web春秋 はるとあき

春秋社のwebマガジン

MENU

女に産土はいらない 三砂ちづる

男女雇用機会均等法20年

 2019年は、男女共同参画社会基本法施行20周年である。この20年で一番変わったことは何だと思うか、ということについて、熊本日日新聞に短い記事を寄稿した。あらためて一体何が変わったのだろう、ということについてもう少しくわしく書いてみよう。わたしは教員をしているのだが、実際には、教えている学生から学ぶことの方が、本当に多い。この男女共同参画と労働については、現在東邦大学看護学部の教員である、吉朝加奈さんの博士論文指導の過程で学ばせてもらったことが多かったので、彼女の論文を最後に引用しておく。

 男女共同参画社会基本法施行20周年は、同時に、改正雇均法とよばれる男女雇用機会均等法から20年でもある。この20年で、女性の働き方がどう変わったのか、を考えるとき、この二つの法律は不可分である。これら二つの法律が制定されたのちの、この20年で起きた最も大きな変化は、「女性たちが働くことがあたりまえになった」、ということ、労働の現場の「女性の保護という意識が希薄になった」こと、そして女性たち自身が、「賃金労働至上主義と業績主義を内在化したこと」、の三つであったのではないか、と考えている。

  まず、一つ目、「女性たちが働く」ということが当たり前になったこと、「妊娠、出産をしても働く」、そしてそのことによって差別されることはない、ということは最も大きな変化であったといえる。女性の人生のオプションが増えた、という意味ではそれはまことに重要なことであった。ここでいう「女性たちが働く」は、もちろん「女性たちがどこかで就職して働く」ということであって、女性たちがそれまで働いていなかったのか、というと、もちろんそんなことはない。世界中で、有史以来、女性たちは働き続けてきたのは当然のことだ。主に、子どもを産みそだて、家族を支え、食事を整え、さらに、家でやっている一次産業や小規模な商売に従事する、という意味で、女性が働かなくて良かった時代など一度もなかった。社会が近代化し、職業というものが確立され、くらしが貨幣経済に組み込まれていく途上でたちあらわれてきたさまざまな「就職して働く仕事」につくことにおいて、女性たちが差別されずに参加していけるようになってきた、というのがこの20年であったといえる。つまりは、経済的なパイの配分を、女性たちにも均等に、ということといえよう。まだまだできていないところはあるといえ、かなり進んだ。
 これはもちろん女性解放運動の目指してきたところであり、女子高等教育の目指してきたところであり、多くの女性の望むところであった。いわゆる、あからさまな就職差別や、出産により退職を迫られるということは、まだあるにせよ、「やってはいけないことだ」という認識は20年の間に確かに広まってきた。それは女性側からの働きかけと、女性が望むことであったから広まった、というだけではなく、女性労働力を必要とする経済界からの要請を背景にしているのはもちろんのことである。とにかく、この20年で女性たちが「外で」働くことはあたりまえになった。

  二つ目の変化は、「女性の保護という意識が希薄になった」こと。これは現実に法改正にともなって、女性保護の内容が、どんどん現実になくなっていったことによるものである。具体的に、女性保護という観点から、法律の変化をたどってみることができる。先述したように、女性は常に働いてきたわけであり、歴史をさかのぼってみれば、女性はかつては主に家内労働、家庭労働をしていたわけであるが、そのころには、「働く女性の保護」という概念はなかった。日本において言えば、近代化が進み始めた “女工哀史”の時代、すなわち工場における賃金労働が始まった時代から、「女性と労働」ということが話題になり始める。当初は非常に劣悪な労働環境だったといわれるが、1947年に労働基準法ができ、女性を人間として認めようということで、労働する女性に対する保護がもりこまれてゆくのである。この労働基準法は、当時のGHQの強い肝入りでできたといわれ、世界には他にない「生理休暇」の制度もふくまれていた。
 この1947年の労働基準法にもりこまれた女性に対しての保護には、三つの分野、というか、保護に関する三つの柱があった。「女性保護」、「母性保護」、そして「家族保護」の三つである[1]。「女性保護」とは、言葉通り、純粋な「女性保護」に関することで、女性は女性であるだけで保護されるべきだ、ということを意味する保護の分野である。女性は、子どもを産むことが期待されている体で、そのことによって、男性よりも労働する上で不利なところもあるから、保護されるべきである、ということについての規定であったといえる。具体的にいえば、生理休暇や特別な職業を除いて午後10時以降の深夜労働の禁止などが「女性保護」の観点からもりこまれていたのである。二つ目の柱は、「母性保護」、つまり実際に妊娠出産したときの、妊娠出産に関わる保護である、子どもを妊娠したり、子どもが生まれたりした後に、女性は保護されなければいけないという規定で、産前産後休暇などがこの「母性保護」にあたる。もう一つの柱は「家族保護」。これは、この労働基準法ができた1947年の時点では、女性は家族の面倒をみたり、子どもを育てたり、といった家族を保護する役割を負っており、それは女性のやるべきことであるから、そのようなことが十分にできるように、女性を保護しなければならないということで規定されたのである。
 その後、1970年代から、男女平等と女性保護の問題が国連をはじめとする国際的な場でも議論されるようになり、各国政府もこの方向に動いてゆく。男女平等は、男だから、女だから、ということで差別をすることなく、同じように扱われるべきだ、という考え方であり、その考え方に立てば、「女だから保護されなければならない」という発想は、男女平等と反するのである。男女の平等がクローズアップされるプロセス、男女の雇用機会を平等にするためのプロセスは、同時に、女性特有の保護についてはできるだけ外していくべきだという議論につながるプロセスでもあった。「子どもを産む」ということ以外、男と女のちがいはあるまい、ということになってゆくのである。つまり、「女だから保護する」、という発想は、男女平等とは相入れない。1947年にできた労働基準法における女性に対する保護の三本柱、「(一般)女性保護」「母性保護」「家族保護」は、雇用機会を平等にするプロセスで、バラバラにされていくのである。
 まず、1991年に育児休業法ができて、この時点で「家族保護」が女性保護の三本柱から落とされることになる。高齢者や子どもの保護、家族の世話、などについては、女性だけの役割ではなく、男性も一緒にやるべきだということになり、女性保護の三本柱から完全に落とされる。現在も常に話題になる、男性の家事育児介護への参加、とか、女性だけがその負担を担うことはないのだ、という議論は、このあたりに端を発しているのである。
 ひきつづき、1997年の改正均等法・労基法、いわゆる「雇均法」の制定によって、「(一般)女性保護」も落とされることになる。1999年には女性の時間外労働制限や均一労働制限がはずされていき、深夜業の禁止規定撤廃と続く。1999年までは、特殊な職業、たとえば電話交換手や看護師、バーなどの風俗業を除いて、一般労働に従事している女性は、残業の制限もあり、夜10時以降は一切働いてはいけないことになっていた。これがまさに20年前、1999年に男女雇用機会均等法と労働基準法の改正が行われたときから(改正均等法と言われる)、夜の10時以降も働けるようになるのである。この文章の冒頭に言及した吉朝加奈さんは、自分自身が1999年当時、大企業の総合職として働いていた方であり、夜10時以降働けるようになった当時のことをよく覚えている[2]。1999年3月31日までは夜9時半を過ぎると、総務課の職員があらわれて、「女性は早く帰るように」と帰宅を促していたというのに、翌日4月1日になったとたんに、女性総合職も参加すべきミーティングが午後9時から設定される、ということが露骨に始まったのだという。残業もバリバリやって、産休もギリギリまで取らないで働く、という無理をするスタイルの始まりであったといえるかもしれない。いまや、深夜に女性はどこでも働いている。
 1947年の労働基準法における女性保護に関する三本柱のうち、女性は子どもを生むところだけは保護すべきであるが、その他においては男女は平等であるべきということで、「母性保護」以外は、全てなくなっていったのである。
 2019年現在、60歳であるわたしはいわゆる「女性保護」の一環であった生理休暇のことをまだよく覚えている。今となっては考えられないのではないかと思うが1999年以前、女性たちは、毎月1日の生理休暇を取ることができた。その運用は、事実上は現場に任されていたと記憶しており、実際に毎月生理になるたびに1日休んでいた、というところもあったかもしれないが、病院などシフトを組まねばならない職場では、毎月、女性たちは適当に、来月は、「生休(生理休暇のこと)はここにする」といって、生理の時期とかかわらず、毎月、1日休みを入れていたりしたのである。もちろんそういうことでは男女を平等に働かせることはできないわけだから、あっさり、なくなってしまったのである。

  この20年間に起こった変化の一つ目は、「女性が働くことが普通になったこと」、二つ目は、「女性は保護するという意識がなくなったこと」であることを説明してきた。そして、三つ目の変化は、その一つ目と二つ目によって起こった女性自身の「賃金労働至上主義と業績主義を内在化したこと」、である。この99年以降の、男女平等に働きましょう、ただ女であるということだけで保護はしません、とくに、家事や育児に関しては男女両方の責任、という時代になってから、20年がたっているわけで、そのような中で、いまを生きるわたしたちの意識が作られている。
 法律の上で「女性であるだけで保護はしない」ということになったから、女性たちは、自分の体が保護されるべきものだとは思わなくなった。男女は平等なのだから、自分だけが保護されて良いとは思えないのである。女性だから保護される、という言葉遣いが男女平等とは相容れない、ということになっているから、女性だから保護してくれ、ということは真っ当なことではなく、女性だからと言って保護しようとしたら、セクシャルハラスメントだと言われかねない。毎月の月経は、生殖期にある女性たちの健康のバロメーターでもあり、毎月月経があることが、健康である、ということは、生理学上疑いのないことであるにも関わらず、現在、多くの女性たちは、月経は、面倒くさいから、ない方が良いと思っていたりする。現実に若い女性から、月経不順や、毎月月経がこないことを耳にすることが多くなった。女性自身の体に特有の事柄について、妊娠、出産しないのであれば、特に必要がないことなのだから、肯定的な言葉で語る意味がなくなってきた、ということかもしれない。
 現在、女性たちはまわりが女性も働くことが当たり前であると思い、自分も働いた方がいい、とおもっているから、とにかく、働かねばならない、と思っている。そしてその働く、ということは家事、育児ではない。働く、ということは、給料をもらって外で働くことである。給料をもらって外で働くことこそが、自分がやるべきことであるし、外で働いていること自分自身の仕事が評価されることこそが、価値があることである、と考えている。妊娠したり、出産したり、子どもを産んだり、家族の世話をしたりすることは、それらの賃金労働の妨げになる。だから、やらないほうがいい、という発想にどうしてもなってしまう。とはいえ、好きな人ができれば、一緒に暮らしたいし、子どもも産みたいわけだから、それは自らの「働きたい」という心情と葛藤を生み出す。
 これは、経済学で議論されている「機会費用」の考え方と、見事に符合する。経済学において、家計は与えられた所得と時間のもとで、その効用を最大化するために、育児コストと主に子どもから得られる効用を比較して、最適な子どもの数を決定する、と考える。(実際に私たちが子どもがほしいとか、子どもが何人欲しい、とか考えるプロセスはこのように理論的であるはずもないのであるが。)そこでは、親、とりわけ母親が育児をすることによって生じる賃金の損失は、育児の機会費用(ある行動を選択することで失われ、他の行動を選択した場合に得られたであろう利益)であり、出産・育児を選択することは、イコール、その間労働によって得られる所得を失うことである、と説明されるのである。しかし、保育サービスが充実していって、女性が子どもを産んでも、産んだ後の育児期間中の就業継続が簡単にできるようになれば、それによって出産・育児の機会費用の減少につながり、結果として女性の出生行動を促進させる効果を持つ、と説明されている[3]。現在、少子化の最も重要な対策は国においても地方自治体においても「保育所増設」であることはよく知られているが、そこにはこのような理論が背景にあるのである。
 女性が子どもを産まないのは、「本当は自分が働いたら、得られたであろう賃金が得られない」からだ、と経済学は説明し、人間というのは利益を最大にするように行動するものであるから、収入を失うようなことは人間はやりたがらない。だから、子どもを産んでも、賃金が得られるようにすれば、女性たちは子どもを産んでくれるであろう。だから、子どもを産んでもそのまま働けるように、保育所を作れば、少子化が解決するだろう、と経済学の説明はそのまま少子化対策に反映され、女性たち自身も、「保育所さえあれば、仕事を辞めなくて済む」と考え、なによりも大切にすべきは賃金労働である、という賃金労働至上主義とでも言える意識を内在化していくようになったのである。現在の女子大生たちと話しても「子どもは生まれたら保育所に預けるもの、自分だけで子育てしようとすると、育児ノイローゼになって虐待してしまうから」とイメージを明確に持っていることがわかる。
 自らの業績に関わる賃金労働だと懸命にやってしまうけれど、家事育児介護は自分だけの責任ではない。「家族保護」は、女性の役割ではなく、家族の役割である、ということになったのだから、それをやらない夫がわるい、という意識もまた、女性たちに共有されるようになった。男は育児に積極的に参加するイクメンこそが価値があり、家事もできない男は、結婚することもできなくなってきている。これらに時間をかけるのは仕事の邪魔であり、やると大変な負担になるから、できるだけ手を抜いて楽をしたほういい、というふうな言葉遣いもまた、内在化されていった。何より大切なのは賃金労働であり、何より尊ばれるのは家の外であげてくる業績であり、そうやっていつしか、みずからの体を中心にした生活と再生産活動が主体的には引き受けられなくなってゆく。
 本当にそれで良かったのだろうか。「家族保護」が女性の役割ではなくなった、とはいえ、家事育児介護は、人間のどうしたって「女性的」と考えられる細やかで思いをかけるような部分が必要とされる分野であり、いくら分業して、平等に行おうとしても、どうしても「誰の仕事でもない」部分が出てくるものでもある。家事育児介護は、外で行う賃金労働のように、やっただけの見返りが得られるものでもなく、やったからと言って報酬が得られるものでもなく、ある時点ですべて、終わる、というような区切りがはっきりしているものでもない。やればやるほど、延々と次の作業が期待され、やってもやってもおわらないようなもので、分業できないような連続の中でしか人は育たず、死んでいくこともできない。この20年の間に、見事に、法改正に合わせて私たちの意識は変わっていったわけだが、この家事育児介護はいくら女性の役割ではないといえど、全て社会化することもできず、全て分業化することもできない、「近代的な仕事」とは、本質的にことなるものであった、ということを私たちは本当は分かっているように思うのであるが。
 女性たちが「賃金労働至上主義」を内在化することになったことだけでなく、若い男性たちの意識もすっかりかわった。男女は平等であり、自分だけが働いてお金を稼いで奥さんと子どもを食べさせたい、自分の稼ぎで家族を支えたい、と、強く希望している男性は少なくなった。多くの若い男性は、「自分のパートナーになる女性は働いていてほしい」と思っているし、経済的に自立してほしい、と思っている。対等なパートナーを望んでいて、自分が働くだけではない収入を得られる女性がいてほしいと思っている。それは法律上もそうなってきたわけだし、女性たちもそれを望んでいるのだから、男性たちがそう思うのも無理はない。彼らは、女性である、というだけで女性を保護しなければならない、という意識もない。先に述べたように、この20年で法律もそのように変わったのだ。男女は平等で女性だけが保護されなければならないわけではない。恋愛は男女が平等にするものであり、自立した男女がするものだから、結婚していても、恋愛をすることはありうる。結婚している男性が未婚の女性に手を出す、などということは、「女性が保護されるべき」と思われているころには、道徳上問題があると思われていたと思うが、いまどきそういう発想は必要がなくなった。結果として、30代、40代の働き盛りの既婚男性が若い未婚女性と恋愛をすることも、「平等」になってしまって、彼女の人生の責任を取る必要も、お金の支援をする必要もなくなったため、いわゆる「不倫」を耳にすることは増えたと思う。

 20年間で何が変わったのか、というと以上のようなことが変わったのである。「女の仕事は愛と祈りである」、というような物言いは、単なるアナクロニズム、つまりは完全な時代錯誤と化した。誰の愛と祈りもなく生きていくことが、厳しいことは、私たちは、本当はわかっているのであるが、愛と祈りは、内在化されてしまった賃金労働至上主義と相容れない。一体私たちはどこに向かえば良いのだろうか。世界中で巻き起こった男女平等、というプロセスを実現するために、就労時間を男女平等に「短縮する」という方向をとった欧州の国々から学べば、女性だけでなく、男性もまた、愛と祈りに生きる余裕がでてくるだろうか。
 なかなかにむずかしい宿題をこの20年で抱えたことは間違いがない。それでもなお、この20年で女性が働くことが普通になったこと、いわれのない差別は許されないことになった、ことを進歩と呼ばずして、なんと呼べばよいのか、わからない。確かに良き方向にむかってきたことは確かなのである。

 

[1] 吉朝加奈「日本における働く女性の“保護”規定―1911年~1999年の変遷―」津田塾大学『国際関係学研究』第 36号、pp127-139、2010年3月。

[2] 吉朝加奈 personal communication

[3] Becker, G.S.(1960) “An Economic Analysis of Fertility,” in Demographic and Economic Change in Developed Countries, Princeton University Press, Princeton; Becker, G.S. (1973) “A Theory of Marriage: Part 1,” Journal of Political Economy, vol.81, pp.813-846; Becker, G. S. (1974) “A Theory of Marriage: Part 2,” Journal of Political Economy, vol.82, pp.11-26.

 

タグ

バックナンバー

著者略歴

  1. 三砂ちづる

    1958年山口県生まれ。兵庫県西宮市で育つ。作家、疫学者。津田塾大学教授。著書に『オニババ化する女たち』『月の小屋』『不機嫌な夫婦』『女たちが、なにか、おかしい』『死にゆく人のかたわらで』など多数。

閉じる