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〈メイド・イン・ジャパン〉の食文化史 畑中三応子

一人歩きした日本食礼賛

 1980年代の前半、世界的な異常気象で食糧危機が迫っていると、騒がれたことがある。

「石油パニックより怖い 確実にやってくる食糧危機の進行速度」(『週刊サンケイ』1981年4月30日号)、「食糧危機がやって来る! 農林水産省が戦慄の予測」(『サンデー毎日』1982年5月9日号)、「異常気象で広がる食糧危機メガトレンド」(『週刊宝石』1983年9月30日号)———週刊誌は煽情的なタイトルで、飢餓時代の再来を書き立てた。

温暖化より有力だった地球寒冷化説

 1980年は北米、アフリカ、オーストラリア、中国北部が旱魃、81年にソ連は2年続きの凶作だった。83年、アメリカは熱波と旱魃が続き、84年から85年にかけては、エチオピアを中心に東アフリカで大飢饉が起こり、100万人もの死者が出た。英米のミュージシャンが、アフリカ飢餓救済プロジェクト“バンド・エイド”と“USAフォー・アフリカ”を結成して合同でライブを開催したのは、このとき。

 日本では、80年、81年、82年と、東北が3年続きの冷害に見舞われた。もともと70年代のメディアでは温暖化説より寒冷化説のほうが有力で、79年に開催された第1回世界気候会議が「80年代から今世紀いっぱいは地球寒冷化の周期に入り、農作物の不作の恐れがある」と警告したと報道されたことが、さらに不安を煽ることになった。

 エッセイストとして人気があった食生態学者の西丸震哉は、「地球はいま小氷期に入りつつあり、極端に寒い地域と旱魃に襲われる地域が現れ、冷害や凶作が世界的に起こる。日本が食料を輸入できなくなる日は近い」と、各種のメディアで語った。西丸は70年代から「公害時代に成長期を送った日本人が、70歳まで生きられることは、まずないだろう」などと、トンデモな文明批判を書いたり喋ったりしていたが、信奉者は多かった。

 実際に、地球が小氷期だったのは14世紀から19世紀の中ごろまでで、それ以降は温暖化に向かい、20世紀後半からは温室効果ガス濃度の増加が温暖化を強めているのは周知の通り。江戸時代には飢饉がたびたび起こったのは冷害のためで、『徳川実紀』によると、享保の大飢饉(1732)では96万9900人もが餓死したそうだ。1721年に行われた調査で、全国人口は2606万5425人。実に人口の3.7パーセントが亡くなったことになる。浮世絵に雪景色が多いのは、寒かったからなのである。

輸入と自給を適度に組み合わせた食糧安全保障

 海外からの輸入がストップした場合、どうやって食べ物を確保するのかという「食糧安全保障」の論議も盛んになった。

 現在は「食料安全保障」だが、当初は「食糧」で、この用語がはじめて公式に使われたのは、1979年に大平正芳首相の主導で設立された政策研究会が翌80年7月、日米関係、自衛力の強化、対中・対ソ関係、エネルギー安全保障と並び、食糧安全保障を「総合安全保障戦略」の5つの課題に打ち出したときだった。

 ここで、自給率の向上は「現実的ではなく、また必ずしも必要ではない」とされている。かといって、「完全に無視することは妥当ではなく、中庸を得た自給度について、国民の合意を得ておくことが必要で、自給と輸入を適度に組み合わせる以外にない」と、まわりくどい表現だ。

「自給度を引き上げよという主張は、耕地面積の拡大を意味するが、それには多大のコストが伴う。また、物理的にも、耕地面積をどこまで増やし得るかは問題である。更に、自給度を引き上げるためには、農業の一層の保護が必要であり、消費者の負担は高くなるし、国際的にも非難を浴び、日本の自由貿易主義への懐疑を招くであろう」

「穀物自給率を1パーセント引き上げようとすれば、その場合に必要な耕地面積は15万ヘクタール、そのための造成コストは9000億円ないし1兆3000億円にのぼるとの試算がある」

 80年の穀物自給率は、33パーセント。70年からの10年間で13パーセントも低下し、石油ショックや大豆ショックの記憶がまだ新しかった。政策研究会の報告書は、自給率の引き上げを求める世論に対し、それが合理的ではないことを細かく説明している。

 報告書の中心は、どういう場合に海外からの供給が停止または減少するか、その可能性はどのくらいか、それがもたらす影響はどのようなものかの考察だ。対策としては、アメリカにかわる供給国の確保(具体的には開発途上国の農業に技術協力し、生産力を上げる)、いざというときのために農業生産の担い手・種子・耕地を確保しておくこと、備蓄の確保とそれを生かすための制度を確立しておくこと、国際需給についての情報収集能力の強化などが挙げられている。

 また、「国、地方自治体のみならず、農業団体、食品産業、消費者世帯も、自ら備蓄を持つことが必要であり、その仕組みを検討しておくことが望ましい。こうした備蓄は、大規模地震などの災害の備えにも役立つからである」と提言している。まったくその通りだが、飽食の時代と呼ばれた80年代、国民の危機感はどんどん薄らいでいった。

誤解だらけだった「日本型食生活」

 総合安全保障戦略の内容を受けて、同年の10月に出された農政審議会の答申「80年代の農政の基本方向」にも、食料の安定供給と安全保障のために、食料自給力の維持強化、食料輸入の安定、備蓄の確保が挙げられている。

 実はここには、食文化史的に非常に重要なことが書いてあった。「日本型食生活」という言葉が最初に使われたのが、この答申だったのである。

 この語から、どんな食生活を想像するだろうか。三食とも主食はご飯で味噌汁と漬物が必ずつき、当然おかずは和食で、さっぱりした焼き魚や野菜の和え物なんかが中心。こんな感じではないだろうか。ところが、まったく違うのである。

 登場するのは、答申の第1章「日本型食生活の形成と定着--食生活の将来像」である。

「従来わが国は欧米諸国の食生活をモデルとしてきたが、最近では欧米諸国の食生活は、栄養の偏りが問題となっている。一方、わが国の食生活は、欧米諸国に比べ熱量水準が低くその中に占めるでん粉質比率が高い等栄養バランスがとれており、また動物性たん白質と植物性たん白質の摂取量が相半ばし、かつ、動物性たん白質に占める水産物の割合が高い等欧米諸国とは異なるいわば『日本型食生活』ともいうべき独自のパターンを形成しつつある。栄養的観点からも総合的な食料自給力維持の観点からも日本型食生活を定着させる努力が必要である」

「独自のパターンを形成しつつある」と表現されているように、日本型食生活は、直近である1970年代の平均的な食事パターンを指している。

 前回書いたように、70年代の日本人はそれまでの主食依存の高炭水化物型から脱却して、米を中心に適度に肉、乳製品などの動物性たんぱく質や果物も加わり、PFCバランス(たんぱく質:脂質:炭水化物)のよい食生活をおくっていた。家庭料理には、和食ばかりではなく、高い頻度で洋風や中華風が混じった。よく誤解されるが、日本型食生活は主食にかたよった伝統食ではないのである。

 そもそも「日本型」と名づけたのが、間違いだった。2006年の食育基本法を契機に、農水省がキャンペーンに力を入れているので、いまでは理解が進んでいるが、それでもハンバーガーやフライドチキンなど、アメリカのファストフードが次々と上陸してブームになったりと、メイド・イン・ジャパン色がまったく薄い70年代の食生活を「日本型」と定義するのは、違和感がある。もっと科学的に、たとえば「栄養バランス型」などにすれば、意味が伝わりやすかったのではないだろうか。

 この答申が出て以降、三大栄養素のバランスは崩れぎみになり、米の消費量は減って、食料自給率はどんどん下がっていった。正しく理解されていても、それが防げたとは思えないが、この言葉が持つ「日本独特の食文化」というイメージが一人歩きして、やがて食の西洋化を否定する伝統回帰主義者の旗印に使われ、「米だけ食べていれば日本人は元気になれる」といった危険な食養生法がはびこった。肉食化が自給率を下げたのは事実だが、戦後にそれが日本人の平均身長を伸ばし、平均寿命を引き上げたのも事実なのである。

食生活の改善を訴えた「合衆国の栄養目標」

 答申に「従来わが国は欧米諸国の食生活をモデルとしてきたが、最近では欧米諸国の食生活は、栄養の偏りが問題となっている」とあるように、欧米は第2次世界大戦後の栄養不足から回復するのが早く、すでに1960年代、栄養過多による成人病(肥満、心疾患、ガン、糖尿病など)の増加が問題になっていた。

 1977年、アメリカは世界にさきがけて、国民の食生活に関する指針を発表した。米国上院の栄養・ヒューマンニーズに関する特別委員会がまとめた第1回「合衆国の栄養目標(Dietary Goals for the United States)」だ。日本では、委員長の名前からとった「マクガバンレポート」の通称で知られている。

 マクガバンレポートは、アメリカでは心疾患および血管系の疾病による死亡者が毎年85万人にのぼり、高騰する医療費が国の財政に影響を与えていることを公表し、予防するには食生活の改善しかなく、「成人病のおもな原因は脂質、糖質、塩分、コレステロールの摂取過多であり、国民の食事パターンを変えて健康維持と経済上の損失防止を図ることが国家的課題」と警鐘を鳴らした。

 レポートが掲げる栄養目標は、以下の7点。

1 肥満を避けるため消費カロリーと同じだけのカロリーしか摂取しない。

2 複合炭水化物および天然に存在する糖分の摂取量を総カロリーの約28%から約48%に増やす。

3 砂糖の摂取量を約45%減らして総カロリーの10%にする。

4 脂質の摂取量を総カロリーの約40%から30%に減らす。

5 飽和脂肪酸を総カロリーの10%に減らし、また多価不飽和脂肪酸と単価不飽和脂肪酸はそれぞれ10%になるようバランスをとる。

6 コレステロールの摂取を1日300ミリグラムに減らす。

7 食塩の摂取を1日5グラム以下にする。

 塩の5グラムは、現在の日本人の摂取基準と比較してもかなり少ないが、総カロリーの4割もが脂肪とは、そりゃ多すぎだろう。複合炭水化物とは、穀類やイモ類などのでんぷん質で、天然に存在する糖類とは、生鮮野菜や果実などに含まれる糖分のこと。合わせて28%しか摂っていなかったのも驚きだ。それに対して、砂糖は総カロリーの20%近くも摂っていた。恐るべき甘党の国民だ。

 総カロリー中のPFCバランスでいうと、現状では12%のたんぱく質(P)は維持し、42%の脂質(F)を30%、46%の炭水化物(C)は58%に改め、摂取カロリーを減らし、でんぷん食品と食物繊維、果物と果実をもっと食べるよう提唱している。

 ねじまげられたマクガバンレポート

 マクガバンレポートは世界から注目を集めた。とりわけ日本にとっては、衝撃だった。戦後ずっと目標にしてきたアメリカの食生活が、みずから欠陥を認めたのである。

 あまりの衝撃からだろうか。奇妙なことに、その後マクガバンレポートは、アメリカが日本人の食生活を礼賛した報告書として流布することになった。いま読むことのできる多数の健康や栄養関係の書籍や雑誌記事、ときには専門家の論文にも「マクガバンレポートは、日本の食事のPFCバランスが理想的であることを認めた」といったようなことが書いてある。

 ところがである。マクガバンレポートのどこを探しても、日本の食生活を賛美するような記述はないのである。

 ざっと全文に目を通してみたが、日本のことが言及されているのは、「肉類の消費量が多いアメリカ、スコッランド、カナダにおける結腸ガンによる死亡率は、日本やチリのように少ない国より高い」「アメリカに移民し、動物性脂肪が少なく、乳製品をほとんど摂らない日本の伝統的な食事から西洋式の食事に変えた日本人には、乳がんと結腸ガンが劇的に増加している」という2カ所しか見つからなかった。栄養バランスや食事内容の素晴らしさを誉め讃える話ではまったくなく、実例として紹介されているだけだ。

 どうして、そんなことになってしまったのだろうか。レポートでは、アメリカを手本にひたすら減らそうと頑張ってきた炭水化物が、逆に推奨されていた。成人病の原因とされる脂肪とコレステロールの摂取量が日本では少なく、目標に掲げられたPFCバランスは、いま自分たちが食べている数値と近かった。レポートは日本の食生活にお墨つきを与え、自己評価を高める絶好の材料になったのである。

 そう考えただれかが、「このたびの合衆国の栄養目標は、現在の日本人の食事そのものである」的なことを書いて、次々と孫引きされるうち、次第に内容が脚色されたり歪曲されたりしたのではないだろうか。つねにアメリカに追随してきた日本人にとって溜飲が下がり、ナショナリズムをくすぐられる話だから、その喜びで受け入れがスムーズだったのかもしれない。「マクガバンレポートの影響で、ニューヨークなどの都市部でスシブームが起きた」という話もよく語られている。レポートを読み、スシをヘルシーフードだと評価したアメリカ人はいたかもしれないが、名指しで日本食がヘルシーだと誉めている箇所はない。

 食の伝統回帰思想が力を持つ90年代から、マクガバンレポートは、日本の伝統食がいかに栄養的にすぐれているかを裏付ける聖典として活用されるようになった。

 代表的なのが、2005年に発売して1年で100万部を超えるベストセラーになった『病気にならない生き方――ミラクル・エンザイムが寿命を決める』(サンマーク出版)である。

 内容はというと、肉と乳製品をやめて、穀物と魚と野菜を中心に食べれば健康長寿になれるという、よくある食養生のすすめなのだが、あっと驚くことに、「マクガバンレポートは戦後の日本が模範にしたアメリカの栄養学を真っ向から否定し、元禄時代以前の日本の食事をもっとも理想的な食事と定義した」と書かれているのである。過激なまでの捏造だ。しかも、マクガバンレポートは5000ページにおよぶとしている。これも真っ赤な嘘。こんなトンデモ本が100万部も売れたのは情けない話だが、おかげでマクガバンレポート日本食礼賛説は強化されてしまった。

欧米型食生活と日本型食生活の戦い

 アメリカが食生活の指針を発表したことを受け、国民の健康増進に向けた食と農の再構築を目的に、作られたのが「80年代の農政の基本方向」だった。

 マクガバンレポートで、日本食の優秀性を知った政府は、それまで崇拝していた欧米型を突如として不健康な食生活とみなし、日本型食生活という言葉を編み出して、さらなる定着の努力を促したのである。

 この答申にもとづき、1983年に「私達の望ましい食生活--日本型食生活のあり方を求めて」と題する、以下の8項目からなる日本型食生活の指針が作成された。

1 総熱量の摂りすぎを避け、適正な体重の維持につとめること。

2 多様な食物をバランスよく食べること。

3 お米の基本食料としての役割とその意味を認識すること。

4 牛乳の摂取に心がけること。

5 脂肪、特に動物性脂肪の摂りすぎに注意すること。

6 塩や砂糖の摂りすぎには注意すること。

7 緑黄色野菜や海草の摂取に心がけること。

8 朝食をしっかりとること。

 マクガバンレポートにくらべ、ずいぶんシンプルでざっくりわかりやすい内容である。「コメを基本に、魚介類、野菜、果実、牛乳を組み合わせたこの国の住民の平均的な食生活、つまり日本型食生活は、コムギと畜肉に依存した欧米型の食生活にくらべて、栄養供給の面でバランスがとれていて、健康保持のために望ましい」と意気軒昂で、「自然環境にかける負荷を少なくし、自給できる農業資源を有効に利用するためにも、また長い歴史の中で形成されたこの国の住民たちの生活様式の観点からも望ましい」と、環境と文化への配慮もされている。

 続けて1985年、厚生省が「健康づくりのための食生活指針」を発表した。それまでの「栄養素の補給」重視の栄養政策から「成人病の予防」へと方向転換する画期になる指針だった。

 60年は12.1%:11.5%:76.4%と、まだまだ炭水化物にかたよっていたPFCバランスは、73年は12.5%:21.9%:66.6%、78年は12.9%:23.9%:63.2%、80年は13%:25.5%:61.5%と、着実に脂質が増え、炭水化物が減りつつあった。成人病の増加を防ぐには、戦後ずっと「もっと食べましょう」と唱え続けていた肉類と脂肪のこれ以上の増加を食い止めるのが、いちばんの急務だった。

 しかし、グルメブームが吹き荒れた80年代、食の西洋化はさらに進んで肉と油脂をもっと食べるようになった。円高のおかげで、嗜好品や贅沢品でも、ほしいものは世界中から手に入った。私の印象では、あれほど外国産の高級食品があふれ、もてはやされた時代はない。

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著者略歴

  1. 畑中三応子

    1958年生まれ。編集者・ライター。編集プロダクション「オフィスSNOW」代表。『シェフ・シリーズ』と『暮らしの設計』(ともに中央公論新社)編集長を経て、プロ向けの専門技術書から超初心者向けのレシピブックまで幅広く料理本を手がけるかたわら、近現代の流行食を研究・執筆。著書に『カリスマフード――肉・乳・米と日本人』(春秋社)、『ファッションフード、あります。――はやりの食べ物クロニクル』(ちくま文庫)、『体にいい食べ物はなぜコロコロと変わるのか』(ベスト新書)、『ミュージアム・レストランガイド』(朝日新聞出版)、「七福神巡り――東京ご利益散歩」(平凡社)、『おやじレシピ』(オフィスSNOW名義、平凡社)、共著に『東京バスの旅』(文春新書)がある。第3回食生活ジャーナリスト大賞(ジャーナリズム部門)受賞。

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