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人と鳥の文化誌 細川博昭

記号化され、文様となった鳥

1 認識が広まると同時に記号化されていく鳥

 

 

◆記号化される認識

 古代において。
 生活する中で、接点のできた「もの」や「生き物」には名前がつけられるようになる。その土地に暮らす人々のあいだで、対象となる相手の特徴や、その名称への認知が深まっていくにつれて、対象は個々の意識の中でもはっきりとした「かたち」、「イメージ」をもつようになり、さまざまな記号化もされていく。

 「翼をもち、空を飛ぶ生き物」は、それぞれの土地の言葉で「鳥/とり」と呼ばれるようになり、その地に文字が誕生すると、名に対応した文字による表記も生まれた。
 鳥は世界のあらゆる場所に生息していて、人類が文明をもつはるか以前から姿を変えず、「飛ぶ」という行為を通して、多くの種が近い行動を示したため、まったく接点のなかった民族どうしでも、それが「鳥」であることが理解できた。特定の鳥についても、絵や、特徴の説明を通して、すり合わせは容易だった。

 例えば、世界の各地で目にするカラスは、「カラス(烏/鴉)」、「crow/raven」など、ちがう名で呼ばれたとしても、「黒い」、「いわゆる小鳥よりも体が大きい」、「嘴が目立つ」、「ときに知的と感じられる行動を見せる」などの情報のやりとりを通じて、それが鳥の一種「カラス」であることは互いに伝わった。

 嘴のある丸い頭だけでも、片翼・両翼の翼だけが描かれていても、それが鳥のものだと認識できた。やがて、鳥、そして「翼」という記号は「自由」の象徴にもなってゆく。
 それは、多くの人の心に共通して存在する鳥のイメージだった。

 

◆時代も越えて

 こうした認識は、地域だけでなく時間をも越える。旧石器時代に生きた人々の手で描かれた絵だったとしても、それが鳥であることは、現代に暮らす私たちにもわかるからだ。
 およそ2万年前の旧石器時代後期のものである、フランス南西部ドルドーニュ県のラスコー洞窟最深部にある壁画には、仰向けに倒れた人間と長い棹の先端にとまった鳥の姿が描かれていた。描いたのはホモ・サピエンスの1グループであるクロマニヨン人。
 絵の前者は人間の男性とわかり、後者も問題なく鳥と認識できた。

ラスコー洞窟の壁画
(By I, Peter80, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2416632)

 興味深いのは、この倒れた人間の頭部が人間のそれではなく、鳥の頭部として描かれていたこと。ある意味、ファンタジックで不思議な姿ではあるが、鳥を知る人間には、それが「鳥の頭部」であることは明白である。
 それだけでなく、鳥の頭部をもった人間は、のちのエジプト文明において神とされたハヤブサの頭部をもったホルス神などと共通する姿であることも理解される。
 男の頭部がこの形状に描かれた正確な理由はわからない。だが、宗教的なものほかの、なんらかの意図をもってこのような形状に描かれたことは明白である。当時の人々のあいだで、「鳥の頭部」が記号として特別な意味をもっていたことも確かな事実といえそうだ。

 なお後者は、生きた鳥を描いたわけではなく、短い槍を投擲とうてきするための投槍器とうそうきを描いたものと分析されている。
 投槍器の発明は弓矢より古く、弓矢のない時期の重要な狩猟具だった。出土品から、縄文時代の日本でも、弓矢が発明される以前に投槍器が使われていたことがわかっている。

 ラスコーの投槍器の絵には鳥種を示すはっきりとした特徴は見えないが、同じフランスのマス・ダジール洞窟から発見されたトナカイのつのを加工してつくられた投槍器の先端には、ライチョウを模したと思しき鳥が彫られていた。
 それは、今よりもずっと寒冷だった当時、マス・ダジール洞窟周辺に暮らした人々にとってライチョウは、よく見る知った鳥で、姿をふくめ、その鳥が土地の人々の共通認識の内にあったことを意味していた。
 また、現代人にもそれがライチョウとわかるという事実は、当時の人々と我々が同じ特徴を捉えた目でライチョウを見ていたということも示唆する。

 このような経過を経て「鳥」は、人間が共通してもつ認識となっていった。

 

◆記号化のひとつの方向性としてのデフォルメ

 凛々しい鳥、ユーモラスな鳥、いつも視界のどこかにいる身近な鳥。
 容姿と、目にする行動が近い鳥を「仲間」と見なすような意識も生まれてくる。猛禽(=ワシ・タカ・ハヤブサ)、フクロウ、カモ、サギ、カラスなどが、それぞれひとまとめにされるようになったのも、そうした意識の延長と考えられる。

 原始の時代に生きていたころから人間は、ワシやタカなどの猛禽がほかの鳥や小動物などを捕食することを知っていた。猛禽が、さえずる鳥や地上に暮らす鳥たちから、食物連鎖の上位存在として、肉食獣なみ、あるいはそれ以上に恐れられていることも理解する。
 人間の内には猛禽の優れた狩猟術に対して称賛の気持ちが生まれ、同じく捕食する者としての共感も芽生えた。さらに、凛々しいその姿と、かいま見えるその力強さを自分の力にしたいという願望も沸き上がった。やがてそれは、国や家の紋章の中にその姿を取り入れるというところにも行き着くことになる。

 先に紹介した投槍器のような動物の骨などを彫刻した作品には、特定の鳥種とわかる特徴が彫り遺されたものもあったが、古代の絵画、粘土版や土器に描かれた鳥の絵は線画が多く、彩色のないものも多かった。それでも、鳥とわかったり、鳥種の特定ができた。

 例えば日本の弥生時代に祭祀などに使われた銅鐸には、表面に鳥が描かれたものが多数ある。島根から静岡にかけて出土した複数の銅鐸においては、足が長く、嘴が長い鳥がシンプルな線で記されていた。
 ごく最近まで、その特徴から銅鐸の鳥はサギまたはツルと考えられ、はたしてどちらなのかという論争も起きていたが、大阪府の池島・福万寺遺跡の弥生時代の水田跡からコウノトリの足跡が発見されたことなどから、銅鐸の絵もコウノトリだった可能性が高いと指摘する研究者も出てきている。もちろん、サギ、ツル、コウノトリ、トキなどを含んだ、より範囲の広い、ゆるいグループ認識もおそらく当時からあり、その全体イメージ・共通イメージをもとに、種を限定せずに描いていた可能もある。

 こうした例のように、同じエリアに似た姿の鳥種が複数いた場合、判断に迷うこともあるが、人々に共通する認識があれば、大きくデフォルメがされていてもその鳥か、その鳥が含まれるグループの鳥だとわかった。

 

2 願いが込められた紋章、さまざまな装飾になった鳥文様

 

◆親近感をもつ鳥や畏怖を感じた鳥がシンボルに

 いつもそばで見守ってくれているように感じられた存在や、特別なえにしがあると思えた生き物に対して好意をもつのも自然なこと。身近な動物がよくトーテム(祖霊と結びついた象徴)とされた古代はもちろん、歴史時代になっても、そういう状況はありえた。そんな相手を絵や造形にして、手許や見えるところに置いておきたいと思うのも、自然な心の動きといえた。
 各国、それぞれの人間集団において、そうした対象となった鳥も高い割合で存在した。

 また、神話が語られた時代もその後も、ドラゴン(竜)やグリフォン、フェニックス、玄武や麒麟といった幻獣や聖獣、トラやライオン(獅子)など、鋭い爪と牙をもった実在の”強い”獣に対して恐怖や畏怖を感じる一方で、その強さや神秘性にあやかりたいと願う者も少なからずいた。
 より強い一族、だれにも支配されない家や国家であるために、集団の頂点に立つ長が、こうしたものたちの「力」を自分のものにしたいと願うこともあった。

 そうした思いは、鋭い爪と嘴をもった猛禽類にも向けられる。
 地上暮らしの生き物には不可能な「空を飛ぶ」という能力までも持ち合わせている「強い鳥」や「優れた鳥」にあやかりたい気持ちは、とても強いものがあったようだ。やがてその気持ちは、家紋など紋章の中に織り込まれていくことになる。

 

◆記号化の方向

 このような意識から、人々が鳥に抱く思い、そして記号化された鳥は、2つの方向性を見せる。
 身近な鳥、ユーモラスな行動を見せる鳥、美しい姿や声で魅了する鳥などが、芸術的な絵画や造形物以外に、簡略化された文様となって身に纏う衣類のデザイン、調度品、楽器や遊戯具などの中に浸透した。

 一方で、支配層が憧れた「相手を打ち倒す強さ」を具現する鳥は、意匠となって国の紋章である「国章」や、家・一族の紋章「家紋」に採用されることとなった。
 だれにも束縛されずに自在に空を飛ぶことからくる「自由」のイメージが、紋章の中で、猛禽や海を渡る翼の大きな海鳥に託されることもあった。

 そうした流れの中でさまざまな紋章がつくられていったが、日本においては、ヨーロッパ諸国などに見られるような派手な国章も家紋もつくられることもなく、多くは一般的な装飾の延長にあるようなシンプルなものに留まった。ただし、シンプルさの中に「配置の妙」を実感できるデザインが散見されるのも日本の家紋の特徴となっている。

 なお、鳥の翼から生じた「自由」のイメージは、国や家の紋章だけでなく、鳥のかたちや翼のかたちを取って、さらにさまざまな「もの」の中に浸透することとなる。
 鳥そのものや、翼などの鳥を印象づける個々のパーツが、美術品・美術的表現として創作された絵画や彫像といったものの中で重要なモチーフとなったことはいうまでもない。

 

◆日本の鳥文様の基礎

 古くは銅鐸や土器の表面に鳥が線画として描かれた。
 古墳時代になると、ニワトリやカモなどの水鳥の埴輪、肩や腕に猛禽と思しき鳥を乗せた「鷹匠埴輪」もつくられ、古墳の副葬品となる。いずれも製作した人たちが、よく知っている鳥を描いたり、デザインしたと考えられている。

 国の基盤が固まったとされる奈良時代は、鳥の文様だけでなく、日本の文様デザイン全般において、エポックメイキングな時代となった。
 隋・唐を通して、中国やインド、ササン朝ペルシアほかの西アジアの国、ギリシアやビザンティン帝国の宝物や日用品などが大量に日本に運ばれ、美術界を中心に強い影響を残したからだ。
 今も私たちは、正倉院の収蔵物を通して当時のさまざまな宝物を目にすることができる。また、中国でも失われてしまった唐代の文化も、そこには残されている。歴史学的に見ても、それはとても幸運なことである。そして、日本がシルクロードの東端にして終端だったという事実もまた、あらためて実感することになる。

 正倉院の宝物では、楽器や遊戯具などに鳥モチーフのデザインを見る。特徴あるかたちから、それらが、インコやカモ、オシドリ、クジャク、ニワトリなどの実在の鳥や、伝説の鳥・鳳凰であることがわかる。
 なお、正倉院宝物で目にするインコ目の鳥は一般にはオウムと記されるが、人の手による国と国とのあいだでの鳥類の移動に関する時代背景や、見た目の特徴などから、オウムではなくインコであることは明白である。
 こうした宝物に描かれた鳥が日本人の鳥認知を引き上げ、同時に造形や絵画に携わる者に新たなデザインを提示した。

 

◆正倉院の宝物と咋鳥文

 琵琶にも似た、長い棹の四弦楽器「螺鈿紫檀阮咸らでんしたんのげんかん」裏面に2羽のインコが対称的に配されていることはよく知られているが、よく見るとこのインコは細い帯をくわえている。
 同様の意匠は、遊戯具にも見える。象牙を加工してつくられた紅と紺の碁石(「紅牙撥鏤[棋]子こうげばちるのきし」*、「紺牙撥鏤[棋]子こんげばちるのきし」*)の表面にも、枝をくわえた鳥が描かれている。(*[]=其の下に木)

「螺鈿紫檀阮咸」裏面
(出典:宮内庁HP http://shosoin.kunaicho.go.jp/ja-JP/Treasure?id=0000010077

「螺鈿紫檀阮咸」裏面、部分(出典:宮内庁HP)

 鳥が花や木の枝、連なった宝珠をくわえている図柄は、「咋鳥文さくちょうもん」と呼ばれる。このうち、リボン状の帯や紐をくわえている鳥については、仏絵・仏像などに見られるリボン状の装飾帯である「綬帯じゅたい」をイメージさせるということで、「綬帯文じゅたいもん」とも呼ばれた。

 「咋鳥文」の基本デザインについては、聖書のノアの箱船の「オリーブの葉をくわえたハト」のエピソードに由来するという声もある。確かにそれがもととなった絵柄もあるが、3世紀から7世紀に、イラン高原を中心にメソポタミアからインドの西に至る広い領域を支配したササン朝ペルシアに由来するという説がより一般的である。
 当時のペルシアの王朝では、王冠や首飾りなど、王の身を飾るものとして真珠が多用されたことから、連珠をくわえる鳥の図案もまた、瑞祥にあやかる高貴で神聖なものとされた。それが今につながる咋鳥文のおこりと考えられている。

 咋鳥文のうち、花をくわえたものは、日本において「花喰鳥はなくいどり」とも呼ばれたが、この図柄に花や木の枝が多用されるようになったのは唐代の中国であり、ササン朝ペルシアの文化が唐において、もともとそこにあった中国の文化と融合して発展的な変化を見せたものが海を渡って日本へ伝わったと解釈されている。

 咋鳥文が中国や日本でもてはやされたのは、高貴とされたこのもん自体が「喜ばしいことの訪れの祈り」でもあったからだ。綬帯をくわえた鳥は「含綬鳥がんじゅちょう」と呼ばれ、そのデザインは「含綬鳥文」とも呼ばれたが、この「綬」の発音の響きが、めでたいことを意味する「壽」と同じだったことも、もてはやされた大きな理由と考えられている。

 唐代の中国では、伝説の聖鳥である鳳凰が「宝相華ほうそうげ」をくわえている咋鳥文が流行した。宝相華は、牡丹を中心に複数の花の美しいところを抽出して生み出された想像上の五弁花である。
 正倉院には、唐から運ばれた鏡が複数枚、収蔵されているが、その中に「漆背金銀平脱八角鏡しっぱいきんぎんへいだつはっかくきょう」と呼ばれるものがある。その背面は多くの鳥が舞う構図で、そこにはツルや鳳凰、カモなどが配されているが、このうちのツルも鳳凰も、なにかをくわえた姿で描かれている。これもまた、含綬鳥文デザインの結実のひとつといえる。

「八角鏡 漆背金銀平脱」
(出典:宮内庁HP http://shosoin.kunaicho.go.jp/ja-JP/Treasure?id=0000010124

 

◆その後の日本の鳥文様

 以後、日本でも鳥がなにかをくわえた構図がもてはやされ、さまざまな場所で使われるようになった。そのうち、ツルが松の若枝をくわえて飛翔する図案は日本独自のアレンジである。平安時代には、この時代を代表する文様として完全に定着して、「松喰鶴まつくいづる」と呼ばれるようになった。
 平安時代以降、ツルに対して「長寿のめでたい存在」というイメージが固まると、ツルの意匠はさらに多くの場所で使われるようなる。例えば、雲の中をツルが飛翔する「雲鶴うんかく」などは、主に衣類に用いられた。

 千羽鶴は今でこそ折り紙のイメージだが、江戸時代においては、「1羽だけでもめでたいのに千羽も群れていたら、それは極限のめでたさ」ということで、単独や2・3羽のものに加えて群鶴ぐんかくの絵も好まれた。
 また折り鶴は、江戸時代の初期には、すでに人々のあいだに広く浸透していたこともあり、折り鶴を散らしたような文様もつくられた。もちろん、折り鶴を家紋に採用した家もあった。

「松喰鶴」(出典:『図案の意匠資料』)

◆日本の家紋

 描かれた対象の姿はシンプルにデフォルメされつつ、高いデザイン性もかいま見えるのが日本の家紋である。
 ヨーロッパにおいては王や貴族の家系を中心に、複雑で華美な紋章が多くつくられ、受け継いだ子などがそれにさらに装飾を加えることもあったのに対し、日本では「家」を中心に紋がつくられて、個人を示す紋章は発展しなかった。
 日本における家紋の歴史はおよそ1000~1200年と、実はそれほど長くはない。平安時代の貴族(公家)が、所有物に自身の家の紋と定めた印を入れたことから始まったとする説が有力である。それがのちに家紋として定着し、広く拡散することとなった。

 日本において家紋は、親から子へとほとんど改変されずに受け継がれることが多かった。一方で、他家で使っていない紋章を新たに生み出すことにはなんら問題がなかったため、自身の家にふさわしい新たな家紋が考案されることもあった。
 日本で家紋が独自の発展を見せた背景には、葵や菊など、ごく一部の文様を除いて、身分による使用制限等が一切なかったことも大きく影響したようである。特に、新規に商売を始める者にとって、一目で店のイメージを伝えることも可能な家紋を自由に生み出せたことは、とてもありがたいものだったと推察される。

 日本の家紋は、円などの幾何学的な図形の組み合わせのほか、桐や葵など植物がもとになったものや、傘や矢など身近な道具類等をデザインの基盤にしてつくられたものが多く見られたが、そこには当然のように動物由来のものも存在した。
 例えば、チドリ(千鳥)、ツル、スズメ、ハト、タカ、カリガネ(雁金)といった鳥類のほか、チョウ、コウモリ、カニ、貝、カメ、ウサギなどがあった。
 並べて眺めると、日本の動物家紋には「空を飛ぶもの」が多いことに気づく。飛ぶものは、全体の8割以上にのぼった。なかでも筆頭はやはり鳥で、いくつかのデータベースを確認すると、すべての動物家紋の内、およそ55パーセントが鳥絡みの家紋となっていた。

 さらに、空を飛べる存在として、鳳凰や竜、そして3本足の八咫烏やたがらすの原型にもなった、やはり中国の神話が由来の太陽の中に棲むという三足烏さんそくうも家紋とされた。聖獣、神獣は縁起がよいと考えられたためだ。

 「羽」を重ねたデザインの家紋もあった。中には、重ねるのではなく、雪の結晶のように、6枚または8枚の羽が、円の中心点で接するように羽軸を合わせたものも存在した。なお、家紋の羽は、基本的に鷹の羽と解釈されている。

鷹の羽による図案(出典『家紋の由来』)

 日本の家紋は伝統的に丸デザインのものが多く見受けられるが、鳥の家紋でも、丸い円の中に鳥が収められたものや、配置において円の構図を意識したものが多い。
 両翼を上げたツルの翼の先端が頭上で接するかたちの「鶴の丸」は、羽毛が外周の円となり、内側上部にもうひとつの小さな中空の円があって、そこに横向きのツルの顔がある構図となっている。

 鳥が単独でいるもののほか、2羽が向かい合っているもの、2羽が重なっていたり連なっていたりするものがあり、3羽が頭をつき合わせているもの、3羽の頭が外を向いているものもあった。なかには5羽が嘴を合わせているものまで存在した。

 

3 欧州デザインの中の鳥たち

 

◆東西の意識の方向性のちがい

 東洋・西洋とも、数多の対象物に、さまざまなかたちで鳥が描かれた。だが、そこに投影された意識の強さには違いが見える。
 生物の「意思」は瞳に強く反映される。日本における代表的な紋章といえば「家紋」だが、姿がかなり簡略化されている日本の家紋において、鳥の顔は一般に穏やかで、眼は描かれても瞳は描かれない。対して、ヨーロッパの紋章に描かれた多くの鳥には瞳が描かれ、そこにははっきりとした「意思の光」が見える。
 こうした点から、日本に比べると、ヨーロッパを中心とした他国では、紋章の中の鳥に対してより強い願いが込められているのが感じられるのだ。

 家紋に描かれた鳥たちに対し、日本人の心には、「家がこうなってほしい」「こんな家でありたい」という強い願いはない。もともと、だれの家なのかを識別するためのツールとしての意義が日本の家紋には強い。鳥の家紋においても、それは変わらない。
 ツルは日本において長寿の象徴ではあるが、ツルを模した家紋に長寿の願いが強く託されているわけではない。また、スズメの家紋を戴いた家がタカの羽の家紋を戴いた家に劣ると考える者もいない。日本の家紋はそういう観点でつくられたものではないのである。


「仙台笹 竹に雀文」

 日本人が象徴としてのその鳥に強い意味を託すことは稀だ。ハトが平和の象徴というのは欧米から借りてできたイメージであるし、猛禽のイメージを借りることで自身が強くなることを切に祈るような例も少ない。

 こうした意識の違いもあることから、絵画やデザインの読み解きも、欧米やそのほかの国の作品と日本の作品とでは変わってくる。
 紋章の中にいる鳥たちには、それぞれの国や民族の意識に加え、それぞれが培ってきた歴史と文化が少なからず投影されている。日本以外の国の紋章に、それが強く出ていると感じられる。

 

◆ヨーロッパ、南米、島嶼とうしょ部の人々の感覚

 まずは幾種かの鳥に対するヨーロッパ人のイメージを眺めてみたい。

 古い時代から、ヨーロッパの支配階層の意識にあった鳥の筆頭はワシといえる。残されたさまざまな意匠からそれが見える。
 小鳥を襲い、大きな体で悠々と空を舞う猛禽の姿は、彼らの目には「鳥の王」と映った。人間には届かない空の高みから鋭い目で世界を俯瞰し、ときに容赦なく相手に襲いかかる姿には、強い憧れを抱かせた。地上において見せる風格のある厳しい顔つきも、王者のものに見えた。その姿を紋章などに描き込んだ。
 百獣の王であるライオンと、鳥の王ともいえるワシを組み合わせた生き物がいたら最強のはず、と考えた者もいただろう。だが、新たに生み出す必要はなかった。紀元前3000年頃にはすでに、有翼の獅子や、ワシの頭部と翼をもった獅子の怪物グリフォン(グリフィン)がイランやインドなどの伝承の中にいたからである。有翼の獅子やグリフォンがヨーロッパ文化に自然に溶け込んで、さまざまな紋章に使われたことはいうまでもない。

15世紀に描かれたグリフォン

 オスのクジャクの尾羽(正確には尾羽の上にある「上尾筒じょうびとう」という部位の羽毛)の模様を「目玉模様(百眼模様)」と呼ぶことがある。これも、クジャクの全身の姿とともに、アジアからヨーロッパの多くの土地で見られるデザインとなった。
 ギリシア神話において、嫉妬深い女神ヘラは夫ゼウスの浮気を監視するために百眼の巨人アルゴスを使役したが、ゼウスに命じられたヘルメスによって殺されてしまったため、その死を悼んでアルゴスの百の眼をクジャクの羽毛の中に封じたという伝説がある。それがヨーロッパにおける百眼デザインの由来である。一方で、長いクジャクの尾は、毎年新たに生えかわることから、「不死と再生」の象徴にもなった。

 弥生時代の日本では、大型の水鳥に対して、生者の国と死者の国を行き来する者というイメージがもたれていたが、ヨーロッパ人がそれに近い印象をもっていたのがハトである。ハトは天と地を行き来する神の遣いとされたことから、「愛」と「平和」のシンボルとなった。特に純白のハトが「聖鳥」とされたほか、白いハトを死者の魂と見る文化もあった。
 ギリシア神話において愛と美と性を司る女神アフロディーテを描いた絵画などに白いハトが描かれているのは、ハトが神に近い無垢な存在と考えられていたためである。
 例えば18世紀のフランス人画家、フランソワ・ブーシェによって描かれた絵画「ヴィーナスの化粧」(メトロポリタン美術館収蔵)では、女性の胸に白いハトが抱かれ、足元にも女性に寄り添うような姿のハトが描かれている。
 ローマが国教化したキリスト教の初期において、ハトはキリストの魂や聖母マリアを象徴する鳥とされたこともあって、ヨーロッパでは美術界ほか、多くの場でハトの姿を見るようになる。ローマ時代は、水盤に止まって水を飲むハトの姿も多く描かれた。またそれが、近世・近代になって、あらためて装飾デザインのベースとされることもあった。

「ヴィーナスの化粧」

 このほか、フクロウは知恵をもつ存在、カラスは神の遣いといった印象があり、美術だけでなく、さまざまな対象にその姿が用いられた。コキンメフクロウが刻印されたギリシアのアテナの銀貨なども、そうしたものの延長にあった。

 猛禽は、ほかの大陸でもさまざまな場所でも崇拝されたが、中米から南米アンデス地域において、より身近な存在であったのがコンドル(アンデスコンドル)である。
 古来より親しみをおぼえてきた存在であることに加え、近代において、ヨーロッパ人の支配から脱する独立の象徴とされたこともあり、コンドルを国章とする南米西部の国も少なくない。

 太平洋に浮かぶ島々で人々が見上げた先を悠然と舞っていたのは、ネッタイチョウやグンカンドリなどの大型の海鳥たち。強い印象を島の人々の心に残し、国や島の象徴とされた。

 

4 国章となった鳥たち

 

◆世界の4分の1以上の国が国章に鳥を採用

 国章は国を象徴する紋章であり、国旗とともにその国の尊厳とされるものである。
 日本国外務省によれば、現在、地球上には196の国家があるが、そのうちの4分の1を超える54の国の国章や、国章に準じる紋章に鳥や鳥形の神が描かれている。
 さらには、世界全体のおよそ1割の国が国旗にも鳥を起用している。

 それぞれの国の歴史の中で国章のデザインは少しずつ変化はしてきたものの、採用された鳥は数百年、あるいは千年以上に渡って継承されてきた例も少なくない。今は消滅した国家においても、その母体となった古代の国家の国章が継承されていた例がある。
 特にヨーロッパにおいては、ローマ帝国以降、鳥の紋章は途絶えることがなかった。

 数百年も国章として使われ続けた鳥は、すでに空気のようにあたりまえの存在となって、ふだんはあまり気にとめられないこともある。一方で、変わることなく長く意識され続けた例もある。世界の国章を眺めることを通して、「鳥」が人類とその国家において、特別な存在であったことを、あらためて実感する。

 だれより特別で、愛すべき存在と強く意識した鳥を国章にした国がある。その筆頭が、インド洋西部に浮かぶ島国のモーリシャスだ。モーリシャスの国章は、今は絶滅して地上から消えてしまった飛べない鳥ドードー。ドードーは国鳥でもある。ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』に登場することでも知られている。

不思議の国のアリスの挿絵。左から5体目がドードー

 すでに絶滅してしまった鳥を国鳥や国章にする国は、ほかにはない。「できれば今も生きていてほしかった……」という強い願いが、そこには感じられる。

 ジンバブエの国章や国旗に描かれているのはジンバブエの歴史の象徴とされる「大ジンバブエ鳥」。6世紀ごろの居住跡であるグレート・ジンバブエ遺跡から発掘された彫像をモデルに描かれている。

 ガルーダはインド神話に登場する神鳥である。これを国章に据えているのがインドネシアとタイ王国。インドネシアの国章は黄金のガルーダ。タイ国章のガルーダは、より人間の形態に近いものとなっている。なお、タイのガルーダの紋章は、タイ族が14世紀に打ち立てたアユタヤ王朝にまで遡ることができる。

 ウズベキスタンの国章の中央に描かれているのは、ペルシア神話の不死鳥フマと同じ起源をもつとされるフモと呼ばれる鳥。祖型であるフマは中国の神話の鳳凰が由来とされる。 
ウズベキスタンの国章

◆ワシ・タカの紋章は最大派閥

 ワシ・タカの紋章は、古くは古代ローマ帝国の国章および国旗に見る。のちにローマ帝国は東西に分裂し、最終的に滅亡することになるが、国章は形を変えて、のちに成立した多くの後継国に継承された。
 ローマ帝国の東西分裂後、西ローマ帝国の後継を自負した神聖ローマ帝国や、複数の国を支配したハプスブルグ家がその紋章として継承したほか、末期の東ローマ帝国が双頭のワシの紋章を採用する。双頭は、東西のローマ帝国をあらわしたものとされる。

東ローマ帝国の紋章

 その後、双頭のワシは、東ローマ帝国の領土を基盤に新たに誕生した複数の国に採用された。現在は、ロシア、アルバニア、モンテネグロといった国が双頭のワシを国章とする。なお、ソビエト連邦以前の帝政ロシアの国章も双頭のワシだった。アルバニアは国旗にも双頭のワシを採用する。
 モンテネグロの前身であるセルビア・モンテネグロ国家連合、さらに遡ったユーゴスラビア連邦共和国、ユーゴスラビア王国も双頭のワシを国章とした国家だった。

 現在、単頭のワシを国章にするのはドイツ。ポーランドの国章には王冠をかぶった単頭の白いワシが赤色の楯の中に描かれている。オーストリアのワシは黒い。
 ルーマニアの国章には、十字架をくわえ、両足に杖とオリーブの枝を掴んだワシの姿が描かれる。歴史的に関係が近いモルドバも、これと近いデザインとなっている。

 アラブ諸国の国章は、予言者ムハマンドの一族(クライシュ族)をあらわす黄金のワシ、もしくはサラディンの黄金のタカ(ワシ)が採用されている。それぞれ細かい違いはあるが、イエメン、アラブ首長国連邦、エジプト・アラブ共和国、イラク、シリア、ヨルダン、パレスチナなど、多くの国が黄金の猛禽を採用する。
 クウェートでは、少し意匠の異なる黄金のハヤブサが採用されている。

 

◆欧州・中近東以外の猛禽類の国章

 アフリカ中部の国でも、ワシあるいはタカが描かれた国章が多く見られる。スーダンはヘビクイワシ。ナイジェリアの国章にもワシが見える。
 アラブのものとはイメージが異なるが、西アフリカのガーナの国章は2羽のワシが中央の盾を左右から支える構造になっている。

 南スーダンの国章には中央にサンショクウミワシが配されているが、2011年にスーダンから分離独立する以前の自治政府の紋章にはハシビロコウが描かれていた。
 ザンビアやナミビアの国章に描かれているのもサンショクウミワシ。
 マラウイの国章にもワシが見える。

 ヨーロッパの島国であるアイスランドの国章には、国の四方を守護する聖なる存在が記される。守護者は北欧神話ほか、古代にこの地で信仰された大地の精霊や妖精に由来する。
 このうち、島の北西部を守護するのは鳥で、白いワシの姿が描かれる。なお、この国章採用される直前の16年間、アイスランドでは青い盾に白いハヤブサが描かれた国章が使われていた。

 アメリカ合衆国はハクトウワシを国鳥とし、国の印である国璽こくじの中心にもハクトウワシが描かれている。法的に定められてはいないが、彩色された国璽の図柄が事実上の国章となっている。ワシの右足が握っている枝はオリーブである。

 メキシコ合衆国は、ガラガラヘビをイメージさせるヘビをくわえたワシが国章となっている。建国以来、何度か図柄は変わったものの、ワシとヘビの組み合わせが描かれ続けた。由来はアステカの伝説で、こうした図柄はアステカ皇帝が好んだものでもあった。
 同じくワシを掲げるのはパナマ。国章の上部に翼を広げた白いワシが置かれた。

 アジアでは、フィリピンの国章にワシ、キルギスの国章に銀色のタカ、そしてアルメニアの国章にもワシが見える。

 

◆インコやフラミンゴも見える中南米諸国

 中米諸国にはユニークな国章も多い。
 西インド諸島のセントクリストファー・ネイビスは、ペリカンをイメージさせる青い水鳥2羽が描かれている。南米に近い小アンティル諸島のバルバドスの国章もペリカン類。
 ハバマの国章にいるのは、魚のマカジキとフラミンゴで、ベネズエラ北方の国トリニダード・トバゴの国章に描かれたのはショウジョウトキ(スカーレット・アイビス)とワキアカヒメシャクケイ(コクリコ)。ショウジョウトキはこの国の国鳥でもある。

 中南米には色鮮やかなインコ類も多数生息しているが、ドミニカの国章には左右に緑色のミカドボウシインコが描かれている。ミカドボウシインコはドミニカの国鳥でもある。同国の国旗の中央、赤い円の中に描かれているのもミカドボウシインコである。
 西インド諸島にある英連邦の国セントルシアの国章もインコ。こちらはイロマジリボウシインコが採用されている。

 エクアドル共和国の国章および国旗に描かれているのは、国の象徴でありアンデスの象徴でもあるコンドル。コンドルはコロンビアやチリ、ボリビアの国章にも見える。

 

◆オセアニアの国章

 オーストラリアがカンガルーとエミューを国章に採用しているのはよく知られたとおり。
 ミクロネシア・メラネシアの国々は、島国らしく、その地域でよく目にするグンカンドリの採用率が高い。
 キリバスにおいては、飛翔する黄色い鳥が描かれている。鳥種はグンカンドリ。鳥を国章に採用する国は数多あるが、飛んでいる鳥が描かれることはあまり多くはない。なお、キリバスは国旗にも飛翔するグンカンドリを採用している。ナウルの国章にもオオグンカンドリが描かれるが、こちらは赤い人工的なとまり木にとまった姿で描かれる。
 マーシャル諸島の国章の中央にも鳥が描かれているように見えるが、実は天使である。

 

◆アフリカ諸国の国章

 インド洋に浮かぶセーシェルの国章には飛翔するシラオネッタイチョウが見える。
 マリやリベリアも飛翔する鳥だが、こちらはハトを採用する。

 東アフリカのウガンダも国鳥を国章と国旗にする。ここに描かれるのはホオジロカンムリヅル。

 ギニア湾に浮かぶ島々からなるサントメ・プリンシペの国章には左右に大きく2羽の鳥が描かれている。右はこの国の国鳥でもあるヨウム。左はハヤブサのようだ。

サントメ・プリンシペの国章

 

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細川博昭著

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著者略歴

  1. 細川博昭

    作家。サイエンス・ライター。鳥を中心に、歴史と科学の両面から人間と動物の関係をルポルタージュするほか、先端の科学・技術を紹介する記事も執筆。おもな著作に、『鳥を識る』(春秋社)、『身近な鳥のすごい事典』(イースト・プレス)、『江戸時代に描かれた鳥たち』『知っているようで知らない鳥の話』『鳥の脳力を探る』『身近な鳥のふしぎ』(SBクリエイティブ)、『大江戸飼い鳥草紙』(吉川弘文館)、『うちの鳥の老いじたく』(誠文堂新光社)、などがある。
    日本鳥学会、ヒトと動物の関係学会、生き物文化誌学会ほか所属。

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