婆の存在、が必須であり、逆に言えば「産婆の介助とは、一義的に、子どもと母親にふれ、子どもをとりあげる」ことであったといえよう。日本でも産婆さんのことを「とりあげ婆さん」という言い方をしていた。伝統的に産婆、とは、子どもをとりあげる人のことを言っていたのだ。しかし、チンパンジーは正面を向いて生まれてこない子どもを抱き上げるし、ヒトもまた、正面を向いていなくても、産んだ母親は自分で子どもを抱き上げている。とりあげ婆さんなしに・・・。

 

 産婆は人類最古の職業、と思っていたが、この「とりあげる」役割、というのは、本当に人間にとって必須だったのか。どの時代、どの地域にもいたものなのか。だんだんわからなくなってきたところに、「子どもは一人で産む」地域の話が次々と耳に入るようになった。ここでいう「子どもは一人で産む」は、「誰もいないところで一人で産む」ということではなく、上に述べてきたように、「誰かが赤ん坊をとりあげてくれるわけではなく」産む、ということを意味する。たとえば、松本亜紀氏は、昭和40年代まで、タビゴヤ(他火小屋)という出産のための小屋が使われていたという東京都八丈島の離島、青ヶ島の事例を紹介している[5]。タビゴヤという名前は、月経中、出産をしている女性は「ケガレ」があるから、家族と同じところで煮炊きをしてはならないことになっているので、その間は、家族と離れ、別の火、つまり家族とは異なる場所の火で料理をする場所、という意味に由来しているらしい。女性たちは、月経中にはここで過ごし、お産もここでしていた。月経がくると女性は「タビにいく」といって、家事、育児の仕事を家族に任せ、タビゴヤで何日かを過ごしていた。つまりは、1ヶ月に何日かは、家を離れ、このタビゴヤで女性だけで暮らしていたのである。タビゴヤはごく簡素な小屋で、環境はよくないとはいえ、1ヶ月に何日か、日常の家事育児から離れてもよい、という日が設けられていたことは、なんというか、悪くないんじゃないのか、と思われる現代女性も少なからずおられるのではあるまいか。事実上の「生理休暇」とも言えるのである。

 このタビゴヤでお産も行われていたので、青ヶ島で近代医療環境が整う前にお産をした高齢者のお産の聞き取りをしたところ、「お産はなんでもない」、「女は一人で子どもを産むもんだ」と口々に言い、医療者の役割はもとより(そもそも近代医療施設は存在せず、医療者はいなかった頃の話なのである)、伝統的な産婆の役割を負った人の存在は認められなかったのだという。つまり、子どもを第三者はとりあげない。母親が自分で赤ん坊をとりあげる、ということだ。タビゴヤにはあくまで一人で入り、一人で産み、一人でとりあげているというのだ。これは、また、ローゼンバーグとトリーバスンの議論とは異なる。

 青ヶ島では、誰も赤ん坊をとりあげず、一人でタビゴヤに入り出産する。では、女性はたった一人で取り残されているのか、というと、そうではない。出産をする女性は、コウマテ親、とよばれる義理の母のような存在に小屋の外から様々な形でまもられているのである。松本氏によると、青ヶ島では女の子が生まれると、コウマテ親が任命される。多くの場合、近所に住む思春期くらいの女性であるという。この関係は、生涯続く一対一の関係である。親以外に、女の子の人生をずっと支える人なのである。初潮がきたときも、女性とともにタビゴヤにいき、必要なことを教えるし、出産の世話もする。自分自身が結婚したり親になったりすることとは関係なく、コウマテ親とその娘の関係はずっと続く。

 コウマテ親自身が出産経験があろうがなかろうが、関係なく、他の女性の人生に寄り添うのである。

 陣痛が始まると女性はコウマテ親に声をかけてタビゴヤにいく。コウマテ親は、必要な食料や水、などをタビゴヤにそろえる。そして、産婦を小屋に残すが、自らは産婦の気配の感じられる小屋の周辺にいて、産婦が出産に集中することができるように周りの環境を整えるのである。具体的には、産婦の気が散るような人が小屋の周りにいることのないようにする。そして、産婦の状態をみてはいなくても、気配で察する。松本氏によると、産婦がお産の途中に眠り込んでしまったりしているようだと、咳払いをして、起こしたり、進行に何か変わったことがあると思うと、手を叩いて、場の空気を変えたりするという。とにかく、小屋の中に入って産婦の腰をさすったり、とか、励ましたり、とか、わたしたちが産婆に期待するようなことはしない。子どもが生まれた時に、子どもを取り上げたり、は、さらに、しない。だから、産婦と新生児には、結果として、だれもふれない。新生児にふれるのは母親だけなのだ。これは結果として、近代医療に頼ることができない地区での、産褥熱などを防ぐ知恵にもなっている、と後付けであるが、考える。

 一人でお産をするのは心細かろうと思われるかもしれない。しかし、女性は自らのお産に集中する、という環境がつくられれば、安心できてお産が進む、ということを助産所で観察してきた。これは、尾籠な話ではあるが、排泄をするときのことを考えてみるとよい。ゆっくり、安心できるような場所でないと、便を出しにくい、という経験は誰にでもあるのではないか。体の仕組みとしては排便と出産は似ているところがあるから、安心してここで産める、と集中できる環境がないとお産は進まない。一人で産んではいても、誰かの存在をそばに感じることは、安心と集中の助けになっているはずである。

 

 産婆は最古の職業、と国際的にもほとんどの人が思っているから、世界中に伝統的産婆(Traditional Birth Attendant:TBA)とよばれる人たちが存在する、と、世界の健康格差の是正をテーマとする国際保健関係者も思っており、1980年代あたりから、WHOが率先してTBAトレーニングを世界の母子保健向上のために行ってきた時代もあった。先述したSBAという資格を持った医療従事者とは異なり、地域で活躍していた、いわば「とりあげ婆さん」に活躍してもらおう、というトレーニングであったのだ。現実に、お産を担っているのは今もTBA、という地域もまだ世界にたくさんある。だから、わたしもTBA、つまりは伝統的助産婦はどこにでも存在する、と考えていた。

 WHO、各国政府、及び援助機関はSDGs(Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)をかかげ、妊産婦の安全確保のために施設出産の普及とSBAによる出産をめざしているから、早晩、世界からTBAという伝統的な出産は、姿を消すことであろう。姿を消すのであれば、記録しておきたい、という考えもある。2017年に笹川平和財団の「伝統的助産婦の知恵を探る」というプロジェクト・ファインディング(そういう仕事が立ち上げられるかどうかの、見極めのための調査)に参加し、ブータンとラオスを訪れた。結果としてこのプロジェクトは、財団のさまざまな事情により実際のプロジェクトは実現せず、ファインディングの時点で終了したが、驚くべき宿題を、ここでも、もらった。聞き取りを行った範囲なので、限られた地域ではあるのだが、ブータンとラオスには伝統的助産婦は存在しない、と言われたのである。医療関係者もそう言うし、村で聞き取りをしても、「産婆」たる人間はいないという。「女は一人で子どもを産みます」。そして、必要なことを手助けするのは、配偶者や家族であるらしい。青ヶ島の調査で松本氏が報告していることとほぼ同じような内容だったのである。

 産婆は最古の職業、ではなく、産婆は「産婆という近代」であり得るのではないのか? 出産介助者についてのあらたな考察は、始まったばかりである。

 

 

[1] 藤田真一「お産革命」朝日新聞社、1979.

[2] 英隆、コリーヌ・ブレ共著 企画協力 ミシェル・オダン「水中出産」集英社、1983.

[3] ローゼンバーグ K.R.、トリーバスン W.R. 「出産の進化」日経サイエンス2002年4月号pp.44-49.(原文はRosenberg K.R. , Trevathan W.R. The Evolution of Human Birth, SCIENTIFIC AMERICAN. November 2001.)

[4] Hirata S. , et al. Mechanism of birth in chimpanzees: humans are not unique among primates.  Biol.Lett. 2011(7) pp. 686-688.

[5] 松本亜紀 「青ヶ島の“タビゴヤ”と出産―出産介助者の役割とは何か」津田塾大学博士学位論文 2017.

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著者略歴

  1. 三砂ちづる

    1958年山口県生まれ。兵庫県西宮市で育つ。作家、疫学者。津田塾大学教授。著書に『オニババ化する女たち』『月の小屋』『不機嫌な夫婦』『女たちが、なにか、おかしい』『死にゆく人のかたわらで』など多数。

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