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チョンキンマンションのボスは知っている――香港のアングラ経済と日本の未来 小川さやか

商売は後からついてくる――「その人らしさ」でつながるネットワーク

 

 前回は、香港のブローカーとアフリカ諸国のブローカー・顧客が参加するTRUSTというプラットフォームについて紹介した。その最後で、TRUSTが彼らのあいだの独自の信用や信頼のあり方を結びついており、そうした信頼の構築にカラマたちが毎日みせてくれるコメディ動画や私との記念写真、タクシー運転手まで巻き込む「ライブ映像」が関係していること、また商業的旅行者をふくめて「ついで」におこなう日々の助けあいや組合活動とTRUSTを通じた個々のビジネスが連動しあっていることを予告した。今回は、その具体的な内実を説明しながら、SNSを活用した経済実践と社会的実践との関係性を議論したい。

 最大の楽しみはインスタグラムのライブ中継

  これまでも何度か触れてきたが、まずカラマたちのInstagramやWhatsAppに対する熱中ぶりとそれらに投稿するための映像や写真へのこだわりを示すエピソードを、いくつか紹介したい。

 2016年の大晦日の夜、チョンキンマンションが面するネイザンロードは、カウントダウン・パレードの観客で歩く隙間もないほどにごった返す。様々な団体が参加して、鮮やかな衣装に身を包み、竜や獅子舞の巨大な模型や山車を曳きながら、賑やかな音楽とともに行進したり、派手なパフォーマンスを披露する(写真1)。司会者の巧みな話術でパレードは盛り上がり、有名人によるトークショーなども幕間に挟まれる。パレードが終了すると、香港湾をはさんだ対岸からカウントダウンの花火が打ち上げられる。

 

(写真1)香港、路上のひとだかり

 (写真1)香港、路上のひとだかり

 

 広州市に調査に出かけていた私は、「大晦日と新年は絶対に香港で過ごすべきだ。大晦日のパレードを見ないなんて人生を無駄にしているよ」とカラマが絶賛するので、この数日前に香港へと戻ってきた。背の低い私は、「自撮り棒」にスマホを装着し、パレード開始前から沿道にスタンバイしていたが、人ごみに押し出されてあっという間にパレードが見えない位置に押し出されてしまった。パレード終盤近くになって悠々とやってきたカラマは、慣れた調子ですいすいと人込みを掻き分けて沿道のすぐ脇に陣取った。

 いつものようにポーズを決め、「は~い、皆さん、俺はミスター・カラマ、香港からの中継です。今日の香港は熱いです! 大盛り上がりです!」と情報番組のリポーターのようにInstagramのライブ中継を始めた。

 ところが、狭い場所で膨大な数の人間がインターネットに接続しようとしたせいなのか、接続が遅かったり、つながったと思ったらすぐに切れてしまったりと、中継がうまくいかない。カラマは珍しくパニックになった様子であちこちと場所を移動したり、私から自撮棒を奪ってスマホをなるべく高くに掲げてみたり、最新の機種を所有している仲間とスマホを交換したりと手を尽くしたが、どうしたわけか接続できなかった。

 しばらくしてカラマは、「今日の最大の楽しみがなくなった。やる気が失せた」とすっかりしょげ、いつもの路地に引っ込んで背中を丸めて座り込んでしまった。「そんなこと言わずに楽しもうよ」と声をかけてみたが、「サヤカは楽しんでくればいい。俺はもうどうでもいい」と子供みたいに拗ねた態度を繰り返す。

 大晦日のイベントに興味を失ったカラマを放置して、私は花火がよく見える場所を探しながら香港湾近くへと移動したが、結局、林立する高層ビルの隙間からほんの少しだけ覗いた花火の写真を1枚だけ撮影し、チョンキンマンションへと戻った。

 カラマたちに再会すると機嫌が直っていたので、花火の写真を撮影したかと聞くと、「当然だ」と香港湾に打ちあがる見事な花火を見せてくれた。「うわぁ、きれい。どこで撮影したの」と驚いて尋ねると、カラマはいたずらっぽい顔をして、「じつはインターネットから拾ったんだ」と笑った。ついでにライブ中継は成功したのかと聞くと、「心がしくしく痛むから、その話はしないでくれ」と顔をしかめた。

 また、カラマたちは、香港タンザニア組合の活動の一環と称して頻繁に集まってパーティをしているが、その様子も毎回、SNSに投稿されている。彼らは完全に昼夜逆転の生活をしているため、パーティはたいてい夜遅い時間帯に始まり、時には明け方近くまで続く。ふだんは、近くのコンビニの前やチョンキンマンションの通路などに缶ビールとつまみを持ち寄って群れていることが多いが、誰かの誕生日などには、香港各地の公園や公共のビーチなどでバーベキューをするのが定番のようだ。

 カラマは、「若い連中と夜通しはしゃぐにはすでに体力的に厳しい年齢だ」とぶつぶつと言いながらも、SNS用の写真やビデオを撮影することをもっぱらの目的としていそいそとパーティに出かけていく。いつだったか、私は「あなたたちは本当にパーティが大好きだよね。私は正直、徹夜の飲み会はしんどいよ」とカラマにぼやいたことがある。彼は、「誕生日会などのパーティは、ごく近年にタンザニア人に広まった新しい文化だ。サヤカは小さい頃から誕生日会だとか卒業パーティだとかを十分に経験してきたから、大人になって重要ではないと思えるようになったんだ。俺たちは、これまでの人生で経験してこなかった楽しみをできるだけ多く取り戻したいだけなんだ」としんみりした顔をして語っていた。

 2018年2月25日にも、カラマに「今日は良い所に連れて行ってやる」と誘われ、夜9時過ぎにタクシーで屯門(Tuen Mun)区にある香港の高級リゾートホテル、ゴールド・コースト・ホテルから数十分の公共のビーチに出かけた。車中でいつものようにタクシー運転手を巻き込みながらライブ中継をし終えると、直後にInstagramを見ていたらしいタンザニアの妻から「私は子育てでへとへとなのに、何でお前だけが羽を伸ばして楽しんでいるんだ。今すぐ香港行きの航空チケットを送れ」と怒りの電話がかかってきた。カラマは「遊んでいないよ。サヤカがパーティに行きたがったから連れて行く途中で、俺はすぐに帰るよ」などと苦しい言い訳をしていた。

 ビーチに着くと、数人の女性たちがバーベキュー用の肉を焼いており、すでに十分に酔っ払っていた数人の男性がベンチの上で踊っていた(写真2)。その様子を周りの人々が時々スマホで撮影する。誕生日ケーキも用意されており、その日が誕生日だという男性に「実は私の誕生日も2月25日なのよ」と告げると、「早く言えよ。前もって知っていたら君も最初から誘ったのに」と残念がられ、「とにかく早く酔っ払って、俺たちに追いついてくれ」とビールを渡された。

 

 (写真2)誕生日パーティ

(写真2)誕生日パーティ

 

 カラマは、「よっ、真打ち登場」などと仲間たちに煽てられ、チャーミングなダンスを披露し、そのたびに「どうだ、撮れたか?」と映像を確認しにきた。ただ、やはり体力が持たないのか、踊っている時間以外は、少し離れたベンチに座ってちびちびとビールを飲んでいた。

 小一時間もすると「帰るぞ」と耳打ちされた。私は、「みんなに帰ると告げなくてもいいのか」と尋ねたが、カラマに「バカ、そんなことを言ったら引き止められるだけだ。朝までいることになってもいいのか」とせかされて、帰路に着いた――後から知ったことによると、酔っ払った後にはナンパに成功した男女の営みが待っていたようで、カラマは駆け引きが始まる前に私を帰らせようとしたようだ。

 翌日の昼間、カラマは帰りのバスの車中にスマホを落としたようで、焦ったように二台目のスマホを駆使して仲間に連絡し、投稿した映像や写真が無事であるかを確認していた。

 「信用」の欠如と「信頼」の創出を担う投稿

 本題に戻ろう。前回に取り上げたTRUSTは、FacebookやInstagramをはじめとしてごく普通のSNSを活用して成り立っている。「メルカリ」や「ヤフオク」などのオークションサイト/フリマサイトとは異なり、TRUSTが活用しているサイトは、ビジネスに特化したプラットフォームではなく、あくまで仲間どうしの相互交流や情報交換を目的としたSNSである。

 それゆえ、たとえば、写真ではわからなかった故障のある車が届いた、故障を踏まえると相場よりずっと高値で買わされたといった事態に陥っても、基本的には成すすべがない。責任を帰す主体がいるわけでもなく、多かれ少なかれ法に違反するインフォーマルセクターである彼らと取引して失敗したからといって、裁判所や警察に訴えるわけにもいかない。それでは、どのようにして取引相手の信頼を見極めることができるのか。

 日本のオークションサイトやグルメサイトの多くは、星の数や満足度を示す点数などを通じた「業者の格付けシステム」を備えており、それらのユーザー自身の評価を参照して「信用できる業者」と「そうでない業者」を判断する仕組みになっている。しかし、TRUSTの場合、たとえ友人の友人の知り合いといった取引する当事者どうしはよく知らない間柄でも、ユーザーはすべからく「仲間」であることに変わりはない。友人や仲間を過去の取引実績で格付けするのは友情に反しているし、香港とアフリカ諸国の不安定で投機的な市場を相手に商売している彼らにとって、過去の取引実践が未来の信頼を保障するという根拠はどこにもない。

 彼らのSNSは、それ以外の多くのSNSと同じく、個々の人間がうっかり晒す無防備な姿だったり、虚飾や粉飾の入り混じった必要以上に格好のよい姿であふれている。それは結果として一片の曇りなく信用できる人物はいないし、逆にまったく信用に値しない極悪人もいないという事実を露呈する。数週間前には羽振りがよくて穏やかな顔を覗かせていた人物が、ビジネスに失敗して追い詰められ、何だか危ない匂いを漂わせていることは、特に珍しい事態ではない。

 これまで述べてきたように、そもそも彼らは他者の過去や現在の状況を詮索せず、人間はいつでも豹変しうることを前提にしながら、そのつどの状況・文脈に限定的な信頼を構築している。身も蓋もないが、その時々の財政的な余裕と個人の地位や身分は、その人物が「この程度の利益のために裏切らないだろう」という期待を高める効果をもつ根拠のひとつである――もちろん金持ちが良い人で貧乏人が悪い人であるなどという仮定がまったく正しくないことは、彼らも熟知していることであるが。

 また、あらゆるSNSで生じている現象と同じく、彼らがSNSに投稿している姿は、必ずしも「ありのままの姿」ではない。たとえば、カラマはしばしば、香港に数多く存在する高級デパートや高級ブランド品のセレクトショップに友人と連れ立って出かける。そして頭の先からつま先まで最新のブランド品を試着し、友人に写真を撮影してもらう。その後に店員には、「あ、しまった。クレジットカードをホテルに忘れた」などと適当な言い訳をして何も買わずに帰ってくる。ただ、投稿された写真を見たアフリカ諸国の顧客は、彼を羽振りがよくセンスのよいブローカーだと勘違いして、商品輸出の依頼をしてくることもある。先に述べた諸々のイベントに出かけたり、パーティを楽しんだりする様子も、彼らが「セレブである」「イケている」印象をつくるのに効果的だろう。

 カラマが「私」と撮影した日々の写真は、アフリカ諸国の顧客に私が彼の現地妻や婚約者、あるいは恋人であると印象づける役割を果たしている。香港のアフリカ人にとって現地妻を得ることは、彼の滞在や経済活動が合法的で発展可能性に開かれたものであるという根拠の一つになる。私はいまでは、多くの香港のアフリカ人やアフリカ諸国在住の人々にカラマの妻であると誤解されていることを了解している。カラマ以外のタンザニア人と肩や腕を組んだ写真を撮影しているので、貞淑な女性ではないとみなされている可能性も高い。私が香港人の妻や恋人でないことがばれても、見せ方によってはスワヒリ語が話せるアジア人と親しくしていること自体に将来的なビジネスチャンスを嗅ぎ取らせることもできる――私は、彼らから様々な情報を得ているので、私が彼らの商売の成功に少しでも役に立っているならば、本望である。カラマたちは中国人や香港人、香港に居住する多様な国籍の人々との親しげな写真も数多く投稿しているが、これらも彼らの人脈や香港での安定的な身分を喧伝する効果を持つだろう。

 もちろんカラマたちはこれらの写真や動画がビジネス――特に顧客の獲得――にもたらす効果を知っているし、事実、彼らはSNSに投稿するための写真や映像を集めることは「遊び」であるが「大切な仕事」でもあると常々語る。

 写真や動画によって築かれるのは、「見せかけ」「まやかし」による信頼でもある。しかし、そのことの何が問題になろうか。少なくとも彼らは「星印」や「点数」とは違い、自己顕示欲や承認欲求、趣味や個人的な好き嫌い、信条や主義、日々変化する喜びや悲しみなどをすべて盛り込んだ、より生々しい姿を通じて、すなわち、数値化できない個人対個人の人格的な取引を基本としてICTを駆使した商売を動かしている。そして、この点こそが、資本の多寡やビジネスの安定性といった市場経済の論理だけではない諸々の指標でニッチを分け合ったり、ビジネスを回していく仕掛け、さらには香港における彼らの不安定な生を保障するセーフティネットを築いていく仕掛けにもなっている。

 専門的な経済プラットフォームではない意義

 ある人物がその他大勢よりも信頼できる感覚に陥る機会には、上述したように経済力や地位を了解することだけでなく、より個人的、感覚的なものも多分に含まれている。たとえば、民族や宗派、出身地や応援するサッカーチームが同じだったとか、趣味や好みが似ていることを知った、政治談議でのコメントに共感した、自身のつぶやきに良い返答をくれたといった出来事、さらには返答のタイミングや「間」、文末に添えられた絵文字のセンスといった感覚的な好みでも、特定の人物に好意を寄せることはあるだろう。

 私は、個人宛のメッセージにカラマたちが頻繁に送ってくるコメディ動画をいちいち開いて確認し、返答を考えることがとても億劫だった――何度も繰り返すが、私にはちっとも面白くない。ネットサーフィンで見つけたコメディ動画をどのような意図で送ってきているのか――単なる「ノリ」なのか何かの「隠喩」だったりするのか――はいまだに不明だが、たまに「気遣い」の発揮なのかもしれないと感じることがある。カラマたちは、面倒な頼みごとをして私が困ったり少し嫌な気持ちになったりして返答を渋ったり、あるいは私が考え込んで長い返答を送ったりすると、文脈にそぐわないコメディ動画を唐突に送りつけてくる。最初のうちは目下の相談と何の関係があるのかと面食らったのだが、考えてもわからないので「爆笑顔」や「驚愕顔」の絵文字などで適当に返答すると、彼らはそれでそれまでの話をなかったことにしてしまう場合が多々ある。

 また、久しぶりにやり取りをする相手から「やあ、元気?」「最近、どう?」といった挨拶の代わりに、意味深なスワヒリ語の格言やエッチな動画が送られてくることもある。頭のなかは「?」でいっぱいになるが、これらも相手の状況を詮索しないで関係性を復活させたり維持したりする、彼らなりの配慮や知恵なのかもしれない。

 すでに述べたように、カラマたちの仲間関係は多岐に渡り、多くの友人は「スリープモード」状態にある。どんな状況にあるのか分からない相手を含めてすべての人間に直接的なメッセージを送って関係を良好に維持していくのは大変である。思い立ったときに気軽に一斉送信しても誰も傷つけることのない写真や動画は、たいへん便利である。こうしたコミュニケーションのスキルも彼らのビジネス手腕の一つなのかもしれない。ただし、どのようなやり取りを好ましく思うかは人によって違うし、月並みな表現であるが、「相性」も重要である。

 いずれにしても過去の取引実績や経済力、社会的地位や身分(難民認定、現地人との婚姻関係等)を図る指標だけでなく、虚実や不透明さも含めて、それ以外の人格的理解がいやおうなく取引の成就に関係してくることは、TRUSTが誰にでも開かれ、誰にでもチャンスが回ってくるプラットフォームである条件になっている。香港で暮らすタンザニア人たちには月額600万を超える「成功者」から日々の食費にも事欠く「貧窮者」まで様々だが、一度もチャンスが回ってこないという人物はいない。

 さらに、こうした社会的なコミュニケーションと個々のビジネスが渾然一体となっていることは、特定の個人に過度な負い目を固着させずに、気軽な助け合いを促進する仕組みにもなる。

 ある人物がその他大勢よりも「信頼」できるように感じる重要な機会はやはり、自分以外の誰かによる「あの時は、マジで助かったぜ」「君がいないと、つまらないよ」といったコメントを通じて、少なくとも直近の状況において、彼/彼女が多くの人びとに好かれていることを了解する場面である。家族のお土産を買うことに付き添ったり香港各地の観光案内をすること、葬式や遺体輸送といった香港タンザニア組合の活動に積極的に貢献すること、「ついで」に見ず知らずの若者の道案内をしたり部屋に泊めてあげること、これらの親切はその時その場では決して「利益」を目的にしたものではないが、そうした親切が回りまわっていつか「新しい商売」につながるかもしれない程度には期待できるものとなっている。つまり、専門的サイトではなくSNSをそのまま活用していることが、ビジネスでの利益と「市民社会的」な実践とをごく自然なかたちで有機的に結びつけているのである。

 このようにしてビジネスに関わる利己的な関心と他者に対する利他的なふるまいが分かちがたく結びついたプラットフォームが築かれていくと、彼/彼女から私への親切に直接的に返済できなくても、それは彼/彼女のチャンスへとつながりうるし、私自身が別の誰かに対して提供した親切の見返りをその人物から得られなくても、私はすでにチャンスをつかんでいるかもしれないという世界が築かれていくことになる。すなわち、ここでも「負い目」を曖昧化しながら自発的支援を促進することで、「きっと誰かは助けてくれる」という国境を越えた巨大セーフティネットが形成されていくのである。

 「遊び」と「仕事」の順序

 じつはTRUSTのしくみを理解した後に、私は「メルカリ」や「ヤフオク」をはじめとする類似のサイトをカラマに見せて、その仕組みを説明したことがある。当時、私は、一般的なSNSを活用した彼らのプラットフォームは洗練されていないように感じていた。中古自動車から電化製品、衣類雑貨など流れてくる商品情報はばらばらであるし、その合間にパーティの写真にコメディ動画、日々の出来事に関する雑感に大量の絵文字……がランダムに流れてくる。TRUSTが基盤とする複数のSNSは、カオスだ。そのため、商品の種類や予算ごとに検索できて、受注や輸送のリアルタイムの情報が組み込まれ、業者の評価システムを確立した専門的なビジネスサイトを構築すれば、より効率的に商売ができるのではないかと考えたのだ。カラマは私の得意げな説明を興味深そうにうなずきながら聞き、「そのアイデアはほかの人には内緒だ。プログラマーの友人に頼んで俺が最初に試してみるよ」と言っていたが、本当はそれほど関心がなかったのではないかと今ではおもう。私は、大きな勘違いをしていた。

 人類学者の小田亮はかつて「贈与交換」「分配」「再分配」「市場交換」という4つの交換のタイプを「負い目の刻印の存在形態」に着目して次のように整理した。贈与交換は負い目を持続させ、分配は負い目を曖昧なものにし、再分配は負い目を返済できない無限のものとして永続させ、そして市場交換では負い目を消去する。対等な主体どうしの贈与交換は、持続的な機械的連帯をつくり、中心と周辺の間の再分配は持続的な有機的連帯をつくる。そして遊動社会に特徴的な分配はその場限りの機械的連帯、市場交換はその場限りの有機的連帯をつくる(小田1994:97-98)。

 市場交換と再分配の相補的な関係こそが、資本主義経済と近代国家の共犯関係である。これに対抗するオルタナティブとしては贈与交換や「コミュニティ」が注目されがちであるが、タンザニア人のプラットフォームは、市場交換と分配との相補的関係で成立しているようにみえる。

 彼らのプラットフォームは、前回に述べたように、ICTやブロックチェーン、AIなどのテクノロジーの発展と共に期待されるシェアリング経済やフリー経済の思想とおそらくは親和的である。だが、彼らは、新しいビジネスのあり方を模索する過程で市場経済の論理にコミュニティを基盤とする「互酬」や「贈与交換」「シェア」の論理を組み込んでいき、ICTによって不特定多数のユーザーによるピァトゥピァな取引が実現することでより開かれたものへと変化していったわけではない。順序はまったく逆である。

 タンザニア人のプラットフォームはあくまで、厳密な互酬性を期待するのが難しい不定形で異質性の高いメンバーシップにおいて、誰かに負い目を固着させることなく、気軽に無理なく支援しあうための試行錯誤をする過程で構築されたものであり、市場交換の論理がその上に乗っかっただけなのである。すなわち「閉じられた互酬性」を「開かれた互酬性」に、「贈与交換」を「分配」に調整していく過程で自生的に形成されたプラットフォームが、後から市場交換にも活用されるようになったのである。

 それゆえ「効率性」を追求して、彼らのプラットフォームを市場交換に適した形に洗練・制度化させていくことは、本来の目的であった「気前よく与える喜び」「仲間との共存」「遊び心やいたずら心」「独立自営の自由な精神」の価値より経済的価値を優先させていくという矛盾を生起させる。

 親切にすることは他者への共感や仲間との共存のためであり、それが「商売」にもつながったら喜ばしいが、「商売」のために仲間を格付け・評価したり、仲間を増やすことが目的となったら、台無しである。ネットサーフィンしてコメディ動画を探すことは「遊び」であり、ついでに「仕事」に活用もするが、逆転させたらつまらないし、とっても面倒くさい。 

 考えてみれば、「楽しくない」「面倒くさい」といったごく自然な実践的な感覚や公正さでもって、敢えて「カオス」であり続けることに、市場交換と贈与交換や分配の価値が逆転しない接続のしかたがあるように思う。

 次回は、これまで紹介してこなかった多様な生き様をふくめて、彼らが日々つむいでいるSNSについて考察したい。

 

 

【参考文献】

小田亮『構造人類学のフィールド』世界思想社、1994年

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著者略歴

  1. 小川さやか

    1978年愛知県生まれ。専門は文化人類学、アフリカ研究。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程単位取得退学。博士(地域研究)。日本学術振興会特別研究員、国立民族学博物館研究戦略センター機関研究員、同センター助教を経て、2013年より立命館大学大学院先端総合学術研究科准教授。著書に、『都市を生きぬくための狡知』(サントリー学芸賞受賞)、『「その日暮らし」の人類学』がある。

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