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チョンキンマンションのボスは知っている――香港のアングラ経済と日本の未来 小川さやか

成功する者、転落する者

 

 2018年9月13日、カラマがチョンキンマンションのいつものパキスタン料理店に居座って暇そうにネットサーフィンしていると、電話がかかってきた。彼は、番号を見て顔をしかめながら受けると、「悪いなぁ。これから地下鉄に乗るところなんだ」と嘘をついて即座に切った。そして私に向かって、次のように語った。

「彼女は、かつては化粧品やウイッグなどを交易するために頻繁に香港に来ていた。だが資本を失って、かれこれ2年くらい香港に来ていないんだ。それでも彼女はずっと香港とタンザニアを往復しているふりをしているんだ。そのための口裏あわせを俺にさせているんだよ(一緒に香港にいるふりをさせている)。一度、完全に『オフライン』になってしまうと、戻ってくるのは大変なんだ。それはわかっているんだけど、俺も絵空事に加担するのは気が引けるし、もう一度香港に来たいと訴えられても、そんな人間は大量にいるんだよ」。

 前回までは中古自動車をあつかうブローカーたちの日々の経済実践について述べてきた。今回と次回は、浮き沈みの激しい香港の市場でタンザニア人たちがどのような人生をつむいでいるのかを紹介しながら、中古車以外の仕事について開示したい。香港に暮らすタンザニア人は母国のなかでは裕福な家庭の出身で学歴も高い傾向にあるが、今回はそのなかでも比較的に「堅気」な人生を歩みながらも対照的な状況に置かれた二人のタンザニア人を取り上げる。

 ケータイ・ビジネスの成功者

 シュワ(仮名)は、48歳の男性で、非常に成功した携帯電話(以下、ケータイ)の交易人である。彼は、タンザニアのダルエスサラーム市の商業地区カリアコーの一等地に6階建ての大きなビルを2棟所有しており、自身の店やオフィス以外のスペースは数多くのテナントに貸している。彼には、32歳の第一夫人と35歳の第二夫人がおり、18歳から2歳までの計9人の子どもがいる。シュワは「稼いでも稼いでも学費の支払いで消えていくんだ」と言いつつも、なんだか楽しそうな顔で家族の話をし、タンザニアに帰国する前日には、子どもたちのプレゼントを買いに香港の深水埗(Sham Shui Po)などの衣料品雑貨店を駆け回る。

 彼は、カラマと同時期に香港にやってきたタンザニア人交易人の1人で、カラマが心を許している数少ない友人でもある。敬虔なイスラーム教徒であり、香港でも1日5回の礼拝を欠かさず、金曜日には必ず正装してモスクに行く。酒もタバコもやらず、香港の若いタンザニア人たちと騒ぐことも少ないが、穏やかで知的な雰囲気の彼は、「シュワ兄貴(ブラザー・シュワ)」と呼ばれて、多くの同胞から慕われている。

 シュワは、比較的に裕福な家庭に生まれ、国立ダルエスサラーム大学で商学の学位を取得した後に、1998年にドバイで金(ゴールド)を買付けることから商売を始めた。ビジネス開始時のシュワの資本は3,000米ドルであり、本当にわずかな金を仕入れ、タンザニアに戻ってから地元の職人に指輪やネックレスに加工させて販売していた。現在でもカリアコー地区の店でアクセサリーを販売しており、2017年2月に彼と一緒に香港の路上を散歩した時にも、彼はふらっと雑貨店に入っていくと、かなり長い時間、興味ぶかそうに指輪のデザインを眺めていた。

 彼がはじめて香港に渡航したのは、2003年のことだった。この頃からタンザニアでは、爆発的な勢いでケータイが普及しはじめ、シュワもケータイの輸入業に目をつけた。最初の頃、彼は香港を経由してすぐに中国の広州市へと向かい、安価なケータイを仕入れ、コンテナで母国へと輸出していた。また、2000年代後半になると、中国はタンザニア人交易人にとってコピー・ケータイの産地になり、母国で売れ筋のケータイを持ち込み、「これと同じのを1,000ピース」といった形で中国系工場主に製造を依頼する交易人たちがたくさんいた。しかしシュワ自身は、十分な資本がなかったこともあり、中国の工場に大量にコピーを依頼する人々と競合しない中国のマイナーブランドのケータイを多様に商うことで、商売を軌道に乗せたという。彼はもっぱら、中国広州市のケータイ卸売店で、「××社の○○モデルを500ピース、××モデルを100ピース」といった形で仕入れていた。

 中国でのビジネスには、とても苦労したと語る。広東語はいまでも少ししかわからないが、中国本土でもケータイ卸売商たちは簡単な英語を話すし、電卓を叩きあって値段交渉をするので言語が話せないこと自体はさほど問題ではなかった。困難を感じたのは、相場を理解し、ぼったくられたり騙されたりしないように注意することだった。

 私は、シュワから懇意にしている中国系のケータイ商が数多くいるという話を聞いて、「そんなに多くの得意先があるなら、わざわざ中国に行かずにネットで取引したらいいのでは?」と尋ねたことがある。彼は、すぐさま「そんなことをしたら、大変なことになる」と語った。彼の説明では、まず他店がいくらで販売しているのかを把握し、その後に得意先の店に行って「角にある店では××モデルを○○元で、通りの反対側にある店では△△モデルを□□元で売っていた。でも俺は、つきあいの長い君とぜひとも取引したいんだ」などと具体的な証拠を提示しながら交渉することではじめて、中国人たちは安くしてくれるのだという。また、仲良くなっても購入した商品をその場で確認しないと、不良品や偽モノを混ぜられる可能性もあるという。

 2007年頃になると、シュワはカラマたちと同様に中古車部品も扱うようになった。そして2010年代には、車の部品とあわせて、コンテナで25,000米ドルの価値のある商品を輸出して、母国で小売店に卸してまわり、3ヶ月程度で8,000米ドルから10,000米ドルの純利益を手にできるまでになった。彼は当時、ビジネスが不調な時期で2週間に1度、好調な時期では月5回中国(香港)とタンザニアを往復していたため、1ヶ月あたりで50,000米ドルから125,000米ドルの商品を輸出し、3ヶ月サイクルでビジネスを回し、月あたり16,000米ドルから50,000米ドルを稼いでいた。これに加えて、所有するビルのテナント料にアクセサリーなどの販売益などの数多くの副業からも相当の収入を得ている。私が「あなたは本当に金持ちだわ」と驚嘆すると、シュワに日本の大学教員の給与を尋ねられた。私の月収を正直に答えたら「それだけ?」とぽかんとした顔をされ、以来、奢ってくれることが多くなった。

 ただし毎週のように中国とタンザニアを往復するのは、渡航費がかかるだけでなく、体力的にも大変なようである。2016年の初め頃から、シュワは中国とタンザニアを往復してケータイを輸出する方法をやめ、中国本土には出かけず香港のみで商売を始める「新しい方法」を見つけた。シュワは、「俺は(いまでは)1日1時間しか仕事しないよ」という。実際に観察していると、彼は礼拝のために朝早くに起きるが、礼拝が終わるとすぐに寝てしまい、また礼拝のために起き、寝ることを繰り返し、ビジネス活動をするのは夕方のひと時だけである。彼は、チョンキンマンションの1階と2階にあるケータイ卸売(小売)商で、毎月安価な「ガラパゴス・ケータイ」を1,000台程度、スマホを400台程度仕入れているという。これらを毎日、数十台ずつ仕入れるとしたら、たしかにチョンキンマンションの携帯商を全部回っても仕入れにかかる時間は1日1時間ほどだ。

 私は、シュワの話をカラマと一緒に聞いていたのだが、彼が羨ましくなって、カラマに「シュワが1日1時間しか仕事しないってさ」と振った。すると、カラマはにやりと笑って「仕入れに関してはそうだ。でも彼には、深夜の仕事があるからな」と意味深な返答をした。そこでシュワに「深夜に本当は何しているのか」と聞くと、慌てたように「あやしい仕事じゃないよ」と笑いながら、現在のビジネスのしくみを教えてくれた。

 現在、彼が扱うメインの商材は、「整備済ケータイ(Refurbished cell phone)」である。実は、かつて中国や香港に渡航するケータイ交易人のあいだで人気を博していたNokiaやSamsung、iPhone等のコピー・ケータイの商売は、中国政府による取り締まりの強化や中国ブランド(XiaomiやHuawei等)ケータイの人気の高騰に加えて、タンザニアのモバイル通信規制局による「一掃作戦」によって非常に困難になった。

 2016年2月に、タンザニアのモバイル通信機政局は、正規の国際携帯識別番号(International Mobile Equipment Identity: IMEI)を持たないコピー・ケータイの強制的な通信停止を通告した(注1)。通告どおり、コピー・ケータイの通信は同年6月17日に停止され、通告から停止までの期間に頻発した一斉摘発で、中国からコピー・ケータイを輸入していた交易人の多くが商品を没収されたり、逮捕されたりしたという。

 コピー・ケータイに代わって脚光を浴びたのが、シュワが扱う「整備済ケータイ」である。香港の「整備済ケータイ」にはメーカーが不良品などを回収して改装・修繕したものと、インフォーマルな業者が中古品を集めて液晶画面やハウジング、電池などの部品を交換し、改装・修繕したもの(中古改装品)の2種類があるが、どちらもIMEI番号が付与されている。当然、シュワが商うのは後者である。整備済ケータイは、安価であり、素人には新品にしかみえない。シュワはもちろんこれを「新品」としてタンザニアで販売している。

 ただし、整備済ケータイを「新品」として売る際に、以前の使用者の履歴の消し忘れがあったりしたら大問題である。そのため、シュワは、深夜にその日に購入したケータイを1台1台確認して使用の痕跡を消去しているのだという。また中国では、中国政府によるネット検閲システム「グレートファイアーウォール(金盾)」によってGoogle等の海外のサイトを閲覧できない――海外サーバーを利用するVPN接続をすれば、別である――ため、海外輸出用ではなく中国本土の一般家庭から回収された中古品を基にした整備済ケータイ(特に中国ブランド)には、GoogleやFacebookなどがインストールされていなかったり、インストールされていても接続不良だったりすることも良くあるという。これらのケータイは、仕入れた卸売商に返品するために選り分けていく。

 私は、中国本土でも整備済ケータイは販売されているし、本土で仕入れたほうが単価は安いのではないかと疑問に思い、チョンキンマンションで仕入れる理由についても尋ねてみた。シュワは、もし中国からコンテナでタンザニアに輸出するならば別だが、香港から輸出するならば、中国本土で仕入れないほうが良いと語った。国境のセキュリティ強化で受託荷物に「バッテリー」が入っていると荷物を受け付けてくれず、知らん顔して荷物を預けると勝手にバッテリーが抜かれたり、荷物自体が届かなかったりするという。では、なぜ中国からではなく、香港から輸出することにしたのだろうか。

 現在、彼は、前回に説明したインフォーマルな送金業者を活用して、カリアコーの店を任せている弟や息子たちから、仕入れ経費として売り上げの一部を送金してもらい、シュア自身はビザなし滞在期間をめいっぱい使って香港に滞在し、毎日のようにケータイを輸出しているという。たしかに香港とタンザニアを毎週のように往復するよりも楽であり渡航費もかからないので合理的だが、毎日輸出するというのは驚きである。私が「毎日って本当に毎日?」と確認すると、シュワは「正確には、ほぼ毎日」と涼しい顔で即答した。「DHL? EMS? でもそれだと高くつかない?」と不思議がる私に、彼は仕方ないなぁという顔で輸出の方法を説明してくれた。

 簡単にいうと、それはタンザニアに帰国する交易人たちのスーツケースの空きスペースを購入したり手数料を払うことで、空港で待ち構えている彼の店の従業員に届けてもらうという方法である(荷物の重量1kgで10ドル以下)。いわゆる「担ぎ屋ビジネス」「スーツケース貿易」と呼ばれるものだ。空港で待ち構えている従業員には、あらかじめ預けた商品の情報と荷物を託した交易人の情報(パスポートのコピー等)を送っておき、商品を受け取ったらその場で台数を確認して交易人に手数料を支払うことになっている。

 香港ビジネス(または香港経由の中国ビジネス)を軌道に乗せた交易人たちの中には、頻繁に香港とタンザニアを往復することで各航空会社の優待メンバーになっている者が多い。2017年8月に私はタンザニアから帰国する際に飛行機に乗り合わせた交易人たちと仲良くなり、中継地ドバイでの乗り継ぎ時間に一杯やることにしたのだが、彼らは全員エミレーツ航空の「ゴールド会員」で、私一人だけラウンジに入れなかった(行き先が同じ場合はゴールド会員1人につき1人を招待できるらしいのだが)。優待メンバーになれば、手荷物や受託荷物の制限重量も増える。この余った重量分だけケータイを託すのである。

「スーツケース貿易」自体は古くから存在するが、シュワの場合は、第4回に述べた「ついで」の助け合いから発展したものである。すでに述べたように、難民として認定されて香港で生活している者たちは、母国の家族や友人へのお土産をその時々で帰国する交易人に託して「ついで」に届けてもらっている。こうした助け合いでは金銭の授受は発生しないが、商売目的が明確な場合には金銭の授受が伴うこともある。

 ただ、助け合いとビジネスの線引きはつねに曖昧なものである。カラマたちブローカーは日々交易人たちのアテンド業を行い、誰がいつ帰国するのかの情報を持っている。カラマたちは中国の広州市を拠点とするタンザニア組合とも連携しているので、中国で買いつけをして香港経由でタンザニアに戻る交易人たちの情報も持っている。ブローカーを介さずに商売する交易人も数多くいるが、そうした者たちも同胞のタンザニア人たちに一度は助けられたり、関わった経験がある。

 カラマたちに親切な応対をされた客や、彼らに助けてもらったことがある者たちはスーツケースに余裕があれば、無料でも快く商品を運んでくれるし、交易人が無料で運ぶと申し出てもシュワ自身が手数料を自発的に払うこともある。万が一の持ち逃げリスクに備えて、普通は1人つき十数台程度しか渡さないのだが、運ぶ台数が多い場合は税関申告を行う必要があり、そのための現金を仕入れに関わる書類と共に渡すことになる。

 他者の商売に便乗して新しいしくみを考え出すのは、彼らの間ではごく一般的である。カラマもシュワのビジネスにちゃっかり便乗している。カラマはビジネスが儲かった時などにチョンキンマンションで数台のスマホを購入し、シュワの荷物に混ぜてタンザニアに輸出している。これらのケータイはシュワの店で販売してもらい、そして香港のビジネスが不調で妻に生活費を送れないときなどに、シュワの息子からカラマの妻へと電子マネーで送金してもらっているのである。

 以上で取り上げたシュワは「成功者」であるが、香港には様々なタンザニア人たちがおり、全てが順風満帆なわけではない。ひとたび成功をつかんでも転落するのはあっという間である。

 「裏切られた」天然石輸入商

 ゴディ(仮名)は39歳の男性であり、タンザニアのムベヤ州で生まれ、現在はダルエスサラーム市に住んでいる。妻と小学生の息子が2人おり、筋骨隆々のいかつい体格をしているが、茶目っ気あふれる気さくな男性である。私が2016年にチョンキンマンション脇の路地で出会ったときに、雑談のなかで私の指導する院生の1人がアフリカのジェンダー研究を志しており、特にシュガー・マミー(典型的には、性交渉等の見返りに若い男性に金品を与えたり生活支援したりする豊かな年配女性を指す)との交際関係に関心を持っているのだという話をした。その時にゴディは、「俺は、50歳でも60歳でもオッケーだ。まだ体力があるから女性を満足させられる自信がある。人種も国籍も問わないし、どんな見た目でも構わない。俺とつきあいたいという豊かな年配女性がいたら、ぜひ紹介してくれ」と語った。それ以来、彼は会うたびに「サヤカ、俺のシュガー・マミーは見つかったか?」と繰り返すようになった。当時、私は挨拶代わりのジョークだと思って笑って流していたのだが、2017年8月に彼のライフヒストリーを聞いた後に、「パトロン女性を探してくれ」という言葉は本気だったのではないかと思いなおした。

 ゴディは、香港に渡航する以前にはタンザニアで電化製品の修理や改造を仕事にしていた。彼は電機工学を4年学び、さらに電子機器の修理士になるための勉強を2年したが、母国では就職先を見つけることができなかった。そのため、個人経営の電化製品の修理工としてテレビやビデオデッキ等の修理をしたり、中古部品から音響機材を組み立ててディスコに販売したりしていた。その後、IT関連の専門学校に入りなおす。卒業後は、パソコンの修理をしたり、プログラムを英語バージョンに変えたりする仕事をはじめた。

 2009年に、彼はパソコン修理業よりも一度の手取りは少ないものの、毎日安定的に稼げるスマホの修理業へとビジネスを鞍替えし、香港からスマホやスマホ部品を輸入する業者と知り合った。そして、これらの香港のスマホ輸入商の伝手で2010年に香港に天然石を卸している企業の輸入商と親しくなった。天然石ビジネスが儲かることを理解した彼は、それまでのビジネスで獲得した資本をすべて投資して、2011年にモロゴロ州やドドマ州、タンガ州から天然石を仕入れて、香港の業者に販売した。

 2012年、ゴディはタンザニアで天然石を仕入れた後にみずからも香港に渡航し、現地の業者に卸すことを決意した。チョンキンマンションでカラマたちに出会い、彼らからビジネスを学ぶことで、輸入した天然石をすべて卸すことに成功した。2013年には、香港に2度、それぞれ2トンの天然石をタンザニアから輸入した。このときに輸入した天然石はいずれも予想以上に高値で販売でき、彼のビジネスは急成長した。タンザニアに凱旋したゴディは土地を買い、ダルエスサラーム市の住宅街に妻と息子たちのために立派な家も建設した。さらに念願だった中古車を2台購入することもできた。

 2014年5月には、友人とコンテナをシェアし、17トンもの天然石を香港に輸出することになった。友人の買いつけた天然石が5トン、ゴディが買いつけた天然石が12トンであり、ゴディは彼のほうが友人の天然石を一緒に輸入してあげているという気持ちでいた。ゴディは、天然石の買いつけに90,000米ドルを投資した。この買付け経費の一部は、親戚からの借金や銀行からの融資で集めたもので、香港で天然石をさばいた売り上げで返済する予定であった。

 

(写真1)タンザニアから輸入された天然石

 

 ところがゴディは、友人に裏切られて一文無しになってしまう。彼の友人はゴディよりも一足先にこっそりと香港に渡航した。そして17トンの天然石の売り上げである450,000米ドルを独り占めしてしまったのである。

 ゴディは香港に到着した翌朝に港に向かって、すべての天然石がすでに友人に引き取られたと聞いて愕然とした。事態がよく飲み込めないまま、友人に連絡するも一向につかまらない。香港中のホテルを歩いて探し回ったが、どうやら友人はすでに取引を終えて出国したらしいという情報を得る。ようやく「裏切られた」と気づいた彼は、すぐに香港の警察に相談に行き、告訴を決意した。しかし、そこで知らされたことは、輸入等に関わる正式な書類はすべて友人1人の名前でサインされており、ゴディが購入した天然石が大部分を占めるという証拠はどこにもないという事実だった。さらに友人はこのときの儲けを最後に天然石ビジネスから足を洗ってケニアへと逃亡し、二度と香港に足を踏み入れていないという(現在も行方がわからない)。

 結局、ゴディは失意のまま、わずか50米ドルだけを手にタンザニアへと帰国した。帰国後、彼は車2台と土地を売却し、天然石の買い付けの際の借金の返済に充てたが、返済額にはとうてい及ばなかった。借金取りに追われるようになったゴディは、妻と子どもを実家に帰した。そしてゴディ自身は、片道の渡航費をかき集めて香港へと逃げ帰ってきた。

 香港に戻った彼は、カラマたちと同様の天然石のブローカーになった。2016年に私と出会った時には、香港に渡航しない輸出商の代わりに天然石を現地の業者に卸したり、現地の天然石企業にアフリカ諸国の天然石輸出商を仲介する仕事をしていた。一回の仕事あたりの手数料は、300米ドルであった。

 

 

(写真2) 天然石を運ぶ手伝いをする著者

 

 天然石の商売は香港の多くのタンザニア人たちが関わっているが、天然石の価格は安定せず、特に投機的な商売であるとされる。この商売で大金持ちになった者もいる一方で、失敗して借金まみれになり、香港で文字通り「難民」になる者もいる。天然石ブローカーであるスーディ(仮名)に連れられて香港の紅磡(hung hom)地区に立地する天然石会社を訪問し、取引の様子を参与観察したことをカラマたちに報告すると、「天然石のビジネスは本当に難しいから、素人が手を出すのはやめておけ」と多くのタンザニア人に忠告された。香港で取引されている天然石は、サファイアやルビーなどの「Precious stones」、アメジストやシトリンなどの「Semi-precious stones」、宝石ではない石類「Cheap stones」などに分かれるが、大きさや色の濃淡・透明度、産地などによって同じ種類の石でも値段は大きく変化する。例えば、単価2米ドル/kgの安い天然石を5トン(10,000米ドル)仕入れ、香港で5米ドル/kg(25,000米ドル/5t)で売れたら、一度の輸入で15,000米ドルの儲けを得られるが、同じ種類の原石でより色が濃く大きさが均一なものを持ち込んだ輸入商が他にいたりすると2.5米ドル/kgでしか売れないばかりか、利益は2,500米ドルしか得られず、買いつけ経費や香港の渡航費・滞在費を引くと赤字になることもある。

 

 

(写真3) 天然石の透明度を測る

 

 折りしも香港の天然石市場は、ゴディが香港に亡命した2015年ごろから悪化し始め、多くの天然石輸入商は資本を失ったとされる。さらに間が悪いことに、2017年頃から政府によるタンザナイトをはじめとする天然石の輸出規制が強化されていった。

 2017年、ゴディは天然石のビジネスに見切りをつけ、香港で偶然に知り合った中国系木材業者によるザンビアでの木材探しのアテンド業をするため、香港を出国する。中国系木材業者は手数料をはずんでくれたが、残りの借金の返済で消えてしまい、ふたたび香港に戻ってくる額には届かなかった。

 現在ゴディは、タンザニアに居住し、かつてと同じく電化製品の修理業を細々と続けている。2014年の事件以来、妻との関係はぎくしゃくしてはいるが、彼女は子どもとともにゴディのもとに戻ってきていた。彼は、自宅の居間で騙された時の書類を見せながら、「あいつが俺の人生を狂わせた。あの事件がなかったら、俺は今頃はるか先を歩いていただろう」と悔し涙を流した。

 その後に「俺には家族を幸せにする責任がある。自分にできる仕事であるならば、何だってする。掃除夫や荷下ろしの日雇いでも、犯罪じゃなければ仕事は一切選ばない。俺は絶対に誰も騙さない。騙される痛みは俺が一番良く知っている。だからもしも香港や日本で仕事があったら、どうか俺を一番に思い出してほしい。俺は、家財道具一式すべて売り払って何が何でも渡航する。もちろんシュガー・マミーを見つけた時も、最初に俺に紹介してくれ。俺はまだ(香港ネットワークで)オンラインなんだ」と語った。

 

 次回は、よりアウトローな人生を紹介し、ふつうの交易活動とアンダーグラウンドの世界がどのように渾然一体となっているかを説明する。

 

 

(注1)この告知の顛末については、以下を参照。https://synodos.jp/international/17513

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著者略歴

  1. 小川さやか

    1978年愛知県生まれ。専門は文化人類学、アフリカ研究。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程単位取得退学。博士(地域研究)。日本学術振興会特別研究員、国立民族学博物館研究戦略センター機関研究員、同センター助教を経て、2013年より立命館大学大学院先端総合学術研究科准教授。著書に、『都市を生きぬくための狡知』(サントリー学芸賞受賞)、『「その日暮らし」の人類学』がある。

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